第三十三章
「まずは、さっきのお返しだ!」
ゴウトのパンチが直巳の頬に刺さる。殴られる、なんてものではない。刺さった。魔力強化を使っているゴウトの右ストレートは、ジャブよりも速く、重い。
「ぐっ!」
殴られた直巳が、声にもならないうめき声をあげる。興奮しているせいで痛みはない。ただ、殴られた衝撃に首が持って行かれる。
「てめえは殺す! 殴り殺す! 命乞いすらさせねえ!」
ゴウトが本能のままに殴りかかってる。直巳はガードを固めるが、ガードの上から殴り、蹴りつけてくる。
ゴウトの攻撃に無理矢理にガードを剥がされ、顔を、腹を――空いているところならどこでも――殴られ、蹴られた。
それでも、直巳は一歩も下がらずに、ゴウトの攻撃を受け続けた。
「椿ぃ……でかい口を叩くから、魔力強化ぐらいできるのかと思ったら――がっかりだな!」
ゴウトが直巳の腹を蹴り上げる。直巳は防ぎきることができずに、そのまま吹っ飛んで地面に転がった。変なところに蹴りが入ったのか、呼吸もままならない。
直巳の顔は、殴られ続けたせいで腫れ上がり、視界も狭くなっている。顔には血が流れているが、どこから流れている血なのかもわからない。
それでも、直巳は立ち上がると、ゴウトに向かって、余裕の表情を浮かべた。
「魔力強化を使ってるくせに、そんなもんか? 元が貧弱なんだろうけど、がっかりだな」
ゴウトは強い。強いが、魔力強化を使っても、こんなものだ。殴って直巳を殺すことすらできない。これならば、魔力強化を使っていない伊武の方が強いだろう。魔力強化を使った伊武なら、直巳は一撃で死んでいるはずだ。
「ほら、こいよ。そのパンチじゃ、いつまで経っても俺は死なないけどな」
直巳がゴウトに向かって、血の混じったツバを吐く。
ブチっと。ゴウトのキレる音が聞えたような気がした。
「――お前死んだぞ」
「できないことを口に出すなよ。どうせ、無抵抗の女の子しか殴れないんだろ」
「ヒッ……!」
過呼吸のような引き攣った笑い声を一つあげると、ゴウトから、これまでよりも多くの魔力が漏れ出した。
「な、なら……見せてやるよ……僕の力を……魔力暴走でぐっちゃぐちゃにして……口も利けなくなってから……ゆっくりと殴り殺して……ヒッ……や、やるよ……」
ゴウトは、「半天使」を使った。間違いない。
直巳はにやりと笑い、両腕の構えを解いた。
「何でもやれよ。どうせ俺には効かない」
直巳は、指先で来い来い、とゴウトを挑発した。
「ほら、早く来い――俺を倒せば、パパに褒めてもらえるかもよ――ファザコン君」
「――てんめええええ!」
ゴウトが飛びかかってくる。くるりが何かを叫んでいる。
直巳は、ゴウトのパンチをかわさず、ガードもせずに顔で受けた。
「ヒッ――受け止めないか――でも、終わりだ!」
脇腹に何かが触れた感触がある。ゴウトの動きが止まった。
「ああ――終わりだ」
直巳が自由になっている左手でゴウトの首を掴んだ。
「神秘呼吸――吸収!」
「なっ――!」
ゴウトが気が付いた時には、もう遅かった。
直巳の左手が、ゴウトから魔力を奪い取っていく。さすがは、「天使の子供達」だけあって、その魔力量は尋常ではなかった。天使遺骸2本――それよりも多いか。
「お前――なんだ! その力は!」
ゴウトはわめいて身をよじる。直巳を殴る。それでも、直巳はゴウトから手を離さない。
直巳の魔力蓄積量が限界を迎え始める。普段なら、この辺りが限界だ。
「魔力圧縮!」
直巳は自分の体内に満ちる魔力の圧縮をはじめる。体内に満ちる気体のような魔力が液体になるイメージ。そしてさらに、小さな小さな石に。宝石のような固体に圧縮する。
魔力の圧縮は、以前にもやったことがある。天使教会の力神父と戦った時だ。一度成功しているので、前回ほど難しくはない。
殴られようが蹴られようが関係ない。ただ、自分の中を流れ、荒れる魔力にだけ集中する。
やがて、ゴウトが自分を殴る力が弱まっていくのがわかった。脇腹には、もう何も触れてはいない。ゴウトが何か言っているが、直巳の耳には入らない。
そして、ものの数秒で、直巳はゴウトから魔力を奪い尽くした。
「な……椿……お前……お前の能力……それは……なんだ……」
直巳に首を掴まれたまま、ゴウトは震える声で言った。
「言っただろ? どうせ、俺には効かないって」
直巳はそう言うと、ゴウトの首から手を離した。
目の前に、かろうじて立っているだけのゴウトがいる。先ほどまで、自分が世界で一番強いのだと信じていた少年は、もういなかった。
「歯、食いしばれよ」
直巳は全力でゴウトの頬を殴りつけた。
ゴウトは抵抗すらできず、殴られた勢いのまま、地面に転がっていった。
「ひぃ……ひぃぃ……」
ようやく、ゴウトは逃げだそうとする。しかし、腰が抜けているので、四つん這いのまま、よちよちと直巳から離れようとするだけだ。
直巳はゴウトを掴んで立たせると、もう一発殴った。倒れたら起こして、また殴った。それを何度か繰り返し、ゴウトから逃げる気力も失せたところで、直巳は殴るのをやめた。
このままゴウトを殺すこともできるだろう。だが、それを決めるのは直巳ではない。
倒れているゴウトを見下ろしていた直巳が、くるりの方に振り返って言った。
「くるり――こいつをどうしたい」
くるりは、直巳に話しかけられてビクッと体を震わせる。
これが、あの優しいなおにーちゃんなのだろうか。殴られて、殴って、そんな怖いことをしているのが、あのなおにーちゃんなのだろうか。
「どうしたい……って?」
くるりが声を振り絞って言うと、直巳は襟首を掴んでゴウトを立たせた。
ゴウトは力の無い目で、宙を見つめる。それでも、涙は流していなかった。ゴウトはやられたというだけで、反省はしていない。反省という行為を知らないのかもしれない。
そもそもは、ゴウトのせいだ。こいつが若林の父親を襲ったせいで、くるり達は裏切り者として追われ、殺されることになった。直巳が来なければ、3人の少女は死に、この男はのうのうと生き続けていただろう。
直巳は、ゴウトの顔を睨みながら言った。
「くるりが望むなら――俺が、こいつを殺す」
くるりが息を呑んだ。
「へっ……僕を殺す権利は……椿……お前じゃなくて、くるりにあるんじゃないのか?」
ゴウトは小さく笑って、そう言った。
「くるりに、そんなことはさせられない」
「なら、くるりに聞いてみろよ……どうだ? くるり」
くるりは、両手をギュッと握りしめると、直巳達の元へと歩いてきた。




