辺境伯邸の首飾り②
突然クライヴが明かした事実にライザックは理解が追いつないのか、しばしポカンとしたまま呆けていたが気を取り直すと恐る恐るといったように言葉を発した。
「そ、それは…本当に?」
「おそらく、だがな。」
「そ、そんな……!私はどうしたら…!」
クライヴはうろたえるライザックに一瞥をくれると再び彼にしっかりと向き直った。
「俺は今騎士として首飾りを狙う"ある人物"を追っている。ここまで来たのはそのためだが、そこで貴殿に頼みがある」
「は、はい!」
「おそらく、近いうちにこの屋敷は賊に襲撃されるか忍ばれるかするだろう。そこでなんだが、一度わざと奴らに首飾りを盗らせてやってほしい」
「なっ……!?」
「俺たちが追っている人物は賊を使って首飾りを手に入れようとしている。一度やつらに首飾りを盗らせてそれを囮にしたい。もちろん、首飾りは後で必ず取り返して貴殿に返すと約束する」
「その、ある人物とはいったい何者なのでしょうか…?」
「悪いが詳しいことは言えない。…引き受けてもらえるか、ライザック殿」
そう問いかけるクライヴの横顔を見て、メルファはこっそりと呆れたようにため息をついた。
問いかけておきながら背後にそんな真っ黒いものを背負ってたら断れるわけないだろう。
「ははは、はい、承知しましたっ。クライヴ様の言うことならば何なりと…!」
お気の毒様…と心の中で呟きながらメルファは白い目で横を見やった。
「ではライザック殿。申し訳ないが首飾りが盗まれるまで数日ここに滞在させてくれるとありがたい。……あぁ、それと我々が今やっていることは王命の極秘任務だ。俺も普段は身分を伏せて行動している。ここで起こったすべてのこと、口外すればどうなるかはわかっているだろうな?」
そう言って小さく笑ったクライヴの目は、しかしまったく笑ってはいなかった。
「は、はぃぃ!」
あんなに顔を青くしてかわいそうに、とは思ったが、こうなればつまりは数日ぶりにちゃんとしたベッドで寝れるわけだ。砂漠越えで体は悲鳴を上げている。
メルファは人知れずそっと胸を撫で下ろした。
***
翌朝、メルファは自室の扉がノックされる音で目を覚ました。
「トルコル様、お休みのところ失礼いたします。朝食の用意が整っておりますがいかが致しますか」
扉の外から使用人の落ち着いた声を聞いてメルファはのっそりと上半身を起こした。
「……うぅん…もう朝?………分かりました、今出ます」
食堂に下りて行くと、すでにクライヴとライザックは朝食を食べ始めていた。
「おはよーございます…」
「おはようございます。失礼ながら先に朝食を頂いております」
「気にすることはない。この馬鹿が呑気にいつまでも眠りこけているのが悪いんだからな」
「ったく、ホントに口の減らない奴だな!」
「ト、トルコル様…っ」
ライザックが焦ったようにチラチラとクライヴの方を気にしながらメルファを止めた。国の大貴族で一等騎士であるクライヴに対してメルファが気安く口答えしていることに戸惑いを覚えたのだろう。
しかし当の本人はなぜライザックがそこまで慌てているのかまったくわからずきょとん、と首を傾げる。
「どうしたんですか?ライザックさん」
「い、いえ…その…」
気まずそうにライザックがクライヴの様子を窺えば、こちらもこちらで意に介した様子はない。
「いい。俺が許可してのことだ。」
涼しい顔で答える彼に、ライザックは何とも言えない微妙な顔で歯切れ悪く問いかけた。
「…失礼ですが…見たところトルコル様は特別な家柄のお方ではないようにお見受けいたします。昨日は身分証まで彼女に預けているご様子でしたし、いったいどういったことで…?」
ここまで言われればさすがのメルファも何の話をしているのか理解できる。
つまりライザックはどう見てもただの一般庶民で貴族などとは程遠いメルファが、なぜクライヴほどの人間と敬語も使わず対等に接しているのかということを問いたいのだ。
そう言われてしまうと、自分なんかクライヴどころか目の前のライザックとも住む世界の違うド凡人であることが十分わかっているだけに何も言い返せない。う、と言葉詰まらせて黙るメルファにライザックはますます不審な顔を見せるばかりだ。
と、そこでかちゃりと小さな音を立ててクライヴがティーカップを置いた。
「こいつは俺が雇った傭兵だ」
「よ、傭兵ですと…!?ならばなおさら…、それにあなたほどの実力を持ったお方ならば傭兵など雇う必要はないのでは…?」
「まあな。だが俺もこいつを戦力として雇っているわけではない」
「な、ならばなぜ…」
「言ったはずだ。詳しいことは口外できない。…だが俺は俺で理由があってこいつを連れている」
「…左様ですか…。ですが、あなた様ほどの人物が一介の傭兵などにこのような気安さを許していては…」
なおも渋るライザックの言葉にメルファは人知れず顔を歪めた。
"ただの小娘が貴族を舐めてくれるな"
察しの悪い自分でも遠まわしにそう言われていることくらい理解できる。今までクライヴと一緒に行動している中で自然と対等な立場で接することが普通になっていたが、やはり腐っても彼は国の要人なのである。これを機にやはり素直に態度を改めるべきなのかもしれない。どこか寂しさにも似た気持ちに気付かないふりをしてメルファは口を開いた。
「…わか…、」
「ライザック殿」
了承の返事を返そうとしたところを掻き消したのはクライヴの声だ。
「さっきも言った通りだが、俺が許している。……それとも、それ以上に何か必要か?」
「……っ」
そう言った彼の瞳は鋭く光って相手を射抜く。有無を言わせない視線だった。
「……それは、大変失礼致しました。…トルコル様も無礼を申し上げたようで申し訳ありません」
「あ……いや、こちらこそ、申し訳なかったです…」
無意識にクライブの方へ向けた視線は、いつも通り顔色一つ変えることない姿を捉えてこれまた無意識に綻んだ。
「ライザックさん」
「はい、なんでしょうか?」
「あなたが言うこと、もっともだと思います。…でも私にとってのクライヴって、やっぱり王国の貴族でも高貴な騎士でもないし。…まあ出会うところが違ったらそんなことはなかったかもしれないですけど、どっちかと言えば私には行き詰ったところに現れた救世主のようなもんで、言ってしまえばただの一人の人間です。だから、不快な思いさせてしまうかもしれませんけど、どうかご容赦いただけると嬉しいです」
ふっと微笑んで言うとライザックは驚いて目を見開いている。なぜかクライヴまで同じ顔をしていたのが目に入ったが、とりあえずメルファは気にせず言葉を続けた。
「あ。それと私ライザックさんの言う通りただの平民だし、クライヴはともかく私にまで敬語つかわなくてもいですからね!」
本来ならライザックの方が上の立場なのだから自分に敬語を使うことはないと思って言ったことだったが、その後いくらメルファが主張しようともライザックは微妙な顔で首を振るばかりで最後まで言葉を崩すことはなかった。
そして、それから事が起こったのは滞在3日目の夜のことだった。
夜、メルファはぺちっと頬を軽く叩かれた違和感でうっすらと意識を覚醒させた。
「……ん…」
月明かりが見慣れた姿をぼんやりと描き出す。
クライヴ?と続けようとした言葉は彼の少しひんやりとした手のひらに邪魔をされた。
「静かにしろ、賊が動いた」
「!?」
声をひそめて告げたクライヴは口を塞いでいた手をどけると目線だけで窓の方を見るように指示する。ゆっくりと体を起こし、外から見えないようにこっそりと窓を覗くと外で怪しげな人影がいくつかうごめいていた。
「…!」
「ライザックに頼んで警備はあらかじめ緩くしてある。奴らあと数分もすれば首飾り持って逃げてくだろ」
「じゃあ!」
「ああ。しばらく様子見てあとを付ける」
この話はクライヴがライザックに首飾りをわざと盗ませるように言った時聞いていたものだ。首飾りを盗んだ後、盗賊がメルファたちの追う赤目の男にそれを引き渡すため接触することはほぼ間違いない。その瞬間まで盗賊たちを監視して赤目の男を突き止めようという算段だった。
「あ、盗られたかな」
屋敷内から人影が次々に去っていく様子を見てメルファは音を立てないよう静かに立ち上がった。この時のために荷物はいつでも出られるようにまとめてあった。ライザックにも話は通してあるので2人と首飾りが突然なくなっていても慌てることはないだろう。
「一階の廊下の窓から出るぞ」
「あ、ちょっと待ってよ!」
クライヴは慣れた様子で音もなく一階へ降りていってしまうが、いかんせんメルファはあまりこういったことには慣れていない。すぐに彼の背中は闇にまぎれて見えなくなってしまった。
「ったく、もう」
それでも慌ててしまって音を立てるよりはマシだろうとゆっくり進んだメルファだったが、目的の窓に近づいても何故かクライヴがいない。先に外へ出てしまったのかと思って窓の前に立とうとした瞬間、突然後ろから伸びてきた手に心臓が飛び出そうになった。
「っ!?」
「馬鹿、よく見ろ。まだ数人残ってんだろが」
口を塞ぐひんやりとした手はついさっき感じたものとまったく同じで、耳元で囁かれた低い声は聞きなれたものだ。どうやら彼がすぐそばの部屋の扉の陰に隠れていて、自分もそこに引きずりこまれたらしいことはすぐにわかった。わかったが、後ろから腕を回されて密着する体と、耳元に直接響く低い声に、心臓は大忙しである。
まったく、無駄に艶っぽい声してるのが今は余計に腹が立つ。
「…よし、もういい」
「………っホントもう…覚えとけよ…」
「ああ?」
なにがだ、と不審そうな顔をするクライヴを置いてメルファは持ち前の身軽さで窓を乗り越えた。さくっ、とよく手入れされた芝生に着地して辺りを見回せば、足跡や踏み倒された草から盗賊たちが通ったであろう道は容易にたどることができそうだ。
「わかってると思うが馬は見つかりやすいから置いていくぞ」
「うん」
後ろからクライヴも窓を乗り越えてきたのを確認し、2人は慎重に夜の闇へ溶け込んでいった。
尾行を続けて数刻、例によって盗賊たちの砦はめったに人が入り込むことのない入り組んだ林の奥だった。メルファとクライヴはそこから数十メートル離れた太い木の幹の陰に腰を下ろして砦の様子をうかがっていた。
「あいつ、いつ現れるだろうな。あ、もしかしたらもう砦の中とか」
「さあな。どっちにしろ奴が砦に出入りするときには何らかの動きがあるだろう」
大人しく待てと続けるクライヴに、こくんと素直に頷いたメルファだったが内心では早く赤目の男に現れてほしくて仕方がなかった。というのもーー
カクンッ
「…おいコラ。おまえ今寝てただろ」
「………え?こんな重要な局面で?居眠り?何言ってんの?ア、アハハハー」
「……」
ヘラリとした引きつり笑いは功を成したのか成さなかったのか。その場の温度は一気に下がったような気がしたが、メルファは素知らぬ顔でクライヴから視線を逸らした。
(うん、ご、ごまかせたようだな…)
それからこっそりと眠気覚ましに腕をつねってみたメルファだったが、なんのことはない。彼女には学習能力というものがないのである。ーーつまり端的に言えば彼女はその後ぐっすりと、それはもうぐっすりと眠りこけた。
「……くしゅっ」
寒い。もぞもぞと動いてメルファはすぐ隣に感じた暖かいものにしがみついて顔をうずめた。
うん。あったかくて気持ちいい。……。…ん?あったかくて…?
薄く開けた目は最初に早朝独特の青白く明るんだ周囲の景色を捉え、それからすぐにいっぱいまで見開かれて…固まった。
摺り寄せた自分の頬に触れる確かな体温。しがみついていたのは清潔な白いシャツだった。むろん、見覚えはありすぎるほどある。おそるおそる上をむけば、案の定メルファの視界を埋めたのは予想通りの景色だった。
(わ…顎のライン、綺麗だなあ…)
思わずぼーっと見惚れていると、メルファが目を覚ましたことに気付いたのか、ふとクライヴが下を向いて彼女に目を合わせた。とたん、メルファははっと我に帰る。
「あっ…、う、えー…と」
「大変良くお眠りになっていたようでなによりだな」
「っっっ!!!」
やってしまった。雇われ兵が依頼主を差し置いて眠りこけた上にまさか湯たんぽ扱いするだなんて、もう終わった。寝起きの状態からやっと完全に覚醒したメルファは光の速さでクライヴから飛びのいた。ついでにダラダラと冷や汗を流して右へ左へ視線をさまよわせる。
「ええええと、これはそのあの、アレだよ!アレ!そうそう!」
「……」
「えっと…、これにはわけがあってというか、、………ッぇええいもういい!!寝てた!寝てました!雇ってもらった傭兵のくせに寝てましたすいませんでしたぁ!!」
途中でチラリとクライヴの様子をうかがって、メルファは思わずひっと小さく息を飲んだ。こちらを見る、もはやなんの色も灯していないその目に心が折れそうになった。もう完全に下等生物を見るような目だった。
これは、ごまかせばごまかすほどきっとドツボにはまるやつだ。そう判断してメルファは思い切り頭を下げた。
「おまえほんと、おめでたい頭にも程があるんじゃないのか」
「……返す言葉もゴザイマセン」
しゅんと項垂れて視線を落とす。その場にはわずかな沈黙が落ちたが、意外にもクライヴは大きくため息をついただけで、もうこの話は終わりだとでも言うように眼光鋭く砦の方を睨んだ。
「とりあえず今はもういい。…それより、少し前に奴が現れて砦の中へ入っていった。たぶんもう少ししたら出てくる」
「はっっ!?」
自分がのんきに眠りこけている間になんてことが起きていたのだろう。驚きの声を上げると同時にメルファは自分の馬鹿さ加減を改めて呪うのだった。