第三十四章
直巳の元にやってきたくるりは、直巳とゴウトの顔を交互にみる。
どちらも殴り合いのせいで、ひどく腫れ上がっていた。
「――ばかっ!」
くるりが直巳をベチベチと叩く。くるりなりに本気なのだろうが、まったく痛くない。くるりは人の叩き方を知らない。
「く、くるり?」
「ばかっ! ばかっ! なおにーちゃんはばかだ!」
くるりは直巳をべちべちと叩き続ける。
「くるり、痛いよ! いや、まったく痛くないけど!」
「……なおにーちゃん。ゴウトにーちゃんのこと、離してあげて」
「え? で、でも……」
直巳が動揺しながらくるりを見ると、くるりは涙を流していた。
「なおにーちゃんを……人殺しにしていいわけないでしょ……それで、くるりが……みんなが喜ぶはずないでしょ……」
くるりの涙と、その言葉で、直巳の中にうずまいていた毒気はどこかに消えてしまった。
「――ごめん」
直巳が、ゴウトから手を離す。ゴウトは、そのままゆっくりと地面に膝を付いた。
「へっ……なら、やっぱりくるりが僕を殺すか?」
ゴウトが言うと、くるりはゴウトをべちっと叩いた。
「ばかっ! くるりはアホだけど、ゴウトにーちゃんはばかだ!」
「いてっ……やめ、やめろくるり! なら、どうするつもりだ!」
困ったようなゴウトを見ると、くるりはにこりと笑った。
そして、ゴウトの頭を抱きしめた。
「なっ――くるり――」
ゴウトが何か言う間もなく、くるりの体がぼんやりと光り出した。くるりは、ゴウトに、「少女贄」を使い始めた。ゴウトの顔から、体から、殴られた腫れが、痛みが引いていく。
「やめろ! やめろくるり!」
ゴウトは暴れるが、くるりにしっかりと抱きしめられているため、身動きが取れない。
結局、くるりは、「少女贄」で、ゴウトからすべての傷と痛みを奪ってしまった。
「へへっ……なおにーちゃんのパンチ、痛いね」
ゴウトから離れたくるりの顔は腫れ、傷だらけになっていた。
「バカ! 何してるんだ!」
直巳に怒られるが、それでも、くるりは笑う。
「痛みを取るのは得意だから出来たけど、治すまでの魔力がなかったや」
「治す……? くるり、魔力があれば、その怪我を治せるのか?」
「うん。くるり、超回復っていうのがあるから」
「超回復能力――そういうことか」
直巳は、くるりが自分の傷を奪った時のことを思い出す。あれは深い怪我だったが、その後、くるりは一切、怪我のことを気にしていなかった。超回復能力で治ったのだろう。
「くるり。今から魔力を分けるから、すぐ治せよ」
直巳はくるりに右腕で触れて、神秘呼吸で魔力を与えた。ゴウトから十分に吸収していたので、溢れるほどの魔力がある。
くるりは、ゴウトよりも魔力蓄積量が少なかったため、かなりの余裕を残して、魔力を完全に回復することができた。
「おおー……なおにーちゃん……すごいね」
「感心してないで、早く治せ!」
「あ、そっか――うん。すぐ治るよ」
そう言ってからすぐに、くるりの傷は治り始める。直巳が殴ってつけた傷も痛みも、すべてくるりが溶かしていく。
10秒ほどで、くるりが奪った傷も痛みも、すべて消えてしまった。派手な怪我ではあるが、しょせんは殴り合いの傷だ。命に関わるようなことでなければ、すぐに治る。
すっかり傷も痛みなくなったゴウトは、ぼうぜんとした顔でくるりにたずねた。
「くるり……どうして……どうして俺を治した……」
「ゴウトにーちゃん、昔っから痛いの嫌いでしょ。くるりは痛いのへーきだから。ね?」
そういって、にこりと笑うくるり。
ゴウトは、くるりの笑顔を黙って見つめていた。
「ん? どしたの? まだ痛い?」
くるりが、ゴウトの頬に触れた。痛みが残っていれば、自分がそれを引き受けるためだ。
くるりの笑顔。心配してくれる優しさ。小さな手の柔らかさと温かさ。
ゴウトの目から、スッと、涙がこぼれた。
「くる……り……僕は……どうして……僕は……お前を……お前達を……」
とめどなく涙を流すゴウト。それを見て、くるりは困ったような笑顔を浮かべた。
「ゴウトにーちゃん、泣き虫だったんだな」
くるりは、ゴウトの頭を抱えるように抱きしめた。
ゴウトはされるがまま、くるりの胸に抱かれ、涙を流し続けた。
「これじゃ、くるりがおねーさんみたいだ」
くるりは笑いながら、ゴウトを抱きしめる力を強める。
「くるり……ゴウトを許すんだな」
直巳が言うと、くるりは、「うん」とうなずいた。
「ゴウトにーちゃんはさ。そりゃ、たしかに悪いこといっぱいしたけどさ。かずきおじさんに褒められたかっただけなんだ。あたしに、ユアとカサネしかいなかったみたいに、ゴウトにーちゃんには、おじさんしかいなかったんだ。だから、何でも言うことを聞くしかなくて。ゴウトにーちゃんも……かわいそうなんだ」
その言葉を聞くと、ゴウトは体をビクッと震わせて、くるりを突き飛ばした。
「くるり!」
直巳がくるりに駆け寄って、助け起こす。怪我はしてないようだった。
「俺が……かわいそう……だと?」
ゴウトは焦点の合わない目で、ぶつぶつとつぶやいている。
これまでのゴウトだったら、くるりの言葉に耳を貸すことはなかっただろう。しかし、ゴウトはくるりに抱きしめられ、心を開いた――開いてしまった。そこに、言葉が刺さったのだ。
「親父……に? そんな……俺が……俺が……そんな……」
「……ゴウトにーちゃん?」
頭を抱えるゴウトを見て、くるりが心配そうに近付く。
「来るなぁっ!」
ゴウトが、近寄ってきたくるりを手で制した。
「俺が……親父に利用されていた……? そんな……いや……でも……そうだ……どうして、親父はクローバーの真の力のことを言わなかった……?」
ゴウトのつぶやきを聞いて、直巳は首をかしげる。
「くるり……クローバーの真の力って、なんだ?」
直巳がくるりに聞く。
「ああ、それはね――えいっ」
くるりは天使の腕を発動させて、4本の腕になる。
「くるりが、ユアとカサネの能力をもらったの。今は、「半天使」も、「祝福」も、くるりが持ってるんだ。これが、クローバーの本当の力なんだって――あ、消えちゃった。難しいなあ」
超回復能力にも驚いたが、今度はユアとカサネの能力をもらったのだという。
「そうか……それで、くるりだけが戦っていたのか……」
どういう仕組みなのだろうか。くるりの能力には、本人も知らない秘密があるようだ。
そして、そのくるりの能力のことを、ゴウトは知らされていなかったらしい。
直巳はうめくゴウトを見る。くるりの優しさに触れた今なら、言葉が届くかもしれない。
多少、残酷だとは思うが、これはチャンスだろう。
直巳は、この戦いの筋書きに違和感を覚えていた。違和感には理由がある。特に、この筋書きを書いたのが、用意周到な一樹であるなら、なおさらだ。
「ゴウト――なんで、ここに一樹はこない。なんで、一樹はお前に、クローバーの秘密を言わなかった。なんで、お前1人を危ない目にあわせる」
直巳は、ゴウトを一樹の呪縛から解放するために、言葉を浴びせ続けた。
「クローバーを呼びつけたのも、この場所を選んだのも一樹だろう。追い詰められたクローバーが、真の力を使うことは、一樹にだって予想できたはずだ」
ゴウトは何も言わない。だが、話は聞こえているだろう。
そして直巳は、ゴウトにとっては拳よりも痛い言葉を聞かせた。
「ここで、お前とクローバーが戦う――どちらかが勝って、どちらかが負ける――その時、この場所に残るのはなんだと思う?」
「何が……言いたい……」
ゴウトは血走った目で直巳を見つめた。
直巳はゴウトを見つめ返す。残酷な言葉になるだろう。あくまで想像だ。それでも、直巳は自分の考えが間違っているとは思わなかった。
「どっちが勝っても――ここには、「暗殺者クローバー」の死体が残るんだよ」
くるりが息を呑んだ。直巳が何を言いたいのか、理解したのだろう。
当然、ゴウトも理解する。だが、あまりにショックだったのか、反応がない。
それでも直巳は言葉を続けた。ゴウトはわなわなと全身を震わせている。
「一樹にとっては、「暗殺者クローバー」の死体が、くるりだろうが、ゴウトだろうが……どっちでもよかったんじゃないのか? 勝った方は残す、負けた方は生贄……そういうシナリオなんじゃないのか。くるりが勝ったら、全部お前の暴走ということにして呼び戻す。だから、一樹は顔を出さないんじゃないのか?」
本当に一樹がゴウトのことを可愛がっているのなら、信用しているのなら――この場に来なかったことについては、一樹の安全の問題だと言い訳もできる。だが、クローバーの力を明かして、注意しろと言うことすらしなかったのは何故か。その違和感から始まり、直巳はこの筋書きに辿り着いた。
直巳の話は推測でしかない――だが、ゴウトは何も反論しない。そうかもしれないと、思ってしまったのだ。ゴウトは、直巳の話を否定できる材料を見つけられなかったのだ。
ゴウトは顔中から汗を流して、荒い息を吐いている。目は血走っており、正常とは言えなかった。そして、しばらく自分の頭をかきむしると、大声で叫び始めた。
「うあ――うわああああ!!」
直巳はくるりを背中にかくまうと、発狂したゴウトを注意深く観察していた。
そしてゴウトはひとしきり暴れると、突然に笑い始めた。
「はは――はは――嘘だ――嘘だ嘘だ嘘だっ!」
そして、笑い声をあげながら、どこかへと走り去っていった。
残された直巳とくるり。2人は顔を見合わせる。
「……なおにーちゃん……ゴウトにーちゃん……どうしちゃったの?」
くるりは心配そうな表情で言う。何が起こったのか、さっぱりわからないようだった。
ゴウトは、くるりに抱きしめられて心を動かされ、その隙間を直巳にえぐられた。
「呪縛が……解けたのかもな」
「じゅばく?」
「……お父さん以外に、好きな人が出来たってこと」
「へー……ゴウトにーちゃん、かずきおじさんのこと、大好きなんだけどなー……誰のこと好きになったんだろ」
呑気な顔でそんなことを聞くくるりに、直巳は苦笑した。
ゴウトは、くるりのことが好きになったんだよ。
そう教えてやろうかとも思ったが、黙っておくことにした。
「よし。じゃあ、Bを起こして、帰ろうか」
直巳は、倒れているBの元に行く。
「すー……すー……ぐ……ぐがっ……すぴー」
雨が降っているというのに、Bは気持ち良さそうに、ぐっすりと眠っていた。なぜか無呼吸症候群の兆候があるが、あんまり触れたくないので考えないことにした。
直巳はBの頬に右手で触れて、ゴウトから奪った魔力の残りを、すべて注ぎ込んだ。
「ん……んー……お? なお?」
十分に魔力の満ちたBが目を覚ます。さすが悪魔。これぐらいの寒さや雨で体調を崩すわけでもなく、ずぶ濡れという以外に、おかしなところはなさそうだった。
「おはようB。色々ありがとうな。さ、帰ろう?」
「B!」
くるりが駆け寄り、Bの手を取る。
「B、助けてくれてありがとう! すごいかっこよかった!」
「おー……くるり……くるり?」
「そう! くるりだよっ!」
友達の名前を確認するBの覚えの悪さも、くるりは笑って受け流す。
本当に良い友達が出来たなと、直巳は微笑ましく見守っていた。
そして直巳は、迎えにきてもらうためにAに電話をした。
「もしもし? 直巳様ですか?」
Aはすぐに出た。電話越しに雨音は聞こえない。どこかの室内にいるらしい。
「ああ、そうだよ。終わったから、迎えに来てもらいたくて」
「さようで。もちろん、勝ったのですよね?」
「勝ったよ。全員無事。ゴウトは逃げたけど……もう悪さはしない……と、思う」
「逃げた……なるほど。それは何よりでございますね。では、少ししたらそちらに向かいますので、そのままお待ちください」
「え。ここで? このまま?」
「そうですよ。どうせずぶ濡れなのでしょう? もう少しぐらい、変わりませんよ。その格好で、どこかの店に入るわけにもいかないでしょうし」
「……わかったよ。くるりもいるんだから、早く来てくれな」
「ええ、用事が終わればすぐに」
「――なあ、Aの用事って……」
「ゴウトは倒した。くるり様達は助かった――後、残ったのは何か――わかりませんか?」
直巳は息を呑んだ。そして、それをくるりに気づかれないよう、平静を保った。
「いや――わかった。大人しく待ってるよ」
「はい。それでは」
Aが電話を切った。
「もう少ししたら、車で迎えに来るから。ここで待ってろってさ」
「うん、わかった」
素直に返事をするくるりに、直巳は笑顔で返した。
そして、少しでも雨が避けられる場所まで移動した。
直巳がハンカチで、濡れたくるりとBを拭いてやる。ハンカチも濡れていたが、それでも直巳は、この子達に何かしてやりたかった。
「ごめんな。家に帰ったら、ちゃんと拭いてやるからな」
一生懸命に自分を拭いてくれる直巳を見て、くるりは嬉しそうに笑った。
「なおにーちゃんが優しくしてくれるから……くるり、寒くないよ」
「――そっか」
くるりの真っ直ぐな視線が、直巳にはくすぐったかった。
「それよりもなおにーちゃん。怪我してるでしょう? くるりが取ってあげるね」
くるりがそういって直巳に触れようとするのを、直巳は手で制した。
「いや、いいんだ。命に関わるような怪我でもないし」
「え……でも……」
直巳は、腫れ上がった顔で微笑むと、くるりの頭に手を乗せた。
「いいんだよ。これは俺の傷だ。もう、くるりが痛がるのは見たくないしね」
「……うん」
くるりは顔を真っ赤にして、直巳に撫でられていた。
「ねえ……なおにーちゃん。くるりもね……解けたかも」
「解けた? 何が?」
「……じゅばく」
そういって、くるりは照れ臭そうに、にへっと笑った。
直巳はよくわからず、困ったような笑顔を浮かべるだけだった。
その後、直巳はくるりと、帰ったら何を食べようか、などと呑気な話をしていた。。
直巳はくるりに不安を与えないように話しを続けながら、Aのことを考えていた。
ゴウトがいなくなり、少女達を助け――最後に残った歪み。
さて、A。お前はその歪みを、どうするつもりなんだ。




