脇 学友の価値
「スコッティ、また頼む」
「ああ」
俺は、スコッティ・マッカーラ。伯爵家の次男で、この国の王太子であるシグルド・アイリッシュ・アルクル殿下の学友兼護衛として、この王立学院の騎士科に通っている。
殿下とは、5歳の頃から学友として一緒に育った気の置けない仲だ。なので、私的な場所では、昔のままに気安い口を利くことを許されている。
ゆくゆくは兄のように近衛騎士となって、殿下の側近として城に上がる予定だ。
殿下は、このところブレンダ・カスクという子爵令嬢にご執心だ。
今、殿下とブレンダ嬢は、校内にあるサロンで、2人で茶を飲んで語らっている。
俺は、誰も近付かないように見張りをしている。
このサロンは、高貴な貴族などが学生となった際に利用するように設えられたもので、現在は殿下専用となっている。
ブレンダ嬢は、貴族の令嬢とは思えないほど自然体で素直な娘で、ともすれば平民の娘だと言われても納得しそうなほど気取ったところがない。
殿下には、シェリーファ・ニーシュ公爵令嬢という婚約者がいるから、本来なら、ほかの令嬢とサロンで2人きりになるなどということは許されないのだが、俺は敢えて目を瞑っている。
ニーシュ公爵令嬢は、いかにも高位貴族といった鼻持ちならない高慢ちきな女で、何かにつけ、殿下にああしろこうしろ、あれはやったかなどと口うるさく言ってくる。
俺に対してまで、ご学友なのだから云々と小言が絶えないくらいだ、殿下はさぞかし息苦しいことだろう。
時々は、こうやって息抜きしないと、殿下は気の休まる暇がないのだ。
ブレンダ嬢は、裏表のない性格で、気を張る必要がない。
ほかの令嬢と違い、殿下を王太子ではなく、シグルドという1人の男として接している。
殿下が彼女に心を許しているのも、そのためだろう。
俺は、王妃の仕事として最も重要なのは、王に安らぎを与えることだと思っている。
政務など、王妃がやる必要なんかないだろう。そういうのを任せるために文官がいるのだ。王妃こそがやるべきことは、セレモニーで王の隣に立つこと、王に安らぎを与えること、世継ぎを産むことだけだ。
ニーシュ公爵令嬢は、確かに見目麗しく、王の隣に立つ王妃として文句ない人物だろう。世継ぎだって産めるだろう。だが、安らぎを与えることはできない。
あんな女が傍にいたら、息が詰まってしまう。
殿下の妃に相応しいのは、ブレンダ嬢だ。
そんなブレンダ嬢だが、何かと嫌がらせを受けているらしい。
ものを隠されたりといった他愛もないものではあるが、こんな陰湿な嫌がらせ、どうせ裏で糸を引いているのはニーシュ公爵令嬢だろう。
少し調べてみたところ現場を見た者はいないようだが、あいつがやったに決まっている。腹黒いあいつのことだ、自分の手を汚さずに誰かを使ってやっているかもしれない。そうなると、証拠を押さえるのは難しいだろう。
残念ながら、俺は殿下の傍を離れられないので、現場を押さえることはできない。
俺が自由に動けたら、尻尾を掴んでやるものを。
もっとも、殿下は、今のところ手を出す気はないそうだ。
どのみち、多少の嫌がらせくらいでは、公爵令嬢を追求したところでどうにかできるわけではない。
多少の嫌がらせくらいは、ガス抜きとして黙認するということらしい。たしかに、下手に刺激して、嫌がらせが過激になっても困るからな。
だが、ある日、殿下がえらく憤慨した様子で、ニーシュ公爵令嬢を糾弾すると言い出した。
詳しく話を聞いてみると、ブレンダ嬢がニーシュ公爵令嬢に階段から突き落とされたらしい。
ほかには誰もいないところで、すれ違いざまに突き落とされたそうだから、ニーシュ公爵令嬢がやったのは間違いない。
ブレンダ嬢は、軽傷とはいえ怪我をしたらしいから、これは立派な暴行事件だ。
女狐め、ようやく尻尾を出したか。これなら、正面から責められる。
殿下は、言い逃れできないよう、謝恩会の場で婚約破棄を叩き付ける計画を立てた。衆目の前で悪行を暴いて婚約破棄してしまえば、たとえ公爵家といえども横槍を入れられないだろう。
生ぬるいやり方では、公爵家の発言力で、なかったことにされてしまうおそれがあるからな。
「シェリーファ、話がある」
「まもなく謝恩会が始まりますので、手短にお願いします」
いけしゃあしゃあと、何言ってやがる。そうやって澄ました顔をしてられるのも今のうちだ。
おっと、ヒステリーでも起こしてブレンダ嬢に掴みかかられると厄介だ、取り押さえておかないとな。
「今現在、力ずくで私を抱きしめているこの男は、暴力事件の現行犯か婦女暴行事件の未遂犯でしかないわけです。」
なに、俺が暴行!? ちょっと待て、俺は、ただお前に暴れられないように……未婚の貴族の娘に触れたって、これがか!?
俺は、混乱したまま警備員に引っ立てられて、指導室で聴取を受けることになった。
「最初に言っておくが、ここでの聴取内容は記録され、処分に際しての証拠となるから、そのつもりで答えるように」
風紀担当の教師にそう言われて、事情聴取が始まった。
「まず、謝恩会を滅茶苦茶にした理由から聞こうか」
「滅茶苦茶にするつもりはなかった」
「では、あの騒ぎは何だ?」
「俺達は、ただ、衆目の前でニーシュ公爵令嬢を糾弾したかっただけだ。密室で糾弾しても、公爵家の力でなかったことにされてしまっては元も子もないから、謝恩会で、大勢の人に見せようと、殿下が…」
「殿下が言い出した、と」
「ああ」
「なぜ止めなかった?」
「たしかに、衆目の前でないと揉み消されるだろうと思ったからだ」
「謝恩会は、卒業生を祝福する席だ。それは考えなかったのか?」
「そこまでは考えていなかった。ただ、あいつを糾弾しようと…」
「ふむ。
では、その公爵令嬢の話だが、地面に組み伏せたそうだな。なぜ、そんなことをした?」
「追い詰められて、ブレンダ嬢に危害を加えるといけないと思ったからだ」
「危害は、君が公爵令嬢に加えたのではないか?」
「俺は、ただあいつがか弱いブレンダ嬢に掴みかかりでもするとまずいと思っただけだ」
「か弱いというなら、公爵令嬢もか弱いのではないのか? 君に組み伏せられて怪我をしたようだが」
「膝をすりむいた程度だろう。怪我のうちに入らん」
「では、公爵令嬢が子爵令嬢に素手で掴みかかると、子爵令嬢はどの程度の怪我をするのかね?」
「怪我の問題じゃない。ブレンダ嬢は、これまで散々心を傷つけられてきたんだ。これ以上、何かされたら…」
「衆目の前で、男に組み伏せられて晒し者にされた公爵令嬢の心の傷は、どうでもいいのかね?」
「あいつは、自業自得だ」
「公爵令嬢が、何をした?」
「ブレンダ嬢を階段から突き落としたんだ!」
「突き落とした? いつ、どこで?」
「1週間ほど前、講義棟の階段でだ」
「ほう? 我々は、そんな話、聞いたことがないが」
「ブレンダ嬢は、あいつを恐れて、つい先日まで黙っていたんだ」
「で、それを知った後、学院に通報しなかったのは、なぜだ?」
「それは、俺達で糾弾しようと思ったからだ」
「ほう。どんな権限で、君達が糾弾するのかね?」
「あいつは、殿下の婚約者に相応しくない。それを証明するんだ」
「質問に答えたまえ。どんな権限で糾弾するのかね?」
「殿下は王太子で、あいつの婚約者だ。それで十分だろう」
「なるほど。
我が学院は、貴族同士については決闘を認めているが、それに必要な手続も定められている。
手続を経ないものは、私闘という扱いになるのは知っているな?」
「これは、断罪だ。私闘じゃない」
「そう思うのは勝手だが、学院内での正規の手続によらない暴力の行使は、処罰の対象だ。それなりの処分は受けてもらうことになる」
「あいつも、それなりの処分を受けるんだろうな?」
「それは、全員から聞いた話をまとめて、状況を整理してから決める。
すぐに結論は出るだろうから、それまでここでじっとしているように」
「殿下にお会いしに行きたいんだが」
「当事者同士で口裏を合わせられると困るからな、処分が決まるまでは会わせるわけにはいかん」
1時間ほど待たされた後、教師が指導室に戻ってきて、俺達の処分を告げた。
「殿下と子爵令嬢は、謝恩会を妨害した罰として、停学1週間。君は、謝恩会については従属的な立場だったから不問に付すが、公爵令嬢に対する暴力行為の罰として、停学2週間だ。これからすぐに実家に戻って謹慎するように」
「待ってくれ、公爵令嬢はどうなんだ!?」
「公爵令嬢は、純粋な被害者だ。処罰はない」
「そんな馬鹿な! ブレンダ嬢を突き落とした暴力行為があるだろう!」
「証拠がどこにある? 医務室で確認してもらったが、子爵令嬢の体には傷などない。君や殿下も現場は見ていないそうじゃないか。
そんなあやふやな話で、処罰などできるものか」
「…殿下に会わせてくれ」
「残念ながら、それはできない。殿下は、既に謹慎のため、王城に戻られた」
「なんだ、それは…。おのれ、女狐め…」
「君は、むしろ公爵令嬢に感謝するべきだ。
本来なら、公爵令嬢を人前で組み伏せるなど、首が飛びかねないほどの重罪だ。
君も貴族なら、男に押し倒された未婚の娘がどういう扱いを受けるか知っているだろう。傷物扱いされて、下手をすれば結婚できなくなるんだぞ。
本来なら退学のところを、彼女が、学院内でのことだし不埒なことをされていないのは衆目の一致するところだろうから、通常の暴力事件として扱ってほしいと言ってくれたから、停学で済んだんだ。
間違っても逆恨みするなよ」
俺は、迎えの馬車に押し込められ、実家で謹慎することになった。
実家には、学院から「暴力事件を起こして停学2週間」と連絡がいったそうだ。
俺は、謹慎ということで、部屋から出ず、食事も部屋で1人で摂っていた。
停学となると、俺の経歴の賞罰欄に載ってしまう。
騎士になる上で、大きな減点だ。
俺は、悶々とした日を送っていた。
停学になって5日目、俺は父の部屋に呼ばれた。
「スコッティ。暴力沙汰を起こしたとは聞いていたが、相手がニーシュ公爵令嬢だったというのは本当か?」
「はい」
「大勢の前で、地面に組み伏せたというのは?」
「本当です」
「なぜ、そんなことをした?」
「ニーシュ公爵令嬢が、ブレンダ・カスク子爵令嬢を階段から突き落としたからです」
「証拠は?」
「その場には、ブレンダ嬢と公爵令嬢しかいなかったそうです」
「…そうか。
では、要求を呑むしかないな。
愚か者め。お前は、自分で自分の人生を台無しにしたのだ。
生涯悔いて生きろ」
「どういうことです、父上?」
「確たる証拠もなく、人前で公爵令嬢を罪人呼ばわりなど、侮辱もいいところだ。
お前は、本来、殿下をお諫めして計画を止めるべきだったのだ。
ご学友とは、主が間違った判断をした時に、その身を賭けて正すものだ。
それを止めるどころか、頼まれもしないのに公爵令嬢を組み伏せるなど、呆れて言葉もない。
お前は、一歩間違えば、マッカーラ伯爵家を潰すところだったのだ。
陛下からは、『此度の件、甚だ遺憾なれど、獅子身中の虫を自ら招いた我が不見識も少なからず、貴家嫡子の職務にますます精励されんことを望む』とのお言葉を戴いている。
このご温情により、我が家はお咎めなし、グレンモアも近衛騎士でいられることになった。
だが、お前は許されておらん。
今回の件、ニーシュ公爵家に対して詫びねばならん。
あちらは、我が家からの正式な謝罪と、お前に対する罰を要求している。
『未来の国母たる肌を知る者は、未来の王だけでなければならぬ』だそうだ。
公爵令嬢の肌に触れたお前の腕、捨てねばならん」
「腕を、捨てる?」
「陛下が獅子身中の虫まで仰ったのだ、もうお前が騎士になる可能性はない。
が、文官としてなら、まだ可能性はあるだろう。
せめて再起の芽を残してやる。
どう活かすかは、お前次第だ」
翌日、俺の両拳は、ハンマーで砕かれた。
激しい痛みに眠れない夜が続く中、謹慎中の殿下が廃嫡され、学院も退学したとの知らせが入った。
これから生涯幽閉されるとの噂だ。
父からは、これが俺達のしでかしたことの重大さなのだと諭された。
だが、次に聞こえてきた噂に、俺は激怒した。
ブレンダ嬢が、どこぞの伯爵の後妻に入ったなどと!
殿下は、ブレンダ嬢のために動いた結果、幽閉されているというのに、俺も騎士としての未来を失ったというのに。
どん底の殿下を見限って、よその男と結婚など…。
怒りに震える俺に、父は静かに言った。
「いずれ殿下は病死するだろう。
その時、彼女が殿下の傍にいれば、彼女が毒殺したことにされ、カスク家は取り潰しになる恐れがある。
彼女は、家に累が及ばぬよう、我が身を売ったのだ。
本意ではあるまいよ。
お前が殿下のご学友として召し上げられる時、こういった貴族のあり方を教えてやらなかった私が一番不見識だったのかもしれんな」
そう言って力なく笑う父は、随分老け込んだように見えた。
俺が見てきたこと、感じてきたことは、ほんの上辺だけだったらしい。
公爵令嬢は、それを言い続けていたのか。
俺は、まだ終われない。
まだ、何もできていない。
指が動くよう訓練して、せめて家のために働けるようにならなければ。