第三十六章
「くるりちゃん!」
「くるり!」
椿家の前。Aの運転する車から降りてきたくるりを、ユアとカサネが走って迎える。
「ユア、カサネ……ただいまっ!」
くるりは2人と抱き合った。3人とも、雨で濡れたままだ。
つばめやグレモリイは、2人を風呂にいれて着替えさせようとしたのだが、くるりが戻ってくるまで待ってると言って、ずっと家の前で立っていたのだ。
そして、くるりから遅れて、Bが車から降りてきた。
「Bちゃん!」
ユアがBに駆け寄り、抱きしめる。
「――ごめん――ごめんなさい――ひどいことして、本当にごめんなさい!」
「……お?」
Bはよくわからないまま、ユアにされるがままになっていた。
もう、話の通用する悪魔バエルではない。いつものバカメイド、Bだ。
ユアはBから体を離して、その顔をジッと見つめた。
いつもどおり、Bの生気の無い目が、ユアを見つめ返す。
ユアは色々な思いが溢れて、自分でも知らないうちに、涙を流していた。
「助け……助けてくれて……本当に……ありがとう……」
泣きながら、鼻水を流しながらも、ユアはBにその気持ちを伝えた。自分の顔など、気にしている場合ではない。何があっても、Bにそれを言わなくてはいけなかった。言いたかった。
「……おー」
Bはフンフンとうなずく。
「……うん」
Bがどこまでわかっているかは怪しいが、それでも、ユアとBは通じ合っているようだった。
そして、くるりとカサネもBの元に来て、次々に声をかける。そのうち、わんわんと泣き出して、収集が付かなくなった。
子供達の泣き声に顔をしかめる伊武に、車から降りた直巳が話しかける。
「伊武、ありがとうな。ユアとカサネ、連れて帰ってくれて」
「ううん……たいしたことじゃ……ない……」
伊武も体が濡れたままだ。直巳が帰ってくるまで、ずっとユアとカサネのそばにいた。つまり、家の前に立っていた。
「ところで、伊武はどうやって帰ってきたの?」
直巳達は、車で戻ってきたAに拾ってもらって、椿家に帰ってきた。
先にユアとカサネを抱えて離脱した伊武は、どうやって戻ってきたのだろう。
「途中で……グレモリイに……車で……迎えにきて……もらった……」
「グレモリイ? え? あいつ運転できるの?」
Aは人間社会での生活も長いからわかるのだが、グレモリイは最近よみがえったばかりだ。人間社会は久しぶりだとか、そんなことを言ってたような気がする。
「うん……まあ……なんとか……誰も……死んでは……いない……車は……ちょっと……駄目になった……けど……」
「ああ、そう……」
まあ、そういうレベルらしい。緊急時以外は乗せないようにきつく言っておこう。
「ほら、いつまで家に前にいるんですか。お喋りなら、家の中でもできるでしょう」
最後に車から降りてきたAが、子供達を追い立てる。ぞろぞろと家に入っていく子供達に続いて、直巳達も家に入ろうとした。
「直巳様」
直巳が家に入ろうとすると、Aに呼び止められた。
そして、そっと耳打ちされる。
「柊一樹は、もう心配ありません」
Aの用事。上手くいったようだった。
「一樹をやったのはゴウトです。ゴウトはそのまま、どこかへ消えました」
ゴウト――一樹の呪縛から解けて、自分で決着をつけたのか。
直巳はAの報告に、小さく、しっかりとうなずいた。
「――わかった。後、やることは?」
直巳が言うと、Aは離れて、いつもどおりの作り笑いを浮かべた。
「子供達の世話、お願いします。それ以外は、こちらにお任せを」
そういって、Aは車の方に戻って、布に包まれた大きな荷物を2つ持ってきた。それが何かをたずねる必要もない。一樹から奪った天使遺骸だろう。
「今回の稼ぎってわけか」
「ええ。行動に利益が伴えば、アイシャ様も文句は言いませんので――面倒な人なんですよ」
「黙っておいてやるよ」
「それはどうも。では、貸し1つということで」
直巳は笑いながら、Aから天使遺骸を1つ受け取ると、家の中へと入っていった。
Aの部屋に天使遺骸を運び込んだ直巳は、着替えを持って風呂場へと向かった。
着替えだけ済ませてもよかったのだが、体は濡れて冷えているし、戦いで汚れている。やはり先にシャワーを浴びたい。
直巳が脱衣所へ入ると、風呂場の中は何とも騒がしかった。中からの声を聞く限り、Bを含めた子供達4人が入っているようだ。そして、脱衣所の下着を見る限り、伊武も入っている。くるりの頭が入るぐらいのブラジャーを付けるのは、伊武だけだ。
「あ! なおにーちゃん!」
突然、くるりが風呂場のドアを全開にした。
「なっ!」
直巳の目に入ったのは、泡だらけのくるりと、体を隠すユアとカサネ。Bを湯船に沈めている伊武の姿だった。
くるりは一切、体を隠さず、直巳を見上げて言った。
「なおにーちゃん! 一緒に入ろうよ!」
「だ、駄目だよくるりちゃん!」
「閉めろ! くるり! バカ!」
「えー、なんでー? なおにーちゃんも濡れてるよー?」
「す、すぐ出ますから! ね? くるりちゃん、閉めて?」
くるり達がきゃーきゃーと騒ぐ。伊武はうるさそうに、両手で耳を塞いだ。耳を塞ぐ前に胸を隠して欲しい。
「あの、俺は後で入るから!」
直巳がくるりを風呂場に戻して、ドアをしめた。
そして、すぐに脱衣所を出ると、小さく溜め息をついた。
「ふぅ……まいったな……」
「何がまいったの?」
「うわっ! グレモリイ!」
話しかけてきたのはグレモリイだった。手にはタオルを持っている。
「うわって何よー。あの子達の面倒見てたら、あたしも濡れちゃったから、お風呂入ろうと思ったんだけど。まだ子供達入ってるみたいねー……って、直巳君もずぶ濡れだねー」
グレモリイが、直巳の濡れた服をちょいちょいと引っ張ると、「うわー」という顔をする。
「風邪ひいちゃうよ? 一緒に入ってくればよかったのに」
「いや、そういうわけには……って、その……普通なの?」
「ん? 何が?」
「いや……くるりも一緒に入ろうっていってきたからさ……断ったんだよ」
そう言った直巳を、グレモリイは怪訝な表情で見つめる。
「……子供でしょ? 一緒にお風呂入るぐらい、おかしくないでしょ? あたしだって、小さい男の子となら、別に入っても大丈夫だよ」
「……そういうもんかな」
そう言われると、銭湯で男湯に入ってくる女の子もいるし、逆もあるだろう。子供相手なのだから、それが普通なのかと直巳は思い始めてきた。
「そうか……気にすることでもないか……いや、でも伊武がいるんだし、駄目だろ」
直巳がぶつぶつとつぶやいていると、グレモリイの強い視線を感じた。怪訝な表情どころではない。完全に引いた目で直巳を見ている。
「嘘……まさか……直巳君……意識してるから断ったの……? あの子達を……女として見てるから……断った……の?」
「ち、違うよ! 俺、妹とかいないからさ!? その辺のさじ加減わからないわけ! いや、俺だって娘が生まれたら普通にお風呂とか入るよ!? そういうことでしょ!?」
直巳は必死で弁明をするが、グレモリイはいやいやと首を振っている。
「そんな……シスコンだけじゃなくて……ロリコンだったなんて……」
「違う! 俺はシスコンだけどロリコンじゃない!」
我ながらひどいことを言っているとは思うが、直巳はどうしても、その称号をいただくわけにはいかなかった。シスコンはいい。認める。ロリコンだけは認められない。
「だからなの!? だから、あたしの綺麗な顔とか体とか、なのにギャップを感じさせる、すっごい可愛い仕草に興味を示さないの!?」
「ちげーよ! そういうわかっててやってるアピールがうっとおしいからだよ!」
「嘘っ! そうやってロリコンを隠して! だから、あれだけ希衣ちゃんが迫ってきても――あっ――大きなおっぱいが……怖いの?」
「あっ――じゃねーよ! 怖くねえよ!」
「本当にロリコンじゃないなら、証明してみせてよ!」
「おお、いいよ! 証明でも何でもしてやるよ!」
「なら、この後、私と一緒にお風呂入って! おっぱい怖くないなら楽勝よね!?」
「あーいいぜ! やってやる――とはならない!」
「ちっ……」
「あれー? なおにーちゃん、何やってるのー?」
直巳とグレモリイが脱衣所の前で遊んでいると、風呂からあがったくるりに声をかけられた。恐らくはつばめのであろうTシャツとスエットを着ている。サイズが全然あっていないが、伊武の洋服では大きすぎるし、アイシャのバスローブを着るわけにもいかないだろう。ちなみに、Bは基本的にメイド服しか持っていない。
直巳が頭から湯気の立っているくるりを見る。まだ、髪が少し濡れていた。
「くるり。髪、まだ濡れてるぞ?」
「え? ほんと? ちゃんと拭いたよ」
くるりは下ろした髪をもてあそんで、濡れているか確認している。
直巳は脱衣所で、車を洗うような手付きでBを拭いている伊武から、タオルを受け取った。
「ほら、拭いてやるから。こっちきな」
直巳がタオルでくるりの髪を拭いてやると、くるりはくすぐったそうに身をよじらせた。
「ふふっ……くふふっ……」
「ほら、笑ってないでじっとしてろ」
「はーい……ふふ……」
くるりは笑いながらも、言われたとおりに真っ直ぐ直巳の方を向いていた。
特に濡れていた後頭部も丁寧に拭いてやり、最後に首筋をぬぐってやる。
「はい、おしまい」
「ありがとう! なおにーちゃんがお風呂でたら、くるりが拭いてあげるね!」
「ははっ、そっか。じゃ、お願いしようかな」
直巳とくるりが仲良くしているのを見て、グレモリイとユア達が、ひそひそと何かを話していた。
「ほら、やっぱり……」「お兄さん、そういう……」「もしかして、あれか? ロリ――」
カサネが核心に迫りかけたが、直巳は聞かなかったことにした。
その後、直巳が風呂に入っていると、脱衣所からグレモリイのわざとらしい悲鳴が聞こえた。
「きゃっ、やだー。洗濯しようと思ったら間違って水かぶっちゃったー。もー、すぐお風呂入らないとー」
そんな棒読みの声が聞こえた瞬間、直巳は風呂場のドアに鍵をかけた。
すぐにグレモリイが風呂場を開けようとする。鍵がかかっているのがわかると、何度かガンガンと力強くドアを開けようとしたが、最後に、「ちっ……開けとけよ……ハプニングにならないだろ……」という低い声が聞こえて、グレモリイは去って行った。エロハプニングどころか、ホラー映画のようだった。
「うわ! これ、食べていいの!?」
「うおー……すっげえなー……」
くるりとカサネが感嘆の声をあげる。ユアはすいませんすいませんと頭を下げた。
全員が風呂から上がってしばらくすると、リビングのテーブルの上には、これでもかというほどの料理が並べられた。高級な料理というわけではない。オムライスにエビフライ、鶏の唐揚にウインナーというような、子供の好きそうなものばかりだ。どの料理にも、基本的にケチャップがかかっている。くるり達の反応は、これらの料理を見てのことだ。
「全部食べていいけど、お腹いっぱいになったらやめるんだぞー」
子供達は、「はーい」と元気良く返事をして、料理に手を伸ばしはじめた。緊張も解けてお腹が空いていたのだろう。伊武も目を見張るぐらいの食べっぷりだった。
「……すごい……ね……足りる……かな」
「大丈夫だと思うけど……デザートに果物もあるし」
料理は直巳と伊武が作った。時間がなかったので、そんなに手をかけたわけではないが、それでもくるり達は喜んで食べてくれている。
「俺も子供のころ、こんなの好きだったな」
直巳が言うと、子供達を優しい目で見守っていたつばめが、懐かしそうな顔をした。
「そうね。なおくんも、ケチャップ味のものが好きだったわ。目玉焼きでもウインナーでもコロッケでも、何でもケチャップかけてたわね」
つばめは膝に乗せた子豹の姿になったフラウロスを撫でながら言った。
「そうだった……かな」
直巳が幼いころの話をされて、少し照れる。
「くるりちゃんもカサネちゃんも、ケチャップ好きなんですよ」
ユアはそういって、くるりとカサネの食べ散らかしたものを片付けたり、汚れた口元を拭いたりと、甲斐甲斐しく世話をしている。子犬ようにがっつく、くるりやカサネとは、少し様子が違った。
こんな時まで気を使わないで、ユアも楽しんでくれればいいのになと直巳が思っていると、Aと目が合った。
Aは直巳に近付くと、「これは、サービスです」と言って、ユアに近付く。
「ユアお嬢様。私がお料理を取り分けいたしますね」
Aはてきぱきと、テーブル上の料理を皿に綺麗に取り分けて、ユアの前に置く。エビフライが多いのは、Aがユアの食べる姿を観察して、エビフライが好きだと見抜いていたからだ。
「あ……あの、ありがとうございます……」
執事に給仕されて、ユアが恥ずかしそうにする。
「ユアお嬢様にも、楽しんでいただきたいだけでございますよ。お飲み物が少なくなっておりますね。代わりをお持ちしましょう。何がよろしいですか?」
「え、えっと……じゃあ、お水で……」
遠慮するユア。Aはにこりと微笑んだ。
「お料理を楽しむには、お水が一番よろしゅうございますね。しかし、今日は美味しいブドウのジュースがありまして。よろしければ、お試しになられませんか?」
「あ……はい。じゃあ、それを」
「かしこまりました」
「くるりもー!」
「あ! じゃああたしも!」
ブドウジュースと聞いて、くるりとカサネが手をあげる。
「はい。それでは3つ、お持ちいたしますね」
Aが一礼して、ユアの元を去る。ユアはぽーっとした顔でAを見送った。
Aは直巳の横を通り過ぎる時に、小さな声で言った。
「こういうことも含めてのもてなしですよ。ま、子供達には贅沢ですが」
「今日はサービスなんだろ?」
「サービス料って知ってます? ……冗談ですよ」
Aはウインクをすると、リビングへと去って行った。
そして、楽しい食事が終わると、2階から、グレモリイを従えたアイシャが降りてきた。
アイシャは背丈こそ、くるり達と大差ないが、その貫禄は別次元のものだった。何かを感じ取ったのか、アイシャの姿を見た瞬間、子供達は一斉に黙り込んだ。
「高宮アイシャよ。AとBの主。」
アイシャはそれだけ言うと、厳しい表情で、ゆっくりとリビング全体を見回した。
「で。まれーを襲ったのは、私達の天使遺骸を奪ったのはどれ?」
アイシャは怒っている――そう感じたくるり達の表情が、一気に凍り付く。
直巳が仲裁に入ろうとするが、Aに止められた。
そして、くるり達が止める間もなく、カサネがスッと立ち上がった。
「あたしです。あたしがやりました! すいませんでした!」
カサネはビシッと頭を下げたまま、動かなかった。
「ふうん。あなたなの」
アイシャはカサネのそばに来ると、つま先から頭まで、なめるように見た。
足も体も震えていない。なかなか良い度胸だ。覚悟が出来ているらしい。
「顔、あげなさい」
アイシャが言うと、カサネは顔をあげた。アイシャは、カサネより背が低い。
カサネは、ジッとアイシャの目を見ていた。睨んでいるわけではない。ただ、真っ直ぐにアイシャの目を見つめている。逃げません。何でも言ってください、というように。
アイシャは厳しい視線のまま、カサネに言った。
「奇襲とはいえ、まれーを倒したのはたいしたものだわ。ただ、ここで素直に頭を下げているのは気に入らないわね。死ぬ覚悟でもしてるのかしら?」
カサネは黙ったままだ。うなずくこともせず、ただ、アイシャを見つめている。
「――バカね。何もしないわよ」
アイシャは表情を緩めると、フッと笑った。
「あなたの力と度胸は気に入ってるのよ。これからは、もっと強くなりなさい。もっと上手くやりなさい。こんなところで頭を下げなくてもいいように――魔術なんかなくてもね」
アイシャはそう言うと、カサネの肩をポンと叩いて、2階へと戻っていった。
カサネは、しばらくぼうぜんと立ち尽くしていた。くるり達も顔を見合わせている。
「仕返しに、少し脅かしただけだよ。怒ってないし、何もしないから安心して」
直巳が苦笑しながら言うと、カサネは少ししてから、椅子にへたりこんだ。
「こ……怖かった……なんだ? あの人? あたし達と同じぐらいなのに……」
そりゃまあ、悪魔達の主で3000年生きている魔術師なのだから、怖くて当然だ。
「ね! お姫様みたいだったけど、怖かったね! くるり、ちょっと漏れたもん!」
「く、くるりちゃん!」
ユアが慌てて、くるりの手を引いて部屋を出ていった。トイレか風呂か、どっちかに行ったのだろう。
この日から、クローバー達は高宮の屋敷に寝泊まりさせることになった。
とりあえず、だ。いつまでもというわけにはいかない。




