3 「17歳になった日 その2」
今日もかったるい授業を無事に終え下校の時間となり、部活などの用事もない暇な生徒達が続々と校舎から出ていく。
その様子を俺は、静かになった廊下から眺めていた……箒を片手に持ちながら。
現在俺は、遅刻をした罰で一人居残り掃除をやらされている。
今学期が始まって二週間しか経っていないのに三回も遅刻をしたというのと、二日連続で遅刻をした、というのがいけなかったらしい。
よりによって美也が誕生日会の用意をしてくれる日に罰掃除とは。
とっとと終わらせて行かないと、「遅い!」とどやされてしまう。急がねば。
「お、しっかり掃除してるね。感心感心」
そこへ現れたのは、スラッとしたモデル体型と知的な雰囲気から、大勢の男子に人気がある女性教師だった。
「草間先生、どうしたんですか。こんなところへ」
「いやなに、一生懸命汗水垂らして学校を綺麗にしてくれている神童くんの働きぶりをしかとこの目に焼き付けておこうと思ってね」
「なるほど、つまりは俺がサボってないか監視にきた、と」
「ふふっ、まあ身も蓋もない言い方をすればそういうことかな」
草間先生は綺麗な顔を少しも崩さずに笑った。
「安心してくださいよ。見ての通り廊下はピッカピカにしておきましたから」
「うん……確かに。すごく綺麗だね。これだけ隅々まで掃除できるとは、流石遅刻しまくりで罰掃除常連の神童くん。手馴れたものかな?」
「……涼しい顔してなかなか手厳しいですね。掃除……っていうか家事はいつも家でやってるんで慣れてるんですよ」
一人暮らしだしな。
「すまない、軽いジョークのつもりだったんだけど気に障ったかな?」
「いえ、別に気にしてないですよ」
「そうか。それにしても君は家で家事をしているんだね、偉いな。とても普段遅刻を連発する生徒の発言とは思えない」
「遅刻のこと結構引っ張りますね! 一応弁解しとくと、今日の遅刻に限っては致し方ない事情があったんですよ!」
「ほう、今日の遅刻は致し方ないのか。では昨日の遅刻や、その前の遅刻は致し方なくないのかな?」
うっ、余計なことを言ってしまった。
「はい……昨日以前の遅刻は……致し方、なくないです……」
ゲームのやり過ぎで夜更かしして寝坊とか、そんな感じです。
「ふっ、ふふふっ! あー、すまないすまない。別に責めてる訳じゃないんだ。ただ君をからかっているとついつい面白くてね」
「面白い? 俺がですか? あはは、それこそ面白い冗談ですね」
「む、何故だい? 君は十分面白い子だと思うけど」
「いえいえ、俺はつまらない男ですよ。現に俺なんかに進んで声かけてくれるのだって草間先生を入れてもほんの数人ですし」
草間先生だって、俺が遅刻魔で先生が生徒指導部の担当でなければ、きっとこうやってお話しする関係にはならなかっただろう。
「それはまだ皆君のことをよく知らないだけだよ……それに、ほんの数人でも君に話しかけてくる人がいるっていうのは、君がつまらない人間じゃないっていうことの証明にはならないかい?」
「先生……慰めてくれてありがとうございます」
「うーん、慰めとかそういうつもりじゃないのだけど……あっそうだ」
閃いた、といった様子で目を大きく見開いた草間先生。
「神童くん。君、確か帰宅部だよね?」
「はい、そうですけど」
「だったら何か部活動をしてみてはどうかな? 私のお勧めとしては運動系がいいと思う。やっぱり男の子は掃除よりもスポーツで体を動かしている方が似合っていると思うしね……どうだい?」
あくまでも俺のことを思って提案してくれているのは分かる。だがしかし。
……スポーツ、ね。
「そうですね、考えときます」
部活に入る気はさらさら無かったが、俺は失礼にあたらないように満面の作り笑顔を浮かべてそう答えた。
草間先生と思いのほか話し込んでしまったというのもあり、予想以上に学校を出るのが遅れた俺は、帰り道を急いでいた。
先ほどスマホに来ていた美也からの催促メールが、俺の足を加速させる動力源となっている。
しかし川沿いの土手にきたところで、目の前に障害物が現れた。
子どもの集団下校である。子どもといっても中学生くらいだが。
問題は彼らが、あまり広くもない道幅いっぱいに広がって歩いているということだ。
無理やり通り抜けようか、なんて考えていると、ガヤガヤと大きい彼らの声が遠目を歩く俺の耳にまで聞こえてきた。
「ねーねー、ミキちゃんって最近何のドラマ見てるのー?」
「うーん、あんまり詳しくないけど、月9のあの恋愛ドラマなら見てるよ」
「あー、アレ面白いよね! 女優さん可愛いし。あっでも、ミキちゃんも負けないくらい可愛いけど!」
「えー、全然そんなことないよぉ、でもありがとね。えへへ」
「きゃー! そのはにかんだ笑顔も可愛いー!」
「おい、お前らそんなにミキにくっつくなよ! ミキが歩きにくそうだろ」
「はあー? なんでアンタにそんなこと言われなきゃいけないのよ。大体男子達までミキちゃんといたいからって、ついてこないでよね」
「お、俺達は別に……た、たまたま帰り道が同じだけだし! なぁ?」
「そ、そうそう。他意はないよ他意は! けど、もしかしてミキは迷惑だったり……したかな?」
「ううん、全然迷惑なんてことないよ! むしろ大勢で帰れてとっても楽しい! みんなありがとね!」
「か、可愛い……!」
「何じゃありゃ……」
子ども達がただ大きいグループを作って下校しているだけなのかと思ったが。
よく見ると、あのミキという子を中心に他の子がくっついて取り巻いているのだ。
男の子も女の子も皆、小柄な一人の少女に夢中、といった感じでついていってる。
あのミキとかいう子、あの年でもう周りの人間をあんなに惹きつけるとは……なんというカリスマ性。俺とは真逆の人間だな。
見た目は確かに、すごく可愛い。子ども特有のあどけなさを残しつつも、どこかしっかりしていて妙に大人びた色気があるというか……。
って、いかんいかん。俺みたいな男が子どもの集団を凝視していたら怪しまれて通報されてしまうかも知れん。
一人で首を横に振っていると、いつの間にか道がいくつにも分かれる分岐点に来ており、どうやらここで子ども達のグループは解散するようだった。
相変わらずここでもミキちゃんは人気で、周りを囲む子達が本気で別れを惜しんでいる。
すると去り際、一人の女の子がミキちゃんに駆け寄り何か袋のようなものを手渡した。
「これ、昨日うちで焼いてきたクッキー。あんまり美味しくないかもだけど……よかったら」
なんと手作りクッキーのプレゼントである。女子からもモテるミキちゃん。
しかし当のミキちゃんの反応が薄い。
「あ、あの、ミキちゃん?」
「……え? ああ、ごめん。これ私に? ありがとー! あまりに嬉しくて一瞬意識が飛んじゃってたよー!」
「もー! ミキちゃんったら大げさなんだからー!」
「えへへへ。それじゃ、私行くね! みんな、また明日ー!」
他の子達と離れ、先程までとは一転して静かな帰り道を歩くミキちゃん。
そして、その後ろを歩く俺。
……念のため言っておくがストーキングしている訳じゃない。図らずもミキちゃんの下校ルートと美也の家までのルートが一緒なだけだ。
誰にともなく心の中で弁明していると、突然前を歩くミキちゃんが立ち止まった。
そして、一瞬辺りを窺うような素振りを見せた後……ついさっき女の子から貰っていたクッキーを……捨てた。
……え?
あれ? 気のせい、だよな?
捨てた訳じゃなくて、落としちゃったんだよな? それでそのことに気づいてないだけだよな?
目の前で起きた事態に混乱する俺。と、無情にもスタスタと歩いて行ってしまうミキちゃん。
ああ、どんどん離れていく……。
「はぁ……しゃーない」
俺は道端に放置されたクッキーの袋を拾い、ミキちゃんへと駆け寄った。
「おーい、君ー。ちょっと待ってー」
「はい? 私に何か用ですか?」
近くで見るとさらに可愛いなこの子! って、そうじゃなくて。
「君さ、今このクッキー落としたよね? だから、はいコレ」
「……っ! ……え? なんですかソレ? 見覚えないですねー。私のじゃないですよ?」
は? この子は何を言っている?
「だって俺君がコレ落とすのを後ろから見てたんだよ?」
「え? 後ろから私について来てたってことですか?」
「いや違う! 断じて違うよ! 後ろを歩いてたのはたまたまだから!」
「そうなんですか? コレをきっかけに私に話しかけてきたナンパさんとかじゃないんですか?」
「違います。俺に中学生をナンパする勇気はありません」
「でも結構お兄さんくらいの人でデートに誘ってこられる人がいるからなぁ」
そうなの? 今の日本はすごいね。
「とにかく、俺はナンパとかそんなくだらない理由で君に声をかけた訳じゃないから! ていうか、見覚えないって……冗談だろ? 思いきりコレ君のものの筈なんだけど」
そう言って一度手に持ったクッキーの袋を確認し、再びミキちゃんの方に目をやると、
「う……うぅ……」
目に涙を浮かべてとても悲しい顔をしていた。
「えええ!? ちょっと、待った待った! な、何で急に泣きそうになってるの!?」
「だって……本当に私、見覚えないのに……お兄さんは……私のことが、信用できませんか……?」
ぐ、ぐおおお! ウルウルした目でこっちを上目遣いで見るのは……反則的に可愛いだろ!
俺はなんて馬鹿なことを言ってしまったんだ! こんな可愛い子が嘘をつく筈ないじゃないか!
そうだ、この形の悪いクッキーだって最初からあそこに捨ててあったに違いない。
こんな……いかにも手作りですって感じの……不格好な……クッキー……。
あの女の子が作った……クッキー……。
「……お兄さん? どうしました、そんなにクッキーを見つめて」
「やっぱり……このクッキーは君のだよ」
「ま、まだ信用してくれないんですか? ぐす……」
「ごめん。君を泣かせるつもりは全くないけど……でもこれは本当のことだから。俺さ、全部見てたんだ。君が女の子からクッキーを貰うところから……捨てるところまで」
ミキちゃんの顔つきが強ばったように見えたが、俺は続けた。
「君みたいな純粋で良い子そうな子がそんなことしたなんてあんまり思いたくないけど……まぁ、やむにやまれぬ事情があるんだと信じたい。でもとりあえず、コレは持って帰ってやってくれないかな?」
「……お兄さん」
「俺は君のことや、このクッキーを作った子のことを全く知らない。けど、あの子がクッキーを君の為に一生懸命作ったことは分かる」
このクッキーを見れば簡単に伝わってくる。
「だからさ、例え食べないんだとしても持って帰るだけ持って帰って気持ちは受け取ってあげてよ……ね?」
さっきから下を向いて表情が見えなくなってしまったミキちゃんに対し、改めてクッキーの袋を差し出す俺。
すると、数泊おいてからミキちゃんが口を開き……こう答えた。
「はぁ……うざっ」