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第二十三章

「へ……へへ……いーじゃねーか……それも丸ごと……売ってやんよ……」

 カサネが声も足も震わせながら、強がりを言う。

 本当はもう、背を向けて逃げたいだろう。恐らくカサネは、戦いに慣れていない。

 だが、それでも、カサネは伊武を睨み付けて、一歩も退こうとはしなかった。

 伊武は別に、カサネを倒す気はない。アブエルは、ただの威嚇だ。

「降参するなら……悪いようには……しない……」

「そういった大人が! 悪いようにしなかったことはないんだよ!」

 カサネは恐怖を闘争心に変えようとしている。それはもう、冷静な戦いではない。勝てる見込みもなく、命すら惜しまずに襲ってくるだろう。捨て身、というやつだ。

 もしそうなれば、伊武だって上手に手加減できるかはわからない。自分の身をかえりみずに襲ってくる人間がどれだけ強いか、伊武は良く知っている――自分がそうだから。

 伊武はフリアエを構える。威嚇ではなく、戦うためにだ。

 カサネは腰を低く落とす。いつでも、伊武に襲いかかれるように。

「待って!」

 一触即発の状態になった2人を止めたのはユアだった。

「お姉さん……動かないでください……」

 ユアは背後からBを抱きかかえていた。首元にはナイフを突き付けている。先日、直巳がユアに渡した、折りたたみ式ナイフだった。

 ユアはBの正体を知らないのだろう。Bはその気になれば、ユア達をまとめて呪殺で葬ることができる。そうでなくとも、苦痛を与えて倒すことができる。

 だが、Bはユアにされるがままになっており、呪殺を使う気はないようだった。

 Bが今、守っている命令は一つだけ。「くるりやユアを守る」ということだけだ。だから、これぐらいのことで、彼女達を傷つけるという発想はない。

 ナイフ1本程度でBをどうこうできるわけもないのだが、伊武は付き合うことにした。相手にも余裕を与えた方が、話はしやすいからだ。

 伊武はフリアエを下ろして、ユアに語りかけた。

「……わかった……どうすれば……いいの? 私を……殺す?」

「そんなことは、しません。ただ、私達を見逃してください」

「ユア! あたしは勝てる! 勝ってみせる!」

「カサネちゃんは黙ってて! どうですか? 見逃してくれるなら、Bちゃんは無傷で解放します」

 ユアは死ぬ気で戦おうとするカサネを黙らせて、Bを人質に取り、見逃せと迫ってくる。

 自分達では伊武に勝てないとわかったのだろう。冷静な判断だ。賢い子だと、伊武はユアに賞賛の言葉すら贈りたくなった。

 さて、このまま少女達を見逃してもいいものかと伊武は考える。彼女達は自分を襲った犯人だし、天使遺骸も取り戻していない。もし戦えば、勝つことはできるだろう。

 伊武は彼女達と戦い、全員を倒した時のことを想像する。別に殺しはしない。動けないようにして取り押さえるだけだ。多分、彼女達は死に物狂いで抵抗してくる。泣くだろう、叫ぶだろう。痛がるだろう――勘弁して欲しい。

 もし彼女達を見逃せば、アイシャやAは怒るだろうか――まあ、アイシャ達はどうでもいい。

「……いい……よ……とりあえず……今は……見逃して……あげる」

 問題は、直巳がどう思うかだ。傷つけるよりも、見逃した方が喜ぶだろうと伊武は判断した。

 天使遺骸のことは、後で直巳に相談しよう。直巳が取り返したいと言えばやる。子供達が泣いても喚いてもだ。もし、放っておけというのなら、伊武がまた天使狩りでもすればいい。

 伊武の見逃す、という返事を聞くと、ユアは少しだけ緊張が解けたようだった。

 さらにユアを安心させるために、伊武はフリアエをアブエルの額に突き立てて、アブエルの姿を消した。武器と怪物が消えたことにより、ユアは、伊武が見てもわかるぐらいに落ち着きを取り戻す。

「ありがとうございます、お姉さん。それでは――」

「……待って……見逃すには……条件がある」

「条件……ですか?」

 ユアは何を言われるのかと怯えていた。天使遺骸を持ってこい、ぐらいは言ってきても不思議じゃない。まあ、当然の要求だろう。

 だが、伊武の出した条件は、ユアの想像とは違っていた。

「話を……聞かせて欲しい……あなた達の……話を……今回の事件の……話を……」

 復讐もせず、天使遺骸も見逃して終わらせようと言うのだ。せめて、事件の概要ぐらいは手土産として持って帰る必要があるだろう。それに、伊武は知りたかった。どうして、こんなことになったのかを。彼女達の本当の正体を。

 伊武は、ユアときちんと話せるように、両手を広げて、ゆっくり彼女に近づいていった。

「来ないでっ!」

 ユアが震える手で、Bの喉元にナイフを当てる。当てているだけだ。本当に切る気はない。それに、この子は冷静な子だから、衝動で切ることもないだろう。

「仕返しをやめる……のは……いい……でも……何も知らないで……退くわけには……いかないの……事情だけは……知っておきたい……それだけ……」

 伊武は、ユアから3メートルほど離れたところで足を止める。

「話すだけで……いい……もし……言わなければ……もう一度……戦うしか……ない……」

 もう一度戦うと言われて、ユアはあきらめたようだった。

「――知っていることは話します。ただ、何を聞いても、どう思っても、私達を逃がすっていう約束は守ってください」

 伊武はうなずくと、ユアを安心させるために一歩下がった。

 ユアは観念したように口を開き、自分達のことを話し始めた。



 くるり、ユア、カサネの3人は、反天使同盟ヒイラギが育てている、天使の子供達だった。

 親の名前も顔も知らない。ただ、生まれた時から不思議な能力を持っているから、ヒイラギに引き取られたのだ。

「天使の子供達」というのは、魔力適性の高い子供達というわけではないという。天使教会が決めた、明確な基準があるそうだ。

 それは、天使教会が言っているとおり、天使に選ばれた名誉ある子供。

 生まれた時から、完全な、または不完全な天使付きである子供のことを言うそうだ。

 くるりの能力は、「少女贄」 人の痛みや傷を受け取る能力――天使贄の変形。

 ユアの能力は、「祝福」 自分や人に魔力強化を与えられる。天使付きの伊武も使う。

 カサネの能力は、「半天使」 腕だけの天使付きだ。その腕を自由に操り、触れたものに魔力暴走を引き起こすことができる。

 どれも天使の力だ。彼女達は、それらをバラバラに持っている。一部だけの天使付きだ。たとえば伊武はアブエルを通じて、天使贄と魔力強化を使える。相手を魔力暴走にすることも、やろうとすればできるだろう。普通に攻撃した方が早いので、その発想自体がなかったが。

 くるりとユアは、問題なく能力を使える。ただ、カサネだけは問題があった。

 カサネは言うならば、普通の体に、天使遺骸が直接2本くっついているのだ。それを使おうとすれば、体は拒絶反応を示し、激しい痛みや苦しみを生み出した。そして、どれだけ苦しんだとしても、腕を実体化するまでにはいたらなかった。カサネは、天使付きとして出来損ないだった。

 それでも、ヒイラギは彼女を使うことをあきらめなかった。見えない腕での攻撃による魔力暴走。これほど、暗殺に適した能力はないからだ。

 カサネは毎日、「半天使」の能力を使う訓練をさせられた。その度に悲鳴をあげて、ボロボロになっていた。そして、体に変化があるといけないからと、痛み止めなどの薬を使用することすら許さなかった。

 それでも、カサネは逃げ出さなかった。訓練を受け続けた。どんな痛みや苦しみに襲われようとも、カサネは自分から訓練を受け続けた。

 それを見たくるりが、「少女贄」の能力を使い、カサネの痛みをすべて引き受けた。くるりは痛みのために何度も気絶をしたが、それでもカサネの痛みを引き受け続けた。カサネがやめろと言っても、くるりは笑顔のまま、「くるりは、痛いのだいじょーぶだから」と言って、やめなかった。

 それを見た一樹は、カサネのサポートにくるりを付けることにした。半天使発動時の激痛を、くるりに引き受けさせるためだ。それならば、使い物になるかもしれない。

 そして、くるりの面倒を良く見ていたユアが、私も一緒に行動すると立候補してきた。一樹はそれを了承し、カサネを魔力強化させることにした。

 そして、3人のチームが完成する。一樹はそのチームに名前をつけた――クローバーと。

 3人でようやく1つ。力を使う時に手を取り合う姿も、それに似ていた。

 3人はまだ戦ったことがなかった。いつか戦わされることは覚悟していたが。

 だが、ある日。本当に突然のことだ。

 ヒイラギは、クローバーを暗殺者に仕立て上げ、処分しようとした。

 理由もわからないまま、突然、彼女達は何かの犠牲にされようとしていた。

 そのことにいち早く気づいたユアが、カサネとくるりと連れて逃げた。

 逃げてどうするのか――ユアには2つ策があった。

 1つは、「天使の子供達」として、天使教会に保護してもらうこと。

 これは上手くいっていたのだが、ある時に突然、天使教会と連絡が取れなくなった。そして、Aから、天使教会が自分達の捜索を打ち切ったという報告を受けた。ユアは天使教会が恐ろしくなり、連絡を取るのをやめた。

 そして、もう1つの策に頼ることにした。

 それは、ヒイラギにも天使教会にも頼らず、3人で暮らすこと。

 そのためには、たくさんのお金がいる――その準備をしていたのだ。

 ユアは逃げ出す前に、ヒイラギから様々な情報と、とある魔術具を盗み出していた。

 その魔術具は、「嘆きの涙」といい、天使降臨を引き起こせるのだという。

 天使を降臨させて、天使狩りをする。そして、手に入れた天使遺骸を売り、そのお金で遠くに行き、3人で暮らす――カサネなら天使に勝てると、甘い考えを持って。

 だが、カサネが天使降臨の現場に行くと、そこには大きな女性がいるだけだった。彼女は何かの腕を持っていた。それが天使遺骸だろうと思い、カサネは独断で伊武を襲い、奪った。

 3人がこの街に滞在していたのは、魔術関連の事件が多いことを知っていたからだ。ここならば、天使遺骸を買い取ってくれる人がいるだろうと思った。

 万が一の時でも、一瞬ならば戦えるカサネが――激痛で倒れるまでだが――天使遺骸の売却に動いていた。

 くるりとユアは、カサネを待っている間にBと出会ったのだ。人の出入りが少ない、高宮の屋敷がある山なら、安全だろうと思っていた。それが、伊武を呼び寄せることになったとも知らずに。

 いつもより帰りが遅いくるり達を心配したカサネが迎えに行ったところで、伊武に出会ってしまった。

 まさか、お姉さんとカサネちゃんが出会うなんて、どうにもタイミングが悪かったですね――そう言って、ユアは悲しそうに笑った。



「話は、これで終わりです。これ以上のことは、何も知りません」

 ユアはそういうと、口を閉ざした。

 伊武を襲った犯人。ヒイラギの言うクローバー。天使の子供達。それは、この子達だった。

 それで伊武の持っていた疑問は解決して――いや、もう1つだけ、疑問が残っている。

「ねえ……1つ……確認して……いい?」

「確認……? どうぞ」

 ユアは怪訝な表情をしながら、伊武の言葉を受け入れた。

「カサネは……本当に……私以外は……襲って……ない……の?」

「襲ってません」

「ヒイラギの……メンバーも?」

「はい。絶対に襲っていません」

 ユアは即答した。カサネもうなずく。

 その言葉を信じるなら、ヒイラギの幹部や若林神父を襲ったのは、ユア達ではない。

 若林神父が見たという、もう1人のクローバー。それは一体――。

「質問……していい?」

 伊武が言うと、ユアは腕時計と、自分の後ろにいるカサネの両方を、ちらりと見た。

「――1つだけです。それを答えたら、私達は逃げます」

 伊武は、「わかった」とうなずいてから、ユアに質問を投げた。

「じゃあ、質問……ヒイラギに……カサネと……似たような能力を持つ人は……いる?」

「な――」

 ユアは、信じられないと言わんばかりに目を見開いた。

 それは、伊武にされるはずのない質問だった。

 だが、伊武にとっては当然の質問。全体像に足りないピースは、これだけなのだから。

「いるんだ……ね……それは……誰?」

 ユアはしばらく黙り込んだ後、観念したように、ゆっくりと口を開いた。

「ゴウト――ヒイラギ盟主の息子で、ゴウトという男がいます。その男は、カサネちゃんと同じ――いえ、もっと強力な力を持っています」

 その答えを聞いた瞬間、伊武はこの事件の全容を理解した。

 2人の犯人。襲われたヒイラギ幹部と、天使教会の神父。ヒイラギがクローバーを暗殺者に仕立て上げた理由。天使教会が天使の子供達を捨てて、クローバーを探し始めた理由――すべてだ。

「ユア……聞いて……あなた達は……」

「――質問は1つと言いましたよ。ここまでです。ずいぶん、時間も経ちましたし」

 伊武が真実を伝えようとしたが、ユアはその言葉をさえぎった。これ以上、ユアは伊武に付き合う気はない。ユアは、妙に事情を知っている伊武を警戒している。もしかしたら、伊武は時間稼ぎをしているのではないか。天使教会か、それともヒイラギか、別の組織がやってくるのではないかと思っている。

「カサネちゃん! くるりちゃん! 先に逃げて!」

 ユアが伊武を見据えたまま、2人に声をかける。

 カサネが逃げようとしたが、くるりは動こうとしない。

「くるり! 行くぞ!」

「で、でも! こんな……こんなの!」

「いいから!」

 カサネはくるりの腕を引っ張り、どこかへ走り去っていった。

 途中、くるりが振り向いて、伊武の顔を見る。

 一瞬だけ目が合ってしまった伊武は、そっと目を伏せた。

 そして、次に目を開けた時、彼女達の姿は、どこにもなかった。

 カサネ達が遠くに行ったことがわかると、ユアもBを抱えたまま、ジリジリと下がった。

「追わないでください。そうすれば、Bちゃんは無傷で解放します」

「追わない……よ……早く……行って……」

 伊武が顔を伏せたまま言った。ユアは伊武の態度を不思議に思ったが、その考えを振り払うと、Bを連れて逃げていった。

 しばらくすると、カサネの足音も聞こえなくなった。

 伊武は白詰草の草原に、1人で取り残される。

 ここで待っていれば、やがてBも帰ってくるだろう。

 伊武は草原を流れる冷たい風を頬に感じながら、先ほど見てしまった、くるりの顔を思い出していた。

 あれは、見たこともないような泣き顔だった。伊武に謝りたいような、助けてもらいたいような、どうしていいかわからないような――とにかく、できれば見たくない顔だった。子供のそんな顔を見てしまえば、いくら伊武といえども、心に焼き付いてしまうから。

「なんなの……どうすれば……いいの……」

 伊武はそう呟くと、自分の髪をくしゃっと掴んだ。



 ユアはBを連れて、ひたすらに山を下っていった。

 そして、伊武から離れて、もう追ってこないと判断すると、ユアはBの手を放した。

 ユアがBの姿を見る。先ほど、カサネが突き飛ばして転んだ時の汚れが、スカートに付いている。ユアは無言で、その汚れを手で払った。

「おー……ユア?」

 Bが話しかけてくるが、ユアは唇を強く噛みしめているだけで、何も答えなかった。

 本当は、言いたいことがたくさんあった。でも、自分にそれを言う権利はない。あまりにも勝手すぎるから。言えばきっと、もっと悲しくなってしまうから。

 Bの服についた汚れを落とし終わると、ユアはBの肩を掴んで、元来た道の方を向かせた。

「ここを、真っ直ぐ歩いていって。それで、お姉さんに会えるから」

 Bは振り向かずに、こくんとうなずく。

 そして、背後から、ユアが走り去って行く足音が聞こえた。

 1人残されたBは、ユアに言われたとおり、元来た道を歩いていった。

 隣りには誰もいない。たった1人で。

「……くるり……ユア」

 Bが彼女達の名前を呼ぶ。もう1人いた。初めてあった少女だ。名前はなんと言ったか。

 その少女も、伊武が来るまでは、Bに笑いかけてくれた。

 くるり達には、もう2度と会えない――Bにもなんとなくわかる。

 そしてBの胸には、これまでに感じたことの無い気持ちがあった。

 それを何と呼ぶか、Bにはわからなかったのだけれど。

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