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サルガの味




 翌朝、例によってクライヴの外套にくるまり、ソファで寝ていたメルファはおそらく外からであろうかすかな喧噪に目を覚ました。

 様子を見ようと窓辺によれば、だんだん頭がすっきりしてきて、同時に今すぐ外に飛び出していきたいくらいの高揚感がみなぎってきた。収穫祭が始まろうとしているのだ。外では大勢の人たちが動き回って出店の準備や飾りつけをしている。


「すっごい…!」


 おそらく街の中心部へ行けば活気はここの比ではないのだろう。はやく外に出て思いっきり遊びまわりたい。まだ収穫祭が始まる時間でないのは分かっているし、今出て行ってもほとんどが準備中のはずだが、メルファははやる気持ちを抑えられなかった。ちらりと木製のベッドの方を確認すると案の定クライヴはまだ寝ている。彼は必要な時以外で無意味に早起きはしない主義らしい。

 ともあれ、それを確かめたメルファは浴室に行く間も惜しかったので、その場で手早く着替えと身支度を済ませた。




 外に出ると、すっきりと晴れ渡った空から暖かい朝日が全身に降り注いだ。眩しさに思わず目を眇めたメルファは、顔の上に手をかざしてにっこりと口元に弧を描く。


「最高の祭り日和っ…!」


 足早に通りへ繰り出せば、あちこちで人が動き回って準備をしている。あっちはソーセージにハム、向こうには菓子パンの店が出るようだ。

 きょろきょろと辺りを見回しながら、収穫祭が始まったら何を食べようか今のうちに吟味しておく。そんなこと以外には、始まる前から街を練り歩いていも何かあるわけではないのだが、メルファはこの、祭りならではの活気に満ちた空気が好きだった。


「おじさん、それは?」

「これか?タールムって言ってな、このギーメルの伝統料理さ!柔らかく煮込んだ鶏肉にこのへんでしか作れないスパイスで味付けしてるんだ」

「へえ!おいしそう…」

「良かったら後で食いに来な嬢ちゃん!」


 こんな調子で通りを歩いていると、いつのまにか中心地の方へ近づいてきていたのか、だんだん人の量も店の数も先ほどより増えてきたようだ。そろそろ始まりの時間も近いのか、収穫祭を楽しみに来た人たちの賑やかな話し声も聞こえてくる。そうなってくると、とたんにこんな楽しそうな祭りの日に一人で遊ぶのもどうかと思い始めた。


「……」


 逡巡して、メルファは回れ右をして今来た道を引き返し始めた。

 せっかく砂漠を超えてまでギーメルにやってきたのだ。いくら相手が不愛想で見るからに祭りを楽しむようなタイプではなさそうな可愛げの欠片もない男でも、1人よりは2人の方がマシなはずだ。

 どうせほっといても部屋に引きこもっているだけなんだから、無理やりにでも引っ張り出してやる。そう意気込んでいくらか歩き出した時だった。


「…う、うっ…」


 視界の隅に偶然小さな生物が入りこんだ。ああ、しまった、見てしまった。と思った時にはもう遅い。メルファは頬を引きつらせた。

 この喧噪の中では掻き消されそうなほど小さくすすり泣きながらとぼとぼ歩いているのは、見たところ4、5歳程度の少年だ。明らかに迷子だ。そして明らかに面倒くさい。通りにいる大勢の人たちはほとんど祭りの準備に駆けずり回っていて、大声で泣きわめくでもない少年に気付くことはない。

 一瞬、見てみぬふりをしようと歩を速めるが、後ろからまるで追いかけるように少年のすすり泣きが聞こえてくる。とうとうメルファは歩くのをやめて振り返った。


「しょ、少年よ…」

「う、う…」

「…迷子?」

「…うぅ」


 呻いているだけで何もわからない。泣きたいのはこっちだと言いたくなったが、ぐっとこらえてメルファは少し考えた。


「うーん、そうだな…」

「うぅ…ぐすっ」


 すすり泣きは止まらない。いい加減気が滅入ってきたメルファは奥の手を使うことにした。


「そうだ、少年。おうちに帰りたいならあそこの道をまっすぐ行ってごらん。すぐ自警団の本部があるから、そこで助けてもらえ!」


 すぐそばの曲がり角の道を指さして、少年の背中をポンと軽く押してやった。相変わらずすすり泣くばかりで何一つしゃべらなかったが、再びとぼとぼ歩きだしたのを見てメルファはすぐさま自分の行くべき方向へ向き直る。

 自警団まで届けてあげた方が良かったのかもしれないが、一本道だしきっと大丈夫だろう。

 



 宿に戻ると、驚いたことにクライヴはまだ起きていなかった。これは分が悪い。寝ているのを無理に起せば、低血圧気味のクライヴを外へ連れ出すのはより難しくなること必須である。

 ただ収穫祭を楽しむためにここで諦めるわけにはいかない。メルファはゆっくりと足音を立てないようにベッド際に近づいた。朝が弱いくせに眠りは浅いタイプなのかクライヴはわずかな物音でもすぐに目を覚ます。少しでもやんわりと機嫌よく起きてもらうためには、慎重にいかねばならないのである。


 こっそり上から覗き込んでみると布団からは柔らかそうな黒髪だけが覗いている。ふとカイルのことを思い出した。同じ黒髪なのに、クライヴの黒はそれと同じに思えない。気付いた時には吸い寄せられるように彼の黒髪へ手を伸ばしていた。窓から差し込む光を受けてもなおその色は普通のそれよりもずっと深い闇色だ。

 するりと指を通せば、なんの障害もなく通り抜けていく。絡まりなど一切知らないかのようだ。メルファはため息とともに眉尻を下げた。


「…まったく。東方の国じゃ天は人に二物を与えず、なんて言葉があるらしいのに…」


 そう呟いて引っこめようとした手は一瞬で伸ばされた手に掴まれた。


「うわッ……」


 驚いて目を向ければ鋭すぎる紫紺の瞳がギロリとこちらに向けられている。狼狽えたメルファは片足を一歩後ろに引いて後ずさった。考えてみればそりゃそうだ。勝手に髪に触ったりなんかしておいて感覚の鋭いクライヴが起きないわけないのだ。

 

「お、おはよう…」


 とりあえず苦し紛れに挨拶をしてみるも残念ながら形のいい眉は不審そうにひそめられて、彼のご機嫌が和らいだ様子はない。うまく起こして連れ出すつもりが、これは完全に出だしでつまずいた。


「……なんだ」


 元々低い声がさらに下がって中々の迫力だ。無意識にまた一歩後ずさろうとしたが、掴まれた手首に力が込められてそれは叶わなかった。どうやら逃げることはできないらしい。


「えーと、まあ、ちょっと頼みがあってさ…突然起こしてごめん」

「……」


 凄味のきいた視線を向けたまま黙っていたクライヴだが、少しするとおもむろに上半身を起こしてメルファの手首も放した。そのままのそりとベッドから出ていく。寝起きで乱れた髪をかき上げながらソファの方へ移動していく後姿はいつもながら何とも言えない色気を醸し出している。お願いだから誰かこの男に欠点というものを与えてくれ。 


「それで?俺の髪がなんだって?」

「…へ?!」

「黒髪がどうとかなんとか触りながらぶつぶつ呟いてただろ」


 まさか声に出ていたのか。しまったと思ったが聞かれてしまったからには仕方ない。


「いや、昨日依頼先で会ったのがクライヴと同じ黒髪だったんだけど、やっぱ近くで見てみるとクライヴの黒って他とはちょっと違うよあと思って」

「…そうかよ」


 聞いておいて全く気のない返事だ。まあ、ただでさえ普段から反応が薄いのに、寝起きの彼にこれ以上の答えを求めても無駄なことだろう。


「で、そんなことより頼みがあるんだけど!」


 メルファはソファにもたれかかったクライヴの前に回り込んで詰め寄った。


「今日ってギーメルの収穫祭なんだってさ。クライヴ、一緒に行こう!」

「断る」


 即答だった。寸分の迷いもない本当に綺麗な即答だった。が、こんなことは予想の範囲内である。


「まあまあ、そう言わず!祭りだよ?」

「断る。祭りなんてうるさいだけだ、行きたきゃいけばいいだろ。」

「せっかく賑やかなのに一人で行ったって寂しいでしょ、一緒に行こうってば!」


 返事をする代わりにクライヴはメルファの背後にあるテーブルにおかれた、彼が大量に買い置きしていた紙袋に入ったのとは別に一つだけ置かれたサルガに手を伸ばす。昨日カイルがくれたものだった。彼はそれを片手でポーン、ポーンと真上に投げては捕ってを繰り返し、こちらの話に興味を持つ様子はない。痺れを切らしたメルファは彼の大好物がもう一度宙に舞った瞬間、それが持ち主の手に収まる前に捕まえた。


「祭りっ!」

「……」


 クライヴはギロッと不満げに鋭い視線を向けてくるが、おかまいなしだ。どうしても祭りに行きたくて仕方が無いメルファは頑として自分の主張を強調した。


「…だから、行かないって言ってるだろ」


 言いながらメルファの手からサルガを奪い返そうとする手をさっと避ける。


「それと!これはカイルからもらった()()サルガだよ。いいから黙って街に出るの!」


 こうなったらもう無理やりにでも連れて行ってしまおう。クライヴの眉間に皺が寄っていたって構うもんか。しかし彼の気に止まったのはそこではなかったらしい。


「…カイル?」

「え?…あ、ああ、さっき言ってたクライヴと同じ黒髪の奴だよ。収穫祭のこともカイルに聞いたんだ」

「へぇ…」


 クライヴは口元に薄く弧を描くと、深くもたれかかっていたソファからゆっくりと上体を起こした。


「…!やっと行ってくれる気になった…の、か…ッ!?」


 ようやく重い腰を上げてくれるのかと期待したメルファだったが、相手が相手なだけにそううまくいくはずはなかった。完全に油断しきっていたサルガを持つメルファの手首を、クライヴが思いきり引っ張ったのだ。

 ソファに片膝をつき、自由な方の手を背もたれについて、クライヴにのしかかりそうになるのをすんでのところで耐える。傍から見ればメルファがクライヴを囲い込んでいるかのような体勢だ。それに気付けば自分の意思とは無関係に顔に熱が集まってくる。


「…ちょっ、なにすん…」

「俺は、祭りには、行かない」


 焦るメルファを遮って、一言一言をしっかりと区切りながらクライヴは改めて拒否を口にする。ムッと眉を寄せれば、クライヴは不敵に笑う。ふいに顔が近づいて、形の良い唇が薄く開かれた。なんだろうと思う間もなく同時に手首が引かれて、気が付けば掴まれた手首からクライヴがサルガにかぶりつく感触が伝わってきた。


「…なっ、」


 かぷ、とかぶりつくその姿を、メルファは呆気にとられて見ているしかない。決して行儀は良くないはずなのに至近距離で見るクライヴはやっぱり綺麗で、思わず言葉を失ってしまう。そのうえ少し前髪がかかった伏し目がちの目も、長い睫毛が影を落としてよりいっそう彼を神秘的に見せていた。


 だから、そんな彼の一番の武器と言ってもいいくらい美しく力のある瞳が、ふいに下からこちらを見上げたとき思わず固まってしまったのも仕方がないことだろう。今まで異性にあまり興味を示してこなかったメルファにさえも例外なくその威力は抜群で、彼がそれを分かってやっているのかどうかは分からないが、はじれたように飛びのいたメルファにクライヴは眉をしかめて呟いた。


「…まずいな」

「……は、?」


それだけ言うと用は済んだとでも言うように再び背もたれに身を預けたクライヴに、メルファは再び別の意味で呆気にとられた。


「え、いや、ちょっと…」


 しかしクライヴの意識は既にここにはないようだ。紙袋の中の自分のサルガを取り出して食べながら、なにやらメモ用紙に書き込んでいる。昨夜聞いてみたところでは、それは赤目の男に関する情報と今までクライヴに会ったことがあるだろう人物の相関からなんやらかんやらを計算をしてうんぬんかんぬんなんたらかんたらしているらしい。

 だが、メルファにしてみれば今はそんなことどうだっていいのだ。


「ねえ、クライヴってば」

「…んだよ。何を言おうと俺は行かねーぞ。行きたいなら一人でさっさと行って来いよ」


 まさに取り付く島もないといった様子のクライヴに、メルファは一つ諦めのため息を吐き出すと手の中の一口分だけ欠けたサルガを見た。シャク、と少しだけかじってみる。それをゆっくりと咀嚼しながら一人で部屋を出ると、ごくりと飲み込んだ。


「…なんなんだよ、もう」


口の中に広がったサルガの味は文句無しに甘くて美味しかった。




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