迷子と変な単語
◇
俺は分娩室の扉の前に立っている。その後方と云うと……霊安室か?
さっき考えた馬鹿げた想像が甦り、死臭まで漂って来そうだ。
死んだ人間を安置しとく訳だから、少なからず死臭はするのかもしれないが。
「何やってるの?」
背後の“モノ”は突然声を掛ける。
心臓が跳ねた。
いや、心臓が口から飛び出るんじゃないかと思う程驚いた。
恐る恐る後ろを振り向くと、デカイ帽子が見えた。
「アキラ?」
アキラだ。
ほっとするやら何やらで、俺はその場にしゃがみ込んだ。
「良太、こんな所でなにやってんの?」
この時程、この緊張感の無い声が有り難いと思った事はない。
「びっくりさせんなよ〜、只でさえ霊安室とか在って薄暗くてビビってたんだからよー。売店探してたら迷っちゃってさ」
「売店は一階。ココは地下だよ。廊下がスロープになってるから間違えたんだね」
スロープ? そう云えば緩めの下り坂になってた。しかし、随分詳しいな。
安心してアキラが出て来たとおぼしき扉の方を見てみると“第○倉庫”と書かれていた。そうか、霊安室はもうひとつ向こうだ。
でも
アキラは倉庫なんかで何してたんだ?
部外者は立ち入り禁止だろう。普通。
「なあアキラ」
「何?」
「お前こそ何してたんだ?」
それは訊いては行けない言葉のような気がした。だが、あえて訊いた。
アキラは黙っている。 帽子の下の口を真一文字に結んで。
ふいに、その口が開いた。
「売店で何買うつもりだったの?」
例の緊張感の無い声が緊張感の無い事を云う。
スルーか、俺の質問スルーか! しかし、何故だかほっとした。
「何って訳じゃないけど暇だったからさあ、小腹も減ったし」
「じゃあ僕は焼きそばパン買うから良太はコロッケパン買いなよ。また半分こして食べよう」
何だ? 勝手に決めやがって。でも
「お、それも良いな」
コイツが何者かなんて本当は関係ないのかもしれない。何だか兄弟みたいに気が合う所もあるし、一緒にいると安心するのも確かだ。
陽当たりの良い面会室でパンを食いながら、もし、コイツと兄弟だったら……なんて事を想像する。
悪戯して叱られて、泥んこになって叱られて、兄弟喧嘩して叱られて。なんだか叱られてばっかりだな。でも男の兄弟なんてそんなもんだろう。
「パンみたいに……も、半分こ出来たらいいのになあ」
ふと、アキラがぼそりと呟いたので我に返った。
「え? 何? 何を半分こ?」
今なんて云った? アキラ。
「何でもない何でもない」
なあ、何て云った?
アキラはパンを食べ終わると口の周りを手で拭い、立ち上がる。
「もう、行かないと」
「ああ、俺ももうそろそろ病室へ戻らないと、看護師に怒られるわ。またな」
「うん、またね」
席を立ち、病室に向かいながらアキラの言葉を反芻していた。
……も、半分こ出来たらいいのになあ……
聞き取れなかった訳じゃない。
その単語があまりにも突拍子の無いものだったから。
……脳味噌も、半分こ出来たらいいのになあ……
アキラは確かにそう云ったんだ。