第九章
夜。椿家での夕食も終わり、普段なら、それぞれ自由な時間を過ごしているころ。
Aは直巳と伊武を、リビングに呼び出した。リビングには、すでにアイシャがいる。
「なんだか最近、こういう機会が多くて嫌になるわね。さっさと終わらせてしまいましょう」
アイシャがAに目配せすると、Aは全員に文章の印刷された紙を配る。
直巳が書類を手に取って見ると、冒頭に、「依頼書」と書いてあった。
「依頼書?」
「ご存じありませんか? ま、今から説明しますよ」
いかにも知りません、という声をあげる直巳に、Aが教師のような口調で言った。
「魔術師同士で依頼を出し合うコミュニティがあるんですよ。これだけ報酬を出すから、これをやってください、というやり取りをするんです。古くから魔術商達が管理している集まりなんですが、魔術具の売り買い、人探し、物探し……まあ、内容は色々ですよ」
そこまで説明すると、Aは直巳の方を見た。
「大体、ご理解いただけました?」
「ああ、大体ね。そういうのがあるなんて知らなかったけど……あっても不思議じゃないか」
今だって、仕事の依頼と受託を取り仕切るシステムはいくらでもある。ただ、魔術師同士でやると、突然ゲームか何かの話のように思える。
「ちなみに、どうやってやり取りしてるの? 手紙とか、直接会ったりとか、そういうお店があったりとか?」
「昔はそうだったんですけどね。今はネットです。あれは便利ですね」
「ネット……魔術師がネット……手紙とか、伝書鳩とかのイメージだった……」
直巳がそのギャップにちょっと引いていると、アイシャが横から口を出してきた。
「何よー。手紙なら良くてネットは駄目なの? 昔なんか、手紙だってなかったのよ? 郵便が発達すれば手紙も使うし、電話やネットが発達すれば、当然使うわよ」
スマホもノートPCも操る3000歳に言われると、直巳も黙るしか無い。
「ま、そういうことです。見られるようになるまで、非常に面倒でしたけどね。情報を守る手間だけは、昔から変わらないということでしょう」
ネット上で必要な人間にしか見せないようにする、ということなので、セキュリティがとても厳重なのだろう。直巳も詳しいことはわからないが、恐らく、ただのパスワードとか、そういうレベルではないのかもしれない。
「まあ、わかったよ。とにかく、そういう依頼の飛び交う場所があって、この紙には、その依頼が印刷してあると」
Aは、「そうです」と言いいながら微笑んだ。
「直巳様にはご理解いただけたようですが、希衣様は大丈夫ですか?」
伊武はAに向かって、面倒臭そうにうなずいた。
「大丈夫……昔……使ってた……から……」
「え? そうなの?」
伊武の意外な答えに、直巳が思わず聞き返す。伊武は平然と説明を始めた。
「うん……依頼を受けて……お金とか……天使遺骸を稼いだり……逆に……天使降臨の情報を……買ったり……してた……」
伊武は直巳と出会う前にも、一人で天使狩りをしていた。天使との戦い自体はともかく、どうやって天使に出会っていたのか謎だったが、どうやらここを使っていたらしい。
「へえ……なるほどなー……」
感心する直巳だったが、伊武はそれ以上、何も言わなかった。あまり、触れて欲しくないのかもしれない。もしかしたら、あまり言いたくないような仕事もしたのかもしれない。
「A、大丈夫そうだから。本題に」
直巳が話を切り上げると、Aは、「かしこまりました」と言って、Aは本題に入った。
「希衣様襲撃事件の犯人捜しをしている最中、気になる依頼を見つけました。依頼書をご覧ください」
依頼内容:3人組の暗殺者、「クローバー」の捕獲、または抹殺
依頼主:ヒイラギ
報酬:天使遺骸1本
備考:依頼遂行中に魔力暴走の危険性があるため、高い魔力耐性が必要。
詳細は依頼受諾後に説明。
依頼書に目を通した一同は、思わず顔を合わせる。
「これ「クローバー」と戦うと魔力暴走起こしますよ、ってことじゃないの?」
「うん……だとしたら、気になるどころじゃないよね」
アイシャの意見に直巳も賛同する。伊武も口には出さないが、同じことを思っていた。
「まあ、気になるところがあるとすれば、3人組ってところかしらね」
アイシャが依頼内容を指差して言うと、Aは、「さようでございます」と頭を下げた。
「クローバーの持つ能力は非情に怪しいのですが、アイシャ様の仰るとおり、3人組というところが気になります。相手はお1人だったのですよね? 希衣様」
「うん……襲ってきたのは……1人……他に人影も……見てない……」
伊武が、はっきりと答える。見間違いじゃない。1人で間違いないと。
直巳は、伊武が勘違いをしているとは思わない。さすがに、襲われた人数を間違えるようなことはないだろう。
だが、襲ってきたのが1人だから3人組じゃない、ということもないはずだ。
「その、3人全員が戦闘するってことじゃないかもしれない。俺達だって、戦うのが伊武だったとしても、俺が魔力を与えたり、Aが準備したりしてるわけだし。その場合は、俺達だって3人組って言えるんじゃない?」
バックアップも含めて3人組、ということかもしれないと、直巳が意見を言う。
「ま、そうね。その辺の解釈は、この文面からじゃ推測のしようもないわね」
アイシャは直巳の意見に賛同すると、Aに依頼書を見せながら言った。
「これ、もうちょっと詳しく話を聞いてみたいわね。依頼、受けてみましょうか。もし、クローバーが犯人じゃなかったら、適当に濁せばいいんだし。直巳、まれー、どう?」
「それでいいと思う」
「それは……いい……けど……」
素直に了承した直巳とは対照的に、伊武は返事を濁す。
「まれー、はっきりしないわね。何か、気になることでもあるの?」
アイシャに言われると、伊武は依頼書の、依頼主の箇所を指差した。
「これ……依頼主のヒイラギって……反天使同盟……だよ……ね?」
「ええ。そうです」
伊武の指摘を、Aはあっさりと認めた。
反天使同盟。呼んで字のごとく、天使に対抗する組織。天使のすべてを認めて受け入れるのが天使教会なら、天使や天使教会を否定するのが反天使同盟だ。
ただ、天使教会の力は一般社会においても非常に強いため、反天使同盟は表だって活動することができない。大抵は地下に隠れ、秘密組織として、ひっそりと活動をしている。
ただ、小さな秘密組織が、大きな勢力と戦おうとすれば、過激な行動に出やすくなる。それに合わせて思想も極端になりやすい。
さらに天使教会の印象操作が加わっているため、反天使同盟のほとんどは、一般人から嫌われ、恐れられている。
なお、伊武は幼いころ、反天使同盟にいたということだ。詳しくは聞いていないが。
「反天使同盟か……あんまり関わらない方がいいんじゃ……」
直巳も反天使同盟については知っている。知っているからこそ、あまり関わりたいとは思わない。
それに、依頼を受けるということは、協力するということ。味方になるということだ。
「アイシャ……いいの?」
「依頼を受けないと話が進まないし、邪魔になったら依頼放棄して切り捨てるわよ」
直巳と違い、アイシャは恐ろしくシンプルに考えていた。
「いや、そんなあっさり……依頼放棄って、揉めたりとかしないの? 大丈夫?」
雑な解決方法に直巳が突っ込むと、アイシャは先ほど同じく、さばさばと答えた。
「うるさいこと言ってきたら、黙らせればいいじゃない」
さっきから何を当たり前のこと聞いてくるの? と言わんばかりの口調だったので、直巳はそれ以上、何も言わなかった。まあ、見知らぬ反天使同盟に立てる義理もないだろう。
他に意見が出ないのを見ると、Aは手に持っていた紙の束をテーブルに置いた。
「それでは。後はこちらで手配をしておきます――アイシャ様、もう少しだけお時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
「なに? まだ何かあるの?」
「ええ。実は、クローバーほどではないのですが、もう1つ気になる依頼がありまして」
「ふうん……ま、いいわよ。別に急ぎの用事があるわけじゃないし。2人もいい?」
アイシャにたずねられて、直巳と伊武は黙ってうなずく。まだ遅い時間でもないし、アイシャが言うように、急ぎの用事があるわけでもない。
「それはよかった。では、こちらをお読みください」
そういうと、Aは先ほどとは違う依頼書を配り始めた。
直巳も依頼書を受け取り、それに目を通す。
依頼内容:「天使の子供達」の保護
依頼主:魔術商「ARC商会」
報酬:200万円
備考:詳細は依頼受諾後に説明
「……天使の子供達?」
直巳が聞いたことの無い言葉だった。ただ、天使の付く、その言葉からは嫌な予感がする。
「天使の子供達……最近、たまに耳にすることがあるわね」
アイシャも詳しくは知らないようだった。
「俺も知らないな……なんか、天使教会っぽい感じのする名前だね」
嫌な予感の正体は、当然これだ。「天使の子供達」なんて、天使教会の匂いがぷんぷんする。 直巳が言うと、Aは感心したような表情で直巳を見た。
「鋭いですね。そのとおりです。「天使の子供達」というのは、天使教会がつけた名前です」
「天使教会……やっぱりな……」
嫌な予感は的中していた。
「はい。天使教会が、独自の基準によって選んだ子供達のことのようです。天使教会は、そういった子供達を集め、保護しているということです」
「独自の基準って何よ」
アイシャがたずねると、Aは少し困ったような表情で答えた。
「天使に選ばれた名誉ある子供――天使教会はそう言っています。生まれつき、何らかの魔術的才能を持った子供だと言われていますが、明確な基準まではわかりません」
「何らかの才能ねえ……でも、生まれつき……才能……なるほどね……そんな子が増えてても、おかしくはないか」
アイシャは、Aの話を聞くと、何かに納得したようにそうつぶやいた。
「アイシャ、何か気づいたことがあるの?」
直巳がたずねると、アイシャは、「推測だけど」と前置きして話し始めた。
「世界に天使が降臨するようになってから100年……人間は3世代、下手したら4世代ぐらいは経過しているわけよね。自分が生まれるずっと前から、世界に天使や魔力が存在するわけでしょ? それに適応するような子供が生まれるっていうのは、あり得るんじゃない?」
天使のいる世界で生まれた子供達――天使の子供達、というわけなのだろうか。
アイシャが言うように、魔力のある世界で、魔力に適応する子供達がいても、おかしくはないと、直巳も思う。思うのだが。
「でも……天使教会が、ただ魔術師の才能がある子供を集めるかな。天使の子供達、なんていうおおげさな名前を与えて」
天使教会は、あらゆる魔術師や魔力を異端としている。たしかに、魔術的な才能のある子供は、やがて自分達の脅威になるだろう。先に天使教会の紐付きにしておけば、自分達の戦力にもなる。長期的な魔術師根絶計画、というのなら有効だとも思う。
でも、それでもだ。天使教会が、そこまで天使信仰をないがしろにするだろうか。間接的にとはいえ、魔術師達を認めるような行動を取るだろうか。
「そうね。ただ、魔力蓄積量が多いとか、魔術の才能があるとか、そういうことじゃないのでしょうね。やっぱり、何かしらの基準があるのだとは思うけど」
アイシャは、直巳の意見に賛同してくれた。やはり、天使教会が素直に魔術師集めをするとは思えないらしい。
「ま、ここで天使教会が何を考えているかなんて、悩んでてもわからないわね」
アイシャは考えを打ち切り、依頼の件に話を戻して、Aに話しかけた。
「とにかく、この依頼を出されている子供が、相手を魔力暴走にするような能力を持っているかもしれない――そういうことでしょ? A」
アイシャの言葉を肯定するように、Aが頭を下げた。
「はい。それに保護依頼が出ているのですから、野放しの可能性もあるわけです。この辺りに潜んでいて、まれー様を襲った可能性もあるかと」
「能力も仮定、居場所も仮定じゃ可能性は低そうだけど」
「はい。なので、第2候補としました。本命はクローバーです」
「そうね。ま、相手は魔術商でしょ? 連絡取るぐらいはいいんじゃない? 天使教会から才能を横取りしようなんて、ずいぶんと大胆な魔術商だけど」
「……待って」
突然、伊武がアイシャとAの会話に割り込んできた。
「何? どうしたのよ、まれー」
「依頼者……ARC商会……だよね? ……間違いない?」
伊武が書類の依頼者の欄に指を差して、Aに念を押す。
「はい。間違いありません」
Aがはっきり肯定すると、伊武は小さく溜め息をついた。
「なら……横取りじゃ……ない……ARC商会……って……天使教会……だから……」
「――え?」
伊武から出た意外な言葉に、アイシャが珍しく驚いた声を出す。
「まれー、どういうこと? 天使教会が魔術師に依頼を出してるってこと? それ、ばれたらまずいでしょ?」
魔術師、魔術はすべて異端。しかし、困ったことがあれば魔術師に依頼をする。そんなことが許されるわけはないだろう。
「うん……だから……ARC商会っていう……魔術商を……挟んでる……ARC商会は……天使教会の……隠れ蓑……だから……私は……ARC商会の依頼は……受けなかった……」
伊武の話を聞き終ったアイシャが、Aを睨み付ける。
「A、どういうことよ」
「いえ、私も存じ上げませんでした。ただの魔術商だとばかり……大変失礼を」
アイシャの厳しい口調に、Aはただ頭を下げるだけだった。
「まあ……言われてみれば、「天使の子供達」の名前を使って保護依頼をするなんて、天使教会じゃなきゃやらないか。他の組織がやったら、ケンカ売ってる以外の何者でもないしね」
アイシャの言葉に伊武がうなずく。
「うん……これは多分……他の組織への……警告だと……思う……」
「牽制?」
「そう……牽制……報酬も安いし……ただ……そういう子供が……いるから……手を出すなと……警告……している……」
「なるほど。あらかじめ天使教会に言われたら、他の魔術師達も迂闊には手を出せないと」
さすがの天使教会も、いくら異端とはいえ、いきなりすべての魔術師を潰してまわるわけにもいかない。とりあえず、目先の問題を邪魔しなければ、そっとしておくということか。
逆に言えば、警告済みなのに、「天使の子供達」に手を出したら、天使教会は容赦なく襲ってくるだろう。
「相手が天使教会か……可能性も低いみたいだし、無理をする必要もないんじゃ……」
直巳はARC商会への接触に否定的だった。より可能性の高いクローバーが別にいるのだし、相手は天使教会だ。ちょっと情報を聞かせてください、というにはリスクが大きすぎる。
もちろん、そう考えてたのは直巳だけではなかった。
「――そうね。まずは可能性の高いクローバーでいいでしょう。クローバーが駄目なら、ARC商会に当たるわ。A、これは依頼の動きだけ見張っておいて」
「かしこまりました。そのように」
Aがアイシャの指示にうなずく。伊武も、特に反論はないようだった。
「それじゃ、ヒイラギの依頼を受けておいて。以上よ」
アイシャが言うと、Aは全員の依頼書を回収して、部屋を出て行った。
続いて、伊武が部屋を出て行く。
リビングに残ったのは、直巳とアイシャだけだった。
「直巳、ちょっとお茶いれてきて。喉渇いた」
Aがいなくなったので、直巳に頼むしかない。アイシャに、自分で動くという発想はない。
直巳も慣れたもので、返事をする前に席を立っていた。
「わかった。紅茶でいい?」
「この際、直巳が煎れたものでも紅茶だと認めることにするわ。早くして」
直巳は苦笑いしながらキッチンへ向かうと、Aから教わった手順で紅茶を煎れる。アイシャが早くしろと言っているので、カップを温めたりという手順は省いたが。
アイシャは直巳の用意した紅茶を一口飲む。まあ、問題ないとわかると、カップの半分ほどを飲み、大きく息を吐く。
美味しいとは言わないが、とりあえず飲めるレベルらしい。直巳もほっとして、自分の紅茶に口をつけた。そこそこ、飲める味になってきたと思う。アイシャとAの嫌味を耐えながらお茶を煎れ続けたおかげだろうか。
とりあえず、話は進展しそうでよかった。ヒイラギの依頼を見つけてきたAを褒めるべきだろう。今のところ、犯人はクローバーだと言う仮定で話は進んでいる。直巳も異論はない。後はヒイラギの持っている情報次第だ。
だが、直巳は犯人捜しとは関係なく、もう1つの依頼のことが気になっていた。
天使の子供達と、それを探す天使教会。わざわざ、天使教会が魔術師に依頼をして探すというのは、どういうことなのだろうか。その子供達は、どうしてそんな状況に――。
「――ねえ、聞いてるの? 直巳」
アイシャに肩を突つかれて、直巳は我に帰る。アイシャに呼ばれていたようだが、考え事をしていて、気が付かなかったようだった。
「ああ、ごめん。どうしたの?」
「いや、お茶のおかわりを煎れてもらおうと思ったんだけど……何? 考えごと?」
空のカップをぷらぷらさせて、アイシャが聞いてくる。
「うん。今日の依頼のことを、ちょっと」
「ふうん……依頼って、当然クローバーのことを考えてたのよね?」
「えっ……」
内心を見透かされたようで、直巳は驚きを隠せなかった。その様子を見て、アイシャはあきれたように溜め息をつく。
「まさか、天使の子供達のことなんて考えてないでしょうね?」
「いや……少し考えてた。どんな基準で選ばれてるのか、とか。なんで、その子供達が――」
「やめなさい」
冷たく、きっぱりと、言葉を止められた。
「今はクローバーに集中して。余計なことは考えないようにね」
強い、命令のような言葉。どうして、アイシャがそこまで言うのか、直巳にはよくわからなかった。
「その……なんで? 普通に気になる話だなと思ったんだけど――」
「何でもよ。自分と関係の無い話に意識を向けるなと言っているの。わかった?」
アイシャはそう言うと、直巳の返事も待たずに部屋から出ていった。
残されたのは、直巳と飲みかけの紅茶が入ったカップが2つ。
アイシャは、なぜ突然にそんなことを言ったんだろう。直巳は、まだ温かさの残るカップを片付けながら、その理由について考えていた。




