赤い瞳の真実②
フェラーリンは居間の入口に肩をもたせかけ、緩く腕を組んでこちらを見ていた。
「遅かったな」
少しも動揺を見せないクライヴが無表情のままそう言った。
「それはこちらのセリフだよクライヴ君。きみならもう少し早くここにたどり着くと思っていたけど?」
「そういうお前は、もう顔を隠すのはやめたのか?」
彼の言う通り、今日のフェラーリンはいつかのように黒ずくめでもなければ、その派手な銀髪を隠してもいなかった。さらさらと肩まで届く長めの髪は、窓から差し込む西日を受けてキラキラと輝いている。
メルファの鼓動はひっきりなしに大きな音を立てていたが、それだけは素直に綺麗だと思った。
「だって、きみがここに来たってことはもう僕の正体も分かっているんだろ?それなら隠す意味もないよ」
「フェラーリン=カイダ。だがそれ以外におまえの"正体"と言えるほどのことを知ってるわけじゃない」
クライヴの瞳が鋭く光った。
「そう。でも僕の方は君のことをもう知ってるよ。…ああでも、一つだけ分からないことがあるな」
-ーまずい、来る。
フェラーリンが言い終わるか終わらないか、その瞬間咄嗟にメルファは視線を斜め下に落とした。
「ああそう…やっぱり、君はまだ僕の目が怖いんだね」
「ち、ちが…っ」
ああ、何をしてるんだ私は。この男に向き合わなければならないことは、ここに来る前に分かってたことだ。覚悟もしてきたはずだ。はやく、はやく顔を上げろ…!
じわりと握りこんだ手のひらに嫌な汗がにじむ。
大体、何をそんなに怖がる必要がある?ただ少し珍しいだけにすぎない赤い瞳と目を合わせるのが何だって言うんだろう?ほら、顔を上げて、向き合え。はやく、はやくーー
考えれば考えるほど、頭の中心で何かが悲鳴を上げてメルファを縛り付けた。息がつまりそうだった。体が小刻みに震え始める。
ーーああ、駄目だ……はやく、顔を上げなきゃならないのに…
「落ち着け…」
「…、っ」
そのとき、背後から耳元で囁くように低い声がした。
「ゆっくり呼吸しろ。大丈夫だ、何もない…そのまま、…」
後ろから伸びてきたクライヴの手が目元を覆う。
「顔を上げて…ゆっくりでいい。…無理ならそのままこっちを向け。おまえは何も見なくていい…俺が見せない」
それはとても、甘美な誘惑だった。
何も見ないで、すべてを彼に預ける。
くるりと一息に回れ右をするだけで、そこには安心が待っている。
「……っ」
だけど、それじゃ、ダメなんだ…!
だって私は、覚悟を決めてきたはずなんだから…。
メルファはゆっくりと、恐る恐るだったが目元にかかる彼の手の甲に自分のそれを重ねた。
大丈夫、大丈夫。……怖くない、怖くない怖くない………
自分に暗示をかけるように、それだけを繰り返し口の中で唱える。それからメルファは、その少し冷たい彼の体温を確かめるように、重ねた自分の手のひらに力を込めた。
そうしていると、すぐ後ろの気配は無条件に自分を安心感で包み込んでくれているのだという錯覚すら覚えた。
心臓はいまだドクドクと脈打っていたが、いつのまにか体の震えが止まっている。
ゆっくりと、目元を覆う彼の手をどけていく。同時に、まつ毛をわずかに震わせながらメルファはゆっくりと瞼を持ち上げていった。
「ーー…」
おそるおそる、慎重に視界を広げる。
その先で、フェラーリンの深紅の瞳とメルファの新緑色の瞳が静かに交わった。
瞬きを数回、繰り返す。重ねたクライヴの手はまだ離せなかった。背後で触れるほど近くに感じるその気配がかろうじて彼女の思考を保たせてくれる。
「はは、ようやくちゃんと目が合った。…でも、やっぱりますます分からないな。君っていったい何なの?」
「そ、そんなのは…っ」
こっちが教えてほしいくらいだ。メルファにだってわからない。代わりに答えたのはクライヴだった。
「おまえには関係のないことだ。黙っていろ」
「あはは、つれないなあ~。せっかく、僕が一役買ってあげようと思ってたのに」
フェラーリンはそう言ってにっこりと感情の読めない笑顔を浮かべた。クライヴは眉を顰めた。
「以前も言っていたな。場合によっては俺に協力をすると。…おまえの目的は何だ?」
「……そうだね。教えてもいいけど…それをするには、きみにはもっと僕のことを信頼してもらわなきゃならないな」
「一応、俺は以前のおまえの言葉を信用してここまで来たつもりだが?」
それを聞くとフェラーリンの笑顔が不敵なものに変わった。
「僕が言っているのはそんな曖昧なものじゃないよ。現にきみは、今も僕に対して警戒心の塊みたいな目をしてる」
「……」
「ところできみ、僕のことについてどこまで知ってるの?」
「…おまえが俺と同じ時期に士官学校にいたこと、そして後ろについているのがディレッタ子爵だということくらいだ」
「そう…でもまあ、そうだろうね」
クライヴは不満げに舌打ちをしたが、フェラーリンは納得したようにくすりと笑みを見せた。それから彼は入口にもたせかけていた身をおもむろに起こしてからこう言った。
「それじゃあクライヴ君。この家のどこかにある聖剣の隠し場所に、これから僕が案内してあげようじゃないか?」
「…それは非常に魅力的で…可笑しいくらい都合のいい申し出だな、フェラーリン=カイダ。……何を企んでる?」
「…ホントきみって奴は…そんなナリして草食動物並みの警戒心だねまったく」
フェラーリンがうんざりしたように肩をすくめた。
「言っただろう?僕はきみに手を貸すつもりがあるんだってこと。もしきみがここまで辿り着くことができて、きみが僕の思っていた通りの人間だったらそうするって最初から決めてたんだ」
「俺はお前の事を知らない。だからおまえがそうする根拠も理由も知らない」
「だから、僕のことを知りたければまずはもっと信用してくれなきゃって言ってるだろう?」
クライヴはそれでも警戒を緩める様子はなかった。しかしフェラーリンの態度は少しも変わらない。
「ま、きみがこんな言葉くらいで信用してくれるような人じゃないことはわかってるよ。でも、ここはいったん騙されたと思って僕についてきてみるのも手なんじゃない?」
「……」
フェラーリンとクライヴはそのまま数秒、何も言わずに視線を交わらせていた。
「……あ、あの…」
そのとき、一番声を上げることのなさそうな彼女が口を開いたことは、その場の2人の意識を引き寄せるのには十分だったようだ。
すぐ背後にいたクライヴも珍しく驚いているのが気配でわかった。
「…どうした」
「…え、っと…私は、この人の言うこと、信じてみてもいいんじゃないかな…ってその…思うんだ、けど…」
どうかな…という声は尻すぼみに小さくなってしまったが、ちゃんとクライヴには届いただろうか。だが彼からの返事を聞く前に先に反応したのはフェラーリンだった。
「へえ…驚いた。まさかきみが僕の肩を持ってくれるなんてねえ…この眼が、怖いんじゃなかったっけ?」
「た、たしかに…苦手ではあるけど、でもそれは"赤い眼"が、であって、あなたのことでは、ない…デス」
ドクン、ドクン、と心臓が脈打つ。
だが、ちゃんと話せている。
ぎゅっと力がこもったその手はいまだにクライヴの手に縋ったままだったが、彼はそれを払いのけようとはしなかった。
「でも僕、君に好かれるようなことをした覚えは無いけどなあ?」
「それは…そうだけど…」
たしかに彼は初めて会ったその時、メルファが自分の珍しい瞳の色に恐怖するのを利用して人質にとるようなことをした。その直後はショックと混乱とで彼のことをただ"悪"としてしか考えられなかった。フェラーリンの助言を信用してみると言ったクライヴに驚きもした。
…でも今は。冷静にあの時のことを思い起こせるようになってみれば、それだけではないことも確かにあったのだ。
「あのとき…たしかにあなたは私を人質にとったけど、その後…最後は赤い眼から逃げられなくなってた私の目を隠してくれた。…それに、今だって…最初に視線を交わしてから一度だって私と目を合わせようとしてない…」
そう。フェラーリンは小さな声でメルファが話しているたった今でさえ、顔こそこちらを向いているもののわずかに視線を外していた。メルファにはそれが偶然とは思えなかった。
それがただの直感であろうとも、きっと彼はー…
「ふぅん、なるほど?僕がきみを怖がらせないよう気遣ってたって言いたいんだ?」
「……」
「まあ、いいよ。それが本当かどうかは置いといて頷いておけば僕の株は上がるわけだ?」
言いながらフェラーリンは喉の奥でくつくつと笑い声をあげる。
「いいね、きみ。誰なのかは知らないけど実に面白い」
「……」
「……それで?クライヴくんは?可愛いきみの相棒が震える声でこんなことを言っているんだ、ちょっとは考えが変わったかな?」
「………少しでも不審な動きをしたら速攻叩っ斬る」
ひゅう、とフェラーリンが楽しそうに口笛を鳴らした。
クライヴの眉が忌々しそうに顰められていることは振り向かずとも分かった。
「それじゃあ、決まりだ。僕の後についてきて」




