第二十章
「私達は、天使の子供達と呼ばれています。天使教会に保護してもらう途中です」
開口一番、ユアはそう言った。
直巳は、Aに対する怒りも忘れて、彼女と顔を見合わせた。
まさか、依頼に出ていた天使の子供達が、こんな近くいたなんて。
「直巳様、私が話を進めてもよろしいですか?」
「……あまり、ひどいことは聞かないでくれ」
直巳には、もうそれしか言えなかった。Aは黙ってうなずく。本当にわかっているとは思えないが。
「ユア様。いくつか質問をしても、よろしいですか?」
「――どうぞ」
どうせ答えなくてはいけないのに、一々聞いてくるあたりが気に障った。
「天使教会に保護してもらう途中というなら、これまではどこにいたのですか?」
「普通の……普通の家です。ただ、天使の子供達は、普通の社会では生活しにくいんです。特にくるりちゃんは、ああやって誰でも助けてしまいますから。だから、くるりちゃんと一緒に天使教会に保護してもらおうって」
「なるほど。ご家族はなんと?」
「言いたくありません。大体、想像が付くでしょう?」
彼女達は天使の子供達だから、家族や学校、社会と上手く折り合いがつけられず、逃げ出してきたということになる。ユアの言葉を信じれば、だが。
Aは、ユアの目をジッと見つめる。ユアはにらみ返した。
「……ま、いいでしょう。保護してもらう途中、というのはどういうことですか? さっさと、どこかの天使教会に駆け込めばいいのでは?」
たしかにAの言うとおりだ。なぜ、こんなところに何日も滞在しているのだろうか。
「それ……は……その……」
ユアは返答にとまどっている。黙り込んでいるわけでも、拒絶しているわけでもない。答えたくない、というよりは、答えられないという様子だった。
Aはしばらくユアの返答を待っていたが、答えが出ないことがわかると、口を開いた。
「実は、天使教会が、天使の子供達を探していました。そういう依頼が出ていたんです」
「ほ、本当ですか!?」
ユアが興奮して、Aの話に食いついた。
「ええ。報酬まで出してね――探していたんです」
直巳は、Aの言い方が気になった。
探していました。探していたんです――なぜ、Aは2過去形で話すのだろう。
その疑問は、すぐにAが解消してくれた。
「探していたのですが。昨晩、その依頼が消えました」
「え――それって、どういう――」
ユアが絶句する。直巳も同じだった。
「消えた依頼、あなた達が天使教会に駆け込まない理由――関係があるんじゃないですか?」
Aは遠慮なく、ユアに向かって話を続けた。
「理由を教えてください。なぜ、あなた達は天使教会へ駆け込まないのか」
「それ……は……」
「それは?」
Aはユアに近づいている。ユアは、持っているナイフのことすら忘れているようだった。
「突然……天使教会と……連絡が取れなくなったんです……それで……何か怖くなって……様子を観るために……しばらく、この辺にいようって……ことになって……」
「なるほど。それで、この先、どうしたらいいかわからなくなったと」
Aの言葉に、ユアが力無くうなずいた。それと同時に手からナイフが落ちる。
Aはナイフを拾うと、ユアの手を取って握らせた。
「あなたが握ったナイフです。最後まで落とさず、きちんと持っていなさい」
「う……うあ……」
ユアは目に涙を溜めて、ナイフを握った。ただ、それを直巳に向ける力は、もう無い。
Aはユアを冷たい視線で一瞥すると、直巳に向かって話しかけた。
「と、いうことらしいですよ、直巳様。いかがいたしますか?」
直巳は、ユアにも聞こえるぐらいの声で、Aに言った。
「話を聞いたら、ユアの力になるって言ったよな?」
「言いましたっけ?」
とぼけるAを無視して、直巳はユアの元へと歩み寄った。
「ユア、もう一つだけ聞かせてもらっていいかな?」
「……なんですか?」
ユアは涙声で返事をする。まだ、涙はこぼれていない。様々な不安や恐怖に襲われながら、ユアは必死で耐えているのだ。後ろにいる、くるりのために。
「くるりの能力は、少女贄だよね? なら、ユアの能力は?」
「私の……私の能力は……」
ユアの答えるのを、直巳は祈るような気持ちで待っていた。
もし、ユアの能力が、他人に魔力暴走を引き起こすようなものだったら――やめてくれ。それだけはどうか、違っていてくれ。
「私の能力は、「祝福」です……自分や他人を魔力強化で……強くできます……」
魔力強化――ユアこれまでに何度か、妙に力が強かったり、魔力を使った気配が出ていたりした。そうか、それは魔力強化だったのか。
直巳は心から安堵していたが、気を緩める前に、もう一度だけ確認をした。
「本当……それだけ?」
「はい……」
「ユアもくるりちゃんも、他人を傷つけるような能力は、持っていない?」
「持ってません……本当に……それだけ……です」
本当にそれだけ。間違いない。彼女達は、人を傷つけるような能力を――人を魔力暴走にするような能力を持っていない。
彼女達は、2人のクローバーのうち、どちらでもない。
「なら――よかった」
直巳はAに向かって言った。もう、笑顔ではない。
「A、この子達が天使教会に保護されるまで、少し手伝ってやっていいか?」
「そういうのはやめろと、アイシャ様に言われてませんでしたか? 犯人ではないとわかっただけで、もう十分でしょう」
「俺の個人的な行動だ。Bを護衛につけて、Aが情報を探る――それぐらいのことだから」
「だから、どうして私が――」
直巳は血まみれの左腕を、Aに付きだして見せた。
「そうすれば、これをチャラにしてやる」
「――わかった、わかりましたよ。それ以上のことは、しませんからね」
Aは降参しました、と言わんばかりに両手を挙げた。
直巳は、ユアとくるりに近づくと、しゃがんで目線を合わせた。
「2人とも。俺達は敵じゃない。天使教会の動向がわかるまで、これまでどおりにしてくれていい。ここは安全だし、Bは護衛になるから、遊びにきていいよ」
「な、なおにーじゃん……ほ、ほんとに?」
くるりは目を真っ赤にして、ずびずびと鼻をすすっている。それでも泣くまいと頑張っているのが、いじらしい。
「本当だよ。これからも、Bと仲良くしてくれな」
「う、うん! する! 仲良くする!」
直巳は笑いながら、くるりの頭を撫でると、今度はユアに話しかけた。
「ユア、怖い思いさせてごめんな。俺達も、ちょっと探してる人がいてさ。でも、ユア達とは関係ないから、もう大丈夫だ」
「あの……お兄さん……これまでどおりにしていいって……」
「くるりに言ったとおりだよ。天使教会に何があったか、出来るだけ探ってみる。それまでは、できるだけBと一緒にいればいい。Bはああ見えて、結構強いんだから」
「……わかりました……ありがとうございます」
ユアはお礼を言って頭を下げる――くるりほど、信用してもらえてはいないなと、直巳にはわかった。
仕方のないことだろう。彼女はずっと、そうやって色々なものに警戒をして、くるりを守ってきたのだ。無理に信用しろというのも、おかしな話だし。
「B、こっち来て」
直巳に呼ばれて、Bが走り寄ってくる。転びそうになるのを、直巳が受け止めた。
「これから2人のことを、Bに守って欲しいんだ。お願いできる?」
Bはくるりとユアを交互に見たあと、ぶんぶんと首を縦に振った。
「おー……くるり……ユア……まもる」
Bがフンフンと鼻息を荒くするのを見て、くるりとユアはようやく笑った。
それから、2人が泣き止むのを待って、今日は別れることにした。
「それじゃあ、また明日」
直巳が言うと、ユアは頭を下げて、くるりはぶんぶんと手を振った。
「はい、また明日」
「またね! 明日ね!」
天使の子供達は、元気良く帰っていった。
クローバーは、まだ見つかっていない。
でも、あの子達は敵じゃない。それがわかっただけで、十分だった。
「さて……A、話を聞かせてもらおうか」
直巳はAの部屋で、汚れた服を着替えながら言った。
直巳は高宮邸に戻った後、Bを椿家に放り込み、血を落とすためにAの部屋でシャワーを浴びた。念のために、Aにやられた傷口を見てみたが、綺麗さっぱり消えている。
Aは小さな冷蔵庫からガラス瓶入りの水を取り出すと、直巳の目の前に置いた。
「話も何も、くるり様は魔術師だと疑っていたんです。彼女に四つ葉のクローバーを渡した時、私は少し怪我をしたんですが、少女贄を使われましてね」
「魔術を使う少女なら……伊武を襲った犯人かもしれないと思ったわけか」
「だから、最初から疑っていたじゃないですか。天使の子供達のことも。天使教会と連絡を取らなくていいなら、当然調べますよ」
Aの持ってきた依頼書。1つはクローバー抹殺、もう1つは天使の子供達の保護。後者は天使教会と連絡を取りたくないから、という理由で依頼を受けなかった。それに、クローバーの方が断然怪しかったのだし。
それでも、Aは天使の子供達のことを忘れていなかった。くるりの怪しい動きを見逃さずに、彼女達が天使の子供達であることを突き止めたのだ。
幸い、彼女達は伊武の襲撃犯ではなかった。もし、彼女達が犯人だったら、Aはどうしていたのだろうか――直巳は、すぐに考えるのをやめた。
「それにしても、もうちょっと別のやり方なかったの?」
直巳は血まみれになった服を見ながら、Aに言う。
「敵を騙すにはまず味方から、というのもありますし――私が調べたいと言ったら、直巳様はきっと、あの子達のことをかばったでしょう?」
もしもAが、あの子達がクローバーかもしれないから、正体を突き止めるのを手伝えと言ってきたら――たしかに、直巳は難色を示したかもしれない。そうすれば、今回Aがやったように、彼女達の正体を無理矢理見破ることなど、できなかっただろう。
直巳を傷つけて子供達を騙し、能力を使わせて、挙げ句に脅す方法は悪い――だが、結果は良い。彼女達を疑う必要はなくなったのだから。
「Aは――俺より上手くやるからな」
直巳は自分の無力さを恨み、Aの狡猾さを賞賛する。Aは押し殺したように笑った。
「私は汚いだけですよ。その後、まとめてくれたのは直巳様です。子供達から涙まで引き出して、綺麗にまとめてくれました」
「Aでも、綺麗だとは思うんだな」
着替えの終わった直巳は、そう言ってからAの用意してくれた水に口を付ける。良く冷えた水が喉を通ると、気持ちが少しスッキリしたような気がする。
「言いますね。汚いものがわかるのですから、綺麗なものもわかりますよ」
Aは直巳の脱いだ汚れた服を拾い上げると、ゴミ箱に捨てた。
「さて。着替えも終わったようですし、アイシャ様の元へ行きましょうか」
「ふうん。その子達がねえ」
アイシャは、自分の部屋にやってきたAと直巳から面白くもなさそうに報告を聞いていた。
直巳が、今後もくるり達と交流を持つことを伝える。断られるか、怒られるか。直巳は心配していたのだが、アイシャの返事は意外なものだった。
「いいわよ。そうしてちょうだい。Bの護衛も許可します。役に立つかは別だけど」
悩むことすらせず、あっさりと了承する。
「いいの……本当に?」
「何よ。直巳がそうしたいって言ったんでしょ?」
「いや……うん。余計なことするなって、言われるかと思った」
「あら。少しは学習したのかしら」
アイシャは、居心地の悪そうな直巳を見ながら、クスクスと笑った。
「余計なことではあるけど、そんなのにうろうろされるぐらいなら、こっちの目の届くところに置いておいた方がいいでしょ。それだけよ」
リスクコントロールというメリットがあるから許可をしたのだと、アイシャは言う。ただ、純粋に子供を助けたいわけではないのだと。
「ま、これで色々わかってきたわね。2人のクローバー、天使の子供達、天使教会の依頼取り下げ――いい感じじゃない」
アイシャは手元の紙に、サラサラと何かを書きながら言った。落書きのように書き殴っているだけだが、情報でもまとめているのだろうか。直巳は気になって覗き見てみたが、一体、何語の文字なのかすらわからなかった。
「いい感じ……なのかな。周りの情報は埋まってきてるけど、核心に辿り着かない」
核心――伊武の襲撃犯。2人のクローバー。それらの正体が、まったくわからない。
直巳は思ったように進展していないと思っていたのだが、アイシャは違ったようだ。
「逆に考えなさい。周りは埋まった、後は核心だけって」
アイシャに焦っている様子はない。むしろ、余裕すら感じられる。
「何か……自信ありそうだね」
「ええ、あるわ――まあ、言っちゃうとね」
アイシャはそういうと、手元の紙に何かを書き足した。最後に、シュッと丸をつけるような音がする。
そして、その紙を直巳に見せつけながら言った。
「時間の問題、ってやつよ」
意味不明な文字列が並ぶ中、直巳にもわかる箇所があった。
数字で、1・2・3。と書いてあり、3は丸で囲ってあった。




