第四章
「――魔力暴走だ」
気絶している伊武の戦闘服を脱がせて、両脇腹の異変を見た直巳が言った。
直巳達が伊武の元に到着すると、そこには倒れた伊武と、炎上するバイクだけがあった。
天使や、他の人間はいない。直巳達は伊武に駆け寄ると、その原因を調べるため、伊武の戦闘服を脱がせた。厚手の戦闘服では、傷や出血に気づかないことがある。戦闘服のフロントジッパーを下腹部まで下ろし、上半身がほとんど裸になる。こぼれそうな胸を見て直巳は一瞬とまどったが、これは治療行為だと自分に言い聞かせて、伊武の体を調べた。
そして、伊武の両方の脇腹が動物の毛皮や蛇の鱗のような見た目になっており、蔦や花が伸びているのを見つけた。典型的な魔力暴走の症状だ。
「魔力暴走? まれーが天使にやられたとでも言うの?」
アイシャが信じられないといった表情で、苦しんでいる伊武を見ながら言った。
「……ま、いいわ。考えるのは後。幸い、他に傷や出血はないみたいだし。魔力暴走だけなら、よかったというべき――そうよね? 直巳」
「良くは無いけど……まあ……すぐ治すよ」
アイシャに言われると、直巳が口ごもりながら返事をした。
魔力暴走は、肉体が魔力蓄積量を超えるほどの魔力を浴びると発症する。直巳の神秘呼吸であれば、魔力を吸い取って治すことができる。以前、直巳は魔力暴走の治療で稼いでいたこともあるし、治療は慣れている。天使教会の悪徳神父と組んでやっていたので、あまり褒められたような経歴ではないが。
「じゃあ、治療を始めるから。周り、注意しておいて」
「大丈夫よ。Aに警戒させてるわ」
直巳は左手で、伊武の右の脇腹に触れた。強い魔力を感じると、左手に意識を集中させる。
「神秘呼吸――吸収」
直巳の左手が、伊武に溜まった魔力を吸収していく。直巳の魔力蓄積量は人よりもかなり多いので、通常の魔力暴走患者であれば、一気に吸い取ることができる。
伊武から溢れている魔力量は、これまで直巳が見てきた魔力暴走患者と比べても、かなり多かった。それでも、直巳がパンクするほどではないが。
「よし……こっちは終わった」
少しだけ苦しそうな表情を見せながらも、直巳は片方の治療を終えた。右の脇腹だけは、元の美しい素肌に戻っている。
「まれーを倒したのはたいしたものだけど、相手もこっちに直巳がいるとは思わなかったでしょうね」
アイシャが満足そうに言うと、直巳は疲れた表情で微笑んだ。冬だというのに、神秘呼吸を使った疲労からか、額から汗がこぼれ落ちる。
「さ、もう片方も早く治療してあげて。終わったら、私が汗を拭いてあげるわ」
「……なら、頑張らないとな――神秘呼吸、吸収!」
直巳が左の脇腹の治療を開始する。右と、ほぼ同じ魔力量。両方合わせれば、かなりの魔力量になる。だが、直巳が気になるのは魔力量よりも、どうして脇腹だけに集中して魔力を浴びているのか、ということだった。
まず、アブエルの付いている伊武が、「天使の奇跡」を食らったということは考えにくい。何か別の理由があるのだろう。それに、伊武の魔力蓄積量は常人よりも多いはずだ。ピンポイントで脇腹だけに集中したから、魔力暴走が発症してしまったのだろうか。だとしても、なぜそんなことになったのかが、わからない。
「直巳、治療が遅いわ。考え事は後にして、今はまれーの治療に集中して」
「あ、ああ……わかった」
直巳はアイシャに注意されると、考えるのをやめて、伊武の治療に集中した。
そしてすぐに魔力を吸い出し、治療を完了させる。もう、伊武の脇腹におかしな所はない。
「ふぅ……終わったよ。これで、大丈夫なはずだ」
直巳が額の汗をぬぐいながらアイシャに報告する。
「そう、ご苦労様。顔が汗だらけよ」
そういうと、アイシャは直巳にハンカチを放り投げて寄こした。
アイシャが拭いてくれると言ったはずだが、わざわざ要求するのもおかしな話だなと思い、直巳は黙って、真っ白なハンカチで汗をぬぐうと、それをアイシャに返した。
そうしている間に、アイシャが離れた場所で周囲を警戒していたAを呼び戻す。
Aは伊武から魔力暴走の症状が消えているのを見ると、黙ってうなずいた。
「ひとまずは安心ですね。後のことは、家に戻ってからゆっくりと」
直巳とAが伊武をかつぎ、リムジンの後部座席に放り込む。女の子に向かってこういうのもなんだが、気絶している伊武の体はかなりの重さがあった。
Aが運転席に移動し、車を発進させる。
「A、急いで。無理するほどではないけれど」
「かしこまりました」
Aがアクセルを踏み込む。重い車体がゆっくりと加速する。リムジンにしては飛ばしてるな、というぐらいの速度で、Aは高宮邸への道を急いだ。ちなみに天使降臨の現場に来るまでは、ほとんど暴走リムジンだったので、それに比べたら大分穏やかだ。
アイシャは伊武の頭を膝に乗せ、揺れないように固定し、かばっていた。
伊武の表情は、先ほどよりは穏やかなものになっているが、まだ苦しそうだ。
「まれー。無理、させちゃったわね」
アイシャはハンカチを取り出すと、伊武の顔の汗をぬぐってやった。