キャサリン・サマセットの場合
キャサリン・サマセットの場合
キャサリン・サマセットはチアリーダーである。
肌の色は白く、黄金色のブロンドヘア。瞳の色は、淡い緑。運動神経は生まれつき良かった。
三歳の頃から、将来、あなたは絶対に女優かモデルよと言われ育った。
ジュニアスクールに入ってすぐ、赤毛の、にきび面の、確かジェシカとかいうデブった女に思いっきり殴られ、前歯の乳歯が抜けた。どうしてこんな事をするの? と聞くと、お前の顔がムカつくんだよ! と言われた。次の日、後ろから棒で何度も引っ叩き、倒れたジェシカにムカつくんだよ! と言ってやった。
ティーンエイジャーも半分を越えた頃、男子が急に話しかけてくるようになった。つまらない話ばかりするので、ろくに聞かなかった。ある日、あまりにしつこい男子生徒が居たので、中指を立ててこう言った。クソ喰らえ! しばらくの間、男子生徒達は大人しくなった。
ハイスクールに上がるとチア・リーディングサークルへと入った。そして、二年生に上がる頃には異例にもチア・リーダーを務めていた。そのままバービー人形に変えても、違和感はなかっただろう。
一つ、成長していくにつれ、問題が起こった。
女子更衣室。彼女はそこでデオドラントスプレー、"イン・ブルーム"を体に吹き付けていた。体臭が強かったからだ。つまり、それ以外はほとんど完璧だったというわけ。
あの二年のキャシーが、どうしてチア・リーダーなんかに……。後ろから、ささやき声が聞こえた。キャシーは鼻をフンと鳴らした。どうして? あたしが、三年の、二年の、一年の、誰よりも優れているからでしょ? キャシーはそう思った。
ブルズ対ブレーブスの試合開始までは時間があった。キャシーはチア・リーディングの短いスカート、腕を出したタンクトップに着替えると、スタジアム・ジャンパーを羽織り、辺りを散歩する事にした。別に、陰口を言う連中と同じ空気を吸う事が嫌だったわけではない。風に当たりたかった。
試合場周辺を散歩していると、いかにもナード、という少年が居た。彼は所在なさげに辺りを見回していた。すると、いかにも馬鹿そうな、男らしい、マッチョさをアピールしているジョックが一人、目に入った。彼はナードを見つけると、より一層胸を張り、ナードに近づいていった。
ジョックはナードの背中を強く叩いた。ジョックは、本人は囁いているつもりらしい声で、こう言っていた。よう、レイモンド。金貸してくれよ。ナードは、おどおどしていた。
そうして、ナードは、懐を探りだした。キャシーは腹が立った。馬鹿さと体臭をあたりにばら撒くジョックにも、何もしようとしないナードにも。
キャシーはその場に近づいていき、ジョックの背後に立った。筋肉が盛り上がって、ロッククライミングの壁みたいだった。
「あんた、馬鹿じゅないの? 」キャシーはそう言った。
ナードがジョックの体越しにこちらを見た。怯えきった小動物のような、それでいて、戦う事を拒否し、面倒事を避けたがっているだけの、卑怯な目。キャシーにはそう見えた。
ジョックの声が聞こえた。「何だと、このアバズレ! 」じゃあ、あんたは何よ? 牧場から逃げ出してきたばかりの雌牛? それとも、腐肉しか食えない蛆虫かしら?
ジョックは振り返り、キャシーと目を合わせた。怒りに満ちた目だった。もし、元の瞳の上から色をつけるとしたら、赤だろうな。
「なんだ、キャシーじゃねえか。」ジョックの目の色は変わった。いやらしい、目。話しているのに、視線はキャシーの太ももを追っていた。
「何馬鹿な事してんのよ。あんた。そういうお金の稼ぎ方しか知らないわけ? 」
「違うんだよ、キャシー。俺はこいつとは友達なんだ。先月金を使いすぎてシューズ代も払えなくてね。きちんと返すつもりさ。神に誓ってもいい。」ジョックはそう言った。
「気安くそんな事言わないで。」キャシーはイライラした。馬鹿と話すと、疲れる。
「そんなってどれ?」
「Gから始まってDで終わる単語よ」
「ああ、ごめん。」ジョックは、下品な、媚びる笑い声をあげた。
「とにかく、そういう事なんだよ。俺達は、本当に友達。なあ? 」ジョックはそう言った。キャシーはジョックがナードの足を踏むのを見た。
ナードは頷いた。「あ、そう。悪かったわね。二人の友情を疑うような事言って。」キャシーはそう言い残すと振り返り、大股で歩いていった。どうして、こう、簡単な事がわからないんだろう。キャシーは酷くむかついた。
時間は来た。いつもはいくらか気心の知れているチームメイトと打ち合わせと、くだらない雑談をする。そんな気分にもなれなかった。女子更衣室に戻るとジャンパーを脱ぎ、腰掛けに投げつけた。そのままブルズの応援席へ向かった。
試合開始前、簡単なパフォーマンスがある。そつなくこなした。選手、入場。
一人、気になる選手が居た。ブルズのエース選手、デイヴィッド・マックス。
彼は優れたスポーツマンだった。大体の競技で活躍していた。そこに惹かれたわけではなかった。
ただ、笑顔が良かった。何かファインプレーをやると、彼は大体、笑顔でチアガールに手を振ったり、ガッツポーズをする。それが本当に、馬鹿みたいだったからだ。ただ、ただ、良い動きを出来た事で、自然に漏れでた、馬鹿みたいに、純粋な笑顔。そこに惹かれた。
レッツゴー、レッツゴー、ブルズ! 足を上げる。ベンチのジョック連中はこちらを覗きこむ。キャシーはデイヴを見る。デイヴの視線はただ、ボールを見ていた。口は半開きだった。
白熱した試合だった。デイヴは三度タッチダウンを決めた。三度目にビッグ・ブルは宙返りを決めた。ビッグ・ブルもよくやる、とキャシーは思った。デイヴはチアガールに手を振った。キャシーは目線が交差したような気がした。
試合終了後、チア軍団の引き上げ。キャシーは試合開始前の気分も晴れており、シャワーを浴び、その後更衣室で無駄話をした。まったく、あたしの彼氏ったらね……この間出た新作の服……サウス通りの新しいオシャレなカフェ……
時計を見ると、四時半頃だった。いつもなら、警備員が見回りに来るので、それを合図に無駄話は解散になっていた。警備員は、何故か来なかった。
時刻が話題に出ると一人帰り、また一人帰り、キャシーも帰った。まだ数人、残っていた。
少し腹が減っていたので、食堂でサンドイッチでもつまんでから寮に帰ろうとキャシーは思った。
校舎に近づくと、どうにも様子がおかしかった。
悲鳴が聞こえた。破裂音が聞こえた。まさかね。一人の女生徒が校舎から飛び出してきた。顔見知りだったので、キャシーは呼び止めた何、何の騒ぎ? とキャシーは聞いた。
女生徒は過呼吸の気を見せていた。
銃! ……何人か死んで……デイヴ! ……
まさかね。
デイヴが死んだの? ええ、ええ……他にも、何人か……頭を撃たれて…… 女生徒は呼吸が整ったのを自分で知ると、どこかへ走っていった。
ええ、そう。キャシーは、校舎の中に入った。酷く、むかついていた。
校舎は不気味に鎮まりかえっていた。銃を持った警備員が居た。「おい、何やってるんだ! 早く避難しろ! 」
「どうなってるの? あたし、忘れ物を取りに来たんだけど。」
「サイコ野郎がショットガンを持って、どっかに居るんだよ! 」
キャシーはあらそう。とだけ言い、警備員の横を走り抜けた。後ろから大声で呼び止める声がした。どうでも良かった。
キャシーは、むかつきの元を探した。冷静な頭ではなかった。階段を登った。デイヴの笑顔を見たかった。
三階に着いたその時、破裂音がした。この階にそのサイコ野郎は居るらしい。少し、何かのリアリティ番組に巻き込まれた、といったような、変な陶酔感というか、酒に酔った感じがした。
キャシーは美術クラスの、準備室のドアを開けた。馬鹿野郎と言ってやりたかった。
部屋の中に一人の人影が居た。黒い、革のコートを着ていた。窓のすぐ脇に立っていて、外の様子を伺っているようだった。手に、棒状の物を持っていた。
外ではサイレンが鳴り響き、パトカーが到着していた。強い光のライトが、部屋の中を照らした。人影の顔の所に光が当たった。つい最近、見た事がある顔だった。
昼間、試合会場の周辺をうろついて居たナード。ジョックに金をとられていたナード。怯えた、小動物の、卑怯な目を持つナード、その人だった。手にはショットガン、黒いコートと顔に、赤黒い染みがついていた。
キャシーはやっと、夢から醒めたような感じがした。ずっと、夢を見ていたようだった。長い間。
ナードは、キャシーに気づいた。よう、キャシーじゃねえか。下品な目線だった。
「どうしてこんな事したの?」キャシーは言った。
「ムカつくんだよ、何もかも。ジョックも、スラッカーも、スクールカースト自体……いや、俺にも。俺を受け入れない何もかもにも、ムカついて、撃ち殺してやりたかった。」
パトカーのサイレンは鳴り続け、赤と青の淡い光が交互に窓から入っていた。
「あんた、馬鹿じゃないの? 」キャシーは、泣いていた。青い光だ。
「馬鹿かもな。なぁ、キャシー、そのパンティストッキングを降ろして、俺とセックスしてくれるかい? 俺を助けたろ? 気があるんだろ? 」赤い光だ。
キャシーは、夢の中に居たままでも、幸せだったかもしれないと思った。青い光だ。
「クソ喰らえ」キャシーは涙を流しながら、中指を突き立てた。赤い光だ。
ああ、だろうね……知ってるよ。ナードはそう言うと、キャシーに銃口を向けた。ナードの右手の人差し指が動いた。銃口から火花が散って、破裂音がした。赤い光だ……。
そして次の瞬間、キャシーは何か、煙の漂う空間に居た。