前編 謝恩会での出来事
「シェリーファ・ニーシュ! ブレンダ・カスクに対する悪行の数々、明白だ。
お前との婚約は破棄する!
何か申し開きはあるか!」
私の目の前に、我がアルクル王国の王太子であるシグルド・アイリッシュ・アルクル殿下が仁王立ちしています。
その隣には、かばわれるようにブレンダ・カスク子爵令嬢が立っています。
そして、私は、殿下の学友兼護衛である騎士科のスコッティ・マッカーラに、右手で右手首を掴まれて後ろ手に締め上げられた上、左手を首に回されて押さえつけられています。 こんなことをしなくても逃げたりしませんのに、随分と力を込めてくれるものです。
今は、王立学院の卒業式謝恩会パーティの最中です。
シグルド殿下は、卒業生でもないのに、学長のご挨拶を待たずに突然、演説を始めました。
殿下は、私がブレンダ嬢に嫌がらせや暴行を働いたとして、私を糾弾したいようです。
「身に覚えがございません。
何か証拠でもございますの?」
「ああ、あるとも!
まず、ブレンダのノートなどなくなったものが、全て教室のお前の机から発見されている。何度となくだ。
次に、ブレンダの靴が隠された件だが、直前にお前が下足場にいたのが目撃されている。
さらに、廊下でお前がブレンダに足を掛けて転ばせたことについては、多くの者が目撃している。
おまけに、ブレンダは、お前に階段から突き落とされたことを証言している。
どうだ、言い逃れはできんぞ」
相変わらず脇が甘いお方ですこと。
「お言葉ですが。
どれをとっても、私を糾弾できるようなお話ではございません。
ノートを盗んだなら、破くなり燃やすなりするのが筋ではございませんか。
自宅ならいざ知らず、わざわざ教室の自分の机に入れておく馬鹿がどこにおります?
誰かが私に濡れ衣を着せるために入れたと考える方が合理的でございましょう?
それとも、私が机に入れるところを見た者がいるとでも?」
「…見た者はいない」
「では、次に下足場ですが、私が目撃された時間というのはいつ頃ですの?」
「授業終了の15分ほど後だ」
「それでは、単に帰宅しようとしていただけではありませんこと?
私、下足場になど登下校の際にしか寄りませんが。
私がブレンダ嬢の靴に触れるのを見た者がいるのですか?
そうでないなら、下校時に下足場にいたことなど何の証拠にもなりませんわ」
「ならば、足を掛けて転ばせたことについてはどうだ、多くの者が目撃しているぞ」
「廊下を走っていたブレンダ様が、私にぶつかりそうになった時のことでございますね。
目撃者の方によくご確認されましたか?
あれは、ブレンダ様が避けきれなかった私の足を踏んで勝手に転んだだけのことでございましょう。
足を踏まれた私は、その後、医務室で治療を受けております。
これは、校医の記録にあるはずです。
むしろ私の方が被害者ですが、廊下を走るなどと淑女の風上にも置けない山猿を相手に文句を言うのも馬鹿らしいと思い、不問にしておりました。
必要でしたら、校医にご確認ください」
「では、階段から突き落とした件はどうだ!
ブレンダは、確かにお前に突き落とされたと言っているんだぞ!」
「それは、いつのことでしょう?」
「先週だ!」
「では、なぜすぐに私のところにお話がなかったのでしょう?
彼女はこの1週間、学院を休んでいませんから、大怪我をしていて話す余裕がなかったなどということはないはずですが」
「ブレンダは、お前を怖がって話してくれなかったのだ」
「では、どうして今になってお話になったのでしょう?」
「私が説得して、ようやく話す気になってくれたのだ!」
「それで、私が突き落としたところを見たというのはご本人だけですか? ほかにはおりませんの?」
「ブレンダが言っているんだ、十分だろう!」
「なるほど。
では、例えば、先日、私はブレンダ様にナイフで斬りつけられたのですが、と言ったら殿下はお信じになるのですね?」
「ブレンダがそんなことをするはずがないだろう! 証拠があるのか!」
「被害者の申告が証拠だと仰ったのは殿下です。
おわかりになりましたか? 本人の言葉が勘違いや嘘である可能性がある以上、証人は第三者でなければならないのです。
ああ、もちろん斬りつけられたというのは、説明のために作った話ですので、ご安心ください。
ですが、私が突き落としたというのがブレンダ様の勘違いや嘘である可能性は否定できません」
「ふざけるな! ブレンダが信じられないというのか!」
「ですから、本人の言葉が証拠なら、私がやっていないと言っているのが、やっていない証拠です。
証人ならば、第三者を連れていらっしゃいませ。
第三者である証人というのは、例えば今ここにいらっしゃる皆さんのような、私たちに利害関係のない方々のことを言うのです。
彼らは、今、公爵令嬢である私が、理由なく暴力を振るわれていることを証言してくれるでしょう」
「なんだと!?」
「そもそも殿下は、何の権限をもって公衆の面前で私を断罪なさるのですか?
学内の事件の処理は、殺人などの重大事件でない限り、学長の専権事項のはずです。
生徒会役員や風紀委員ならばいざしらず、学内における役職を持たない殿下には、個人的に私をなじるか、陛下に婚約破棄を奏上する以外のことはできないはずですが」
「俺は王太子として…」
「ですから、学内に王太子などという役職はございません。
学外であっても、王太子に婚約者を処罰する権限はありません。
殿下がなさっていることは、学院の行事である謝恩会の妨害と、私への暴力行為に過ぎません。
今現在、力ずくで私を抱きしめているこの男は、暴力事件の現行犯か婦女暴行事件の未遂犯でしかないわけです。
まさか、殿下自ら婚約者を襲うよう唆したなどということはありませんわね? 殿下がそのような卑劣漢だとは、存じ上げませんでしたが」
私の挑発に、殿下は面白いように乗ってきました。
「誰がお前など襲わせるか!」
「では、この男が勝手にしていることなのですね?
未婚の貴族の娘の肌に無断で触れる行為が何を意味するか、貴族である以上、よもや知らないとは申しますまいね?
ましてや、この身は王太子の婚約者、未来の国母となるやもしれぬ体です。
王太子の護衛騎士候補にとって、その婚約者は主とも言うべき相手であるのに、あろうことか主に襲い掛かるなど、騎士の面汚し、なんという慮外者でしょう。
国家反逆罪で死罪は免れないところですわね。
…学外であれば。
幸い、ここは学内ですから、女生徒に対する暴力事件として死罪まで問われることはないでしょう。
…いつまでその汚らわしい手で私に触れているおつもり?
これだけ説明して差し上げても理解できないのですか?」
ようやくマッカーラの手が離れ、私は立ち上がることができました。
さて、それでは。
「殿下、もう一度確認いたしますが、この男に私を押さえつけるよう命じてはおられませんのね?」
「当たり前だ! 私はただ、お前を糾弾するために来たのだ!」
「では、彼が私の肌に触れるのを黙ってご覧になっていたのはなぜでしょう?
見ようによっては、私が汚された方が都合がいいから放置していた、とも取れますが」
殿下の顔色が変わりました。
今の言葉は、私が他の男に汚されでもすれば婚約破棄の理由にできるから、わざと放置した、あるいはそう命じていたというように取れるものです。
そのことに、ようやく気付かれたようですわね。
「少なくとも、私が言うまで彼を放置していたことは衆目の一致するところでしょう。
このことは、父に報告させていただきます。それから、陛下にも。
悪意の有無は置いておくとしても、殿下が婚約者である私を助けようとしなかったことは明白ですから、婚約は破棄された方がお互いのためかと存じます。
その意味では、殿下の目的は達せられたかもしれません。
ともかく、学院からの事情聴取もありますから、後ほどまたお会いしましょう」
私達は、ようやく駆け付けた学院の警備員に先導され、それぞれ事情の聞き取りが行われました。
私は、純粋に被害者ですので、医務室ですりむいた膝の治療を受けながら説明をいたしました。
そして、殿下とブレンダ嬢は騒ぎの首謀者ということで1週間の謹慎を、暴力事件を起こしたスコッティ・マッカーラは2週間の停学ということになりました。
殿下は、謹慎の1週間の間、陛下に王城へと呼び戻されました。
そして、そのまま休学…実質退学となりました。
次回は、9月3日土曜日午後10時頃更新の予定です。