碧洋の雫
広い広間の中央、およそ普通ではない張り詰めた空気のなか荘厳な声がその場所に響き渡った。
「ではこれより、クライヴ=ディーガル=ダヴィ=フォルスター、貴公に特別王室付騎士として、特別任務を命じる。」
「ーー御意」
漆黒に輝く髪のその青年は胸に手を当てうやうやしい態度で腰を折った。
続いて剣を賜ると、そのまま腰に佩く。儀式はこれで終了したかのように思われた。しかし、青年が顔を上げて退こうとしたしたとき、壁際に待機していたうちの一人から声が上がった。
「父上、私からも少しよろしいでしょうか。」
「どうした」
栗色の髪をした青年は一歩前に出ると自身の耳もとに手をやり、漆黒の髪の青年へと近付いた。
***
その日、メルファ=トルコルは最悪な気分で目を覚ました。それもそのはず、彼女は冷たい石の床にぺたりと直に横たわり、そのうえ手足を縛られていたのだ。
「う…」
小さくうめいて縄をはずそうと身じろぎするが意味はなかった。諦めてなんとか上半身だけを起こすとメルファはわずかに差し込む朝日を見てため息をつく。捕まってから一日はたっているようだ。
それで、いったい私は何でこんなことになってるんだっけ。とメルファは鈍く痛む頭に耐えてこれまでの出来事を思い返した。
ーーーー遡ること、数日前。
「大変だっ!!盗賊、盗賊が現れたぞ!」
その知らせとともにフォンス村は一斉に混乱に陥った。すぐそこまで近付いている盗賊に貴重品を持っていく間もなく人々は逃げるしかなかった。
メルファはそのとき、ちょうど傭兵として依頼を受けていて村を離れていたために彼女が帰ったのはすでに盗賊が去った後だった。
そんな彼女が村に帰ると、広場には村長を取り囲んで村人が集まっていた。
「みんな!大丈夫か?!盗賊が来たって街できいてーー」
「おぉ、メルファか…」
「ばあちゃん?!無事だったのか、良かった!!」
「村人はみな無事じゃ。じゃが…マリンロークはとられてしもうた」
「?!」
なんとも無念そうな声でメルファにそう伝えた老婆ーーフォンス村の村長の言葉に彼女はその新緑の目を見開いた。顔をあげれば彼女らを取り囲む村人たちも同様に悲壮感漂う無念の表情だ。
それに気付くとメルファは初めて村の様子を見渡した。そしてふむ、とひとつ大きく頷く。普通盗賊が来たら民家は荒らされているはずなのに、そんな様子も見受けられず、かといって畑が荒らされているわけでもなかった。
と、いうことはやはり…
「盗賊どもは最初っからマリンロークだけが狙いだったってわけか」
村人の1人がその呟きを聞いて口を開いた。
「ああ、たぶんそりゃ間違いないだろうな。俺はあの時逃げ遅れて村のそばの林に隠れてたんだが、奴らが出て行くときの会話を聞いた。『これがマリンロークとか言う石か。こりゃ統領も喜ぶだろうな!』って笑いながら出て行きやがったさ。まったく腹の立つ野郎どもだぜ」
それを聞いたメルファは次の瞬間バッと振り向くと、その男の肩を掴んでブンブン揺らしながら叫んだ。
「おい、ラーグ!!今の話は本当かっ?!」
「ぐおっ…、ほ、本当だ…!本当だがちょっと待てメルファ、肩を離せ!!」
「ん?…ああ悪い!」
メルファが勢いよく肩を離すとラーグと呼ばれた男は反動で地面に尻もちをついた。…なんつー女だ、という彼の呟きは彼女の耳には入っていないようだ。
そして当の本人はといえば、ニヤリと笑うと大きく息を吸ってこう言い放った。
「よぉぉおし決めたっ!全員安心しろぉぉぉーーー!!!フォンス村の宝マリンロークは私が絶っ対に取り戻ぉぉぉす!!!」
「?!め、メルファ?!馬鹿なことを言うでねえ、相手は盗賊じゃ!!」
「そうだぞ、取り返せるわけあるか!悪いこと言わねえからおとなしくしろ!」
村人たちの必死の声もメルファには届かない。それどころかそんな彼らを安心させるようにへらりと笑って続けた。
「だーいじょうぶだって!この村のみんなには随分世話になったんだ、今こそ恩返しの時だろ!」
「恩返しとは何を言うかメルファ!おまえは立派なこの村の人間だ、そんなふうに思うことはないのじゃぞ!」
「ありがとうばあちゃん、でも私がここで世話になったことに変わりはないだろ!それにみんなはマリンロークが村から無くなったままでいいの?」
メルファがそう言うと、それまで心配そうに彼女を見ていた人はなんとも言えないような顔で視線を彷徨わせた。それを見てメルファは満足そうに頷く。
「ってことだ!全員黙って私がマリンロークを持って帰ってくるのを待ってろ!」
そう高らかに宣言すると、メルファは善は急げとでも言うかのようにさっそく一つにくくった栗色の髪を翻して村の外へと走り出してしまった。
ーー絶対取り返す!
そう決めて勢いよく村を出たメルファだったが、考えがないわけではなかった。
先ほどのラーグが言っていたことが本当ならばマリンロークはおそらく盗賊どもの統領に献上されるために盗まれた。普通盗賊になにかを取られたらすぐに売り飛ばされて、たとえ奴等を見つけたところで取られた物が戻る可能性は限りなく低いだろう。
しかしその点、マリンロークが盗賊たちの統領に献上されるということは売り飛ばすのではなく統領の手元に残される可能性が高い。
うまくやれば取り戻せるーーメルファが動いた理由はこれだった。
それから数日、彼女は傭兵仲間の情報や街での噂を頼りに盗賊の居場所を調べ続けた。
そしてやっとのことで盗賊たちが集まる砦の場所を見つけたのだ。
「よっしゃあーっ、待ってろ悪党どもっ!」
しかし、たった1人でむやみに突撃しようなど命知らずなことは考えていない。
とりあえず、砦の様子をちょっと下調べしておこう。そう考えたメルファは夕方、日が沈むとともに行動を開始した。
それがちょっとした下調べで済まないと、そのときの彼女は知るはずもなかった。
メルファが砦についた時、そこからはわずかに明かりが漏れて中からは数人の盗賊たちの笑い声がした。傭兵として培った身のこなしで中にこっそりと侵入したメルファは静かに聞き耳をたてた。
「しっかしまあ、数日前に統領の命令で行ったフォンス村よぉ!ちっせえ村だから統領の言うマリンロークとか言う石も大したもんじゃねえと思ってたが意外と上物だったよなぁ!」
(あったりまえだ!ありゃフォンス村に代々受け継がれて来た宝だぞ!)
「ああ、俺も正直舐めてたが、ありゃ売ればいい値がつくだろ。統領が直接命令したもんじゃなかったら今頃とっくに売り飛ばして酒でも買ってらあな!」
(こんのクソ男!マリンロークを酒に変えるとは何事だっ!)
「そういえばよぉ、あの村の一番でっけえ家にマリンロークがあるって言うから探すために家ん中物色したろ?おまえそのとき、あそこの二階の手前の部屋見たかよ?」
(なに?!そこは私の部屋だぞ!!)
「いや、見てねえが…なんかあったのか?」
「いんや、何もなかったが…その部屋にあった置物がとんでもなく悪趣味でよお」
(………。)
「なんだ、そんな驚くほどのもんだったのか?」
「そりゃあ酷いもんだったぜ。……なんつーか、よくわからんがヘッタクソな紋様の入った歪な形の焼き物があってよお、」
「それは私が初めて村の陶芸場で焼いた花瓶だ、このやろうっ!!」
「「………っ!?」」
「………あ。」
気付いたときには時すでに遅し。影に隠れていたはずのメルファはしっかり盗賊たちの目の前に立ちはだかって叫んでいた。