回診と見舞い
◇
どう云う事だろう?
アキラがもし、俺の弟だとしたら、医者に引き取られて育てられたと云う事なんだろうか? だとしたら俺が考えていた、アキラが医者の息子でボンボン……と云うのも納得出来る。
しかし、実の親の承諾無しにそんな事が出来るものなのだろうか? 親父はどうあれ母は産んで育てる気満々だったらしいのに。
産まれてすぐ死んでしまう。と云うのはあまり気にしなかった。よくテレビで、産まれて直ぐに死ぬと宣告された赤ん坊が、その後何年も生きたと云うのをやっているし。
障害を持っていても家族の愛情で幸せに生きてる子供ってのも、何度も見た。
五体満足で産まれたくせに、中身は欠陥品の俺よりずっと良いのかもしれない。
そんな事を考えていたら、医者の回診の時間になった。
「うーん、検査の結果によると打撲で済んだようだね。何か気になる事とかはあるかい?」
カルテを見ながら、結構年の行った医者が云う。周りの若い医者や看護師がへこへこしてるところを見ると、偉い先生……もしかしたら院長かもしれない。
「あのっ」
「何だい?」
あの時、アキラが入って行ったのはこの病院だ。
自分の怪我と全く関係ない事を訊いていいものなのか、一瞬戸惑ったが、偉い先生なら他の医者の子供の事も判る筈……と、何故か思ってしまったのだ。
「十五才ぐらいの“アキラ”って息子さんがいる先生はいますか?」
年配の医者は「うーん」と腕を組み、考え込んで。側にいた中年の医者に訊く。
「あっ、蛯沢先生のお子さん、そのくらいの年令じゃなかったかね?」
「私の息子は中三になりましたが、名前はダイチです」
「そっか、あれ、ほら、麻酔科の鮭川先生は?」
「あの人んちは確か娘さんですよ」
意外にも、こんな関係の無い質問に真剣に答えてくれている。
「いやー、力になれなくて済まなかったね」
「いえ……最近仲良くなったコが、此処の病院に入って行くのを見たものですから」
「ん? 医者や看護師の家族は滅多に病院には来ないよ、もしかしたらご家族や友達が入院してて、その見舞いや付き添いで来た子かもしれないね」
この言葉に俺は自分が酷い思い違いをしてる事を知った。少し考えれば解る事なのに。自分の馬鹿さ加減に嫌気が差した。
いくら医者の息子でも、総合病院に“住んで”いる訳は無い。小さな個人病院なら、病院も住まいも同じと云う事は珍しくないが、大きな病院なら、医者達は自分の“家”から通うのが普通だ。
じゃあ、アキラは何でこの病院に入って行ったんだろう?
医者が云うように、誰か身近な人が入院してるんだろうか?
回診が終わって暫くすると、鮫島が来た。
鮫島もあちこち怪我しているようで絆創膏を貼っていたが、俺程は酷くない。
「どうよ? 何でオメエだけそんな大ケガなんよ?」
ケーキの箱をぶら下げて死んだ魚の様な目をして愛想笑いしている不良。うん、シュールだ。
「鮫島先輩は怪我とか大丈夫なんすか?」
「俺は喧嘩慣れしてっからよ」
死んだ魚のような目でドヤ顔。鮫を模した前衛的なアートのようだ。
「ところで」勧めてもいないのに勝手にベッドの横の椅子を出して座り、猫背気味に俺の顔を覗く。近い。顔近い。
「オメエ、護摩蛇羅の総長に何したのよ?」
息が臭い。いや、そんな事よりも、何したって、何かされたのはこっちの方なんだが。
「な……何かあったんすか?」
「護摩蛇羅の幹部達、廃人になっちまった」
「えっ? 松尾芭蕉とか?」
鮫島ががっくりと項垂れ、溜め息をつく。
「オメエ、バカだバカだと思ってたが本当にバカだなあ、俳句詠んでどーすんのよ? “俳人”じゃなくて“廃人”もう、護摩蛇羅も終わりだ」
そっちの“ハイジン”か。いや、鮫島からそんな難しい言葉が出て来るとは思わなかったから。
「なんで、廃人に?」
「胡麻崎と幹部どもがオメエを虎正さんと間違えてどっかへ連れて行ったのは見てたんだ。んで、次の日、幹部の一人と同じガッコー行ってる奴が教えてくれたのよ」
あの胡麻崎の取り巻き達やバケツ男は幹部だったのか。幹部ともあろうものが虎正と俺を間違えたのか。全く、どーしょうもねえ。
「廃人って、どうなったんすか?」
一口に“廃人”と云われても、口を開けっぱなしで呆けた顔をしてる図しか思い浮かばない。
「まあ、一人一人違うらしいが大体が口を開けっぱなしで呆けた顔をしてるらしい」
なんだ、そのままか。
「ま、形はどうあろうと、オメエが護摩蛇羅潰してくれたようなもんだから、コレ、虎正さんからお見舞い」
鮫島に手渡されたその袋は結構な厚みがある。
思わずにやけていると「退院したら何かオゴれよ」と云って鮫島は去って行った。
それにしても暇だ。
売店が有った筈だ。虎正の見舞い金もある事だし散歩がてら売店にでも行く事にした。
勿論、売店の場所など解らなかったが、エレベーターや階段の脇に院内案内図があるのでそれに従って行けばいい。
今、午前中だから外来は人が多いのか。
外来の患者の大勢居る所を病衣でふらふらと歩くのも気が引けたが、別に悪い事をしてる訳でも無いので堂々と歩いていけばいい。
……が、困った事に迷ってしまった。
案内図では、売店は外来を挟んで病棟の反対側にある筈だった。ところが売店どころか薄暗い場所に出てしまい途方に暮れた。
“第○資料室”だの“第○倉庫”だの“霊安室”だのとプレートが貼ってあるグレーの重々しい扉ばかりであまり人が出入りしなさそうな場所だ。
病室に戻れば済むのだろうが、最早どう戻ればいいのかさえ解らなくなってしまった。
病院って……結構怪談多いんだよな。
よせばいいのにそんな事を思い出し、余計に心細くなる。
霊安室の扉が重々しい音を軋ませて開き、青黒く変色した死体が出て来るんじゃないか……?
何で俺はバカの癖に変なところで想像力が豊かなんだろう? なんて、自分の思考回路に毒づいていたら見覚えのある場所に出た。
“分娩室”とプレートの貼ってあるそこは薄ピンクの扉で、水色の長椅子が置かれてある。
この長椅子……見たことある。
確か弟が産まれる時に親父と座っていたのは此処だ。
小さい街で総合病院もここだけなのだから、こんな偶然、偶然ですら無い。だけど、足がすくんだ。十五年前此処で何が在ったのか思いを巡らせて足がすくんだ。
病衣の上は何も羽織ってないせいか、寒気もして来た。そんな時、背後の扉が開く音がした。