入院と弟
◇
「良太、もうすぐお兄ちゃんになるんだぞ」
嬉々として幼い頃の俺の手を握る顔も忘れた親父は満面笑顔だが、目の前の扉の向こうからはお袋の叫び声がする。
「大丈夫だよ、母さんは赤ちゃん産むのに頑張ってるんだ。応援しよう、母さん頑張れーって」
「かーた、ばれー」
俺の片言の応援に親父が笑う。顔が解らないのに笑っているのが解る。
そうして暫くすると、赤ん坊の泣き声が。
「産まれた!」
親父は、扉が開くのをそわそわして待っている。
「赤ちゃん、どっちかなあ? 男の子かな? 女の子かな」
「あかたんあかたん」
俺も親父につられて嬉しくなる。
しかし、扉が開き、現れた医者は険しく青ざめた表情をしている。浮かれまくった親父は、そんな医者の顔色など目に入っていない様子で訊く。
「どっちですか? 男の子ですか?」
医者は、青い顔をしたままこう云った。
「……ご主人、奥さんから訊いていなかったんですか? エコー検査でかなり早く判ってたのに、それでも産むと言い張って……お子さんは……」
俺の手を包んでいた親父の手が離れた。そしてそのまま扉の向こうへ飛び込んで行った。
一人残された俺はどうしていいか解らず、医者の顔を見上げていた。
「うわああ!」
気が狂ったかと思う程の親父の叫び声。
苦々しい表情で舌打ちする医者。
赤ん坊の泣き声と父の叫び声が絡まる。
凄い勢いで戻って来た親父。
親父はそのまま何処かへ行った。
そして二度と戻って来なかった。
何でこんな夢を見たんだろう?
目が覚めると病院のベッドの上だった。頭が痛い。
「良太!」
ババアが珍しくスッピンだ。
ババアの話だと、俺は廃倉庫で倒れているのを近所の住人の通報によってやって来た警官に発見されたらしい。
「俺だけ? 他の奴等は?」
「知らないわよ、警察の人がそう云ってたからアンタだけだったんじゃないの?」
怪我は頭だけで骨等には異常は無いらしいが、検査の為数日入院する事になった。俺も抗争には参加していたので、叩けば埃が出る。なので警察には被害届を出さない事にした。出した所で不良同士の抗争など、警察にとっては日常茶飯事なので“自業自得”で済まされるだろうし。
そう云えば、アキラはどうなったんだろう?
アキラはあの時何をしたんだろう?
そして、俺は、何であんな夢を見たんだろう?
「なあババア」
「何よ」
「俺の弟って本当に死産だったのか? 俺、小さい頃でよく覚えてないけど確かに、赤ん坊が泣いてるのを聞いたような気がするんだよ」
そう云った後、母が一瞬、般若のような顔をした。
「知らないのよ」
「えっ?」
自分で産んどいて“知らない”は無いだろう。
「酷い難産で、産んだ直後気を失って……気が付いたら“お子さんは残念な事に死産でした”って云われたのよ」
そういう事か、じゃあ、分娩室に親父が入っていったのも知らないんだ。
「死んだ赤ん坊は見せて貰った? あっ……それは見せて貰えないんだっけか?」
確か、中絶手術を何度かやってる牛山の彼女が“堕ろした子は見せて貰えない”と云っていた。
「それね……アタシも後で知ったんだけど“死産”の場合は親が希望すれば見せてくれるらしい。でも、見せてくれなかった」
「何で?」
何で、この事をこんなに気になるのか自分でも解らなかった。
強いて云えば、見えない糸が何処かへ繋がるような漠然とした感じは在ったが。
「元々、医者に云われてたのよ、障害があるって、産まれても数時間で死ぬって……その障害を見せたくなかったんじゃないの?」
障害? だから親父はあんなに喚いてたのか? 大の男が泣き叫ぶ障害って……
「でもねえ」ババアは続けた。
「どんな姿だろうと、一目会いたかったよ」
ババアの顔が“飲み屋のケバいババア”じゃなくて“母親の顔”になっている。こんな顔、俺に一度だってしてくれた事があるだろうか?
「その障害のせいで親父は居なくなったの?」
「たぶんね、ああ、あの子、生きていたら今、十五才だね。死亡届け出すのに名前は付けたんだよ“明良”って」
……えっ?
これは偶然か?
見えない糸が繋がってしまったんじゃないか? アキラは、あのアキラは……
俺の弟?