01
それが最後となってしまった、毎年恒例の食事会は、和やかな雰囲気の中で進んでいった。
会は、娘の八尋が生まれた翌年から始まり、彼女を妻の父母に会わせるため、夏の初め頃集まる様になった。そして、それは私の妻だった弥生が、義父母にとってはひとり娘が、亡くなってからも、変わることなく続いてきた。義父母とは、ひんぱんに会えない所に、私と八尋は暮らしており、義父の仕事上、会いに来てもらうこともできなかった。二人はそれを寂しく感じていただろうが、私には感じさせないようにしてくれていて、大変ありがたかった。
「今年から、夏の間はどうするのかね」と義父から尋ねられた。
これまでならば、私も一緒に一週間ほど滞在するのだが、八尋が八歳になり、親子が離れて過ごす経験をしたほうがいいと、先に義父母と話し合い、今年の夏休みから一ヶ月間、八尋から見ればおじいちゃん、おばあちゃんの家で過ごさせることに決めたのだった。私達の暮らす都会マンションと違い、山の湖畔にある家は広く、庭と畑があり、家の前を小川が流れ、すぐ裏には山があった。そして、なによりここは、弥生が、八尋の母が生まれ育った場所なのだ。
「仕事です。作曲の依頼が、ひさしぶりにあって。それをどうしても夏の間に仕上げたいのです」と私は答えた。
「そう。私もその方がいいんだ。こういった田舎でおもいっきり遊べるなんてないしね。それに、おじいちゃんとおばあちゃんと一緒に過ごせるなんて初めての事だし、おもいっきり甘えちゃおうかな。そう、それに、たまにはお父さんを一人にしてあげないとね。掃除や食事が、ちゃんと一人でやれるか心配だけど、これからの男は家事ぐらい出来なきゃね」八尋が言った。義父は微笑み、義母はらしく豪快に、アハハと声を出して笑い、その通りだ、と言った。私は笑うべきだったろうが、笑えなかった。八尋が強がって見せたりするのは、寂しいということの表れだった。
「なに言ってる。いつもきちんとしているだろう」
「ウーン。もうちょっとばかし、料理の腕が上がってくれれば文句なしなんだけど。勉強して、おじいちゃんぐらいの腕前には、なってなってもらわないと」今度は皆で笑った。
この食事会は、料理とともにテーブルの飾り付けから飲み物の用意まで、全て義父が一人で用意をする。お茶とデザート、食材の野菜は、義母の担当だった。義父は一流の料理人で、料理店を経営していた。料理の世界では知らぬものが無いという人物だった。その料理のおいしさ、素晴らしさと言ったらない。いったい値段にしたら、どれくらいのものになるのだろう。そもそも、彼の店のメニューには値段が表示されていないという。そこへは、行ったことがない。いずれ、と考えている内に、弥生が亡くなり、行きずらくなってしまった。彼の料理を食べると、生きていることのありがたさを、再確認することができるかのようで、そして、あえて彼が、私に向けて細やかな心遣いをしてくれたことに、私は感動していた。彼は、一流の感性の持ち主であった。「最高の料理を求めて、この地を選んだ。水と土。最高の環境が整った場所だよ」と、前に教えてくれたことがあった。彼とは、案外気があった。いや、真実は違うのかもしれない。私が、妻を無くして落ち込んでいたのを慰めるつもりで、話してくれたのかも知れえない。自身も、一人娘を亡くした寂しさを、埋めるためのものだったのかもしれない。亡くなってから、より親密な関係を築けた気がする。音楽については、音楽学校を卒業して歌手をしていたという義母の方が詳しいはずだ。しかし、同じように歌手になった弥生は、父親の意見を、より重視していた。弥生は、父親と仲が良かったことを思い出す。悩むことがあると、弥生はいつも父親に相談しているようだった。彼は素晴らしい人物だ。
「もう少しゆっくりとできればいいのに」と残念そうに義母が言った。さっきまで、夕日で燃えるような空と、深い緑の草木が眺められたのに、もうそれは見えなくなっていた。義母はお茶を飲み、義父はウイスキーを飲んでいた。八尋は、すでに食事を終えて、一番楽しみにしていたブルーベリーをたっぷりのせた義母特製レアチーズケーキを食べていた。それもすぐに食べ終え、満足したのか、猫と遊びたがった。
「先に歯磨きとお風呂を済ませてからだ」と、私は言い聞かせた。八尋は、一人で全部できることを、おばあちゃんに褒めてもらいたくて、走っていった。それを義母が、後から付いて行ってくれた。おかげで私は、ゆっくりと料理を堪能することができた。
「それでは、私はこれで帰ります」
この夏の食事会は、いつもより早く終ることになった。別れが辛くならないよう、早めに家に帰ると決めていた。娘の八尋は、自分の母の部屋に用意された真新しい布団で、いつも持って来る、ブタのぬいぐるみを抱いて、布団の上には猫が丸くなって、ときどきいびきをかきながら眠っていた。
義母との、あいさつを終え、私が家の外に出ると、めずらしいことに義父が独りで、見送るために出てきた。顔を見ると、なにやら思案しているらしい。
「どうしたんです。めずらしいなぁ」
「本当に、一ヶ月も八尋と離れていいものかね」
「うーん。良くはないでしょう」
「ならどうして」静かな、しかし揺るぎない口調で義理の父は言った。
私は彼に説明する必要があるのは、前々から分かっていた。けれども、できる事ならば、したくないというのが本音だった。それで結局ここまできてしまった。
「私のせいでしょう。仕事に集中したいという、ただの我がままです。けれども今ここでしなかったら、それはあの子の、八尋のせいになってしまうんです」
「言っている意味がわからないのだが」
「あの子の今日の様子を見たでしょう。あのとおり気丈に振舞っていました。気を使ってるんです。私に。親である私に。それも、まぁ、あの子の性格を考えると、仕方がないことなのかもしれません。ただ、その代わりに何でも言える、甘えられる存在として、あなた達二人がおられる。その役割をもっと強めてもらおうと。八尋は私には、なにも心配させないでおこうとしてるんです。私は、それが分かって、かえって、つらい。といって、こうする以外にそれをやわらげる方法を見いだせなくて」と私の話を聞いて、彼はしばらく考えていた。その沈黙の時間に、今まで感じたことのない、恐怖のような、絶望のような、負の感情が襲ってきた。八尋に付いてここまで、はっきりと考えていたことを口に出して、言ったことはなかった。沈黙は、彼に責めらているかのようで、耐えられなかった。じっくりと考えて、彼は慎重に言ってくれた。
「しかし、逆効果にならないかい。あの子が、必要とされていないと感じる、邪魔者だと思われているんでは、と考える可能性が」
「子供に、気を使いすぎてたんです。だから、かえっていけなかった。あえて、しばらく邪魔しないで仕事に専念したいから、くらいのことを言えればよかった」
「どうかな。私は今までのままで、なにも問題はないと思うが」
「そうかもしれません。しかし、今度の事が彼女にとって、いい経験になるのは間違いないでしょう」私は必死に、なんとか彼をごまかして、車に乗った。彼とこれ以上面と向かって話し合うのが怖くて、逃げ出すかのように車に乗り込んでしまった。
八尋がまだ二歳くらいの頃、弥生と母子二人きりで、里帰りしたことがあった。「歌う声と、いい匂いと、おいしいかったの」ある日、八尋は母のことを思い出して、そう言った。彼女にとって、祖父母の家は、特別の思い出の場所であろう。その地でのびのびと、甘えて過ごせれば、父親がいて、母親がいて、笑い合って食事をするという、本物の家庭を、それがどんなに素敵なものなのか、知るだろう。それは、私には与えられないものだった。
「どうして、私はまだ子供の八尋と、夏休みの間離れる必要があるのか」そう、義父に問われて、うまく答えられなかった。理由は、私自身にも分からなかったったからかもしれない。しかし、妻が亡くなって六年が経ち、気持ちが落着いた事が、私の中では大きかった。弥生には母親がいないことで、苦労をさせてしまった。私が、弱いばっかりに、明るい、楽しい家庭を、作ってこれなかった。似たような境遇でも、健やかに育つ子もいて、そこには、強い人がいた。弥生が育った、義父母の家は、よそ者の私にとっても、あたたかくて、安らげて、心地の良いところだった。そこで過ごせば、八尋は、少しだけ幸せのときを得られるだろう。祖父母の愛情の暖かさに癒されるだろう。二人の立派な人柄に触れて、本当の大人というものが、どういうものなのか、知ってもらえるだろう。
八尋は自分を抑える事を知っている。抑えすぎると思った事も多々あった。同年代の子供達と比べて、かなり大人びてもいた。聞き分けがよく、私が仕事で約束を守れなくなってもおもんばかって、「しょうがないよ。また今度連れてってね」と言った。
親に対して、気遣って、子供がそう言うのだった。その言葉を聞いたとき、私はとても悲しくなった。泣いて、怒ってを、しない娘にさびしさを覚えた。その傾向が、成長するにしたがって強くなってきていた。わがままに振舞う事も時として必要だった。自分を解放して、何もしないで、気にしないで、気を使わないで過ごせる、そんな子供らしくできる環境が必要だ。
それは、私にはできない。
しかし、あの誰にでも明るく接することのできた、弥生を育てた、祖父母ならば、この家、この地なら、きっと子供らしくなれる。この時の私は、一人で、自分勝手に、そう考えていたのだった。