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第十五章

「ねえ、椿は魔力暴走って聞いたことある?」

 直巳に対する若林の質問。イエスかノーか、逃げられない質問。

 ノーと答えればここまで。自分は厄介ごとを避けて、ただのクラスメイトとして過ごす。若林は落胆するだろうが、直巳の魔術師としての生活に影響は及ぼさない。

 イエスと答えれば――若林は話を続けて、さらに質問をしてくるだろう。そして、いずれは解決策を知っている? と、聞いてくるはずだ。そうなったら、どうするか――。

「――天使教会で働いている時に、聞いたことがあるよ」

 保留気味のイエス。まずは話を聞いてみることにする。

「ええと、強い魔力を浴びると、体に不調を起こしたりするんだよね?」

 直巳のとぼけた答えを聞くと、若林は目を輝かせた。

「うん……うん、そう! それ! ああ、よかった……椿が知ってて……」

 若林は安堵した表情になる。まだ解決したわけでもない。それでも、自分の悩みを理解して聞いてくれる人すら、いなかったのだろう。

 悩みを聞くだけでも、共有するだけでも楽になる。それだけでも、直巳は力になれてよかったと、自分に言い聞かせる。

「えっと、天使降臨に出会った人が魔力暴走になりやすいって聞いたことがあるけど、若林のお父さんも、そうなの?」

 ここ最近、この辺りで天使降臨が起きたという話は聞いたことがない。それでも、遠くに住んでいるとか、遠出していたとかであれば、十分に考えられる。

「それが……わからないの……そうだって……言うんだけど……」

 若林の答えが煮えきらない。「そうだって言うんだけど」とは、誰が言ったのだろうか。

 直巳は細かく聞き出したくなる気持ちを抑えて、まずは続きを聞くことにした。

「そっか……えっと、とにかく、若林のお父さんが魔力暴走になったんだよね?」

「うん……そう……私が学校を休む前の日に……病院から連絡があって、それで……」

 そこまで言うと、若林は肩をふるわせ始めた。

「お父さん……体が変なことになってて……私、あんなの見たの初めてで……」

 彼女は父の魔力暴走の症状を見たらしい。もし、彼女の父親が本当に魔力暴走にかかっていて、その症状を見たというなら、それはたしかにショックだろう。

「それで……入院はしたけど、病院では治せないって言われて……」

「うん。普通の病院で、そういう治療はできないらしいね」

 魔術は医学ではない。それに、研究しようとすれば天使教会にとがめられる。天使教会は魔術を認めていないし、それが天使によってもたらされたものならば、天使の奇跡を否定する行為になるからだ。

「それで……お父さん……1週間経っても……ぜんぜん良くならなくて……このままだと……命も危ないかもしれないって……言われて……」

 体があり得ない変化が起きる。当然、肉体はそれに付いていけない。やがて、体は衰弱し、そのまま死んでしまうケースは非常に多い。

「それで……魔力暴走の治療方法を探そうと……思ってたんだけど……」

「――うん」

 自分なら治療できる――それが喉まで出かかって、飲み込んだ。飲み込んでしまった。

「その……天使教会の人が来て……お父さんは天使様に出会ったのだから……天使降臨に出会えたんだから……治療など考えず……ありがたく受け入れろって……いう……から……」

 先ほど、若林の言った、「そうだって言うんだけど」という言葉。それを言ったのは、天使教会の人間だということだった。

「……天使教会の人が? 直接来たの?」

 天使教会の人間が、魔力暴走の話を聞きつけて、わざわざやってきたというのか。

「……うん。倒れた後、すぐに来て……その人達の指示で、お父さんは個室に隔離されて……いつも天使教会の人が見張ってて……治療もさせないし……誰にも見せるなって……麻酔だけは……許可してくれてるけど……」

 天使に選ばれたのだから、それを受け入れろという傲慢。天使のために死んだ人間の数は、そのまま天使教会の影響力を表わす数字になる。

 君のお父さんは、天使教会の威光を強めるための生贄にしますと、そういうことだ。

「ひどい話だな……」

 直巳が思わず本音を漏らすと、若林は、ハッとした表情をして、顔を押さえた。

「だよ……ね? ひどいよね? よかった……」

 直巳の言葉に、若林はポロポロと涙をこぼし始めた。きっと、こんな話を理解してくれる人もいなかったし、天使教会を非難することもできなかったのだろう。初めて、直巳が同意してくれたのだ。初めて、父に同情してくれたのだ。だから、若林は泣いた。

「でも……天使教会の言うとおりにすれば……後の生活は心配するなって……天使教会の人が……お父さんは天使様に選ばれたことになって……準聖人に列挙されるからって……そうすれば……今後の生活は天使教会が面倒を見てくれるって……まだ、小さい妹もいるし……だから……お母さんも……迷ってて……」

 天使教会の教えに従って死ぬことへの代金。命の値段。彼は天使様を受け入れて、天使様の元へ行きました。立派な方です。命をかけたコマーシャルへの出演料。反吐が出る。

 直巳は天使教会の姿勢に苛立ちを隠せないでいたが、若林の話に出てきた、とある言葉に気が付いた。

「……ねえ、若林。お父さん、準聖人にするって言われたの?」

「うん……言ってた……すごく名誉なことだって……」

 死んでからの準聖人など、名誉的なものに過ぎない。天使教会は乱発するだろう。ただ、それにしても、わざわざ一般人の元へ出向いて、そんなことをするだろうか?

「若林のお父さんって、天使教会の関係者なの?」

 もしかしたらと思って、直巳はたずねた。

 若林は、涙をぬぐいながら、小声で答えた。

「うん……天使教会の……神父……」

 その瞬間、直巳の頭から、サッと血の気が引いた。怒りも同情も、一気に消え失せる。

 天使教会の神父が魔力暴走になった。天使降臨であるかはわからない。だが――いや、だから天使教会の人間は、それを天使降臨に仕立て上げようとしている。

 もし、天使降臨が原因じゃないとしたら、大問題になるからだ。

「そっか……天使教会の神父だから、そこまで厳重に監視してるのか……」

 直巳が言うと、若林は黙ってうなずいた。

「私……どうしたらいいか……わからなくて……誰にも話せなくて……だから、相談っていうか……理解してくれる人に……話を……したくて……ごめんね? こんな話して」

 若林は鼻をすすりながら、カバンから取り出したハンドタオルで涙をぬぐう。

「ねえ、椿……天使教会の言うこと……ひどいよね? お父さん、このまま見殺しにするなんて、間違ってるよね?」

 若林の切実な質問に、直巳はしっかりと答えた。

「天使教会は間違ってるよ。お父さんを助けたいと思うのは、正しいことだ」

 その答えを聞くと、若林は少しだけ笑った。

「ふふっ……天使教会で働いてた人が……いけないんだ……でも、ありがと。おかげで決心がついたよ」

「決心?」

「うん……私ね。魔術師を探してみようと思うんだ。お父さんを助けられる魔術師を」

「え――魔術師?」

 直巳が驚いたように言うと、若林は照れ臭そうな顔をした。

「へへっ……バカみたいだと思った? 魔術師なんて、いるかどうかもわからないのにね。でも、天使教会とも関係なくて、魔力暴走を治せるって言ったら……魔術師なのかなって」

「何か、探すあてはあるの?」

「ううん。ぜんぜん。魔術なんて、見たこともないしね……けど……魔力暴走を見てからね。こんなわけのわからない力があるなら……助ける力も、あるんじゃないかって」

 普通の人にとって、魔術や魔術師と関わることは、まったくない。自称魔術師の詐欺とか、あの未解決事件は魔術師のせいだとか、都市伝説のような噂話を聞くだけだ。

 それでも、追い詰められた若林は、そんな噂にまですがろうとしている。

 そしてそれは、あながち間違いでもなかった。

 君のお父さんを助けられる魔術師は、目の前にいる。

 直巳は少し悩んでから一歩――とまではいかない。半歩だけ、踏み出すことにした。

「――若林。お父さんが、いつ、どこで倒れたのか、教えてもらえる?」

「え……いいけど……」

 若林が不思議そうな顔をする。それはそうだろう。若林は悩みを聞いてもらいたかっただけで、これ以上、具体的な話をする気はなかった。まさか、直巳の方から聞かせてくれと言われるとは思ってもいなかった。

「どうして……そんなこと聞くの?」

「若林のお父さんが、本当に天使降臨に出会ったか確認するためだよ。何かのヒントにはなるかもしれないし、情報は多い方がいいでしょ?」

「まあ……そうだけど……わかるの?」

「天使降臨の発生日時は調べればわかるよ」

 たしかに、そういうのを追っている人達もいるし、まとめているWebサイトもある。ただ、直巳達の場合、移動可能な距離で発生した天使降臨は全部把握している。天使狩りのためだ。

「そうなんだ……えっと、2週間前に帰宅途中で倒れて、そのまま救急車で病院に担ぎ込まれたって。場所はね……ここから30分ぐらいの……」

 そういうと、若林はスマホを取り出して、地図を表示させた。

「大体、この辺だって聞いてる」

 若林の差し出すスマホを見て、直巳は位置を確認する。ここから、そう離れてもいない場所だった。間違いない。ここしばらく、その辺りで天使降臨は発生していない。

「2週間前……その辺りで、天使降臨は起きてないはずだよ」

 直巳がスマホを返しながらそういうと、若林は静かにうなずいた。天使教会の嘘が一つ、明らかになったことへの落胆だろう。

「後……できればでいいんだけど、お父さんの魔力暴走の症状、教えてもらえるかな」

「うん……いいけど……」

 またもや何か言いたそうな若林に向かって、直巳は先手を打った。

「実は、天使教会にいたころ、魔力暴走患者の話は聞いたことがあるんだ。症状を聞けば、重さとかがわかるかもしれない」

「へえ……そうなんだ……」

 ほぼ真実、ほぼ嘘の内容。それでも、若林は素直に納得してくれたようだ。

「内緒だけどね。裏じゃ、そんな話もしてるんだよ。俺、真面目な天使教徒じゃなかったし」

 直巳が言うと、若林が少し笑った。

「やめてよ。神父の娘の前で……ま、あたしも不良教徒か……えっと、お父さんの症状だよね? 何から言えばいいのかな……」

「ええと、じゃあまずは、症状の出た場所は? 全身? 一部? 天使降臨に出会った場合は、全身とか、広範囲に出ることが多いらしいよ」

「え……そうなの?」

 直巳が言うと、若林は怯えたような表情になった。

「……ねえ、椿。今、気づいたんだけどさ」

「うん」

「天使降臨に出会ったんじゃないとしたら……お父さん、どうして魔力暴走になんか……」

「――お父さんの症状、全身じゃないんだ」

 若林は神妙な表情で、ゆっくりとうなずいた。

「……うん」

「じゃあ、どういう風に症状が出てたの?」

 直巳がたずねると、若林は黙って、自分の両脇腹に手をやった。

「ここ。両方の脇腹に出てた」



 直巳は若林に、何かわかったら連絡するとだけ言って別れた。

 帰り道、若林から聞いた情報が頭の中をぐるぐる回っている。

 若林の父は天使教会の神父で、魔力暴走を起こして倒れたという。

 天使教会はそれを天使降臨に出会ったということにし、事態を収めようとしている。

 魔力暴走の症状が出ているのは、両方の脇腹――伊武とまったく同じだ。そして、クローバーに襲われたというヒイラギの幹部とも同じ。

 ほぼ間違いなく、若林の父も誰かに襲われたのだろう。同一犯の可能性は非常に高い。

 犯人のことは気になる。だが、直巳にはもう一つの悩みがあった。

 自分は若林を助けるべきなのだろうかと。

 危険を冒してまで天使教会の神父を助けることが、正しいことなのだろうかと。

 もし、あの時。直巳が若林に言っていたら、どうなっていただろう。

 ねえ若林。俺は、君の父さんを治すことができる魔術師なんだよ、と。



 直巳は帰宅してすぐ、アイシャの部屋に行き、若林のことを報告した。

「――少し、見えてきたかもね」

 すべて聞き終えたアイシャは、満足そうに言った。

「本来なら、例え知人でも、天使教会の神父なんか助けるなと、言いたいところだけど。そういうことなら放っておけないわね」

「なら、助けても――」

「助けるわ。情報を聞き出すためにね。ただ、Aと一緒にやってちょうだい。勝手に動かないように、いいわね?」

 気持ちのはやる直巳を、アイシャが制する。

「わかった。アイシャの言うとおりにする」

 直巳が返事をすると、アイシャは黙ってうなずき、手元のベルを鳴らした。

 ものの10秒ほどで、Aが部屋にやってくる。

 そして、アイシャがAに直巳から聞いた話を伝えて、助けるための作戦を考えろと言った。

「かしこまりました。急いだ方が良いですから、今からでも作戦を立てましょう」

「わかった。どこでやる?」

「私の部屋で。準備をしておきますので、5分ほどしたらお越しください」

 Aは一礼をして、アイシャの部屋を出ていった。

「それじゃあ、俺も――」

「直巳、待ちなさい」

 Aに続いて部屋を出ようとする直巳を、アイシャが呼び止める。

「どうしたの?」

 直巳が振り返って、アイシャの前に立つ。椅子に座るアイシャと、その前に立つ直巳。まるで、教師と生徒のようだった。

「1つだけ、伝えておくことがあるの」

 アイシャは足を組み直すと、真面目な表情で言った。

「今回、その神父を助けるのは、情報を得るためよ。あなたのお友達だから助けるわけじゃないの。それだけわかっておいて。こちらにメリットがなければ、助けてないわ」

「……わかった」

 直巳は素直に返事をした。だが、即答はできなかったし、返事もぎこちなかった。

「わかったようには思えないけど――困った子ね」

 アイシャが苦笑しながら言う。出来の悪い子をバカにするような口調だった。

 さすがに、直巳も少し気に障った。

「もし、助けられる人がいるなら、助けたいと思うのは普通だろ」

「あなた1人で、何もかもは助けられないのよ」

 冷たいアイシャの声を背にして、直巳は部屋を出ていった。



「遅かったですね。アイシャ様と、何かお話を?」

 直巳がAの部屋をたずねると、中に通されながら、そんなことを聞かれた。

「ちょっと、説教されてた」

 直巳がそう答えると、Aは意外そうな顔をした後、フフっと笑った。

「それは大変でしたね。さあ、気持ちを切り替えて、策を練るとしましょう。まずは、若林様の情報からお願いします」

「ああ、わかった――って、2人でいいのか?」

「と、おっしゃいますと?」

「いや、何かするなら、伊武も居た方がいいんじゃないかと思って」

 高宮の立てる作戦は、基本的に荒っぽい。戦うことがあるなら、伊武は必須だろう。

 だが、Aは落ち着いた様子で、「2人でいいのです」と答えた。

「今回は、私と直巳様の2人でやります。天使教会が相手ですから、荒っぽいことは無しです。まさか、天使教会の人間が見守っている中、一般の組織である病院を正面突破して、彼をさらうとでも?」

 直巳は、どうせ正面突破だろうと思っていたのだが、違うらしい。

「じゃあ、こっそり忍び込むとか、そういう感じでやるの?」

「そうです。なので、念入りな情報収集をして、作戦を立てる必要があります」

「そっか……うん、わかった」

 今回は穏便な方法で済ませるらしい。元々、人を騙す、はめる、追い込む、ということが大好きなAならば、きっと良い作戦を考えてくれることだろう。

「それに、希衣様には、しばらく戦闘を控えてもらうようにしようかと」

「え? どうして……ってこともないか。ひどい魔力暴走を起こしたばかりだもんな」

「ええ。普通に戦う分には良いのですが、魔力を使うような行動は控えた方がよいかと。魔力暴走を起こして、それを直巳様が無理矢理抜いたわけですから。そんな状況で魔力を使えば、また何か不調を起こすかも知れませんから」

「そうだね。伊武にも、それは伝えてあるの?」

「はい。先ほど、希衣様にもお伝えし、ご了承いただきました」

「そっか。じゃ、しばらく伊武には休養してもらおう」

「そうですね。なので、希衣様には私と直巳様の分まで雑用をお願いしております」

「雑用? 家事とか?」

 伊武はああ見えて、家事全般をそつなくこなす。特に料理は上手だ。見た目や性格から、破天荒な料理を作りそうなものだが、そんなことはない。

「今は、直巳様の代わりにBを迎えに行ってもらっています」

「え、伊武を行かせたの?」

 伊武は子供が苦手だ。苦手であり、嫌いだ。子供は大人と違い、無遠慮に接してきて騒がしくする。伊武が常に発している、「話しかけるなオーラ」が、子供には通用しないのだ。

「はい。他に手の空いている者がいなかったので」

「いや……伊武、子供苦手だからな……大丈夫かな……」

 直巳が心配しているのは、伊武とくるり達、両方だ。

「大丈夫ですよ。荷物の引き取りと一緒です。Bを抱えて戻ってくればいいだけですから」

 Aはそういうが、直巳には、うんざりしている伊武の姿が、ありありと想像できた。

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