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闇夜の生贄


 窓辺から見える広大な景色。そこには月明かりに照らされてどこか幻想的な雰囲気さえ漂わせる美しい砂の海が広がっていた。

 時刻は外が闇夜に包まれ月明かりのみが淡く辺りを照らし始めた頃。本来なら皆が寝静まるはずのこの時間、しかしその部屋には反対に小さな明かりが灯されたところだった。


「オイ、クライヴ、本気か?まさか本気なのか?ホントのホントに本気なのか!?」

「しつこい。俺が冗談を言ってるように見えんのか」

「見えないから確認してるんだよ!」


 そう言ってメルファが全力で抗議の声を上げるのには理由があった。



 ____________________

 ___________



『あっ!クライヴ、砂漠だ砂漠!砂漠に着いたぞ!』

『うるせえ見りゃわかる。喚いてる暇あったら宿の一つでも探せ』

『ちぇっ……』


 さすがにとんでもない早朝から宿を出た甲斐もあり、その日の到着は早かった。2人が砂漠の手前で宿をとり、夕食を済ませ荷物を整えたりと翌日に備えてすべての準備を終わらせても外の景色はやっと赤から紫へと変化してきたところだった。

 その様子を窓からぼーっと見ていたメルファは突如部屋を照らしていたはずの明かりが消えたことに驚いて振り向いた。その瞬間、ばふっと勢いよく顔面に何かが投げつけられる。

 …この心地良い香りと肌触り。確認するまでもなく昨日一晩お世話になったクライヴの外套だった。なんなんだまったく、とため息をつきながら彼のほうを見ればすでにベッドに横たわっている。はて?とメルファは首を傾げた。寝るにしてはさすがに早すぎるのではないか、と。


『クライヴ、もう寝るの?まだ日も落ちきってないよ』

『いいからおまえも寝とけ』

『…はあ?』


 再度手元の外套に目を落としてみる。どうやら彼はメルファにも早く寝ろ、という意味でこれを投げつけてきたらしい。渡し方はともかくとして今夜もこの心地よい布団替わりは絶賛無料レンタル中のようである。ふむ、やはりこの男なんだかんだ言いつつも結局どっか親切なんだよなあ。

 そんな内心の思いと共に小さくお礼を言ってみたが、すでに眠ってしまっているのかクライヴからの返事はなかった。メルファのほうも返事を期待していたわけでもないので、そのまま今日は運よく部屋に備え付けられていたソファーの上で外套にくるまった。

 とはいえ普段こんな早い時間に就寝することなどまずない。眠れないかもしれないなと思いながら目を閉じたが何のことはなかった。ものの数分で彼女はいつも通り深い眠りへと落ちて行った。


 あ、そういえばなんでクライヴはこんな時間にもう寝ろなんて言い出したんだろう。


 意識が落ちる寸前、そんな疑問がメルファの頭をかすめた。

 願わくば、いつも通りの朝を迎えられますように。しかし、悲しいかな。彼女の目が強制的に覚まされたのはそれから数時間後、真夜中のことであった。


『おい…おきろ』

『……スー』

『おい、』


 ゆさゆさと肩が揺すられる感覚にメルファはゆっくりと意識を覚醒させた。


『……んー…?……………スー…』

『おい、今一瞬起きたろ。聞こえないふりをするな』

『………うぅ』


 うるさいな。私はまだ眠いんだ、こんな時間に起こしてくれるなよばあちゃん…

 仕方なくまったく頭の回らないぼーっとした状態でうっすらと重いまぶたを上げれば、目の前に誰かがいるのが分かった。しかし覚醒していない頭では焦点も定まらずぼんやりと見えるだけである。


『やっと起きたか』

『……ばあちゃん…?』

『…………』


 瞬間、目の前の顔がグッと近くに迫ってきた。


『おまえのその目は飾りか?よく見ろバカ女』

『……』


 頭がはっきりしていくのと同時にクリアになっていく視界。それを照らすのはわずかな月明かりのみであるはずなのに、こちらを見つめる紫紺の瞳は驚くほど美しい。

 …って、あれ。ばあちゃんの目の色ってこんな色だっけ。………。


『………っ?!』


 その瞬間、頭は一気に覚醒した。どこがばあちゃんであるものか。メルファがうずくまるソファの背に手をついて作り物のように整った顔でこちらを覗き込む人物。その表情はすこぶる不機嫌そうである。


『……クライヴ?!』

『"ばあちゃん"じゃなくて悪かったな。…言っておくが俺はまだそこまで老けているつもりはない』

『ち、ちち近い!!』


 どんなに中身が腹黒かろうとそのうつわだけは一級品のクライヴである。視界の大部分を占めるほどの至近距離で目を合わせるには破壊力がありすぎる。

 そんな挙動不審なメルファにクライヴは憐れみとも取れる視線を送るとため息をつきながら身を起こした。


『はぁ…起きたんならさっさと準備しろ。もう出るぞ。』

『え』

『え、じゃねえよ。もう行くから早くしろって言ってんだよ』

『ちょ、ちょおっと待て?出るって…、ここを?今から?まさか砂漠に向かってとか言わないよね?』

『それ以外になにがある?』

『………いま、夜なんだけど…?』


 夜の砂漠には、肉食獣が出るとかなんとか聞いたことがあるのだが。それも目の前にいるこの男から。

 それを指摘すれば当の本人はまるでそれがどうしたと言わんばかりの顔で当たり前のように言った。


『だからって俺は昼間に行くのがベストとまでは言っていない』

『は、はあ!?どう考えても肉食獣と比べたら暑くたって昼間に行く方が安全でしょうが!』

『身体的には気温の低い夜のほうが倍以上ラクだ。体力の消耗も少ない分ギーメルへの到着も早くなるはずだしな』

『いやでも、だからって…!』

『しつこい。第一俺は暑いのが嫌いなんだよ。それ以上文句があるなら置いてくからな』

『んなっ…!!?』



 ___________________

 __________




 かくして話は冒頭に戻る。


「はぁ……」


 ったく、なんて横暴な男なんだ。昨日のうちにいつの間にかクライヴが宿屋の主人に用意させていた飲み水と軽食を馬の背に積みながらメルファはうんざりとため息をついた。今思えばメルファが馬を走らせることなど肉食獣に遭遇しない限り必要ないだろうと主張したときのクライヴのあの意地悪そうな微笑はこういう意味だったのだ。

 ここに来るまでの短い道中、不本意ながらも少しだけ馬を走らせる練習をしながら来たことに今さらながら安堵する。…とはいえ本当に形だけの拙い乗りこなしだ。本気で馬を全力疾走させられるだけの技量などもちろんない。こんなことじゃきっと足の速いらしい砂漠の猛獣からは逃げられないんじゃないか、とそんな不安ばかりがひっきりなしに頭をよぎった。


「ねえクライヴ。もし砂漠で肉食獣に襲われたとしてさ、正直言って今の私の乗馬技術で逃げ切れると思う?」

「無理だろ」

「即答か!そんなん襲われたらもう終わりだ!」

「おまえは逃げることしか頭にないのか。逃げられないなら倒せばいいだろ」


 当然のように言うクライヴにメルファはなるほど、と目を瞬かせた。クライヴほどの強さならたしかに獰猛な獣さえもどうにかできてしまうかもしれない。


「倒すって言っても…そんな簡単にいく?」

「そりゃおまえ次第だな。ここにきてやっとでてきた初仕事だ。期待してるぜ、傭兵サン」

「って私がやるのか!?」


 そんな悲嘆にくれたメルファの叫びを横目にクライヴは涼しい顔をして早々に馬を進めてしまった。



 それから数刻。日中との気温差が激しい夜の砂漠は想像以上に涼しげで過ごしやすく、2人は順調に道のりを進めていた。一つ順調でないところをあえて挙げるとするならば肉食獣を警戒するあまり気が気でないメルファの心中のみである。


「うぁぁ、もうこんな砂漠の奥まで来ちゃったよ。そろそろ奴ら、出てくるんじゃ…」

「そうかもな」

「!!…あのさ、聞いてなかったけどこの辺に出るっていうその獣って一体どんな奴らなわけ?」

「何種か生息する中でも特に人間を襲って出てくるのはだいだい一種、クファルくらいだ」

「クファル?」

「体はオオカミのようだが頭から尖った角が一本生えている。それにやられる奴も結構いるらしいが爪と牙もかなり鋭くて厄介だな。ああ…、あと俊足で動きも素早い」

「……ハハ…、ハ」


 なにそれ絶対勝てない。

 から笑いしてあからさまに肩を落としたメルファを見てクライヴは呆れたような視線を向ける。


「おまえ傭兵なら今までこういう依頼が皆無だったわけでもないんだろ。ビビりすぎじゃねえのか」

「いや…私、動物相手って対人より苦手だからさ。自分の実力は自分で理解してるつもりだし、そういうのは受けないようにしてたんだよ。なのに、なのにさぁ…!」


 まさかこんな実力以上のハイレベルな仕事を受ける日がくるだなんて…!

 そしてもう一つ。砂漠に入ってからずっと考えていたことがメルファにはあった。


「ていうかそもそもクファルが出たら私が戦うよりクライヴが戦った方が生存率いいだろ?!」

「さぁ?どうだろうな」


 しれっと答えるクライヴをメルファは半眼で睨みつけた。どことなく面白がっているその様子から見受けるに、これは完全にクファルの対処はメルファに押し付ける気で間違いないだろう。

 一応クライヴに雇われた傭兵であり護衛であるがゆえに反論も拒否もできないのがもどかしい。まあそれもすべてはお金を用意し忘れた自分の責任なのだが、よりにもよって最悪の雇い主に引っかかったもんだと再度メルファは肩を落とした。せめて命の危険が迫ったらクライヴが援護してくれることを願うのみである。


 しかしそんな不安とは裏腹に、それからしばらくしても一向にクファルは現れなかった。もう砂漠に入ってずいぶん経つが、闇夜にはそれらしい気配はいっさい感じられない。


「いったん馬を休ませるぞ」

「わかった」


 ちょうどそばに生えていた枯れ木に馬をつなぐとメルファはふう、と一息ついてその木を背もたれに座り込む。夜の砂漠は体力の消耗こそ少ないが、長時間精神を張りつめていたせいかそれなりの疲労感がある。

 ちらりと横を見ればクライヴには当然のごとく疲れの様子は見えない。淡々と無表情に馬に水を与えていた。


「はーぁ。このまま何事もなくギーメルに入れればいいけど、あとどれくらいで砂漠を抜けられるんだ?」

「ここでちょうど半分だ」

「まだ半分……」


 結構な距離を進んできたと思ったのだが甘かったらしい。これほどの長時間馬に乗り続けた経験などあるはずもないメルファにとって先ほどから痛みを訴え始めた尻の問題は死活問題なのだが、クライヴは休憩もそこそこに再び馬に跨って出発しようとしている。その様子を見てこっそりとため息をつくのも仕方ないというものだろう。メルファは重い腰をゆっくりと上げた。



 


 それからまたしばらく進んでも、砂漠に異変は見られなかった。そんな状態がずっと続くと、途中までメルファの思考のほとんどを埋め尽くしていた不安もいつのまにか薄れていく。


「ギーメルに着いたら、そのあとはどうするつもりなんだ?」

「まあ、まずは奴の狙ってる辺境伯邸の首飾りが無事かどうかの確認だな。すでにやられてんならその時はその時で考える」

「ほーぅ…」


 不安が薄れてくれば黙ってひたすらに馬を進めるのも退屈に感じてくるものである。口数は少ないが一応答えてはくれるのでメルファはちょこちょことクライヴに話しかけては暇を潰していた。


 が、危険というものは得てして心が緩み始めたタイミングでやってくるものである。

 やはりというか、最初に異変に気付いたのはクライヴの方だった。





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