HAKO
●
血だらけの床に富田圭子と安城が折り重なって倒れていた。
彼女は意識を失っていた。顔に大怪我をしていた。
おかしくなっていた僕には何があったのか分からない。
だからこれは想像だ。
彼女は死体を箱に入れようとしていたときにバランスを崩した。そしてそのとき顔面を強打した。
「築……さん……」
気がついた。
「か、髪を……家族……に……渡し、て……。お、お願……い……」
言われた通り、刀を使って彼女の髪を切り取った。
「あ、あり、が……と……う……」
これが彼女の最期の言葉になってしまった。
二人を箱に入れた。
すると床の一部が割れた。
出口だ!
“全ての勝負の後、生存者が一人と確認された場合のみ、部屋のドアが二十秒間だけ開かれる。”
中に入った。
●
HAKO
対戦相手と対戦順番
一番勝負──村上征治(背番号1)×安城弐基(背番号2)
二番勝負──浜田栄治(背番号3)×築 知澄(背番号4)
三番勝負──遠藤祥子(背番号5)×富田圭子(背番号6)
注意事項
四番勝負の二人は任意で決めるものとする。
勝負は最後の一人になるまで続けられる。
△
天井のサーモグラフィーにより死亡が認められたときは、壁のランプがそれを知らせる。
△
随時、死体は箱に戻さなければならない。死体を箱に戻したら、白いボタンを押して蓋を閉じる。
△
部屋の備品を故意に破壊してはならない。
△
武器と食事の新たな追加はない。
△
全ての勝負の後、生存者が一人と確認された場合のみ、部屋のドアが二十秒間だけ開かれる。
△
上記の対戦相手と対戦順番が守られなければ、部屋のドアは永久に開かれない。ただし、事故による死亡の場合は、その限りでない。
△
勝負は常に一対一として、不意打ちを禁じる。
以上。
不自然な体勢で目を覚ました。壁にもたれて眠っていたのだ。
真っ暗だ。
どこだ、ここは……?
自分の置かれた状況を、はっきりと悟ることが出来たのは、その数秒後だった。
箱の中に閉じこめられていた。一辺、一メートルくらいの、ほぼ立方体に思える、鉄で出来た箱の中だ。
ふざけている。どうして、こんなことに?
一人暮らしをしているアパートでビデオを観ていた。「グランドクロス」という、多分、B級に入るSFだった。
そうだ。途中、冷蔵庫からウーロン茶を取り出して──そのとき何者かに襲われた。口を塞がれ──その後の記憶がない……。
ひょっとして、クロロホルムみたいな薬を……?
手探りで全身を確かめた。
服が違っている。怪我は……ない……。
箱を蹴ってみた。少しも、びくともしない。思ったより頑丈だった。
何か聞こえる。
──エンジンの音だ。
一体、ここはどこだ? 最悪は地中だ。だがエンジンの音がする。ひょっとして船の中か? 小型のコンテナなのか……?
そのとき、目の前の、鉛筆の芯くらいな小さな光に気が付いた。
そこに目を当てた。
手動のリフトだ。これと同じような箱を荷台に載せている。と、すれば、あの中にも人がいるのか──?
リフトを扱っているのは男性──しかし顔は見えない。
近付いて来る。全て、あいつの仕業なのか?
思わず息を殺した。
目の前に箱を下ろされてしまい、視界が失われた。
その後、人の気配はなくなった。
と、
耳元で“カチッ”と音がした。同時に箱の天井が五センチほど持ち上がった。
──開いた?
手で押し上げて立ち上がった。
目の前に女性が一人いた。彼女も箱の中に立っていた。ちょっとした美人。女優の誰かに似ている。二十代前半か。
僕達は同じ格好をしていた。薄い緑色の上着とズボン。すごく軽い生地で出来ている。靴は真っ白な運動靴。
全く訳が分からない……。
●
「どこ……?」
周りを見回しながら彼女が言った。
「僕にも分かりません」
「わたしは富田圭子。あなたは?」
「築知澄です。ここから出ます」
「わたしも」
僕たちは箱から出た。そのとき彼女の背中の番号に気がついた。数字の6がプリントされていた。
自分の上着も確かめた。
4。
部屋の中を見回した。壁も床も天井も全て鉄で出来ていた。一辺十五センチほどの換気口らしきものが一つあるきりで、出口が見当たらない。床に鉄の箱が六個、ダンボール箱が二個。壁の時計の下に幾つかの赤いランプが並んでいる。
一体どこなんだ……?
●
残りの箱にも人がいた。まだ意識を失っている。同じ薄緑色の服。背番号もあった。
全員で六人。背番号も“1”から“6”。
そして、もう一人、女性がいた。
「出口がないわ……」
壁に沿って歩いていた富田圭子の声が聞こえてきた。それから、
「やっぱり人がいるのね」
僕に言った。
「もう一人、女性がいます」
勇気づけようと思って教えた。恐らく僕以上に不安を感じている。同性の仲間がいた方が、いいに違いなかった。
「生きてるの?」
「勿論」
富田圭子は壁から離れて女性の傍らに立つと彼女の体に触れた。
「本当……」
──あの男はどこに消えたんだろう……?
リフトも見当たらない。
換気口から温風が──中は真っ暗で何も見えない。
ひょっとして何かのテレビ番組? ドッキリみたいな。それなら理解出来なくもない。だが、芸能人でも何でもない僕のような人間を、いきなりアパートから拉致するなんて……。
ダンボール箱の中は何だ?
小さいのから開けた。
パンとペットボトルに入った水だった。いや。水とは限らない。ラベルもなかった。それぞれ六個。これでは二日ともたない。
と、いうことは、すぐに出してもらえる?
もう一つのダンボール箱には、六振りの日本刀が入れられていた。ダンボールの端で切れ味を試してみた。
本物だ。
この状況の意味するところは、すごく禍々しい。
その一時間後くらい、
「築さん!」
彼女は僕の背後を指差していた。
●
男が立っていた。四十歳くらい。目つきが鋭く、日に焼けていた。
名前を尋ねると村上征治だと答えた。背番号は1。
彼は躊躇なくペットボトルに口をつけた。
「水ですか?」
答えてくれない。
よく見ると、ペットボトルのキャップは、一度、開けられていた。
一口飲んでみた。
水だ。
富田圭子も水に口をつけた。村上はパンも食べ始めた。
暫らくして背番号2と3の二人も意識を取り戻した。
二人の名前は安城弐基(背番号2)と浜田栄治(背番号3)。安城は五十を超えているようだ。やや痩せ型。頬が尖り鼻筋が通っている。一方、浜田の方は肥満に近い。穏やかそうな風貌。眼鏡をかけていた。三十代に見える。何だか対照的だ。
五人で意見を述べ合った。
但し、三人は刀の存在を知らない。村上が意識を取り戻す前に僕が隠した。
温風のお蔭で一月なのに暖かい。
エンジンは発電機のもののような気がする。
こんな部屋、町中に作れない。仮に山の奥にでもあるのだとすれば、電気を起こすためには発電機が必要だ。
少し速断かもしれないが僕はそう思った。
●
5番の女性が意識を取り戻したのは、壁の時計が八時五分のときだった。
改めて不思議に思う。
──どうして時計が?
監禁された人間に時計など必要ない。
昔読んだSF小説を思い出した。
主人公が入れられた牢獄には──でも、これは小説じゃない。現実だ。
赤いランプは時間と関係あるのか?
ランプは六つ。一時間も二十四時間も六で割り切れる。
彼女の名前は遠藤祥子。二十歳くらいに見える。小柄で目が大きい。ひょっとしたら十代かもしれない。
気分が優れないらしい。
“わたしに近づかないで”
そんな感じだ。
状況が状況だから仕方ない。
だが浜田が医師だと分かるとそれも変わった。
彼が彼女に下したのは単純な疲労。
全員が揃った。
鉄で囲まれた閉鎖空間に六人。そして六振りの日本刀。
一体、何のつもりだ? 殺し合えとでも言うのか?
有り得ない。一致団結することはあっても敵対は考えられない。
劇的な展開が訪れたのは八時二十五分ごろだった。
浜田が自分のポケットの中に一枚の紙片を見付けた。何か書いてある。
全員が自分のポケットを確かめた。
しかし、
「ないぞ……」
「わたしも」
互いの顔を見合わせた。
村上が、
「どうしてお前だけこんなものが?」
浜田から紙片を取り上げた。
「なんとか言ってみろ!」
浜田は顔を赤くして頬を震わせた。恐らく、こんな扱いを受けたことがない。彼はエリートなのだ。
「いやいや。少し落ち着きましょう。村上さん。声に出してそれを読んでくれませんか?」
安城が言った。
「俺が? どうして俺が?」
「わたしが読む。貸して」
富田圭子が言った。村上は舌打ちして、すごく嫌な顔をした。それでも素直に紙片を手放した。案外、気が小さいのかもしれない。
富田圭子の音読が始まった。
●
対戦相手と対戦順番
一番勝負──村上征治(背番号1)×安城弐基(背番号2)
二番勝負──浜田栄治(背番号3)×築 知澄(背番号4)
三番勝負──遠藤祥子(背番号5)×富田圭子(背番号6)
注意事項
四番勝負の二人は任意で決めるものとする。
勝負は最後の一人になるまで続けられる。
△
天井のサーモグラフィーにより死亡が認められたときは、壁のランプがそれを知らせる。
△
随時、死体は箱に戻さなければならない。死体を箱に戻したら、白いボタンを押して蓋を閉じる。
△
部屋の備品を故意に破壊してはならない。
△
武器と食事の新たな追加はない。
△
全ての勝負の後、生存者が一人と確認された場合のみ、部屋のドアが二十秒間だけ開かれる。
△
上記の対戦相手と対戦順番が守られなければ、部屋のドアは永久に開かれない。ただし、事故による死亡の場合は、その限りでない。
△
勝負は常に一対一として、不意打ちを禁じる。
以上。
●
武器のくだりを読むとき彼女の声が少し上擦った。
「貸せ」音読の終了と同時に、再度、紙片を取り上げると、「武器って何だ? そんなものどこにある?」
村上が言った。
こうなれば隠し通すのは不可能だから、僕は自分が入れられていた箱の中からダンボール箱を取り出した。
言うまでもなく中身は六振りの日本刀。
安城が一振りを抜いた。
「なまくらだが江戸末の本物だ」
「詳しいじゃないか。え? どうしてだ?」
村上が言った。
下に見ている。もし本当に殺し合いが始まれば体格から見て生き残るのは彼だ。
だが安城は温厚だった。
「趣味で集めている。こんなのと違って、もっといいものだ」
「趣味か。これによれば、お前が俺の相手だ」
そのとき、
「無理……」
遠藤祥子が床に崩れ落ちた。
「どうして隠した? 隙を見て殺すつもりだったか? え?」
村上が僕に向かって言った。完全に言いがかりだ。
「それは成り立たないな」
安城が言った。
「何だと?」
「彼はまだ紙片の存在を知らなかった」
安城は頭の回転が速い。一つ借りが出来てしまった。
浜田がランプの下に移動して、
「死亡が認められたときは壁のランプがそれを知らせる……死んだ数だけ消されるんだ……」
一人でぶつぶつ言っていた。
「今は午前? それとも午後?」
富田圭子が言った。時計は八時三十五分。
「午前だ」
村上が答えた。
「どうして?」
自身の顎に触れながら、
「髭の長さで分かる。六日の午前八時半だ」
「そう……。ここに拉致されたときのことを憶えてる人はいる?」
続けて富田圭子が言った。
「自宅でストレッチをしていました。多分、そのとき襲われたんだと思う」
安城が言った。
体質で薬の効果が違ったのか、少しでも思い出せたのは、僕と安城の二人だけだった。
「改めて自己紹介しませんか? まだ、ちゃんとはしてないですから」
安城が提案し、自ら自己紹介を始めた。
「私は安城弐基です。スポーツ関係の仕事をしています」
「僕は浜田栄治。薬の研究をしています」
「ひょっとして、癌の研究をなさってる? わたしテレビで見たことがあります」
富田圭子の言葉に浜田がうなずいた。
それにしても癌の研究とは……。
次は僕の番だ。
「学生です。築知澄と言います」
「俺は村上征治。鉄工関係の仕事だ」
「わたしは富田圭子。今は世界中を旅してます」
残りは一人。部屋の隅に目を移した。
「遠藤祥子です……」
それだけ言うと口をつぐんでしまった。
「対戦相手と対戦順番が決まっているのね。最初が村上さんと安城さん」
富田圭子が言った。
「その次が僕達……」
浜田が言った。
「ふん。馬鹿馬鹿しい」
村上が冷ややかに言った。
「一体、何のために……?」
と、安城。
「恐ろしく手間をかけたな。溶接も丁寧だ」
村上が言った。彼は鉄工関係の仕事をしている。
「怨まれるような憶えのある人は?」
富田圭子の発言で場がシンとなった。
「そう……」
富田圭子が残念そうにした。
「そうって、あんたはどうなんだ?」
村上だ。口調に怒りを感じた。富田圭子の言い方が気に食わなかったのか。それとも本当に憶えがあったのか。
「ないわ」
「こんなことして誰が得するというんだ……」
浜田が言った。
「どこかにドアがあるはず」
富田圭子が部屋の中を見回した。
「違うな。どこもかしこも溶接されている」
村上が言った。
「中から男を見ました。箱に小さな穴が開いてたんです」
見たことを話した。
「男?」
「どんな奴だった?」
富田圭子が目を光らせた。
「顔は見えませんでした。中肉中背で、年は……いや、分からない……」
と、
一瞬、エンジンの調子が乱れた。
「発電機か?」
「山の中なのかも……」
富田圭子が言った。
人の考えには、それほどの違いはないのだな。そんな能天気なことを僕は考えていた。
●
時計が一回りした。半日が過ぎてしまった。
不本意に集められた我々の中にも、なんとなくグループめいたものが出来ていた。
富田圭子と遠藤祥子は時計の下辺りにいた。男性四人の位置は微妙だ。僕の近くに安城。浜田と村上は、それぞれ少し離れた場所にいた。
富田圭子と遠藤祥子が、こそこそ話している。と、二人同時に立ち上がり、僕のところにやって来た。
「ごめんなさい。ちょっと場所を変わって欲しいの」
富田圭子が言った。理由を聞くこともせず、僕は彼女の言葉に従った。
「安城さんも、お願い」
彼も黙って立ち上がった。
すると遠藤祥子が、さっきまで安城がもたれかかっていた箱の中に入った。一体、何が始まるのかと思っていたら、シャーという音が聞こえてきた。
小便をしている。
なるほど。彼女の箱だ。可哀想に。大分、我慢していたらしい。小便の音は長く続いた。
僕と安城は時計の下に移動した。
こんなのが、いつまで続くのか……。溜まったストレスが土手の弱い場所を探している。もう一雨で決壊だ。
本当に出してもらえるのか──?
あと少し我慢していれば解放してもらえるのかも。“ドッキリ”の札を持って誰かが現れるとか。
と、
安城が足で踏みつけて刀を曲げ始めた。
何のつもりだ? 一体?
そのとき、
「貴様、何してる!」
村上が安城に詰め寄った。すると、
「正気な内にな。飢えと喉の渇きで、おかしくなってしまうその前に──」
安城が答えた。
けれど注意事項には、部屋の備品を故意に破壊してはならないと……。
だが確かにそうだ。ひょっとしたら殺し合いだって始めてしまうかもしれない。
いや待て──。
国のトップを見ても分かる通り、完全にアホ化してしまった現在の日本。しかし同時に平和呆けもしている。
人なんか殺せない。まして一番勝負の安城は温厚だ。
ここで餓え死にするしかないのかも……。
だが、
信じられないことが。
村上が安城に斬りつけた。
すんでのところで身をかわし、
「何をする!」
安城の怒声で壁が震えた。
「殺したくはないが──殺したくはないが、殺さなければ死ぬくらいなら、お前を殺してやる!」
「刀を置け!」
「そんなことを言ってると──」
目が本気だった。
刀を高く構えた。
「そうか。私も殺されたくないからな」
安城も刀を手にした。
●
始まってしまった。
正真正銘の真剣勝負。人と人との殺し合い。
富田圭子が錐で穴を開けるときのような目をしている。
ひょっとして楽しんでいる?
──村上が刀を振り下ろした。
思わず目を逸らし、再び目を向けたとき、倒れていたのは、しかし村上の方だった。
幸運に助けられたのか?
「ぐばっ」
村上が不思議な音を出した。痙攣している。
「どうした?」
駆け寄って安城が抱き起こした。刀が腹に刺さっていた。
倒れた拍子に自分で自分を刺してしまったらしい。
暫らくすると全く動かなくなってしまった。
そのとき、
「ラ、ランプが!」
浜田が叫んだ。
ランプの一つが消えていた。
「くそっ! 奴らは本気だ!」
「奴ら? 浜田さん。奴らとは?」
「知らん! こんなこと一人じゃ無理だろ!」
「死体を箱に入れないと」
富田圭子が言った。村上の足を抱えて、
「そっちを持って」
安城に向かって言った。
だが彼は我を失っていた。
「築さん! 手伝って!」
今度は僕を指名した。
二人で村上を箱に入れて蓋を閉めようとしたとき、
「待って! 紙片を回収しないと!」
富田圭子が言った。
「落ち着いたものだ……」
実際、僕は感心していた。
「先月までインドにいたの。死体なんか見飽きてる」
そう言って側面のボタンを押した。
●
床に横になって眠ろうとしていた。
大学生になってアパートで独り暮らしを始めると、明るい場所でも平気で寝られるようになってしまう。
上の階には芸大生が住んでいる。
N芸大。斉藤という男。
彼のモットーは、「人はそれぞれの道を持っている」。
いつも描きかけの絵を壁に立てかけている。
不思議な絵だった。直径の異なる複数の球体同士がチューブで繋がれていた。針金で作った昆虫や、巨大なビー玉みたいなオブジェもあった。
芸大を見学させてもらったことがある。
五分くらい美学概説の講義を聞いた。
実習室も見せてもらえた。大きな空間をパネルで区切り、そこには何十もの絵がかけられていた。ステンレス製の長い流し台は、絵の具を溶いたり筆を洗ったりするときに使うらしい。
屋上で制作している学生がいた。溶いた絵の具をビニール袋に入れて、それをパネルに投げつけていた。絵の具が飛び散ると、そこに新たな表情が生まれる。
下に小さな池が見えた。自家製ボートに乗って遊んでいる学生がいた。
本当に自由な雰囲気。
昼は学食で定食を食べた。
ああ……。
腹が減った……。
目を開けた。
壁の時計は一時。
村上の死から十七時間後。水とパンはなくなってしまった。
「感じないか?」
安城が、おかしなことを言ってきた。
「え?」
「我々は駒だ」
「駒?」
「そうだ。分からんか?」
「ええ」
「誰が生き残るかを賭けている。それが目的だ。とにかく生き抜く。前向きにな。それと何かおかしくないか?」
「おかしい?」
「いや。妙に体がな……。気のせいか……。パンと水のせいでなければいいんだが……」
それ切り黙ってしまった。
前向きか……。前向き、前向き、前向き……。
意味もなく唱えた。
希望さえ無くさなければ、どうにかなるのかもしれない。
とにかく眠らないと。
●
何だ? 誰の声だ?
父さん? 父さんなのか?
父さんの声だ……。
・
・
・
・
・
「今日、病院に行ってきた」
父が言った。
「そう?」
テレビを見ていた。父の話など、ほとんど上の空だ。
「紗江子が」
「うん」
「癌なんだ……」
「嘘だろ?」
父の顔を見た。
「本人は胃潰瘍だと思っている。だが、もう長くない」
そのとき妹が帰って来た。
「あら。どうしたの? 二人で?」
・
・
・
・
・
紗江子……。
何だ? 誰がいる?
刀?
冗談はよしてくれ。時代劇でもあるまいし……。
●
「死ねない。僕は死ねない……」
目覚めたとき、目の前に刀の刃があった。
「起きろ! 起きて僕と戦え!」
浜田──。
慌てて体を起こした。
「何だ!」
「取れ!」
刀を投げつけてきた。
這うようにして立ち上がった。
「子供のころから勉強ばかりしてきた。それで、やっと癌の特効薬を……」
浜田が言った。
「癌の特効薬?」
「ああ。どんな癌も百パーセント治せる」
「ほ、本当か?」
しかし……。
日本の役人は自分達に必要なものは即日にでも実現させる。なのにそれ以外は、たとえ公共の利益になるものであっても、歩みはかたつむりよりものろくなる。
彼らは自己中心的な考え方しか出来ない。
──迫って来た。
「た、助けて!」
どうして──? 誰も止めようとしてくれない。
安城も……。
「戦いなさい! そのままじゃ殺される!」
富田圭子の声だ。
自分の耳が信じられない。
「築君! 戦うんだ!」
今度は安城が。
何てことだ。戦うことを求められている。
逃げられない。
腹を決めるしかなかった。
しかし持っている札は最大限に使わせてもらう。
「浜田さん。お願いがあります。今から言うことを聞いてくれなければ、僕は戦わない」
落ち着いて腹に力を入れて話した。
「な、何だ? 言ってみろ」
「妹が癌です。××病院に入院しています」
「うん?」
「あなたが生き残れたときには妹に薬をやって下さい。でないと戦わない」
「わ、分かった」
「本当ですか?」
「本当だ。約束する。命にかけて誓う」
僕は刀を抜いた。
●
ここから出られるのは、多分、僕か浜田のどちらか。安城は若くないし、後の二人は女性だ。
刀を構えた。
が、そのとき、
「薬は要らないか!」
浜田が叫んだ。
「僕が死ねば薬なんかもらえないぞ!」
確かにその通りだ。間違いなかった。
「分かりました」僕は決断した。「その代わり約束ですよ」
勝負を放棄して刀を下ろした。
「や、約束は、か、必ず守る──」
浜田が上擦った声で言った。
目を閉じた。
「一瞬で済ませて下さい。急所を狙って一撃で倒して下さい」
「やめなさい! 卑怯よ! 築さん! 戦って!」
富田圭子の声が聞こえた。
「うるさい! 部外者は黙れ!」
浜田が怒鳴り返した。
「いやー!」
遠藤祥子が叫んだ。
僕は目を開いた。
「築さん! 約束が守られるとは限らないのよ!」
「薬は必ず与える!」
「安城さんは強いわ! 有名な剣術家よ!」
「嘘だ!」
「本当だわ!」
「ほ、本当か……?」
「──剣法道場を経営している」
浜田の質問に安城が答えた。
「くそっ!」
「築さん! 分かったでしょ! 彼が生き残れるとは限らないの!」
何てことだ……。もう少しで無駄死にするところだった……。
負けるわけにいかなくなった。
でも浜田に勝っても……。
「う、わ、わ、わ!」
奇声を発しながら浜田が斬りこんで来た。逃げ切れたと思ったとき、額に激しい痛みを感じた。
額からの血で視界が大きく失われた。
「うわっ!」
無茶苦茶に刀を振った。
と、
おかしな感触が……。
偶然、浜田の喉に刀を突き立てていた。
「ひっ!」
刀から手を離し、その場に尻餅をついた。
浜田は立っていた。が、一歩、右足を踏み出して──そのまま床に倒れた。
●
母の死よりも前に妹は一通りの料理を作れるようになっていた。それで我が家は母の味を失わずに済んだ。
そんなことを遠藤祥子に話していた。
彼女の話も、あまり楽しいものではなかった。
彼女は一人っ子だった。両親は離婚している。その離婚の原因が自分だったと言った。
「動物園に行く約束だった。でも母が風邪をひいて、わたしは父と二人で家を出た。途中、わたしが熱を出して、仕方なく家に戻ったら、居間に知らない男の人がいて、父がその人を殴った。わたしは父にも母にも引き取ってもらえなくて、高校を卒業するまで施設でいた」
僕と彼女は狩られる側の人間だった。お互いにシンパシーを感じていた。
浜田が死んだ後、もう一人、剣術家がいることを知った。
富田圭子。彼女がそうだ。
安城からオリンピック級の剣士だと教えられた。
どうして今頃……。聞いたところでどうしようもない……。
これは本当に命を懸けたゲームなのか? もしそうなら、安城と富田圭子はゲームを面白くするための駒で、僕たちはただの頭数だ。
──浜田の死から二時間。
次の勝負は遠藤祥子と富田圭子。
結果は決まったようなものだ。
富田圭子は先月までインドにいた。ひょっとしたら剣の修業だったのかもしれない。ビートルズの時代から、インドは定番の修業スポットだ。
仮に彼女達の勝負が始まったとして──いや、そんなことは有り得ない。
僕の勝利は偶然だった。
だが安城は?
勝つべくして勝っている。それでも殺意はなかったと信じたい。
その気になって欲しくなかった……。
●
湖底にたゆたう泡の如くに、それは始まってしまった。
富田圭子が刀を手にした。
「やるのか?」
安城が言った。
「死にたくないもの」
遠藤祥子にも刀を渡した。
「相手にするな」
僕は言った。
「剣士だ。無抵抗の人間に手出しは出来ない」
なのに彼女は、
「わたし戦う」
立ち上がった。
死にたいのか……?
「祥子さん。刀は体の正面で構えて」
「ありがとう」
遠藤祥子──その通りに刀を構えた。
「やめろ!」
二人の間に分け入ろうとした。
が、安城に羽交い締めにされた。
「すまん……」
「放せ! 殺人だぞ!」
「分かってる」
そのとき僕は気付いた。
「あれを! 鉄板が、めくれている! あそこから出られるかもしれない!」
「無理ね。狭いし、それに届かない」
富田圭子が言った。
「いや。この箱が使える」安城は続けた。「試そう。その価値はある」
やっと安城から解放された。
「狭すぎるわ」
「刀を使えば広げられる」
「分かった。じゃあ、一時、休戦」
富田圭子が床に刀を置いた。遠藤祥子もそれに倣った。そして床にへたりこんでしまった。
「築君。手伝ってくれ」
二人で箱を移動した。そして二段重ねに。まだ十分でない。その隣に二つ並べて箱を置いて土台にした。そこから三段目を。
その三段目に上った。
「刀を貸して下さい」
安城から刀を受け取って作業を始めた。
しかし、
「高くて上手く力が──」
「よし。そっちに行く」
箱の上で安城に肩車された。
「どうだ?」
「大丈夫です。そのままキープをお願いします」
だが、めくれは少しも広がらない。
「駄目です! 一度、下ろして下さい!」
肩車から下りた。
「やり方を変えて、もう一度やってみましょう」
しかし天井を見た安城は、
「無理だ。もう、あきらめろ」
そう言って箱から下りてしまった。
「そう。残念ね。勝負、再開ね」富田圭子が言った。「安城さん。築さんをお願い」
「ああ」
勝負が再開されてしまった。
「くそっ!」
箱の上で、ひざまずいた。
二人が対峙している。
次の瞬間、富田圭子が動いた。
「いええい!」
遠藤祥子が血を噴いた。
僕は叫んでいた。
●
三つ目のランプが消えた。
遠藤祥子を見ることが出来なかった。
彼女は箱に入れられた。
不思議だ。経験したことのない高揚感。
“パンと水のせいでなければいいんだが……”
安城が危惧していたのはこれか?
あはは。
安城と富田圭子の勝負が始まった。彼女は裸足になっていた。
「やっ!」
安城の突き。かわされた。
「さすがだ」
安城が言った。
「でもあなた、築さんを殺せる?」
ははは。僕のことだ。
「正直言ってキツい」
「女を殺せる?」
「勝ちを譲って欲しいのか?」
「どうかしら」
「死ぬわけにはいかない」
「どうして?」
「まだ幼い娘がいる」
「そう」
そして安城の首が飛んだ。
●
血だらけの床に富田圭子と安城が折り重なって倒れていた。
彼女は意識を失っていた。顔に大怪我をしていた。
おかしくなっていた僕には何があったのか分からない。
だからこれは想像だ。
彼女は死体を箱に入れようとしていたときにバランスを崩した。そしてそのとき顔面を強打した。
「築……さん……」
気がついた。
「か、髪を……家族……に……渡し、て……。お、お願……い……」
言われた通り、刀を使って彼女の髪を切り取った。
「あ、ありが……と……う……」
これが彼女の最期の言葉になってしまった。
二人を箱に入れた。
すると床の一部が割れた。
出口だ!
“全ての勝負の後、生存者が一人と確認された場合のみ、部屋のドアが二十秒間だけ開かれる。”
中に入った。
●
「ですが築さん。信じろと言う方が無理だ。それに薬のこともある」
二人の刑事が病室まで来ていた。この、僕を苛立たせ続けているのは、中年で赤ら顔の方。その隣にいるのは、まだ二十代に思える。
「おかしなパーティーでもしていたのか?」
その断定的な口調には怒りさえ覚える。
「違います。これを見て下さい」
自分の額を示した。包帯の下には刀傷がある。幸い脳には影響がなかった。
「ふん。まあいい。念のため、あの辺りを調べた。そんな建物はなかったぞ。悪いことは言わん。もっと自分を大切にしろ。真面目になれ」
二人は病室から出て行った。
刑事の疑い深さには呆れる。
雪山をさ迷っているところを助けられた。猟をしていた男で名前は森田一。
父が入って来た。缶ジュースを持っていた。
「飲むか?」
「ありがとう」
「何を言われた?」
父は追い出されていたのだ。
「血液から薬が検出されたけど合法成分だったと」
「そうか」
「僕の言うことは何も信じてもらえなかった」
刑事には真実を話した。閉鎖空間。殺しのトーナメント。
だが彼らの名前を思い出せない……。女性がいたような気もするが、一連の繋がりがひどく曖昧で……。
「どこも痛くないんだな?」
うなずいて、それから妹の容体を聞いた。
「安定している。お前も退院していいそうだ」
●
実家に戻った。
テーブルに寿司があった。父が出前を頼んでいてくれたのだ。
「まずは、よかった。お前まで失えば本当にこの家は……」
「父さん。聞いてくれ──」
だが、
「もう少し落ち着いてからにしないか?」
「分かった……。明日、紗江子に会いに行くよ」
「ああ。元気な顔を見せてやってくれ」
食後、風呂に入った。湯に浸かりながら色々なことを考えた。
たまたま見たテレビ番組。鳥は恐竜の子孫だと言っていた。羽毛のある化石が見つかったのだ。それと気嚢システム。気嚢システムは鳥類にしか見られない特徴だ。
風呂から出て自分の部屋に入った。壁のペナントは修学旅行で買ったものだ。金閣寺がプリントされている。
あのころは、よかった。母も生きていたし全員が健康だった。
布団に入ると額の傷が疼き始めた。痛みを感じなくなるまで我慢するしかない。
その内に、
徐々に痛みが薄まって……
・
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目の前が真っ白になった。
雪景色。
その中を
僕は逃亡している。
誰から──? いや。あそこから。あの部屋から。
蘇る鮮血のイメージ。大量の、血、血、血。
床が割れた。
出口だ──
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夢か……。
そのとき一つの名前が。
富田圭子。
ああ。思い出した。
全てを。最初から。
●
妹に会いに行く準備をしていた。
「車を出して来る」
父が先に出て行った。
続いて出ようとしていたときリビングの電話が鳴った。
リビングに戻った。受話器を取ると、
「築知澄さん?」
聞き覚えのない声が言った。
「はい」
「ゲームはどうでしたか?」
「は?」
「ゲームですよ。遅くなりましたが、まずは生きて出られて、おめでとう。我々としては、ちょっと意外でした」
「お、お前──」
「詮索はよしましょう」
声は続けた。
「そこでですが、あなたにプレゼントをしたい。一応、上限があって、現金の場合は五百万です。現金以外の場合も臨機応変に対応したいと考えています」
「──」
「出来れば早く答えて欲しい。例えば浜田栄治が開発した薬はどうです? 欲しくありませんか?」
浜田のことも思い出していた。
「あなた次第です。今からは、どんな些細なことも口外しないように。当方の指示に従って言動には細心の注意を払って下さい。──どうです?」
「な、何も言わない……」
受話器を握り締めた。
「薬を差し上げます。しかし必ず助かるとは限りませんよ。それは神の領分ですから」
電話が切れた。
「おい! どうした? 何してる?」
父の声が聞こえた。
「何も──。今、行きます!」
受話器を置き、荷物を抱えて玄関から出た。
●
冬が過ぎ、季節は春になった。
体調は思わしくない。それでも、なんとかやっている。
宇宙の営みに比べると、人間は取るに足らない存在かもしれない。しかしそれでも生きることは素晴らしい。
電話のあった二日後、父は妹の主治医から、「投薬を始めとする治療方法を大きく変えたいのですが」そう言われた。「非常に幸運な事例です」と。
二ヵ月後、妹の癌細胞は半減した。今も順調に減り続けている。
四月。やっと雪山で僕を助けてくれた森田氏を訪ねることが出来た。
僕を見つけてくれた場所がどこなのかを聞いてみた。すると、
「聞いてどうする?」
「ちょっと知りたいだけです」
そう答えた。実は彼らの冥福を祈ってやりたいと思っていた。
「今から連れて行ってやろうか?」
「いいんですか?」
「近いしな」
三十分ほど車で走り、それから二時間余り山道を歩いた。“近い”の感覚が僕とは違っていた。猟をしている最中に僕を見つけてくれた。今も猟銃を携帯している。
「この辺りだ。憶えてるか?」
「いいえ。全く」
「本当か?」
「ええ」
「あんた。一体、何をしていた?」
僕は暫らく考えてから、
「さあ……。写真でも撮ってたのかな……。写真が趣味なので……」
すると、
「いい答えだ。だが細心の注意を払えと言われなかったか? あの場所が見つかれば、どんな言い訳をするつもりだった?」
「あ、あなた──」
「向こうを向け。──動くな! じっとしてろ!」
銃を操作する音が聞こえた。
同じアパートの斉藤は言った。──人はそれぞれの道を持っている。
僕の道は、どこに……
了