第二十四章
Bを連れて椿家に戻った伊武は、すぐに全員を集めた。
そして、ユアから聞いた情報から推測した、この事件の全容を話し始めた。
まず、ゴウトが若林神父を襲った――理由は知るよしもないが。
恐らく、それはゴウトの独断だ。だから、盟主の一樹は、迂闊に天使教会に手を出したことに危機感を抱いた。犯人がゴウトだと天使教会にばれれば、ヒイラギは狙われるだろう。
どうすれば天使教会の怒りをかわすことができるか――ヒイラギは自分達も被害者のふりをすることにした。そして遠回しに、それが若林神父を襲った犯人と同じだと伝えれば、天使教会も納得するだろうと。
本来なら、ゴウトをその犯人にして処分すればよい――だが、一樹は息子であるゴウトを殺すつもりはない。そこで身代わりとして選ばれたのが、ゴウトと同じ能力を持つクローバーだ。
ゴウトはヒイラギの幹部を襲い、魔力暴走状態にした。そして、それをクローバーのせいにした。自分達と敵対する謎の暗殺者、クローバーのせいに。
後は、ヒイラギがクローバーを捕らえ、天使教会に証拠を見せて終わり――の、はずだった。
だが、ユアはヒイラギが自分達を狙っていることに気づき、3人は逃げ出した。そして、よりにもよって、天使教会に保護を求めた。
それを知った一樹は青ざめただろう。もし、クローバーが天使教会に逃げ込み、ゴウトのことを話せば、一樹のもくろみは台無しになる。
そこで一樹は天使教会に、あなた達の探している、「天使の子供達」こそが、クローバーが犯人なのだという情報を流した。ヒイラギが捕らえようとしていることも伝えただろう。
それで、天使教会は、「天使の子供達」の捜索をやめた。
ヒイラギが、わざわざクローバー抹殺の依頼を出したことと、直巳達にそのことを話したのは、第三者に自分達の筋書きを見せるためであって、本気で捕らえさせる気はなかったのだろう。だから一樹は、Aが依頼を受けると言った時に動揺したのだ。直巳達には、話だけ聞いて帰ってもらえれば、それでよかった。どこかで、その噂話をしてもらえれば、なおよかった。
その間、クローバー自身は天使遺骸を手に入れ、それを売って逃げようとしていた。
これが、伊武の考える、今回の事件の概要だった。
「何か……おかしなところ……ある?」
話しを終えた伊武がたずねるが、誰も何も言わなかった。辻褄は合うし、同じ情報を手に入れて、直巳やアイシャが事件の概要を組み立てたとしても、同じ結論に達するだろう。
「天使の子供達……生まれついての天使付き、または不完全な天使付きか……なるほど。天使教会が目の色変えて集めるわけね」
アイシャはまず、「天使の子供達」の真実に強い興味を持った。天使教会が、ただ、魔術師の才能を集めるというのは考えにくかったが、生まれついての天使付きなら納得だ。
「天使の子供達についてもわかった。事件の概要についても、まれーの言うとおりでしょう。これで、すっきりしたわね」
アイシャはそう言って、直巳の方を見る。
直巳はすっきりするどころか、ただ、頭を抱えて机に突っ伏していた。
「嘘だろ……あの子達が……犯人だったなんて……」
くるり達が、「天使の子供達」であり、「暗殺者クローバー」であり、伊武を襲った犯人だった。直巳に真実を知れた喜びなどはない。ただ、厳しい現実でしかなかった。
「なんだよ……あの子達……何にも悪くないじゃんかよ……ヒイラギが悪いだけだろ……」
少女達は、自分の意志とは関係なく、天使の力を持って生まれ、戦う道具として育てられ、事件が起きたら身代わりにされて殺されそうになったのだ。
助けを求めた天使教会にも見放され、逆に追われるような状況だ。
彼女達はずっと、大人達の勝手な都合に振り回されているだけだ。
「何も悪くない? まれーを襲って、天使遺骸を奪ったじゃない」
アイシャが、何の感慨もなく言った。
「それは! だって……もう……それしか……」
それしか、彼女達には方法がなかった。そうすることしかできなかった。
ならば許されるのか――直巳は何も言えなかった。
「ねえ、どうするの直巳?」
アイシャの冷たい声。
どうするの? あの子達をどうするの? 私達に害を与えた、あの子達をどうするの?
「――天使遺骸は……取り返す」
直巳が絞り出すような声で言う。くるり達を探し出して、天使遺骸を取り戻す――考えたくもなかったが、そういうしかなかった。
だが、直巳の答えからは、大事なことが一つ抜けている。
「それだと、天使遺骸を奪われた分だけよね。まれーが襲われた落とし前は? 私達の手をわずらわせた件については?」
「なら、アイシャは! あんな子供達を痛めつけたいのか!」
直巳が感情的な言葉をぶつける。だが、アイシャは不愉快さすら見せずに言った。
「そんなことは言ってないわよ。ただ、役に立ってもらう方法はあるでしょう?」
「……どういうことだよ」
アイシャは何か、恐ろしいことを考えている。
「あの子達を突き出せば、報酬がもらえるのよ。かなりの儲けになるし、それでよしということにしましょうか。ヒイラギと天使教会、どっちに突き出すか……ま、報酬が良い方かしら」
暗殺者クローバー。捕らえれば報酬として天使遺骸をプレゼント。生死は問いません。
「お前、そんなこと――」
アイシャの提案に、直巳の全身から血の気が引く。あんな子供達を売ろうというのか。たとえ、あの子達が直巳達の敵なのだとしても。
アイシャは直巳の心情などは無視したように続ける。
「そんなこと、するわよ。私達の目的はなに? 天使遺骸を集めることでしょ? 悪魔を復活させて、つばめを完全に治療することでしょう? まれーを襲った子供を助けることじゃないでしょう? なら、どうするべきなの?」
アイシャの残酷な言葉。結果以外の何もかもを無視した意見。
直巳はそれを聞くと、立ち上がってはっきりと答えた。
「俺は! 目的のためにも手段は選ぶ! あんな子供が、悪意があって罪を冒すわけがないだろう! それを捕らえて報酬を得ようなんて、俺は絶対にやらない!」
直巳はアイシャを睨みながら、殴りつけるように言葉をぶつけた。
「――だ、そうだけど。被害者のまれーはそれでいいの?」
アイシャは直巳の怒りを受け流して、伊武にたずねた。
伊武は、去り際のくるりの顔を思い出すと、疲れたような声で言った。
「私も……あれは……相手にしたくない……天使遺骸は……私がまた……獲ってくるから……この件は……もう……終わりに……したい……」
それが、伊武の心からの意見だった。なんとなくの予感ではあるが、このままアイシャの言うとおりに彼女達を捕らえて天使遺骸を手に入れたら、この高宮家と直巳の関係は、そこで終わってしまうような気がする。それは、誰にとってもプラスにはならないだろう。
伊武が直巳を見ると、ほっとしたような表情をしていた。今回については、直巳に合わせたわけではない。伊武の本心と直巳の意見が一致したのだ。
伊武は、自然に直巳と同じ結論が出せた自分を、褒めてやりたかった。もしかしたら、もっと前なら――いや、少し前なら――伊武はアイシャと同じ事を言って、していたのかもしれないのだから。
「まれーもそういうなら、そうしましょうか。私達は、この件について、これ以上の介入はしない。非常に残念だけど、天使遺骸は無くしたってことにして、泣き寝入りしましょう」
アイシャは表情を変えず、平然とそう言った。
先ほどの残酷な提案はなんだったのか。直巳は信じられないといった顔でアイシャを見る。
「……いいのか?」
自分で言っておいて、直巳はそんなことを言う。アイシャは鼻で笑った。
「何を驚いてるのよ。まさか私が本当にそんなことすると思ってたの? 子供を食い物にして、天使遺骸を手に入れて喜ぶようなやつだと思ってたの?」
「……思ってなかったから、驚いたし、怒ったんだよ」
直巳はそう答えるが、正直なところ、やるかもしれないとは思っていた。アイシャの価値観は、直巳では計り知れないから。
それでも、やる気がなかったとわかって、直巳は心から安堵する。
「そういう選択肢もあるって、知っておいてもらいたかっただけよ。無理矢理やっても士気に関わるからね。避けられない損害だと思って、あきらめることも重要よ。これで直巳と別れることになったら、私達も大損だもの」
アイシャはあくまで、利益を考えた結果だと言い張る。子供達に同情したのではないのだと。あくまで直巳や伊武の気持ちを繋ぐための行動なのだと。
アイシャ個人がどう思ってるのか――それは絶対に聞くまいと、直巳は思った。それを聞けば、アイシャは残酷な答えを言うしかない――本心など関係無い。ただ、そういう人間でいようとするだろうと、直巳は思った。
「この件からは完全に手を引くわよ――ただし、百歩ゆずって、手を引くの。いいわね? 勝手な行動をしないようにしてね」
全員がうなずくのを見ると、アイシャは直巳を見ながら言葉を付け足した。
「完全に手を引く――意味、わかるわね? もう追わない。そして――助けない」
直巳は思わず、息を呑んだ。自分の心に、釘を打ち込まれたようだった。
「あの子達は、かわいそうなのでしょう。同情されるべきなのでしょう。でも、私達はこれ以上、あの子達には関わらない――知ることもしない。いいわね?」
「――それ、は」
「百歩ゆずって、手を引くのだと、言ったでしょう?」
アイシャが言葉を強調して、直巳に言い聞かせる。
もう、この時点で直巳達は大きな被害をこうむっているのだ。伊武が襲われ、天使遺骸を奪われ、時間だって取られている。
「若林神父も助けた。あの子達が、天使の子供達だとわかっても、面倒を見た――それらは一応、私達の利益にもなったからやったの。今度は若林神父の時と違って、こっちが助ける理由は一つもないわ。直巳、いいわね?」
答えあぐねる直巳に、アイシャがたたみ込んでくる。
これ以上は、もう何も言えなかった。
「……わかった」
直巳は力無く、そう言った。そう言うしか、なかった。
「わかったようには聞こえないけど――言ったでしょう? 余計なことを考えるなって」
アイシャが以前から言っていたこと。余計なことを知るな、見るな。つまりは、そういうことなのだ。自分が助けられない相手のことを知れば、それだけで傷付いてしまう。アイシャは、その避けようの無い傷や痛みから、直巳を守りたかった。
うなだれる直巳にアイシャが近付いてきて、肩にそっと触れた。
「――お願いだから、わかってちょうだいね。これは、もう終わった話なのよ」
「終わった話……か……」
「そうよ。お話は終わったの。あなたは本を閉じて、早くこの物語を忘れなさい」
そういって、アイシャは誰よりも早く部屋を出ていった。
終わった話――直巳は、アイシャの言葉を噛みしめる。
あるところに、かわいそうな少女達がいました。
少女達は悪い大人に利用されていました。
この後、少女達はどうなったのでしょうか?
それは誰にもわかりませんでした。おしまい。
アイシャはそれで満足しろという。これはこういうお話で、続きはないのよ、と。
アイシャの言うとおり、割り切れるだろうか。彼女達の笑顔を、忘れられるだろうか。
直巳は1人、リビングで悩み続けた。
気が付けば、残っているのは直巳と――いつの間にか、隣りに立っていたBだけだった。
「なお……いたい?」
Bは、直巳が難しい顔をしているので、どこか痛いのかと思い、心配してくれている。
直巳は無理矢理に笑顔を作って、Bの頭を撫でた。
「――大丈夫だよ。どこも、痛くない」
「んー……」
Bは直巳に撫でられるがままになっており、気持ち良さそうに目を閉じていた。
直巳が撫でるのをやめると、Bは遠くを見ながら言った。
「また……あそぶ……くるり……」
「B……それ、は……」
答えに詰まる直巳。Bには、なんと言えばいいのだろうか。
「なおも……まれーも」
そういうと、Bは小走りで部屋を出て行った。
直巳は、その小さな背中を、ただ黙って見送ることしかできなかった。
外から、パラパラという音が聞こえ始めている。
冬の夜空からは、冷たい雨が。
くるり達は濡れていないか、寒い思いをしていないだろうか。
直巳は、血が出るほどに拳を握りしめていた。




