青の耳飾り
2日間。
メルファがあの場所から助け出さ出されてから経過した時間だ。その間、彼女はずっと眠り続けていた。直前に飲まされた薬は発熱と一時的な体の弛緩を引き起こすもので、最初の1日は差し出されればかろうじて水を飲むことはできたが、ずっと高熱で意識も朦朧としていた。
そして、教団はと言えば、あの日教祖とともにいくつかあった教団拠点はすべて同時摘発された。幹部もほぼ全員が捕らえられ、今は騎士団でその身柄を拘束している。メルファが驚いたのは、そこにあの宿屋の主人が含まれていたことだ。
どうやら、町の娘たちが捕らえられていた小部屋は宿屋の地下に存在していたらしく、さらにそれは少し離れた教団の本拠地とも地下道で繋がっていたのだ。メルファが扉の閉まった室内だったのにもかかわらず突然襲われたのは、その地下に繋がる隠し扉が彼女の部屋の家具の陰に隠されていたからだった。
宿屋は攫われた娘の監禁場所、その主人は時折宿泊客を教団に斡旋することすら行っていた。よそ者だったメルファは最初から攫うのに丁度いいと目を付けられていたということだ。だから地下への隠し扉のあった部屋はあえて彼女に割り当てられていた。
さらに、昼を食べに行くという2人に、表の大通りまで出た方がいいと進めたのも裏町の現状を知られて警戒されたくなかったからだったのだ。
当初、拠点こそタスクの働きで判明はしていたものの、メルファと町の娘たちの監禁場所を特定するのは容易ではなかった。宿屋の主人は麻薬に溺れていたわけではなかったし、昔からの住人であったことからその捜査網から外れていたのだ。しかし蓋を開けてみればなんのことはない、教団に協力することで彼らが麻薬や不当に搾取した布施で手に入れた金を流してもらっていた。
結局、宿屋は間接的に教団に協力をしていたが、関わったのは娘たちの誘拐、監禁だけで、それ以外は外部で主だって教団と接触はしておらず、タスクの目にとまることも無く包囲網を逃れていたらしい。
しかし、それもクライヴが宿屋を調査中、建物の間取りに違和感を覚えて地下への入り口を発見したことで終わりを迎える。すぐに地下道の存在を秘密裏にタスクに伝え、幹部になりすました彼に逐一こちらの様子は探らせていたらしい。そして、2日前すべての準備は整った。丁度その時メルファが教祖の目に留まったことこそ想定外ではあったが、ぎりぎりで事は片付いた。
これらのことを食事の後にかいつまんでクライヴに聞かされたメルファは途方もないことに終始声を上げるのも忘れてぽかんとするばかりだった。
「行くのが遅くなって悪かったな」
こんならしくない彼の言葉も普通に聞き流してしまう。
「…ああうん…ありがとう…」
「……ちなみに」
頭の回り切っていないメルファを気のない顔で観察しながらクライヴがまた口を開く。
「あの部屋で焚かれた麻薬、あれはこっちで用意した偽物だ」
「……え!?」
その言葉を聞いて、やっとメルファは弾かれたように顔を上げた。
「あらかじめタスクに麻薬と同じ香りを付けた葉を渡してた」
「じゃ、じゃあ…」
「あれを吸ったところでなんの副作用も、もちろん依存性もない」
眉尻を下げたメルファはゆっくりと安堵のため息をついた。
「良かった…」
実は、それに関しては結構メルファの気にするところであったりした。「麻薬」という、底知れない闇を携えた未知の魔物。あの時、あの場所で、あれを吸ったのだと思った瞬間、朦朧としながらもメルファは確かに恐怖した。あんなものを自分から求めて止められなくなって、いつかは廃人のようになってしまうのではないかと。
そんな心配も不要のものとなって、メルファは無意識に顔を綻ばせてふと自分の手元に視線を落とした。
「…はやく、これも返しに行かなきゃなあ」
手を目線の高さまで掲げて、手首にかかったままのブレスレットを眺める。マリアにはもう一度しっかりと会って、そしてお礼を言いたい。それに、回復していると聞いてはいても、やっぱり自分の目で彼女の無事を確かめたかった。
「…っつ、」
掲げていた手からシャンとブレスレットが手首を滑り落ちて、メルファは眉を顰める。何日も手枷を嵌められていたせいでできた無数の擦り傷にブレスレットが擦れてぴりりと鋭く痛んだのだ。
「外しとけよ」
見かねたクライヴが口を出したが、メルファはふるふると首を振る。
「いや、外してまた失くしたら嫌だから」
「痛いんだろ」
「痛くないし」
「……」
頑ななメルファの様子に呆れたのか、クライヴは諦めたようなため息をついて立ち上がった。何をするかと思えば、後ろのテーブルに置いてあった箱を持って再び悠々と座りなおす。するとその手がゆっくりとメルファの手首をとって引き寄せた。
傷の具合を確かめるようにクライヴがすうっと薄く傷口をなぞっていく。
「ちょ…っ、」
なんだか気恥ずかしくなって声を上げれば、クライヴの澄んだ瞳がすいっと上がってこちらを見上げた。無条件に熱くなる頬をごまかすように視線をさまよわせれば、すぐそばで小さく笑うような気配がしてふわりと手首に包帯が巻かれる。
「……、」
…なんだろう、なんだか今日、おかしくないか?
何と言えばいいのか、妙に世話を焼いてくれるし。まあそれはメルファが病み上がりだからかもしれないが、それを差し引いても、だ。そしてそれだけならまだいい。問題なのはその親切の中にーーこれこそが問題なのだがーーどこか挑戦的な、ともすれば誘惑的ともとれる色が覗いていることだ。
クライヴの剣士とは思えない繊細で綺麗な、しかし骨ばった男の手指が器用に包帯を巻きつけて行くのを見ながら、メルファはそわそわと落ち着かない気分で彼を見下ろしていた。
「…ク、ライヴのさ、それ…その耳飾りもさ、このブレスレットの石と同じ色だなっ」
どうにも無言で手当てされる時間が落ち着かなくて、メルファは咄嗟に口走った。クライヴの片耳だけに揺れるその耳飾りは彼の漆黒の髪によく映える綺麗な青色をしていて、ブレスレットにはめ込まれた石とよく似ていた。
「……」
「クライヴ…?」
勢いで口走ってしまったことだったが聞かない方がよかったことだったのだろうか。クライヴは何を言うでもなく無表情のままぴたりと動きを止めたままだ。
しかし、咄嗟のこととはいえメルファがそのことについて少しだけ興味があったのは事実だった。
綺麗な透き通るブルーに、小さな細長い雫を形どった石。銀色の金具で彼の片耳にしがみつくそれは、出会った時からずっとそこにあるものだ。あまり好んで装飾品を身に着けるタイプではないくせに、これだけはひと時も外さないということは何か特別な理由でもあるのではないかと、密かに気にしていたのである。それになにより、クライヴは時たま思い出したようにその耳飾りを手で弄びながら何事か考え込んでいることがある。
とはいえ、メルファはそれを口にしてしまったことを早くも後悔していた。クライヴは何も言わないまま眉ひとつ動かさない。
「えっと…ごめん、やっぱなんでも…、」
そう言いかけた時だった。それまでずっと無反応だったクライヴがすっと顔を上げたかと思えば、その手が耳元へと運ばれてブルーの耳飾りが呆気なく外されてしまったのだ。
「えっ、ちょっとちょっとちょっと…!」
外した本人よりも見ていたこちらの方が慌ててしまってメルファはあわあわとクライヴの方へ手を伸ばしかけたが、その手は呆気なく捕まってぐいっと引っ張られる。
「な…っ」
突然のことに目を白黒させたメルファだったが、同時に耳元を掠めた冷たさにびくりと肩を震わせた。
訳が分からず困惑顔でクライヴを見返せば、その視線に促されるようにそっと自分の耳元に指先を持っていく。
「…え?」
「それはお前が持ってな」
その言葉通り、恐る恐る触れた自分の耳には今までなかったはずのものが確かにぶら下がっている。指でなぞれば、つやつやとした滑らかな感触と共にそれが確かな雫型であることが分かった。
「いや、なんで!!?これってクライヴの大事なものなんじゃないのか?!」
「大事は大事でも、俺自身が大事にしてるわけじゃねーな」
「だとしてもそれを私にくれるワケが分からん!!」
メルファは慌てて耳飾りを外そうとしたが、またしてもクライヴに腕をとられて動きは止められてしまう。
「いいんだよ」
「だからなんで!?」
「俺が持つより、お前が持ってるのがふさわしいだろ」
「いやいやいや」
何を言い始めるこの男。そもそもふさわしいってどういう意味だ。仮にそれが似合う似合わないの話だったとして、確実に私よりクライヴの方が似合っているはずだし、どう噛み砕いても理解不能だ。
眉を寄せてクライヴを見返せば、彼にしては珍しく、どこか困ったような微笑をしてみせた。
「お前の事…少なくとも、俺は誰だか知ってるから」
ドキッと心臓が一つ、大きく跳ねた。
「でも聖剣を取り戻すまで、おまえには何も言えない」
「…うん」
「これをおまえに持たせるのは、それでも俺はお前をちゃんと知ってるから、だ」
「…うん」
ちゃんと知ってる。クライヴは、私の事を。
フォンス村で過ごしてきた今までの人生に不満などひとつもない。だけどやっぱり自分が誰なのか、本当に知っている人が自分を含めて誰一人いないというのはそれなりに不安なものがあったのかもしれない。
不覚にも、そのことがメルファの目頭をじんとさせた。
「泣くなよ」
「泣いてないっ!」
ふっと小さく笑うクライヴをよそに、メルファはぎゅっと唇を噛み気合で目頭の熱を追いやった。
『泣くなよ』とは、最近どこかで聞いたことのあるセリフだ。
「っていうか、あのさ…っ」
「あ?」
「わ、たしがさ…あの…あそこで、ななな泣い、泣いたのって…見た、よな?」
一応聞いてはみたものの、顔から火を噴きそうな気分だった。あのとき、今と同じように泣くなと言ってメルファの頬を拭ってくれたのは、他でもないクライヴなのだから。
「見たけど」
ほらやっぱり。
「あああああ!!誰かの前で泣いたのなんて10年前に転んで骨折ってばーちゃんに泣きついたとき以来だよ!!ああ恥ずかしい死にたいっ!」
両手で顔を覆ったメルファはそれでも飽き足らず上半身を折り曲げて布団に突っ伏した。
「あの…マジでほんとあれ、忘れてくれ…お願いだから」
「無理だろ」
「…!!」
淡々とした容赦ない言葉に、メルファはどんよりと周囲の空気を重くする。
「まあそんなことはいいから…、」
よくない!と叫びたかったが顔を上げるのも恥ずかしくてメルファは背中を丸めたままうめくしかない。
「おまえ…」
低い声と共にクライヴの指がさらりとメルファの髪を掬って耳にかけた。
「それ、絶対失くすなよ」
思いのほか真剣な声色にちらりとクライヴを盗み見れば、紫紺の瞳と視線がぴったりかち合った。
「わかった…」
吸い出されるように言葉を漏らすと、メルファはのそりと身を起して今度はしっかりと確かめるように自分の耳元を指で探る。
結局、クライヴがなぜこれを自分にくれたのかはよく分からなかったが、彼が言うのだ。持っていてもいいのだろう。
「なんか、私って青い石に縁でもあんのかなあ」
探し求めて止まないフォンス村の宝マリンロークに始まり、マリアのブレスレットに散りばめられるそれ。そして今度はクライヴの耳飾りときた。
「さあな」
「クライヴの耳飾りはなんだかすっごい高そうだ。つるつるしてて一流職人に加工されたって感じ」
「おまえの探してるものも高価なものだろ」
「まあね。でもあれは原石だから、こんなふうに綺麗に加工されてるわけじゃないんだ」
もうフォンス村を出てずいぶん経ってしまったなと、話しながら思う。そろそろ取り戻さなきゃみんなマリンロークがどんな形をしてどんな輝きを放つか、忘れてしまうではないか。
「あれはね、この耳飾りやブレスレットと同じように確かに青色だけど、もう少し深みのある色をしてるんだ」
「それで?」
「碧洋の雫…みんなはそれを村の象徴として大事にしてる。だからはやく…はやく取り戻さなきゃいけないんだ」
誰とも知れぬ私を温かく受け入れてくれた、その恩返しのためにも。
「そうか」
「うん…」
クライヴは何も言わずにただこちらの話に静かに耳を傾けているだけだった。
「もう寝ろ」
その言葉に誘われるように、メルファは大人しく寝台に身を沈めた。




