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第三十一章

「どういう……どういうことだ! 可視化できるほどの、天使の腕だと!?」

 4本の腕になったくるりを見て、ゴウトが頭をかきむしりながら怒鳴る。

「聞いてない……そんな力、聞いてないぞ親父!」

 ゴウトは一樹から、クローバーの力の秘密を知らされていなかった。突然の出来事に、他の構成員達も動揺している。

 くるりが、ユアとカサネの力を奪った姿。「少女贄」、「半天使」、「祝福」の能力を持ったくるりこそが、真のクローバーだった。

 今のくるりなら、ゴウト達から逃げることはできるだろう。ユアとカサネは、能力のなくなった自分達を置いて、くるりに逃げて欲しかった。まさか、気絶までするとは思わなかったが、それならなおさら、置いて逃げるべきだ。

 しかし、くるりは逃げない。生身の2本の腕で武器を構え、2本の天使の腕で、ユアとカサネをかばうように立ちふさがる。

「こい! ゴウトにーちゃん! くるりがやっつけてやる!」

「――貴様ァ! 誰に向かって口利いてんだよアホがよぉ!」

 出来損ないだ、アホだとバカにしていたくるりに挑発され、ゴウトは激昂した。

「何がクローバーだ! 僕と同じ能力なんて……あるわきゃないんだよぉ!」

 ゴウトは持っていた拳銃を、くるりに向かって連射する。

「――大丈夫――ユアの魔力強化は、すごいんだ!」

 くるりは、魔力強化された視力で銃口の向きを確認すると、そのまま真横に移動した。ゴウトは、魔力強化を使ったくるりの速度に、銃口を合わせることができない。

「ちっ! だったら、これでどうだよ!」

 ゴウトは拳銃をしまうと、今度は懐から大きなナイフを取り出して、くるりに襲いかかってきた。ゴウトも魔力強化を使っているので、すさまじく速い。

「大丈夫――カサネの腕は――強いんだ!」

 くるりはゴウトの突きだしてきたナイフを、天使の腕で受け止めた。ナイフが折れて、刃先が宙を舞い、地面に落ちた。天使の体に、通常の武器で傷をつけることはできない。

「えいっ!」

 そのまま、持っていた武器をゴウトに振るう。4本の腕は、ゴウトやカサネよりも自由に攻撃と防御を同時に行うことができた。

 だが、くるりは攻撃自体が下手――というか、人に攻撃をしたことがないので、ゴウトはそれを簡単に避けた。

「ちっ――天使の腕で、僕が負けるかよ!」

 ゴウトは折れたナイフをくるりに投げつけてきた。

「わっ……」

 くるりが反射的にそれをよけると、ゴウトは天使の腕で攻撃してきた。これでくるりの体を掴まれれば、魔力暴走を引き起こしてしまう。

「――見えるっ!」

 くるりは、ゴウトの天使の腕の位置が、ぼんやりと見えていた。「半天使」が身についたおかげだろうか。そして、自分の天使の腕で、ゴウトの攻撃を受け止めた。

 お互いの天使の腕同士がつかみ合う。

「生意気な――死ねよ!」

 ゴウトが天使の腕に魔力を流す。

「クローバーは負けない!」

 くるりが対抗して、天使の腕の魔力を流す。

「――っだとぉ!?」

 そう叫んで、先に離れていったのはゴウトの方だった。

 くるりの天使の腕が、あまりにも強すぎて押し切られそうになったのだ。

 天使の腕ごと、魔力暴走を引き起こしそうなほどの力だった。

「ありえない……ありえないっ! 僕がっ! アホのくるりに負けるなんてっ!」

 ゴウトは辺りを見回し、構成員達を睨み付けた。

「何をボサっと見てんだよ! お前達も攻撃するんだよ!」

「は、はい!」

 構成員達が10人ほど前に出てきた。全員、手には拳銃を持っている。

「ピストル……あんないっぱい……」

 くるりは、自分に向いている多数の銃口を見てたじろぐ。

 だが、ゴウトは構成員達に怒鳴りつける。

「くるりじゃない! カサネとユアを狙うんだよ! あいつら動けないだろうが!」

「し、しかし! もう気絶しています!」

 さすがに、動けない少女を撃つことにはためらいがあるのか、構成員の1人が言った。他の構成員達も、同じ気持ちだろう。

「動けないから、狙いやすいんだろうが! まずは2人殺して、くるりの心を折れ! 動揺したところで、最後にくるりをやればいい!」

「そ、そんな――そんなこと――」

 それでも抵抗する構成員に、ゴウトは笑いながら近付く。

「なんだよ……僕が手を汚すのはいいけど、自分が手を汚すのは嫌だって……? そりゃお前……ずいぶんな話じゃないか……」

「そ、そういうわけではっ!」

「ま――いいよ。そんなに嫌なら、お前はやらなくていい」

「は、はい! ありがとうございま――うがあああああ!」

 構成員は、突然絶叫して地面に倒れた。

 ゴウトの天使の腕を食らい、魔力暴走を起こしたのだ。

「他にやりたくない奴はいるか! こいつと同じで、撃たなくていいようにしてやる!」

 構成員達は悲鳴をあげて、カサネとユアに銃口を向けた。

「そうだよ……それでいいんだよ」

 満足そうに笑うゴウト。最早、構成員達に正常な判断はできないだろう。ただ、ゴウトに対する恐怖心で動いているだけだ。

 くるりは、カサネとユアの前に立ちはだかる。自分の小さな体で、2人をかばいきれるだろうか――でも、やるしかない。

「――撃て!」

 何発もの銃声が響く――くるりは天使の腕で受け止め続ける。何発かは外れた。ユアとカサネは無事だった――が、くるりの生身の腕に、一発当たった。

「うあっ……」

 銃弾が貫通した痛みと衝撃で、くるりの体がよろめく。

「よーし……体に当たったか……このまま削っていけば、やがて――」

 ゴウトは満足そうに笑うが、くるりは痛みでしかめていた表情を、元に戻した。

「あー、痛かった……」

 くるりは銃弾の当たった箇所を、ふーふーと吹いている。まるで、ちょっと熱いものを触ったぐらいのリアクションだ。

 そして、息を吹きかけるのをやめると、またもゴウト達の方を向いた。

 強がっている風でもない。もう、撃たれた箇所のことはまったく気にしていない。

「な――なんでだ――くるり――何で、撃たれて無事なんだ――」

 さすがのゴウトも、驚きを隠せない。

 くるりは2人の力を奪ったとはいえ、それでようやく、自分と互角のはずだ。ゴウトだって、生身の体を撃たれれば、常人と同じ怪我をしてしまう。

 だが、くるりは当たり前のことのように言った。

「くるり、痛いのはだいじょーぶだから」

「なっ……違う! 痛いだけじゃないだろ! 怪我は!? 血は!?」

「ああ、それは――」

 くるりはシャツをめくると、撃たれた箇所をゴウトに見せた。

 雨で血が洗い流されて――傷など、どこにもなかった。

「くるり、傷とかすぐ治るから。だから、みんなの傷とかもらっても平気なんだ」

「嘘――だろ――」

 ゴウトの表情は、驚きから絶望に変わる。

「くるり――お前、最初から――超回復能力を持っていたのか」

 超回復能力。天使付きの伊武も持っている能力。「天使の子供達」が持っていても、おかしくはない。そして、くるりはこの能力も持っていた。だから、他人の痛みや傷を平気で受け取り続けて、これまで無事に生きてこれたのだ。体には、傷跡一つない。

 くるりが、直巳からナイフの傷を奪ったことがある。「少女贄」で受け取っただけでは、くるりに傷が移動するだけだ。あれも超回復能力で治ったから、くるりは平気だったのだ。痛いには痛いが、すぐに治る。

「僕より……僕より優れているのか……くるりが……そんな……」

 ゴウトが、ガリガリと自分の頭をかきむしる。これまでは、3人よりもゴウトの方が上だった。だが、クローバーとなったくるりは、ゴウトと互角どころではない。超回復能力を持っている分、くるりの方が上だ。天使の腕だって、ゴウトのものよりも強い。

「駄目だ――認めない――認めないぞそんなこと――」

 ゴウトは頭から血が出るほどにかきむしりながら、ぶつぶつと呟いている。

「だって――あんなたくさんの能力を1人で――本物の天使付きじゃないんだぞ――そんなの――そんなの……ん? ……そうか……そうだよなぁ!」

 何かに気づいたのか、突然に顔をあげるゴウト。

「ははっ……あはははっ! そうかそうか! そうだよな! 無理に決まってる!」

 壊れてしまったかのように笑うゴウト。くるりも構成員達も、彼を恐ろしいものを見る目で見つめていた。

 ゴウトはひとしきり笑うと、構成員達に指示を出し始めた。

「おい、お前達。今と同じで、カサネとユアを撃ち続けろ。一気にじゃないぞ。継続的に撃ち続けろ。くるりに休む暇を与えない程度にだ――やれ!」

 ゴウトの声と共に、構成員達は銃撃を再開した。一気には撃たない。一定の間隔で、継続的な発砲を繰り返した。

「くっ……またピストルか……」

 くるりは、天使の腕と魔力強化。それに、超回復能力の全てを全力で使って、カサネとユアを守り続けた。

 銃撃は長い時間続いた。構成員達が、予備の弾丸も撃ち尽くしたところで、それは起きた。

「――あれっ?」

 突然、くるりがよろめき、地面に膝を突く。天使の腕も消えてしまった。

「あれ……どうして? なんで?」

 くるりは、うんうんとうなって天使の腕を出そうとするが、何の反応もない。

「ふふっ……魔力切れだよ、アホが」

「魔力切れ……?」

 くるりは、ゴウトから出てきた聞き慣れない言葉に首をかしげる。

「そうだよ。僕達、「天使の子供達」には、常人よりも多くの魔力がある。一部とはいえ、天使付きだからな――だが、お前は3人分の能力を受け取って、いきなり全力で使い続けたんだ。お前に、それだけの魔力は溜まっていないのにだ。そりゃ、魔力切れだって起こすだろうよ」

 そういうと、ゴウトはズボンの後ろポケットから予備のマガジンを取り出して交換した。

「みんな、予備の弾薬を持ってる――そして、僕はまだそれを使っていない」

 全員、弾を撃ち尽くした。だが、ゴウトだけは予備の弾薬を使っていなかった。

 ゴウトは拳銃に弾を送り込むと、銃口をくるりに向けて、ゆっくり歩き始めた。

「手間をかけさせやがって……ようやく終わりだ……アホのくるりが……」

「くそっ……出ろっ! 天使の腕っ! 出ろっ! ユアとカサネを守るんだ!」

 くるりは何度も叫ぶが、天使の腕は出なかった。自分にかかっていた、魔力強化も消えているのがわかる。このままでは、超回復能力が機能するかも怪しい。

 その間にも、ゴウトはくるりに銃口を向けたまま、一歩ずつ近寄ってくる。

「アホどもが、3人そろって三つ葉のクローバーの完成か……出来損ないのクローバーが完成してもなあ……僕に勝てるわけがないんだよぉ!」

「なら――もう一枚足して、四つ葉のクローバーならどうだ」

 突然、どこかから声がした。

「誰だっ!」

 ゴウトが声のした方を叫んだ瞬間、ゴウトの目の前に何かが飛んでくる。

「――お?」

 ゴウトの足下に、べちょっと落ちてきたメイド服の少女は、鈍そうに立ち上がると、ゴウトを見上げて、手にはめた猫とカエルの人形を動かした。

「げろげろ……にゃー……」

「……なんだぁ……お前は……?」

 事情を理解できないゴウトが、思わずBに目を奪われてしまう。

「――B!? え、なんで!? どうしてBがここに!?」

 くるりが驚いて声をあげると、Bは振り向いた。

「おー……くるり……くるり?」

 Bは首をかしげている。

「く、くるりだよ! 忘れないでよ! でも、どうして……?」

 くるりがBの飛んできた方向を見ると、見慣れた人影が2つあった。

「間に合った、よな?」

「……うん……大丈夫」

 直巳と伊武が立っていた。伊武は何かを投げた後のような格好をしている。言うまでもなく、Bを放り投げたからだ。

「なおにーちゃん……いぶねーちゃん!」

 くるりの表情が、パァッと輝く。

 助けにきた――助けにきてくれた。どうしてかはわからない。どうやって、この場所を知ったのかもわからない。でも、直巳と伊武は来てくれたのだ。

 くるりの頭に、色々な思い出がよぎる。遊んで楽しかったこと――だけではない。天使遺骸を奪ったり、Bを人質にしたり、思い出すと胸が締め付けられるようなことも、たくさん。

 それでも、くるりは勇気を出して、心のままに叫んだ。

「……助けて! ユアとカサネと……くるりを助けて! なおにーちゃん!」

 くるりは生まれて初めて、大人に助けを求めた。

 こんなことは初めてだ。嫌って言われたらどうしよう。心臓がドキドキしている。

 けれど、そんな心配は無用だった。直巳は笑顔で、くるりに向かってはっきりと言った。

「ああ――すぐに助けるからな!」

 直巳の力強い返事を聞いて、くるりは涙を流した。くるりは良く泣く。でも、嬉しくて泣いたのは、ホッとして泣いたのは、これが生まれて初めてだった。

「てめえ……あの時のメイガス……椿とか言ったか……」

 直巳とくるりのやり取りを見て、ゴウトは苛立たしげに言った。

「くるりを助けるだぁ……? 寝言ほざいてんじゃねーぞ! メイガス!」

 直巳は息を大きく吸い込むと、ゴウトと、構成員達にも聞こえるぐらいの大声で言った。

「くるり達は、絶対に助ける! お前達をぶっ飛ばしてな!」

「へっ……マジかよ……出来ると思ってんのか……? てめぇ、頭いかれてんのか?」

 ゴウトは怒りを撒き散らすが、そばにいるBを見ると、笑ってBの頭の銃口を突き付けた。

「ま、こんなガキを放り込んでくるんだ。頭はいかれてるみてーだな!」

 ゴウトは、人質が1人増えただけだと、余裕の表情を浮かべていた。

 直巳は携帯を取り出すと、アイシャの番号に発信した。出かける前に言っておいた、アイシャへの、「お願い」をするためだ。

「お前……警察に連絡とか、バカなことするつもりじゃねーよな? 魔術師同士のケンカに警察は絡んでこねーよ。それに、こっちには人質が……」

 ゴウトの言葉を、直巳はバカにしたように鼻で笑った。

「――ああ、アイシャ? うん……そう、頼みがあるんだ」

 直巳は、ゴウトの目の前にいるBを見て、にやりと笑った。

 Bが人質? バカ言うな。警察? それだったら、お前も助かったかもな。

 そして直巳は、電話の向こうにいるアイシャに向かって、「お願い」を伝えた。

 直巳の、「お願い」を聞くと、電話の向こうにいるアイシャが笑い声をあげた。

 それから、少しの間があって、直巳は通話を終了し、携帯をポケットにしまった。

「B――頼んだぞ」

「おお……? おお――おお!」

 最初はいつもどおり、間の抜けた声。最後は、Bとは思えないほどに力強かった。


 突然のことだった。

 Bの足下から、ぬるりと巨大な蜘蛛が出現する。

 蜘蛛には、大きな猫とカエルの顔がついていた。

 Bがその蜘蛛に跨がると、地面から黒い手が伸びてきて、一瞬でBを王様のような服とマントに着替えさせた。次に、Bの頭に豪奢で大きな王冠を乗せて、手には宝石のちりばめられた杖を握らせた。

 くるりも、ゴウトも、ヒイラギの構成員も、驚きのあまりに声もあげられない。

 Bはマントを翻らせると、その場にいる全員に向かって言った。

「「「我は悪魔バエル。アイシャ=スレイマンの呼びかけに応え、真の姿を現さん」」」

 Bと猫とカエル。三重になった大きな声が、あたりに響き渡った。

 これが直巳の、「お願い」の内容だった。

 直巳は電話で、アイシャにBの封印解除をお願いしたのだ。

 封印を解除するだけなら、離れた場所にいても出来る。アイシャは電話で直巳の、「お願い」を聞くと、「通信の発達は戦術の発達ね」と笑っていた。

 ぽかんと口を開けてバエル見上げているくるりを、3つの顔が見つめた。

「「「助けにきたぞ! くるり!」」」

 くるりの表情が、驚きから、一気に喜びに変わる。

「悪魔バエル――B――Bなの!? すごい! すごいよ!」

 くるりが喜びの声をあげると、猫とカエルの巨大な顔が、くるりの眼前に迫り、2本の舌がくるりの頬をべろんと舐めた。

「ぎゃー!」

 驚きの声をあげるくるり。その様子を見て、Bが高らかに笑う。

「「「はっはっは! 相変わらずだな!」」」

 目の前に突然現れた怪物。くるりには、何が起きてるかよくわからなかったけど。

「――B! えっと……バエル!」

 見た目も声も、口調もぜんぜん違うけど。この悪魔バエルはBだ。間違いない。

 くるりは両手を広げて、猫とカエルの大きな顔を体全体で抱きしめた。

 最初は少しびっくりしたけど、怖いもんか。これはBなんだから。

「「「くるり、無事で何よりだな。後は任せておけ」」」

 猫とカエルは目を細めて、くるりに顔をすり寄せた。

 大きな猫とカエルの頭と、くすぐったそうにじゃれるくるり。本来ならおぞましい風景なのだが、くるりが相手だからか、絵本の世界の出来事のようだった。

「なに、が、起きてる」

 ゴウトは、突然目の前に現れた蜘蛛の怪物を見て硬直していた。

 あの、ぼーっとした小さな子供が、突然、怪物に変化したのだ。

 この怪物は、自分のことを悪魔バエルと名乗っていた。

 悪魔? 悪魔だと? 本当にそんなものがいるというのか。

「んなこと――あるわけねーだろ!」

 ゴウトはバエルに拳銃を向けると、躊躇することなく撃った。こんなでかい相手に狙いなんかつける必要はない。弾が続く限り、ありったけぶち込んでやった。

 弾は蜘蛛の胴体に、猫とカエルの頭に、すべて命中した――命中しただけで、まったく効いている様子はない。弾が飲み込まれて、消えてしまったかのようだった。

 そして、Bは撃たれたことを気にしている様子すらない。

 ゴウトは弾の切れた拳銃を投げ捨てると、歯がみをした。

「マジの化けもんかよ……おい、車に積んである、アレ持って来い」

 ゴウトの指示で、何人かの構成員が走ってどこかに向かった。

 Bは人間達の些末ごとなど気にする様子もなく、倒れているユアとカサネを見ていた。

「「「まずは、この2人を何とかするか――くるり、耳を塞げ」」」

 Bが言った直後、猫とカエルがこの世のものとは思えないほど、不快な鳴き声を発した。

 その声のすさまじさ、大きさに、ヒイラギの構成員達が頭を抱えて、地面に膝を付く。中には、吐いているものすらいる。近くにいて無事だったのは、あらかじめ耳を塞いでいたくるりだけだ。直巳と伊武には声が届かないよう、バエルが注意していたのだが、それでも不愉快そうな顔をして耳を塞いでいた。

「――な、なんだ!?」

「何……何の音……?」

 そして、気絶していたユアとカサネは、その声で目を覚ました。こんな音の中では、眠るどころか、気絶すらしていることは不可能だ。

「「「起きたか。よし、3人とも我の背中に乗れ。今回は特別に許す」」」

 蜘蛛が足を折り曲げ、身を沈めて子供達が乗りやすいよう体勢になった。

「えっ……?」

 ユアは目の前に、大きな蜘蛛の怪物がいるのを見た。上に王様のような格好をした少女が乗っている。あの子に見覚えはあるが――。

「ユア! カサネ! いいから、今は言うとおりにして! あの蜘蛛に乗って!」

 くるりが2人の手を引き、蜘蛛の足を踏み台にしてバエルの背中によじ登る。カサネとユアは事情が飲み込めていなかったが、くるりの言うとおりにした。いつもだったら気持ち悪いだとか、怖いだとか思っただろうが、くるりが蜘蛛を信用しているのと、危機的状況だったので、そういった感情は後回しになった。

「バエル! 全員乗ったよ!」

 バエルの背中に乗ったくるりが、Bにしがみつきながら言う。その後ろには、カサネとユアが乗っており、蜘蛛の胴体にしがみついている。

「「「よし――では、少し飛ぶ。捕まっていろ」」」

 Bがそう言った途端、蜘蛛は全ての足をバネのように沈めてから、高く高く飛び上がった。

 一度飛んだだけで、地上何十メートルという高さ。

「すごい……すごい! 高いよ! 世界一高いよB!」

「「「はっはっは! そうだろう! 我はすごいからな! 直巳よりも、まれーよりもずっと高いのだ!」」」

 Bは振り向き、くるりと顔を見合わせて笑った。くるりもBに合わせて、わははと偉そうに笑っている。

 そして、振り向いたBとユアの目が合った。

「あの……Bちゃん? Bちゃんなの?」

「「「ああ、そうだ。お前の知っているBで、これが真の姿、悪魔バエルだ」」」

「悪魔……Bちゃん、悪魔だったんだ……」

「マジかよ……変なやつだとは思ってたけど、本物の悪魔か……」

 Bの正体を知ったユアとカサネが、驚きを口に出す。だが、驚いているだけだ。怖がっているわけではない。自分達を助けてくれたなら、悪魔でも天使でも人間でも構わない。

「Bちゃん――色々とごめんなさい。助けてくれて、ありがとう」

 ユアが頭を下げながら言うと、Bは満足げにうなずいた。

「「「うむ。謝ったのなら許す。我は心が広いからな! うわーはっは!」」」

「はい! ありがとう、Bちゃん!」

「えー……よくわかんないけど、ありがとう」

 にこやかに言うユアと、ついでに、と言った感じのカサネ。

「「「おお、感謝か! よいぞ! 悪魔バエルは偉大だから、感謝はしろ! はっはっは!」」」

 テンションの高いバエル。付いてきてるのはくるりだけだ。

 そして、バエルは直巳達の前に着地した。ドスンと激しい音がして、蜘蛛の足の先端が地面に食い込んでいる。

 バエルは足をゆっくりと抜きながら、直巳と伊武に話しかけた。

「「「まれー。ユアとカサネをどっかに連れていけ。こいつらは魔術がないから戦えん」」」

「……ちっ」

 いつも風呂に入れてやっている、Bごときに命令された伊武は舌打ちをする。だが、今は直巳のために素直に従うことにした。

「2人とも……おいで……」

 伊武が2人に向かって手を伸ばす。ユアはバエルの背中から、伊武の胸に向かって飛び降りた。これぐらいならキャッチしてくれるだろう、ということはわかっている。

 伊武は何の問題もなくユアをキャッチし、続いて飛び降りてきたカサネも受け止めて、地面に下ろした。

「この子達……連れて……逃げるから……後、よろしく……ね」

「ああ、頼む――ユア、カサネ。後でな。くるり、必ず連れて帰るからな」

 直巳が言うと、ユアとカサネは大きくうなずいた。

 伊武が近くにあったフェンスを蹴り破り、3人で脱出した。

 そのまま、伊武に手を引かれて少しでもこの場を離れようと走り続ける。

「あ、あの……お姉さん! その、えっと……」

 ユアが、自分の手を引いてくれる伊武に話しかける。何を言えばいいだろう。ごめんなさいなのか、ありがとうなのか。とにかく、何か言わなくては。

 伊武は、何か言いたがっているユアをちらりと見て言った。

「よく……生きてた……ね……えらい……よ……」

 それだけだった。ユアとカサネを責めることもしない。ただ、生き延びたことを評価して、褒めてくれた。

「あ、ありが……ありがとう……ございます……」

「……うん」

 走りながら涙を流すユアに、伊武は優しく微笑んだ。

 この子達は強い。何をしたかは知らないが、あの状況を生き延びたのだ。たった3人で、子供達だけで、1人も失うことなく。その強さは尊敬に値する。

 子供相手に笑顔を作るのは苦手だけど、尊敬する相手になら、伊武は笑顔も向けられる。

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