人生のリセットと成仏
◇
― 一年後 ―
「よう、良太、久し振りだな」
学校からの帰り道、声を掛けて来たのは卒業した鮫島だ。
作業服を着て、会社名が書かれたワゴン車から降りてきた彼は、もうすっかり“働く男”の顔になっていた。
「鮫島先輩、ご無沙汰してます。見違えましたね」
「何、かしこまってんのよ。お前こそ随分変わったじゃねえか、茶髪もすっかり黒くして、さっぱり短くしちゃってよ〜、それじゃあまるで“優等生”だ」
「大学行こうと思って猛勉強中なんです。ダメ元でもやるだけやってみようと思って」
鮫島はその相変わらずの魚みたいな目を見開いて驚いていた。
「お前……見た目だけじゃなく中味も変わっちまったな、本当に良太か?」
「いやだなあー、鮫島先輩、僕は本物の河内良太ですよ」
「で、大学行って何するんよ?」
「医者になりたいんです」
「なんか、今のお前ならなれそうだわ……世辞じゃなく、マジで。頑張れよ」
「ありがとうございます」
「ただいま」
家に帰ると母が仏壇に手を合わせていた。
あの後、ビン詰めの“河内明良”の遺体を病院から引き取り、火葬し、手厚く墓に葬った。
そのせいか母は憑き物が取れたような晴れ晴れとした顔をする事が多くなった。
「あの、明良を産んだ時の担当のお医者さん、院長になってたなんてびっくりよね。明良の遺体も、前の院長が勝手に標本にしちゃってたんで、いつか私に返してあげたいってずっと思ってた……って、本当はイイ人だったのよね。母さん、あの人と昔喧嘩しちゃってさー」
うん、知ってる。
母はあの時の言葉通り、手渡された硝子ビンの中の明良の顔を見ても悲鳴を上げたり、恐がったりはしなかった。
ただ、“おかえり”と云って泣いただけだった。
全部リセットされたような、悪い事や悲しい事が全部消去され、広い草原を吹き抜ける風のような清々しい気持ちになれたようなそんな気がする。
ただ……
僕は学校帰りに買った、コロッケパンと焼そばパンを包丁で半分に切り、それぞれ半分づつを皿に乗せ、仏壇に供え
「ばかやろう」
そう云った。
遺体が火葬され、きちんと埋葬されたからか、あの大きな帽子の不思議な少年は現れなくなった。
「アキラ……なんで、俺の身体乗っ取らなかったんだよ……勝手に成仏なんてすんじゃねーよ。ばかやろう……」
お陰で俺は、アキラの夢を叶えてやろうと、嫌いな勉強もしなきゃいけなくなったじゃないか。
……まあ、それも悪くないと思っているのは確かだ。あの、大学進学率がゼロに近いクズ高校から出た初の医学部合格者、初の医者になるのはアキラの、と云うよりは俺の夢になってしまった。
本当にアキラは世話の焼ける弟だ。
「バーカ、バーカ、アキラのバーカ」
小学生の兄弟の喧嘩のような、ボキャブラリー貧困な悪口を吐きながら何故、涙が出るのだろう?
戸を開けた縁側から風が吹き込み、俺の頬の涙を撫でた。
それはまるでアキラが「お兄ちゃん、泣くなよ」と云ってくれている様な気がした。
〈了〉
◆
【無脳症】
Anencephaly
胎児が何らかの理由で脳の欠損、又は縮小した状態になる。
誕生後約一年間生存した記録もあるが、大抵の場合は数時間、長くて一週間で死亡する。
日本では10000人に対し10人の割合で発症する。
その詳しい原因については解明されておらず、予防・治療法も未だ見つかっていない。




