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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

HAKO

作者:

     ●


 血だらけの床に富田圭子と安城が折り重なって倒れていた。

 彼女は意識を失っていた。顔に大怪我をしていた。

 おかしくなっていた僕には何があったのか分からない。

 だからこれは想像だ。

 彼女は死体を箱に入れようとしていたときにバランスを崩した。そしてそのとき顔面を強打した。

「築……さん……」

 気がついた。

「か、髪を……家族……に……渡し、て……。お、お願……い……」

 言われた通り、刀を使って彼女の髪を切り取った。

「あ、あり、が……と……う……」

 これが彼女の最期の言葉になってしまった。

 二人を箱に入れた。

 すると床の一部が割れた。

 出口だ!

“全ての勝負の後、生存者が一人と確認された場合のみ、部屋のドアが二十秒間だけ開かれる。”

 中に入った。


     ●

HAKO



対戦相手と対戦順番


一番勝負──村上征治(背番号1)×安城弐基(背番号2)

二番勝負──浜田栄治(背番号3)×築 知澄(背番号4)

三番勝負──遠藤祥子(背番号5)×富田圭子(背番号6)



注意事項


 四番勝負の二人は任意で決めるものとする。

 勝負は最後の一人になるまで続けられる。

     △

 天井のサーモグラフィーにより死亡が認められたときは、壁のランプがそれを知らせる。

     △

 随時、死体は箱に戻さなければならない。死体を箱に戻したら、白いボタンを押して蓋を閉じる。

     △

 部屋の備品を故意に破壊してはならない。

     △

 武器と食事の新たな追加はない。

     △

 全ての勝負の後、生存者が一人と確認された場合のみ、部屋のドアが二十秒間だけ開かれる。

     △

 上記の対戦相手と対戦順番が守られなければ、部屋のドアは永久に開かれない。ただし、事故による死亡の場合は、その限りでない。

     △

 勝負は常に一対一として、不意打ちを禁じる。

                              以上。





 不自然な体勢で目を覚ました。壁にもたれて眠っていたのだ。

 真っ暗だ。

 どこだ、ここは……?

 自分の置かれた状況を、はっきりと悟ることが出来たのは、その数秒後だった。

 箱の中に閉じこめられていた。一辺、一メートルくらいの、ほぼ立方体に思える、鉄で出来た箱の中だ。

 ふざけている。どうして、こんなことに?

 一人暮らしをしているアパートでビデオを観ていた。「グランドクロス」という、多分、B級に入るSFだった。

 そうだ。途中、冷蔵庫からウーロン茶を取り出して──そのとき何者かに襲われた。口を塞がれ──その後の記憶がない……。

 ひょっとして、クロロホルムみたいな薬を……?

 手探りで全身を確かめた。

 服が違っている。怪我は……ない……。

 箱を蹴ってみた。少しも、びくともしない。思ったより頑丈だった。

 何か聞こえる。

 ──エンジンの音だ。

 一体、ここはどこだ? 最悪は地中だ。だがエンジンの音がする。ひょっとして船の中か? 小型のコンテナなのか……?

 そのとき、目の前の、鉛筆の芯くらいな小さな光に気が付いた。

 そこに目を当てた。

 手動のリフトだ。これと同じような箱を荷台に載せている。と、すれば、あの中にも人がいるのか──?

 リフトを扱っているのは男性──しかし顔は見えない。

 近付いて来る。全て、あいつの仕業なのか?

 思わず息を殺した。

 目の前に箱を下ろされてしまい、視界が失われた。

 その後、人の気配はなくなった。

 と、

 耳元で“カチッ”と音がした。同時に箱の天井が五センチほど持ち上がった。

 ──開いた?

 手で押し上げて立ち上がった。

 目の前に女性が一人いた。彼女も箱の中に立っていた。ちょっとした美人。女優の誰かに似ている。二十代前半か。

 僕達は同じ格好をしていた。薄い緑色の上着とズボン。すごく軽い生地で出来ている。靴は真っ白な運動靴。

 全く訳が分からない……。


     ●


「どこ……?」

 周りを見回しながら彼女が言った。

「僕にも分かりません」

「わたしは富田圭子。あなたは?」

「築知澄です。ここから出ます」

「わたしも」

 僕たちは箱から出た。そのとき彼女の背中の番号に気がついた。数字の6がプリントされていた。

 自分の上着も確かめた。

 4。

 部屋の中を見回した。壁も床も天井も全て鉄で出来ていた。一辺十五センチほどの換気口らしきものが一つあるきりで、出口が見当たらない。床に鉄の箱が六個、ダンボール箱が二個。壁の時計の下に幾つかの赤いランプが並んでいる。

 一体どこなんだ……?


     ●


 残りの箱にも人がいた。まだ意識を失っている。同じ薄緑色の服。背番号もあった。

 全員で六人。背番号も“1”から“6”。

 そして、もう一人、女性がいた。

「出口がないわ……」

 壁に沿って歩いていた富田圭子の声が聞こえてきた。それから、

「やっぱり人がいるのね」

 僕に言った。

「もう一人、女性がいます」

 勇気づけようと思って教えた。恐らく僕以上に不安を感じている。同性の仲間がいた方が、いいに違いなかった。

「生きてるの?」

「勿論」

 富田圭子は壁から離れて女性の傍らに立つと彼女の体に触れた。

「本当……」

 ──あの男はどこに消えたんだろう……?

 リフトも見当たらない。

 換気口から温風が──中は真っ暗で何も見えない。

 ひょっとして何かのテレビ番組? ドッキリみたいな。それなら理解出来なくもない。だが、芸能人でも何でもない僕のような人間を、いきなりアパートから拉致するなんて……。

 ダンボール箱の中は何だ?

 小さいのから開けた。

 パンとペットボトルに入った水だった。いや。水とは限らない。ラベルもなかった。それぞれ六個。これでは二日ともたない。

 と、いうことは、すぐに出してもらえる?

 もう一つのダンボール箱には、六振りの日本刀が入れられていた。ダンボールの端で切れ味を試してみた。

 本物だ。

 この状況の意味するところは、すごく禍々しい。

 その一時間後くらい、

「築さん!」

 彼女は僕の背後を指差していた。


     ●


 男が立っていた。四十歳くらい。目つきが鋭く、日に焼けていた。

 名前を尋ねると村上征治だと答えた。背番号は1。

 彼は躊躇なくペットボトルに口をつけた。

「水ですか?」

 答えてくれない。

 よく見ると、ペットボトルのキャップは、一度、開けられていた。

 一口飲んでみた。

 水だ。

 富田圭子も水に口をつけた。村上はパンも食べ始めた。

 暫らくして背番号2と3の二人も意識を取り戻した。

 二人の名前は安城弐基(背番号2)と浜田栄治(背番号3)。安城は五十を超えているようだ。やや痩せ型。頬が尖り鼻筋が通っている。一方、浜田の方は肥満に近い。穏やかそうな風貌。眼鏡をかけていた。三十代に見える。何だか対照的だ。

 五人で意見を述べ合った。

 但し、三人は刀の存在を知らない。村上が意識を取り戻す前に僕が隠した。

 温風のお蔭で一月なのに暖かい。

 エンジンは発電機のもののような気がする。

 こんな部屋、町中に作れない。仮に山の奥にでもあるのだとすれば、電気を起こすためには発電機が必要だ。

 少し速断かもしれないが僕はそう思った。


     ●


 5番の女性が意識を取り戻したのは、壁の時計が八時五分のときだった。

 改めて不思議に思う。

 ──どうして時計が?

 監禁された人間に時計など必要ない。

 昔読んだSF小説を思い出した。

 主人公が入れられた牢獄には──でも、これは小説じゃない。現実だ。

 赤いランプは時間と関係あるのか?

 ランプは六つ。一時間も二十四時間も六で割り切れる。

 彼女の名前は遠藤祥子。二十歳くらいに見える。小柄で目が大きい。ひょっとしたら十代かもしれない。

 気分が優れないらしい。

“わたしに近づかないで”

 そんな感じだ。

 状況が状況だから仕方ない。

 だが浜田が医師だと分かるとそれも変わった。

 彼が彼女に下したのは単純な疲労。

 全員が揃った。

 鉄で囲まれた閉鎖空間に六人。そして六振りの日本刀。

 一体、何のつもりだ? 殺し合えとでも言うのか?

 有り得ない。一致団結することはあっても敵対は考えられない。

 劇的な展開が訪れたのは八時二十五分ごろだった。

 浜田が自分のポケットの中に一枚の紙片を見付けた。何か書いてある。

 全員が自分のポケットを確かめた。

 しかし、

「ないぞ……」

「わたしも」

 互いの顔を見合わせた。

 村上が、

「どうしてお前だけこんなものが?」

 浜田から紙片を取り上げた。

「なんとか言ってみろ!」

 浜田は顔を赤くして頬を震わせた。恐らく、こんな扱いを受けたことがない。彼はエリートなのだ。

「いやいや。少し落ち着きましょう。村上さん。声に出してそれを読んでくれませんか?」

 安城が言った。

「俺が? どうして俺が?」

「わたしが読む。貸して」

 富田圭子が言った。村上は舌打ちして、すごく嫌な顔をした。それでも素直に紙片を手放した。案外、気が小さいのかもしれない。

 富田圭子の音読が始まった。


     ●


対戦相手と対戦順番


一番勝負──村上征治(背番号1)×安城弐基(背番号2)

二番勝負──浜田栄治(背番号3)×築 知澄(背番号4)

三番勝負──遠藤祥子(背番号5)×富田圭子(背番号6)



注意事項


 四番勝負の二人は任意で決めるものとする。

 勝負は最後の一人になるまで続けられる。

     △

 天井のサーモグラフィーにより死亡が認められたときは、壁のランプがそれを知らせる。

     △

 随時、死体は箱に戻さなければならない。死体を箱に戻したら、白いボタンを押して蓋を閉じる。

     △

 部屋の備品を故意に破壊してはならない。

     △

 武器と食事の新たな追加はない。

     △

 全ての勝負の後、生存者が一人と確認された場合のみ、部屋のドアが二十秒間だけ開かれる。

     △

 上記の対戦相手と対戦順番が守られなければ、部屋のドアは永久に開かれない。ただし、事故による死亡の場合は、その限りでない。

     △

 勝負は常に一対一として、不意打ちを禁じる。

                              以上。


     ●


 武器のくだりを読むとき彼女の声が少し上擦った。

「貸せ」音読の終了と同時に、再度、紙片を取り上げると、「武器って何だ? そんなものどこにある?」

 村上が言った。

 こうなれば隠し通すのは不可能だから、僕は自分が入れられていた箱の中からダンボール箱を取り出した。

 言うまでもなく中身は六振りの日本刀。

 安城が一振りを抜いた。

「なまくらだが江戸末の本物だ」

「詳しいじゃないか。え? どうしてだ?」

 村上が言った。

 下に見ている。もし本当に殺し合いが始まれば体格から見て生き残るのは彼だ。

 だが安城は温厚だった。

「趣味で集めている。こんなのと違って、もっといいものだ」

「趣味か。これによれば、お前が俺の相手だ」

 そのとき、

「無理……」

 遠藤祥子が床に崩れ落ちた。

「どうして隠した? 隙を見て殺すつもりだったか? え?」

 村上が僕に向かって言った。完全に言いがかりだ。

「それは成り立たないな」

 安城が言った。

「何だと?」

「彼はまだ紙片の存在を知らなかった」

 安城は頭の回転が速い。一つ借りが出来てしまった。

 浜田がランプの下に移動して、

「死亡が認められたときは壁のランプがそれを知らせる……死んだ数だけ消されるんだ……」

 一人でぶつぶつ言っていた。

「今は午前? それとも午後?」

 富田圭子が言った。時計は八時三十五分。

「午前だ」

 村上が答えた。

「どうして?」

 自身の顎に触れながら、

「髭の長さで分かる。六日の午前八時半だ」

「そう……。ここに拉致されたときのことを憶えてる人はいる?」

 続けて富田圭子が言った。

「自宅でストレッチをしていました。多分、そのとき襲われたんだと思う」

 安城が言った。

 体質で薬の効果が違ったのか、少しでも思い出せたのは、僕と安城の二人だけだった。

「改めて自己紹介しませんか? まだ、ちゃんとはしてないですから」

 安城が提案し、自ら自己紹介を始めた。

「私は安城弐基です。スポーツ関係の仕事をしています」

「僕は浜田栄治。薬の研究をしています」

「ひょっとして、癌の研究をなさってる? わたしテレビで見たことがあります」

 富田圭子の言葉に浜田がうなずいた。

 それにしても癌の研究とは……。

 次は僕の番だ。

「学生です。築知澄と言います」

「俺は村上征治。鉄工関係の仕事だ」

「わたしは富田圭子。今は世界中を旅してます」

 残りは一人。部屋の隅に目を移した。

「遠藤祥子です……」

 それだけ言うと口をつぐんでしまった。

「対戦相手と対戦順番が決まっているのね。最初が村上さんと安城さん」

 富田圭子が言った。

「その次が僕達……」

 浜田が言った。

「ふん。馬鹿馬鹿しい」

 村上が冷ややかに言った。

「一体、何のために……?」

 と、安城。

「恐ろしく手間をかけたな。溶接も丁寧だ」

 村上が言った。彼は鉄工関係の仕事をしている。

「怨まれるような憶えのある人は?」

 富田圭子の発言で場がシンとなった。

「そう……」

 富田圭子が残念そうにした。

「そうって、あんたはどうなんだ?」

 村上だ。口調に怒りを感じた。富田圭子の言い方が気に食わなかったのか。それとも本当に憶えがあったのか。

「ないわ」

「こんなことして誰が得するというんだ……」

 浜田が言った。

「どこかにドアがあるはず」

 富田圭子が部屋の中を見回した。

「違うな。どこもかしこも溶接されている」

 村上が言った。

「中から男を見ました。箱に小さな穴が開いてたんです」

 見たことを話した。

「男?」

「どんな奴だった?」

 富田圭子が目を光らせた。

「顔は見えませんでした。中肉中背で、年は……いや、分からない……」

 と、

 一瞬、エンジンの調子が乱れた。

「発電機か?」

「山の中なのかも……」

 富田圭子が言った。

 人の考えには、それほどの違いはないのだな。そんな能天気なことを僕は考えていた。


     ●


 時計が一回りした。半日が過ぎてしまった。

 不本意に集められた我々の中にも、なんとなくグループめいたものが出来ていた。

 富田圭子と遠藤祥子は時計の下辺りにいた。男性四人の位置は微妙だ。僕の近くに安城。浜田と村上は、それぞれ少し離れた場所にいた。

 富田圭子と遠藤祥子が、こそこそ話している。と、二人同時に立ち上がり、僕のところにやって来た。

「ごめんなさい。ちょっと場所を変わって欲しいの」

 富田圭子が言った。理由を聞くこともせず、僕は彼女の言葉に従った。

「安城さんも、お願い」

 彼も黙って立ち上がった。

 すると遠藤祥子が、さっきまで安城がもたれかかっていた箱の中に入った。一体、何が始まるのかと思っていたら、シャーという音が聞こえてきた。

 小便をしている。

 なるほど。彼女の箱だ。可哀想に。大分、我慢していたらしい。小便の音は長く続いた。

 僕と安城は時計の下に移動した。

 こんなのが、いつまで続くのか……。溜まったストレスが土手の弱い場所を探している。もう一雨で決壊だ。

 本当に出してもらえるのか──?

 あと少し我慢していれば解放してもらえるのかも。“ドッキリ”の札を持って誰かが現れるとか。

 と、

 安城が足で踏みつけて刀を曲げ始めた。

 何のつもりだ? 一体?

 そのとき、

「貴様、何してる!」

 村上が安城に詰め寄った。すると、

「正気な内にな。飢えと喉の渇きで、おかしくなってしまうその前に──」

 安城が答えた。

 けれど注意事項には、部屋の備品を故意に破壊してはならないと……。

 だが確かにそうだ。ひょっとしたら殺し合いだって始めてしまうかもしれない。

 いや待て──。

 国のトップを見ても分かる通り、完全にアホ化してしまった現在の日本。しかし同時に平和呆けもしている。

 人なんか殺せない。まして一番勝負の安城は温厚だ。

 ここで餓え死にするしかないのかも……。

 だが、

 信じられないことが。

 村上が安城に斬りつけた。

 すんでのところで身をかわし、

「何をする!」

 安城の怒声で壁が震えた。

「殺したくはないが──殺したくはないが、殺さなければ死ぬくらいなら、お前を殺してやる!」

「刀を置け!」

「そんなことを言ってると──」

 目が本気だった。

 刀を高く構えた。

「そうか。私も殺されたくないからな」

 安城も刀を手にした。


     ●


 始まってしまった。

 正真正銘の真剣勝負。人と人との殺し合い。

 富田圭子が錐で穴を開けるときのような目をしている。

 ひょっとして楽しんでいる?

 ──村上が刀を振り下ろした。

 思わず目を逸らし、再び目を向けたとき、倒れていたのは、しかし村上の方だった。

 幸運に助けられたのか?

「ぐばっ」

 村上が不思議な音を出した。痙攣している。

「どうした?」

 駆け寄って安城が抱き起こした。刀が腹に刺さっていた。

 倒れた拍子に自分で自分を刺してしまったらしい。

 暫らくすると全く動かなくなってしまった。

 そのとき、

「ラ、ランプが!」

 浜田が叫んだ。

 ランプの一つが消えていた。

「くそっ! 奴らは本気だ!」

「奴ら? 浜田さん。奴らとは?」

「知らん! こんなこと一人じゃ無理だろ!」

「死体を箱に入れないと」

 富田圭子が言った。村上の足を抱えて、

「そっちを持って」

 安城に向かって言った。

 だが彼は我を失っていた。

「築さん! 手伝って!」

 今度は僕を指名した。

 二人で村上を箱に入れて蓋を閉めようとしたとき、

「待って! 紙片を回収しないと!」

 富田圭子が言った。

「落ち着いたものだ……」

 実際、僕は感心していた。

「先月までインドにいたの。死体なんか見飽きてる」

 そう言って側面のボタンを押した。


     ●


 床に横になって眠ろうとしていた。

 大学生になってアパートで独り暮らしを始めると、明るい場所でも平気で寝られるようになってしまう。

 上の階には芸大生が住んでいる。

 N芸大。斉藤という男。

 彼のモットーは、「人はそれぞれの道を持っている」。

 いつも描きかけの絵を壁に立てかけている。

 不思議な絵だった。直径の異なる複数の球体同士がチューブで繋がれていた。針金で作った昆虫や、巨大なビー玉みたいなオブジェもあった。

 芸大を見学させてもらったことがある。

 五分くらい美学概説の講義を聞いた。

 実習室も見せてもらえた。大きな空間をパネルで区切り、そこには何十もの絵がかけられていた。ステンレス製の長い流し台は、絵の具を溶いたり筆を洗ったりするときに使うらしい。

 屋上で制作している学生がいた。溶いた絵の具をビニール袋に入れて、それをパネルに投げつけていた。絵の具が飛び散ると、そこに新たな表情が生まれる。

 下に小さな池が見えた。自家製ボートに乗って遊んでいる学生がいた。

 本当に自由な雰囲気。

 昼は学食で定食を食べた。

 ああ……。

 腹が減った……。

 目を開けた。

 壁の時計は一時。

 村上の死から十七時間後。水とパンはなくなってしまった。

「感じないか?」

 安城が、おかしなことを言ってきた。

「え?」

「我々は駒だ」

「駒?」

「そうだ。分からんか?」

「ええ」

「誰が生き残るかを賭けている。それが目的だ。とにかく生き抜く。前向きにな。それと何かおかしくないか?」

「おかしい?」

「いや。妙に体がな……。気のせいか……。パンと水のせいでなければいいんだが……」

 それ切り黙ってしまった。

 前向きか……。前向き、前向き、前向き……。

 意味もなく唱えた。

 希望さえ無くさなければ、どうにかなるのかもしれない。

 とにかく眠らないと。


     ●


 何だ? 誰の声だ?

 父さん? 父さんなのか?

 父さんの声だ……。

     ・

     ・

     ・

     ・

     ・

「今日、病院に行ってきた」

 父が言った。

「そう?」

 テレビを見ていた。父の話など、ほとんど上の空だ。

「紗江子が」

「うん」

「癌なんだ……」

「嘘だろ?」

 父の顔を見た。

「本人は胃潰瘍だと思っている。だが、もう長くない」

 そのとき妹が帰って来た。

「あら。どうしたの? 二人で?」

     ・

     ・

     ・

     ・

     ・

 紗江子……。

 何だ? 誰がいる?

 刀?

 冗談はよしてくれ。時代劇でもあるまいし……。


     ●


「死ねない。僕は死ねない……」

 目覚めたとき、目の前に刀の刃があった。

「起きろ! 起きて僕と戦え!」

 浜田──。

 慌てて体を起こした。

「何だ!」

「取れ!」

 刀を投げつけてきた。

 這うようにして立ち上がった。

「子供のころから勉強ばかりしてきた。それで、やっと癌の特効薬を……」

 浜田が言った。

「癌の特効薬?」

「ああ。どんな癌も百パーセント治せる」

「ほ、本当か?」

 しかし……。

 日本の役人は自分達に必要なものは即日にでも実現させる。なのにそれ以外は、たとえ公共の利益になるものであっても、歩みはかたつむりよりものろくなる。

 彼らは自己中心的な考え方しか出来ない。

 ──迫って来た。

「た、助けて!」

 どうして──? 誰も止めようとしてくれない。

 安城も……。

「戦いなさい! そのままじゃ殺される!」

 富田圭子の声だ。

 自分の耳が信じられない。

「築君! 戦うんだ!」

 今度は安城が。

 何てことだ。戦うことを求められている。

 逃げられない。

 腹を決めるしかなかった。

 しかし持っている札は最大限に使わせてもらう。

「浜田さん。お願いがあります。今から言うことを聞いてくれなければ、僕は戦わない」

 落ち着いて腹に力を入れて話した。

「な、何だ? 言ってみろ」

「妹が癌です。××病院に入院しています」

「うん?」

「あなたが生き残れたときには妹に薬をやって下さい。でないと戦わない」

「わ、分かった」

「本当ですか?」

「本当だ。約束する。命にかけて誓う」

 僕は刀を抜いた。


     ●


 ここから出られるのは、多分、僕か浜田のどちらか。安城は若くないし、後の二人は女性だ。

 刀を構えた。

 が、そのとき、

「薬は要らないか!」

 浜田が叫んだ。

「僕が死ねば薬なんかもらえないぞ!」

 確かにその通りだ。間違いなかった。

「分かりました」僕は決断した。「その代わり約束ですよ」

 勝負を放棄して刀を下ろした。

「や、約束は、か、必ず守る──」

 浜田が上擦った声で言った。

 目を閉じた。

「一瞬で済ませて下さい。急所を狙って一撃で倒して下さい」

「やめなさい! 卑怯よ! 築さん! 戦って!」

 富田圭子の声が聞こえた。

「うるさい! 部外者は黙れ!」

 浜田が怒鳴り返した。

「いやー!」

 遠藤祥子が叫んだ。

 僕は目を開いた。

「築さん! 約束が守られるとは限らないのよ!」

「薬は必ず与える!」

「安城さんは強いわ! 有名な剣術家よ!」

「嘘だ!」

「本当だわ!」

「ほ、本当か……?」

「──剣法道場を経営している」

 浜田の質問に安城が答えた。

「くそっ!」

「築さん! 分かったでしょ! 彼が生き残れるとは限らないの!」

 何てことだ……。もう少しで無駄死にするところだった……。

 負けるわけにいかなくなった。

 でも浜田に勝っても……。

「う、わ、わ、わ!」

 奇声を発しながら浜田が斬りこんで来た。逃げ切れたと思ったとき、額に激しい痛みを感じた。

 額からの血で視界が大きく失われた。

「うわっ!」

 無茶苦茶に刀を振った。

 と、

 おかしな感触が……。

 偶然、浜田の喉に刀を突き立てていた。

「ひっ!」

 刀から手を離し、その場に尻餅をついた。

 浜田は立っていた。が、一歩、右足を踏み出して──そのまま床に倒れた。


     ●


 母の死よりも前に妹は一通りの料理を作れるようになっていた。それで我が家は母の味を失わずに済んだ。

 そんなことを遠藤祥子に話していた。

 彼女の話も、あまり楽しいものではなかった。

 彼女は一人っ子だった。両親は離婚している。その離婚の原因が自分だったと言った。

「動物園に行く約束だった。でも母が風邪をひいて、わたしは父と二人で家を出た。途中、わたしが熱を出して、仕方なく家に戻ったら、居間に知らない男の人がいて、父がその人を殴った。わたしは父にも母にも引き取ってもらえなくて、高校を卒業するまで施設でいた」

 僕と彼女は狩られる側の人間だった。お互いにシンパシーを感じていた。

 浜田が死んだ後、もう一人、剣術家がいることを知った。

 富田圭子。彼女がそうだ。

 安城からオリンピック級の剣士だと教えられた。

 どうして今頃……。聞いたところでどうしようもない……。

 これは本当に命を懸けたゲームなのか? もしそうなら、安城と富田圭子はゲームを面白くするための駒で、僕たちはただの頭数だ。

 ──浜田の死から二時間。

 次の勝負は遠藤祥子と富田圭子。

 結果は決まったようなものだ。

 富田圭子は先月までインドにいた。ひょっとしたら剣の修業だったのかもしれない。ビートルズの時代から、インドは定番の修業スポットだ。

 仮に彼女達の勝負が始まったとして──いや、そんなことは有り得ない。

 僕の勝利は偶然だった。

 だが安城は?

 勝つべくして勝っている。それでも殺意はなかったと信じたい。

 その気になって欲しくなかった……。


     ●


 湖底にたゆたう泡の如くに、それは始まってしまった。

 富田圭子が刀を手にした。

「やるのか?」

 安城が言った。

「死にたくないもの」

 遠藤祥子にも刀を渡した。

「相手にするな」

 僕は言った。

「剣士だ。無抵抗の人間に手出しは出来ない」

 なのに彼女は、

「わたし戦う」

 立ち上がった。

 死にたいのか……?

「祥子さん。刀は体の正面で構えて」

「ありがとう」

 遠藤祥子──その通りに刀を構えた。

「やめろ!」

 二人の間に分け入ろうとした。

 が、安城に羽交い締めにされた。

「すまん……」

「放せ! 殺人だぞ!」

「分かってる」

 そのとき僕は気付いた。

「あれを! 鉄板が、めくれている! あそこから出られるかもしれない!」

「無理ね。狭いし、それに届かない」

 富田圭子が言った。

「いや。この箱が使える」安城は続けた。「試そう。その価値はある」

 やっと安城から解放された。

「狭すぎるわ」

「刀を使えば広げられる」

「分かった。じゃあ、一時、休戦」

 富田圭子が床に刀を置いた。遠藤祥子もそれに倣った。そして床にへたりこんでしまった。

「築君。手伝ってくれ」

 二人で箱を移動した。そして二段重ねに。まだ十分でない。その隣に二つ並べて箱を置いて土台にした。そこから三段目を。

 その三段目に上った。

「刀を貸して下さい」

 安城から刀を受け取って作業を始めた。

 しかし、

「高くて上手く力が──」

「よし。そっちに行く」

 箱の上で安城に肩車された。

「どうだ?」

「大丈夫です。そのままキープをお願いします」

 だが、めくれは少しも広がらない。

「駄目です! 一度、下ろして下さい!」

 肩車から下りた。

「やり方を変えて、もう一度やってみましょう」

 しかし天井を見た安城は、

「無理だ。もう、あきらめろ」

 そう言って箱から下りてしまった。

「そう。残念ね。勝負、再開ね」富田圭子が言った。「安城さん。築さんをお願い」

「ああ」

 勝負が再開されてしまった。

「くそっ!」

 箱の上で、ひざまずいた。

 二人が対峙している。

 次の瞬間、富田圭子が動いた。

「いええい!」

 遠藤祥子が血を噴いた。

 僕は叫んでいた。


     ●


 三つ目のランプが消えた。

 遠藤祥子を見ることが出来なかった。

 彼女は箱に入れられた。

 不思議だ。経験したことのない高揚感。

“パンと水のせいでなければいいんだが……”

 安城が危惧していたのはこれか?

 あはは。

 安城と富田圭子の勝負が始まった。彼女は裸足になっていた。

「やっ!」

 安城の突き。かわされた。

「さすがだ」

 安城が言った。

「でもあなた、築さんを殺せる?」

 ははは。僕のことだ。

「正直言ってキツい」

「女を殺せる?」

「勝ちを譲って欲しいのか?」

「どうかしら」

「死ぬわけにはいかない」

「どうして?」

「まだ幼い娘がいる」

「そう」

 そして安城の首が飛んだ。


     ●


 血だらけの床に富田圭子と安城が折り重なって倒れていた。

 彼女は意識を失っていた。顔に大怪我をしていた。

 おかしくなっていた僕には何があったのか分からない。

 だからこれは想像だ。

 彼女は死体を箱に入れようとしていたときにバランスを崩した。そしてそのとき顔面を強打した。

「築……さん……」

 気がついた。

「か、髪を……家族……に……渡し、て……。お、お願……い……」

 言われた通り、刀を使って彼女の髪を切り取った。

「あ、ありが……と……う……」

 これが彼女の最期の言葉になってしまった。

 二人を箱に入れた。

 すると床の一部が割れた。

 出口だ!

“全ての勝負の後、生存者が一人と確認された場合のみ、部屋のドアが二十秒間だけ開かれる。”

 中に入った。


     ●


「ですが築さん。信じろと言う方が無理だ。それに薬のこともある」

 二人の刑事が病室まで来ていた。この、僕を苛立たせ続けているのは、中年で赤ら顔の方。その隣にいるのは、まだ二十代に思える。

「おかしなパーティーでもしていたのか?」

 その断定的な口調には怒りさえ覚える。

「違います。これを見て下さい」

 自分の額を示した。包帯の下には刀傷がある。幸い脳には影響がなかった。

「ふん。まあいい。念のため、あの辺りを調べた。そんな建物はなかったぞ。悪いことは言わん。もっと自分を大切にしろ。真面目になれ」

 二人は病室から出て行った。

 刑事の疑い深さには呆れる。

 雪山をさ迷っているところを助けられた。猟をしていた男で名前は森田一。

 父が入って来た。缶ジュースを持っていた。

「飲むか?」

「ありがとう」

「何を言われた?」

 父は追い出されていたのだ。

「血液から薬が検出されたけど合法成分だったと」

「そうか」

「僕の言うことは何も信じてもらえなかった」

 刑事には真実を話した。閉鎖空間。殺しのトーナメント。

 だが彼らの名前を思い出せない……。女性がいたような気もするが、一連の繋がりがひどく曖昧で……。

「どこも痛くないんだな?」

 うなずいて、それから妹の容体を聞いた。

「安定している。お前も退院していいそうだ」


     ●


 実家に戻った。

 テーブルに寿司があった。父が出前を頼んでいてくれたのだ。

「まずは、よかった。お前まで失えば本当にこの家は……」

「父さん。聞いてくれ──」

 だが、

「もう少し落ち着いてからにしないか?」

「分かった……。明日、紗江子に会いに行くよ」

「ああ。元気な顔を見せてやってくれ」

 食後、風呂に入った。湯に浸かりながら色々なことを考えた。

 たまたま見たテレビ番組。鳥は恐竜の子孫だと言っていた。羽毛のある化石が見つかったのだ。それと気嚢システム。気嚢システムは鳥類にしか見られない特徴だ。

 風呂から出て自分の部屋に入った。壁のペナントは修学旅行で買ったものだ。金閣寺がプリントされている。

 あのころは、よかった。母も生きていたし全員が健康だった。

 布団に入ると額の傷が疼き始めた。痛みを感じなくなるまで我慢するしかない。

 その内に、

 徐々に痛みが薄まって……

     ・

     ・

     ・

     ・

     ・

 目の前が真っ白になった。

 雪景色。

 その中を

 僕は逃亡している。

 誰から──? いや。あそこから。あの部屋から。

 蘇る鮮血のイメージ。大量の、血、血、血。

 床が割れた。

 出口だ──

     ・

     ・

     ・

     ・

     ・

 夢か……。

 そのとき一つの名前が。

 富田圭子。

 ああ。思い出した。

 全てを。最初から。


     ●


 妹に会いに行く準備をしていた。

「車を出して来る」

 父が先に出て行った。

 続いて出ようとしていたときリビングの電話が鳴った。

 リビングに戻った。受話器を取ると、

「築知澄さん?」

 聞き覚えのない声が言った。

「はい」

「ゲームはどうでしたか?」

「は?」

「ゲームですよ。遅くなりましたが、まずは生きて出られて、おめでとう。我々としては、ちょっと意外でした」

「お、お前──」

「詮索はよしましょう」

 声は続けた。

「そこでですが、あなたにプレゼントをしたい。一応、上限があって、現金の場合は五百万です。現金以外の場合も臨機応変に対応したいと考えています」

「──」

「出来れば早く答えて欲しい。例えば浜田栄治が開発した薬はどうです? 欲しくありませんか?」

 浜田のことも思い出していた。

「あなた次第です。今からは、どんな些細なことも口外しないように。当方の指示に従って言動には細心の注意を払って下さい。──どうです?」

「な、何も言わない……」

 受話器を握り締めた。

「薬を差し上げます。しかし必ず助かるとは限りませんよ。それは神の領分ですから」

 電話が切れた。

「おい! どうした? 何してる?」

 父の声が聞こえた。

「何も──。今、行きます!」

 受話器を置き、荷物を抱えて玄関から出た。


     ●


 冬が過ぎ、季節は春になった。

 体調は思わしくない。それでも、なんとかやっている。

 宇宙の営みに比べると、人間は取るに足らない存在かもしれない。しかしそれでも生きることは素晴らしい。

 電話のあった二日後、父は妹の主治医から、「投薬を始めとする治療方法を大きく変えたいのですが」そう言われた。「非常に幸運な事例です」と。

 二ヵ月後、妹の癌細胞は半減した。今も順調に減り続けている。

 四月。やっと雪山で僕を助けてくれた森田氏を訪ねることが出来た。

 僕を見つけてくれた場所がどこなのかを聞いてみた。すると、

「聞いてどうする?」

「ちょっと知りたいだけです」

 そう答えた。実は彼らの冥福を祈ってやりたいと思っていた。

「今から連れて行ってやろうか?」

「いいんですか?」

「近いしな」

 三十分ほど車で走り、それから二時間余り山道を歩いた。“近い”の感覚が僕とは違っていた。猟をしている最中に僕を見つけてくれた。今も猟銃を携帯している。

「この辺りだ。憶えてるか?」

「いいえ。全く」

「本当か?」

「ええ」

「あんた。一体、何をしていた?」

 僕は暫らく考えてから、

「さあ……。写真でも撮ってたのかな……。写真が趣味なので……」

 すると、

「いい答えだ。だが細心の注意を払えと言われなかったか? あの場所が見つかれば、どんな言い訳をするつもりだった?」

「あ、あなた──」

「向こうを向け。──動くな! じっとしてろ!」

 銃を操作する音が聞こえた。

 同じアパートの斉藤は言った。──人はそれぞれの道を持っている。

 僕の道は、どこに……

          了



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