第二十九章
くるりは生まれて初めてタクシーに乗り、降りてからも走り続けて、ゴウト達の待つ場所へと辿り着いた。タクシーの料金は、ユアに渡されていたお金で何とか足りた。こんなにお金がかかるなら、バスや電車に乗ればよかったと思う。だが、くるりはバスや電車のことを知ってはいるが、乗り方がわからない。
ゴウトが指定した場所は、何か大きな建物の建設予定地。勝手に人が入らないように、空き地の周りはフェンスで囲んである。誰も入って来られない。誰も中を見ることができない。
空き地の前には、1人の男が立っていた。ヒイラギの構成員だ。くるりにも見覚えがある。
男は何も言わずに、フェンスの一部をこじ開けると、中に入れとくるりをうながした。
くるりが中に入ると、そこには大勢の男達がいた。20人はくだらないだろう。どれも見た顔ばかりだ。すべてヒイラギの構成員。ほぼ、全員が集まっている。
その集団から少し離れたところに、縛られたユアとカサネがいた。手足は縛られているが、まだ生きている。
「ユア! カサネ! 大丈夫?」
くるりが叫ぶと、2人は悲しそうな目でくるり見た。
「くるり……どうしてきちゃったの……?」
「バカが! 逃げりゃよかったんだよ!」
こんな時のために、くるりだけ別行動にしておいたのだ。一番年下で、誰よりも優しく、泣き虫なくるりだけは助けるために。
しかし、優しいからこそ――泣きながらでも――くるりはここに来た。
「あたしだけ逃げるわけがないでしょ!」
くるりが2人向かって駆け寄る。周りの男達は動かない。ただ、にやにやと笑いながら、その様子を見守っているだけだ。
「今、助けるから!」
くるりが2人の元へ辿り着こうとした時、誰かに腕を掴まれた。
「アホな言ってんじゃねーぞ」
くるりの腕を掴んだのは、くるりが一番怖い人間――柊ゴウトがだった。
「ゴウトにーちゃん……どうして? どうして、こんなことするの?」
雨に打たれ続けて、ずぶ濡れになったくるりが言う。走ってきたせいで、息も切れている。
ゴウトはくるりを力任せに引き寄せると、もう片方の手に持っていた缶コーヒーの空き缶を放り投げて言った。
「どうして、か。アホに言ってもわからんだろうが、身代わりだよ、身代わり」
「身代わり……? くるり達、何の身代わりなの!?」
「うるさい。わめくな」
そういうと、ゴウトはくるりを突き飛ばした。軽いくるりは転び、縛られているユア達にぶつかる。
「くるりちゃん!」
「だいじょーぶだよ。くるり、痛いのとか平気だから」
心配するユアに向かって、泥だらけのくるりが笑って答える。
ユアはくるりに力の無い微笑みを返すと、唇を噛みしめてゴウトを睨み付けた。
「ゴウトさん……身代わりってどういうことですか……? 話してもらえますか?」
「話してやる必要もないんだが――」
ゴウトは、ユアの顔を見る。憎しみのこもった力強い視線――へらへらと笑っているだけのくるりとも、ギャーギャーと噛みついてくるカサネとも違う。
ゴウトは前から、このユアの視線が気に入らなかった。
このままユアを痛めつけて殺しても、最後までこの目はやめないだろう。
ゴウトは、これがユアを叩きのめす最後の機会だと気づくと、愉快なことを思いついた。
「――ま、いいかあ。何にも知らねーよりは、知ってた方が面白そうだしな。いいぜ、どうしてお前らがぶっ殺されるのか、教えてやんよ」
そしてゴウトは、今回の事件の経緯を話し始めた。
「ヒイラギは親父が1人でここまででかくしたんだ。短期間でな。すげーんだよ、親父は。マジですげえ――でも、ちょっと慎重すぎんだよな。さっさと天使教会のやつらをぶっ殺そうって言ってんのに、まだ早いって、いつまでも動こうとしねーんだ。ユア、おめーならわかるよな? 親父がどんだけ慎重か」
「どことも戦わず、戦力を失わないから、短期間でここまで拡大できたのでしょう?」
ユアはヒイラギという組織のことも、くるりやカサネよりは知っている。ユアほどの賢さがあって組織にいれば、それぐらいのことはわかる。
ゴウトはユアの答えを、忌々しげに聞いていた。
「そうだ……たしかに、そのとおりだ……でもよ、力は集めるのが目的じゃねーだろ? 使って、天使や天使教会をぶっ殺すのが目的だろ? このままじゃ、いつまで経っても親父は戦わねえ……だから、俺がきっかけを作ってやったんだよ」
「きっかけ……? ゴウトさん、あなた何を……?」
ユアが不安そうな表情でたずねると、ゴウトは嬉しそうに言った。
「ちょっと前にな、天使教会の神父を襲ってやったんだよ。簡単だったぜ? ただのおっさんだったからな。で、これで親父もあきらめて天使教会と戦争するかと思ったら――まさか、なあ? 身代わりを立てて、戦争回避するって言い出したんだよ。ま、親父の命令だし、それも面白そうだから、いいかなって――もう、わかるだろ?」
ゴウトとは対照的に、ユアは悔しそうに歯がみをする。
「そういうこと……ですか……あなたが天使教会の人間を……それで、天使教会の復讐を恐れた一樹さんが……私達を犯人に仕立てあげて……」
「そういうことだよ。天使教会の神父と、ヒイラギの幹部を襲った暗殺者クローバー。共通の敵をヒイラギが捕まえました。天使教会の怒りも収まって一安心、ってわけだ」
「――ヒイラギの幹部? どういうことですか?」
ユアが質問すると、ゴウトはククッと笑った。
「こっちにも被害者がいた方が、あれだ……信憑性ってやつが出るだろ? だから、俺がやったんだよ」
「な――あなた! 仲間まで!」
「仲間じゃねーよ。天使教会にチクって寝返ろうとした裏切り者だから粛清したんだよ。ま、ちょうど生贄が欲しかったからな。いいタイミングだった」
ゴウトが言ったように、ヒイラギにも被害者が居た方が信憑性は出るだろう。そして、それが裏切り者であれば、一石二鳥だ。組織にヒビも入らない――本当に裏切り者ならば。
「……ゴウトさん……それ、本気で裏切り者だと思いますか?」
「ああ? どういうことだよ?」
「いいタイミングで生贄が欲しかったから、裏切り者に仕立てあげられた……私達と同じように……そうは考えられませんか? 一樹さんは、そうやって! 仲間であっても、次々と犠牲にしていって――そんな人の言うことを、あなたは信じて――」
「んなことはしらねーよ」
ユアの必死の言葉も、ゴウトには届かなかった。
「あいつはもう、魔力暴走で起きられねえ。実際はどうかなんて関係ねえ。天使教会の神父も一緒だ。起きたことが真実なんだよ。わかるか? 真実はな、俺と親父が決めるんだ」
まったく悪びれずに言うゴウトを見て、ユアは信じたくないというように、大きく首を横に振った。
「あなた達は……どうしてそんな……ひどいことが……」
ゴウトの考えは、自分とはあまりにもかけ離れている。ゴウトの世界は、ゴウトと父親だけ。それ以外は、すべてどうでもいいことなのだ。ユアは説得をしようと考えた自分が、どれだけ愚かしいかを理解した。
ユアの目から、力が失われていく。ゴウトはそれを見ると、加虐的な笑みを浮かべた。
もっと見たい。賢く、気丈なユアが傷付き、絶望する様子をもっと見たい。
「もう一つ教えてやるよ……お前達、天使教会に逃げようして出来なかっただろ? あれな、俺達が情報を流したんだよ。その天使の子供達は、あんたのところの神父を襲った暗殺者クローバーだから、気を付けた方がいいですよって。ああ、もちろん、親父の指示だ」
ユアは、力なくうつむいてしまった。言い返す気力もなかった。彼らのせいで、天使教会まで敵になってしまったのだ。自分達は何もしてないのに。この親子は、どこまで自分達を傷つけるのだろう。どうして自分達は、こんな目にあわなくてはならないのだろう。
「それで終わりだと思ったんだけどな。そしたら天使教会のやつら、自分達でクローバーを捕まえようとしやがった。あれには、さすがの親父も焦ってたぜ。いきなり、報酬を引き上げたりしてな――ま、結果はこのとおり、俺達の勝ち。天使教会は、俺達の作った真実を信じるしかないってことだ」
ゴウトは、ユアの目の前にしゃがみこんだ。ユアは顔をあげない。どんな表情をしているだろうか。早く見てやりたいが――まだだ。もう一押しだ。十分に叩いてから、最後に楽しむことにした。
「しかし、最後はお前達から飛び込んでくるとはな。逃げても意味なかったな? 親父がな、あいつらは天使遺骸を持ってるかもしれないから、売ろうとする人間をチェックしとけって言ったんだよ……すげーだろ? 何もかもをお見通しってわけだ」
一樹は、ユアが、「嘆きの涙」を盗み出したことも、天使降臨があったことも知っているのだろう。そして、その天使遺骸を売ろうとすることも。当然、ユア達も警戒はしていた。していたのだが。
「親父が言ってたぜ。追い詰められた人間に都合の良い道を用意してやると、それが罠だとは思わずに飛び込んでくるって。これはきっと罠じゃない、幸運なんだと自分を騙すんだってよ。そうじゃないと救われないから、そうするんだと――たとえば、都合の良い魔術商とかな」
ゴウトは、ユアのアゴを掴んで、無理矢理に顔をあげた。
「おめーらのことだよ、ユア」
ゴウトはユアの目を見る。睨むどころか、ゴウトを見ることすらできない、うつろな視線。雨でよくわからないが、涙も流しているだろう。
「はは――ははっ! いいぞユア! 僕は、ずっとお前のその顔を見たかったんだよ! いつも年上面して、余裕ぶったお前の! その顔を見たかった――」
突然、プッという音がして。ゴウトの頬にツバがかかった。
「おい、こっち向けよクソが」
カサネの声がした後、もう一度、ツバを吐く音。ゴウトの頬に、雨水よりも粘度の高い液体がへばりついている。
ゴウトは震える手で、ゆっくりと頬をぬぐい、その液体が何かを確認した。
「――カサネ――何だこれ」
「ああ? わかんねーのか? バカのあたしでもわかんぞ?」
ゴウトはわなわなと震えながら、自分を落ち着かせるために熱い溜め息を吐く。
そして、懐からナイフを取り出すとカサネに向けた。
カサネはナイフを見て、にやりと笑う。
「へっ……いまさら、そんなもんが怖いもんかよ。女相手に、縛ってないとケンカもできねーってか? パパがいないと何にもできねーチキン野郎がよ。チンコついてんのか?」
ゴウトは何も言わない。ただ、ナイフを持ってカサネに近付き――手足を縛っているダクトテープを切った。そしてそのまま、ユアを縛っていたテープも切る。
カサネは慌てて、体に張り付いたダクトテープを剥がした。くるりは、ピクリとも動かないユアのテープを、一生懸命剥がしている。
テープを剥がし終わったカサネは、縛られていた手首をさすりながら、不敵に言った。
「へえ……ケンカする度胸ぐらいは残ってたかよ、お坊ちゃん」
ゴウトは怒りが限度を超えて、無表情になっていた。いつも、クローバーを虐める時は楽しそうに笑っているのにだ。
「刃向かってきたクローバーを僕が倒した――死体が少しぐらい傷付いていた方が――あれだよ――信憑性があるだろ?」
「へっ……てめーが負けて、クローバーに逃げられるってのもリアルだぜ?」
カサネの挑発を、ゴウトは黙って聞いているだけだ。何の反応もしない。ただ、内心では、怒りよりも気持ちの悪い感情に支配されていた。
「全力でこいよクローバー。全力のお前達を叩きのめして――泣いて謝らせて――」
そして、ゴウトは感情が決壊したかのように笑いはじめた。
「こ、殺して……殺してくださいって、いわ……言わせてやるよ……ははっ! はははっ!」
ゴウトは笑いながら、少女達から離れていった。くるりは思わず目を背け、耳を塞いだ。あんな怖いもの、見ていられない。あんな怖い声、聞きたくない。
「大丈夫だ、くるり」
カサネが、そっとくるりの手を取る。
「ゴウトは、あたしがやっつけてやるからな」
そう言って、カサネはにひっと歯を見せて笑った。
くるりも、精一杯の笑顔を作って返すと、カサネに頭を撫でられた。
「よし――ユア……おい、ユア」
カサネがユアに呼びかけるが、返事がない。まだ、うつろな目をしたままだ。
「しっかりしろ! ユア!」
カサネがユアをビンタする。甲高い音が、雨の中で鳴り響いた。
「カサネ……ちゃん……」
ユアが正気を取り戻す。くるりはこの痛みを奪っていいものかどうか、あわあわしている。
「起きたかよ。頼むぜ? いつも姉ちゃんぶってんだからよ」
「うん――うん、大丈夫――ごめんね。くるりちゃん、私は大丈夫」
ユアは気丈にも笑顔を作ってみせた。くるりも頑張って笑顔を返した。
「何するか、わかってんな――2人とも全力でやるぞ」
「くるり、痛いの平気だよ」
「後は、カサネちゃんに任せる」
3人はお互いの手を取った。3人だけのクローバー。3人で手を取り合うのは、これが最後になるかもしれない。
だから、いつもよりも、ほんの少しだけ長く、その手を握っていた。
「私達はいつも一緒だ」
「生きるのも死ぬのも一緒」
「クローバーは、3人で1つ。3人で幸せになるんだ」
全員の手がぼんやりと輝く。ユアが、「祝福」でカサネに魔力強化を。
カサネは、「半天使」で、天使の腕を発言させる。
くるりは、「少女贄」で、カサネが能力を使った反動の痛みを吸収する。
「ぐっ……今日は……すごく……痛いかも……でも、だいじょぶ……!」
カサネが全力を出したせいか、くるりは、これまでに味わったことのない激痛に顔をしかめる。痛みに慣れていない人間であれば、気絶していたかもしれない。
カサネはくるりに、ごめんとは言わない。それがクローバーの役割だから。これが、くるりの戦いだから。
ユアが懐から、伸縮式のバトンを取り出してカサネに渡す。カサネはそれを一振りして、元の長さに戻した。
「――行ってくる」
カサネは全身に力をみなぎらせながら、ゴウトの元へと近付いていった。
「よう、待たせたな。お坊ちゃん」
ゴウトは、ゆっくりと顔を上げる。
「ああ――天使の腕が見える――見えるぞ、カサネ」
その瞬間、ゴウトから魔力が漏れ出した。
カサネにはわかる。ゴウトは、「半天使」を使った。他人の目からは見えないが、ゴウトの両腕の下からは、カサネと同じく天使の腕が出現している。
そして、自身に魔力強化をかけた――ゴウトは、「祝福」も使える。
出来損ないのクローバー。ゴウトがそういうには、きちんとした理由がある。
クローバーは3人で、「天使贄」、「魔力強化」、「半天使」の力を合わせて戦う。
ゴウトは、その3つの力を1人で使うことができた。だから自分は完璧で、クローバーの3人は出来損ないなのだ。
ゴウトは「半天使」への拒絶反応は起こしていない。3つの力を持っているゴウトは魔力の蓄積量も多いため、制御することができた。いつでも自由に、魔力強化と半天使の能力を使うことができる。人の痛みを奪う、「天使贄」を使うことはないが。
ようするに。ゴウトは1人でクローバーと同等――いや、それ以上の能力を持っている。
出来損ないのクローバーと、完ぺきなゴウト様。
「それじゃ――殺してやるよ! 出来損ないのクローバー!」
「クローバーは――あたしとユアとくるりは! 誰にも負けない!」
ゴウトとカサネが同時に飛びかかり、戦いが始まった。




