第十四章
翌日。登校した直巳が教室に入ると、自分の席の周りに人が集まっていた。
なんだろうと思い自分の席に近づくと、隣りの席には若林が座っていて、クラスメイトに取り囲まれていた。
2週間近く休んでいた若林が登校したのだ。男女問わず人気のある若林を心配して、クラスメイト達が彼女を取り囲み、心配していたよ、どうしたの? と、次々と言葉をかける。
みんな若林のことを本気で心配していたし、再び学校へ来てくれてよかったと、心から思っている。だが、隠しきれない好奇心も、また本心だった。
何か聞かれると、若林は、「お父さんがちょっと」とか、「大丈夫だから」と、いつもどおりの笑顔で答えていた。社交的な笑顔。明るい返答。平等な対応。人気者の仕事。
チャイムが鳴ってHRが始まると、クラスメイト達は散り散りになり、直巳はようやく若林の顔をしっかりと見ることができた。
直巳は、そっと若林の横顔を見る。元気そうに見えるが、少し痩せており、疲れているように見える。
何があったのだろうか――直巳も気にはなるが、それは先ほど、クラスメイトに散々聞かれていたし、若林は、はっきりと答えなかった。ならば、聞くこともないだろう。
直巳がそう思ったところで、若林と目が合った。若林はにこりと微笑み、「おはよう」と声をかけてくる。
「おはよう。よかったら、ノート見せるから」
直巳がそれだけ言うと、若林は少し驚いたような顔をする。久しぶりにあった同級生の女子にかける言葉として、それはどうなのだろう。
恐らく、これは面倒くさい気の回し方なんだろうなと若林は気づき、直巳らしいと思ってクスクスと笑った。
「うん。ありがとう。写すのは大変だから、今度、コピーさせてもらってもいい?」
「ああ、いつでも言って」
「椿のノートなら安心かな。成績いいしね」
「勉強ぐらいしかやることないんだよ。部活もやってないしね」
「またぁ。成績良い人は、何してても成績いいんだよ――あ、ほら。椿、バイトしてたんでしょ? でも、その時だって成績落ちてなかったじゃん」
「あー……まあね。今はやってないけど」
直巳の成績が良いのは、以前、天使教会に入ろうとしていたからだ。天使教会でバイトをし、コネを作り、良い大学を出て、天使教会の神父になる。それが以前の目標だった。
それが今となっては、どういうことだか天使を狩って、天使教会を敵に回しているのだが。
「って……若林、俺がバイトしてたの知ってたんだ」
「うん。ちょっと聞いたんだ。ほら、あたし顔が広いから」
直巳が天使教会でバイトをしていたことを知っている生徒も、いないわけではない。直巳が知る限りでは、いわゆる不良――伊武に叩きのめされた連中だが。そこから話が漏れて、若林の元まで流れたのだろう。まあ、特別に隠すことでもないし、むしろ天使教会に好意的だと思われていた方が、日常生活はやりやすいだろう。
「今はやってないけどね。あの天使教会、壊れちゃったし」
壊したのも直巳達なのだが、それは黙っておく。
「え――あ、そうなんだ。椿君がバイトしてたの、天使教会だったんだ」
若林が驚いたように言う。バイトをしていたのは知っていたが、バイト先が天使教会だということは知らなかったのか。なら、余計なことを言っただろうか。
「えっと……うん。まあ、ちょっとした手伝いとかだけどね」
まあ、ばれても構わないし、隠す方が怪しいだろう。直巳は素直にそれを認める。
「そっか……天使教会で……」
若林は真面目な表情になって、直巳を見つめると、真剣な声で言った。
「椿……さっき、ノート見せてくれるって言ったじゃん? あれ、今日の放課後でいい? コピーさせて欲しいんだけど」
「え、今日? まあいいけど……」
急に真剣になった若林にとまどいながら、直巳は了承する。今日の放課後は、特に予定もなかったはずだ。夕食の当番でもないし、今は妙な魔術師と戦っているわけでもない。今は。
「ありがとう。ちゃんと、お礼するからさ。時間、空けておいてね」
「わかった。じゃあ、放課後に」
「うん。放課後。校門出たところで待ってるから」
そういうと、若林はノートをちぎり、切れ端に何か書いて直巳に渡した。
直巳が受け取ってそれを開くと、若林の携帯番号、メールアドレス、メッセージアプリのIDなどが書かれていた。
「これ、私の連絡先ね。渡しておくから。後で登録とワン切りだけしておいて」
「あ、ああ。休み時間にでもしておくよ」
そういうと、若林は返事の代わりに笑顔を浮かべてから、前を向いた。
直巳は連絡先の書いたノートの切れ端をポケットに入れ、手でもてあそぶ。
一瞬見ただけでも、それは脳裏に焼き付いている。見慣れない他人のノート。自分とは違う、綺麗な女子の文字。クラスメイトからこういうものをもらったのは初めてだ。
別に若林に特別な感情を抱いているわけではないし、ノート目当てだとはわかってはいるのだが、少し気分が高揚する。
直巳がにやついていると、離れた場所からの視線を感じた。
「――ん?」
直巳がそちらを見ると、笑顔の伊武希衣と目が合った。
伊武はすべてを見ていた。伊武はいつだって直巳のことを見ている。聞いている。
ポケットの中の紙が、手汗でぐっしょりと濡れていた。
なお、昼休みに若林から伊武に、「今日、ノートコピーさせてもらうから、放課後に椿、借りるね」と、伊武にフォローを入れてくれた。
直巳も、「ず、ずっと休んでたしね!」と追っかけると、と伊武は、「うん……わかった」と言って、小さく微笑んだ。
伊武は別に怒っているわけではない。ちょっとすねてみただけで、直巳には、そのわがままに付き合って欲しいだけだ。
放課後になり、直巳は伊武に一言挨拶をしてから、校門へと向かう。
校門を出たところに若林がいた。若林は直巳に気が付くと、小さく手招きした。
「お待たせ」
「ううん。待ってないよ。ところで椿さあ……私に連絡先、教えてくれてないよね」
「あ……ごめん」
若林にも自分の連絡先を伝える、という約束になっていたのだが、すっかり忘れていた。
「今やるから、ちょっと待ってて」
直巳が携帯を取り出そうとすると、若林がそれをさえぎった。
「後でいいって。ちゃんと会えたんだし。しかしねー。女子との連絡先交換を忘れてるとはねー。嫌だねー、ほぼ彼女がいる人は」
若林が冗談っぽく言う。ほぼ彼女、というのは伊武のことだろう。
「いや……はは……後で、ちゃんとやるよ……」
「そうですねー。休み時間より暇になったら、お願いしますねー」
直巳が引きつった笑いで誤魔化すと、若林は口をとがらせて、拗ねたふりをした。
それから2人は、学校から少し離れたコンビニに向かい、直巳のノートをコピーした。結構な量があったが、若林は律儀に全部コピーした。
「これでよし。ノートのコピーってさ。コピーしただけで満足感あっていいよね」
「いや、全然良くないんだけどな。わからないところあったら教えるから」
「頼もしいなー。成績良い人が隣りにいてよかったー」
「成績目当てかよ」
直巳が苦笑して言うと、若林は、やれやれと首を横に振った。
「女子のそういうところ、否定してたら彼女なんかできないよー? 女の子は尊敬できるところがないと、好きになるかどうかの判定すらしないんだから。少女マンガ読んだことない? 出てくる男の子達、肩書き付きばっかだよ? 御曹司とか生徒会長とか、家元とか」
直巳も昔、姉の少女マンガ雑誌を読んだことはある。そう言われると、出てくるイケメン達は、顔以外にも強いアピールポイントがあった気がする。
「ま、逆にさ。顔とか面白さだけで付き合えるのって今のうちだけだから、そういう人達と遊ぶなら今のうちだよね」
「えぐいこと言うなあ」
「何よー。友達だと思って、本音で話してるんだからねー。男だって、付き合う相手と結婚する相手は違うとか言うじゃんさー」
「いやー……俺にはまだわかんないかなー……」
「ふふっ。ま、本当に好きな人ができたら、そういうのも関係なくなったりするのかもね」
2人がコンビニの前でじゃれていると、若林が、ふと直巳の背後に視線を止めた。
「うわ……何あの人……めっちゃ美人……」
直巳が思わず振り向くと、そこにはたしかに、すごい美人がいた。
少し高い身長、思わず二度見してしまうほどに小さい顔。違和感があるほどに足が長く、全体的に細いが出る所は出ていて、長い赤毛が印象的な――っていうかグレモリイがいた。
「すごーい……赤い髪も綺麗だね。外人さんだよね? モデルとか女優かな?」
興奮して直巳の方を叩く若林。直巳はグレモリイに背中を向けて、小声で言った。
「いや……どうだろうね。あんまりじろじろ見るのも悪いし、行こうか」
「えー……ま、そっか。あんまり見られたら嫌だよね」
「うん。そうだね。とりあえず、ここにいると邪魔になるから、とりあえず離れ――」
「あ! 直巳君だ! 直巳くぅーん!」
背後から、こちらに走ってくる足音が聞こえて、直巳はがっくりとうなだれた。
そして、脱力した直巳の背中に、グレモリイが抱き付いてくる。
「どーん! 捕まえた! こんなところで会うなんてね! 学校帰り?」
背中から抱き付いたまま話しかけてくるグレモリイ。直巳は、「はあ」とか、「そっすね」などと、気のない返事をするしかなかった。
「え……え? 知り合い?」
驚く若林を見て、ようやくグレモリイがその存在に気づく。
「あら? 直巳君のお友達? え? デート中? もしかして、彼女とか?」
「い、いえ! 違います! クラスメイトで、隣の席っていうだけで! 今はちょっと、椿のノートをコピーさせてもらってただけで!」
若林が必死で否定する。それはそのとおりだし、そう言ってくれないと困るのだが、そこまではっきり言われると、ちょっと複雑だ。
「あ、そうなんだ。そっかそっか」
若林の返事を聞いて、グレモリイは納得したのか、笑顔になった。
「あの……そういうわけだから、離れてもらえると……人が見てるし」
ただでさえ目立つグレモリイが騒いでいるので、道行く人や、コンビニの店員ですら、直巳達の方を見ている。
「あ、ごめんごめん。それじゃ、あたしは行くね。つばめに頼まれた買い物の途中だから。お部屋ね。直巳君が掃除手伝ってくれたおかげで、今週中には形になりそうなの! 家具が届いたら、また手伝ってね! それじゃあねー」
そして、グレモリイはどこかへと去って行った。余計なことを言い残して。
残された直巳と若林。若林の視線が輝いている。
「椿! あれ、どういうこと!? どうして、あんな美人と知り合いなの!? それに、部屋の掃除って、部屋に上がるぐらい仲が良いってこと!?」
「姉さんの友達だから! それだけ!」
「それだけで部屋に上げたり、路上で抱き付いたりするわけないでしょ!?」
「そういう人なんだよ! スキンシップ過剰というか! あと、あれ計算だから!」
「じゃあ、無いのね?」
「ない!? え、あ? な、ないよ!」
何が無いんだかよくわからないが、直巳は咄嗟にそう答えた。
「ふーん、そっか……で、伊武さんは、あの人のこと知ってるの?」
「知ってるよ。よく、一緒にご飯食べてるぐらいの仲だし」
直巳も含めて椿家で食事をしているだけなのだが、嘘ではない。
それを聞くと、若林は納得いったような、いっていないような顔をしていた。
「ふーん……椿、やっぱ少し変わってるよね。私生活、謎すぎ」
「変わってるっていうか……まあ、変な知り合いは多いかもね」
直巳の脳裏に、「変な知り合いリスト」がよぎる。「知り合いリスト」と大差ないのだが、グレモリイはまだマシな方だ。今出会ったのが、リストの上位陣ではなくてよかったと考えることにした。ちなみに上位は、ほぼ同列で、アイシャ、A、Bだ。他も十分変なのだが、高宮の3人は見た目のインパクトが強すぎる。
「はぁ……あんな美人が知り合いなら、私の連絡先なんか興味ないか」
「いや、そんなことは……」
直巳がしどろもどろになって答えると、若林は少し気分が良くなったようだった。
「ふふっ、冗談冗談。別に、椿にそういう感情ないしね。ただ、ちょっとからかいたくなっただけ。あれだけ美人と仲良くしてるんだから、少しぐらいいじられてもしょうがないでしょ」
「まあ、いいけど……あんまり、変な噂とか、流さないでくれよ。あの人、本当に姉さんの友達なんだから」
「大丈夫、言わないよ。プライベートだもんね。それは安心して」
若林がそう言うのなら、言い触らしたりはしないだろう。その辺は、きっちり守ってくれる子だと直巳は思っている。
「じゃ、ノートのコピーも終わったし、この辺で」
「――待って」
直巳が切り上げようとすると、若林に止められた。
「え? まだコピーしてないノート、あったっけ?」
「ううん。そうじゃないの。ノートのお礼するって言ったでしょ? コーヒーとケーキぐらい、おごらせてよ」
「いや、いいって。ノート貸しただけだし。そんな気を使わなくても――」
直巳がそこまで言ったところで、若林は溜め息をついた。
「――わかった。はっきり言うね。相談があるの。ちゃんと話をしたいから、もうちょっと付き合って」
若林の口調が、先ほどまでとは違い、真面目なものになる。いつも、軽い調子でみんなと話を合わせているので、直巳がこういう若林を見るのは初めてだった。
直巳は時計をちらっと見る。何の予定もないのはわかっているのだが、会話のテンポというやつだ。
「わかった。じゃあ、どっかお店入ろうか」
直巳が優しく言うと、若林の表情が目に見えて明るくなった。
「うん……ありがと。じゃあ、少し離れたところでいい? 学校の友達とかには、ちょっと聞かれたくないことだから……」
「いいよ。場所は任せる」
「よかった。じゃあ、少し歩くけど、私の知ってるお店にしよう」
そういうと、若林は、直巳の前を歩き出した。
直巳は彼女の背中を見ながら、黙って付いていく。
若林はこんなに小さかっただろうか。こんなに華奢な子だっただろうかと思いながら。
学校での若林は、いつも明るく元気で、どんな時でも、誰とでも笑顔で接していた。
それが今は、魔法が解けてしまったかのようだった。
あれだけ友達の多い若林が、相談相手に自分を選んだのはどういうことなのだろう。
どんな悩みであろうと、力になってやりたいなと、直巳はそう思っていた。
若林に案内されたのは、駅前から少し外れた場所にある喫茶店だった。カフェと呼ぶような店ではない。昔ながらの喫茶店というやつだ。若林がこういう店を選んだのは意外だったが、ここならば同級生達が来る心配は、まずないだろう。
「実は初めて来たんだけど、ここでいいかな?」
若林が、少し申し訳なさそうに言う。直巳は店にこだわりはないので、大丈夫だと言った。
「この店、何度か前を通っててさ。コーヒーも高いし、フラペチーノとかもないだろうし、煙草臭そうだし、どういう人が使うんだろうなーって思ってたんだけど」
若林がメニューの、「ブレンド500円」の表示を見ながら小声で言う。
「真面目な話するにはぴったり。うるさくなくていいかも」
「そうかもね。駅前のお店とかは、騒がしいから」
直巳が合わせると、若林はクスっと笑った。
若林が店員を呼び、ブレンドを注文する。直巳も同じくブレンドを頼んだが、若林がケーキも食べていいよ、というので、チーズケーキを頼んだ。本当は、そんなに食べたくないのだが、それで若林の気が済むのなら、食べた方がいいだろう。
オーダーをしてから数分間。若林は何も言わなかった。そして、ごく普通のコーヒーと、どこかから仕入れたのであろう、特徴の無いチーズケーキがテーブルに置かれた。
2人はしばらく、黙ってコーヒーをすすり、直巳はケーキを食べた。
そして、コーヒーが半分ほどになったところで、若林が気まずそうに口を開いた。
「いやー……ごめんね。こんな時、どういう風に話したらいいか、わからなくてさ」
クラスメイトに。それも、そこまで仲が良いというわけでもない男子に、大切な相談をするというのは、なかなか難しいものだろう。直巳も、彼女の気持ちはわかる。
「俺も、どうしたもんかなと考えてた。まとまってなくてもいいから、とりあえず思いついたことから話すっていうのは?」
「うん……そだね。ありがと。じゃあ、えっと……椿、天使教会でバイトしてたっていうのは、本当なんだよね?」
「ああ。少し前にやめたけど、本当だよ」
「うん、そっかそっか……よかったよかった……なら、ちょっと聞いてもらいたいことがあって……」
若林がわざわざ確認をしたところで直巳は理解した。彼女が相談相手に直巳を選んだのは、自分が天使教会に関わっていたから、ということか。ならば、相談事は天使教会に関係したことなのだろうか。だとすると、少し厄介な相談になるかもしれない。
そして、もしかしたら――力にはなれないかもしれない。若林のために、天使教会と関わるのは、さすがにリスクが高すぎる。
まあ、それも話の内容次第だ。もしかしたら、呆気なく解決するかもしれないのだし。とりあえずは、彼女の話を聞くしかない。
「うん――ゆっくりでいいから、聞かせて」
直巳は優しく、少し関心がなさそうに言う。こういうのは、あまり興味をもたれても、やりにくいだろうから。
直巳が平然とコーヒーをすすっている姿を見ると、若林は、ゆっくりと話し始めた。
「私、しばらく学校休んでたでしょ? 家庭の都合ってことになってたけど。あれ、実はね。お父さんが入院しててさ」
「朝、そんなこと言ってたね。話してたのが聞こえたぐらいだけど」
「うん。みんなには、お父さんが病気で入院したって言ってる。それは嘘じゃないんだけど、入院した理由が、ちょっと特殊でね」
「特殊? その、重い病気とか?」
「病気って言うのかな……その……今から変なこと言うけど、引かないでね」
「ああ、わかった」
何を言い出すのだろう。直巳や、普通の人が知らない病名を言う、ということなのか。
「お父さんが入院した理由なんだけど――椿さ……魔力暴走って知ってる?」
直巳はコーヒーを飲むふりをして、動揺を無理矢理に押さえ込んだ。
これは、想像以上に厄介なことかもしれない。




