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(8) 初陣前夜

 隊長達に対するハギリのお披露目が終わると、ラドヴァンは情報の収集と整理に力をいれる。

 もっとも知る必要があるのは帝国本軍の動向だ。

 この情報によって、今後どう動くべきか大きく変わるだろう。


 斥候を小まめに出して、彼らが情報を持ち帰るのを待つ。

 また、行商人、旅人などが持っている玉石混交の情報を集めて精査する必要もあった。


 ヴラーゲン平原はドイェターンの西にあり、西からの情報をもっとも集めていることになる。

 しかし、他の方向の情報も集める必要があった。

 南にはベドラーク街道があり、帝国本領と結ばれている。

 この街道は帝国本軍が通過した街道よりも未整備であり、道中には山道もある。

 なので、大軍の通過には向かず、帝国本軍はこの街道を利用しなかったのだろう。

 しかし、分隊などを派遣している可能性は高く、偵察隊を頻繁に派遣していた。


 北と東には、帝国の脅威はない。

 だが、ルミール建国王が建国時に討伐して組み込んだ部族がいくつもあった。

 また、国境の向こうは当然他国である。

 ヴラーゲンの戦いでセドリアン王国が大敗したという情報を部族や他国が知れば、軍事行動を起こす可能性は十分にあった。

 よって、北と東の情報も集めておく必要がある。


 東西南北、四隣の情報を十分につかむまで、ラドヴァンは軽挙妄動を慎むつもりだった。


 ラドヴァンはそのようにして、ここ数日を過していた。

 その間、ハギリはどうしていたかというと、まずは、弓矢を知ることから始めていた。

 ハギリは剣で後れを取るつもりはなかったが、遠距離攻撃にどれだけ対処できるかを戦う前に知りたかったのだ。


 ハギリはジャネッタとカリーヌに自分の方へ矢を放つよう頼む。


「本当にいいの?」

 短弓を手にしたカリーヌはハギリに確認した。


「ええ、動体視力が上がっているのはわかったけど、どこまで対応できるか確認しておく必要があるから」

 ハギリは木剣ではなく、真剣を手にしていた。

 それも通常サイズよりやや大きめであり、膂力が相応になければ使いこなせない代物だ。

 彼女は今の力であれば、スピードを殺すことなくふるえると計算し、大き目の剣を選んだ。


「手加減はしない」

「もちろん。そうでないと、実戦では何の意味もないから」

「わかった。やりましょう、カリーヌ」

「ええ」


 短弓に矢をつがえる二人。

 そんな二人に対して、ハギリは剣をぶらりと下げて、視線を向けていた。


 二人から矢が放たれ、ハギリの方へと向かう。

 短弓であり、弩や長弓よりも速度や威力で劣る。

 だからといって、常人では二本の矢を迎撃するのはかなり難しい。


 ジャネッタは不安そうな表情で、カリーヌは興味深げな表情で、ハギリの方を見つめる。

 だが、結果はあっさりしたものだった。


 ハギリは雷光のごとく剣を二振りし、矢の迎撃に成功した。

 矢は大地へと落とされる。


「……すごい」

「ハギリってやっぱり、すごすぎるよね!」

 二人は感嘆した。

 ジャネッタは自分にハギリのような力があれば、と思わざるを得なかった。

 そうであれば、もっとラドヴァンの力になれるだろう、と考えてしまうのだ。


「これくらいの速度なら、不意打ちでも、矢数がもっと増えても対応できるでしょう。問題は長弓と弩ね。この二つも体験してみないと」

「長弓部隊はドイェターンにいないから無理。弩なら、ベネシュ様の許可をもらえれば」

「私がもらってくるよっ」

 ジャネッタが口に出すやいなや、カリーヌはベネシュの下へ向かった。

 そんなカリーヌの背中をジャネッタはあきれた表情で見やった。


「協力してくれてありがとう」

「別に……ラドヴァン様のためになることだから」

 ハギリと目線をあわすのを嫌って、ジャネッタはそっぽを向いた。


「さっきの矢も狙いをそらしてくれたでしょう。カリーヌの矢は何もしなければ、私に命中してたけど」

「……私は弓矢がうまくない」

「そうなの。そういうことにしておきましょうか」

 ジャネッタは沈黙を答えにした。


 やがて、カリーヌがベネシュの許可をもらって、三人と弩を扱う隊士でテストを行うことになる。

 弩で放たれた矢の迎撃テストを行うと知ったラドヴァンは、隊内に大きく触れ回らせた。


 弩を扱う隊士の横にジャネッタとカリーヌ、弩の向かう先にはハギリがいる。

 短弓で試験をした時と異なり、周りに大勢の隊士が詰めかけた。

 ラドヴァンとベネシュもその中にいた。


「うまくいきますかな」

 ベネシュがラドヴァンに問いかけた。


「俺は信じているさ。でなければ、これだけ人を集めない」

 ラドヴァンは、ハギリの超絶的な強さをできる限り見せ付けるつもりだった。

 一人でも多くの隊士に、勝てるかもしれないという希望を持たせるためだ。

 隊長達との立ち合いを見せてもよかったが、隊長達に恥をかかせるのは避けざるを得なかったので、これはいい機会だった。

 もっとも逆に失敗すれば、士気が低下するだろう。

 だが、弩一本の攻撃を防げないようではどうにもならない、とラドヴァンは開き直っていた。

 帝国本軍は十万以上いるのだから。


 通常であれば、弩で放たれた矢の迎撃など、まず無理である。

 短弓などとは速度がまるで異なるからだ。

 もし実効射程距離より遠ければ、矢の速度が落ちて迎撃できるだろう。

 しかし、ハギリがいる位置では到底それは望めない。


「ハギリから的をはずして。近くを狙うだけでいいから」

 ジャネッタが真面目な表情で、隊士に念をおす。


「はい、それはもうわかっています。普通ならよけるのも難しいですから」

「ジャネッタ、なんだかんだでハギリのことを心配してるんだね」

 したり顔でカリーヌがうんうん頷く。


「ち、違うわよっ。戦いの前に戦力が落ちたら困るでしょうっ」

 ジャネッタは顔を真っ赤にして反論した。

 カリーヌにからかわれてるとわかっていても、腹立たしいものは腹立たしい。


「それにしても、これが成功したら、常識が覆るよね」

「ええ、それはもう……」

 二人は真顔になり、ハギリに対して腕をあげて合図を送る。

 ハギリは剣を掲げて、それにこたえた。


「じゃあ、お願い」

「いきますよ」

 弩を扱う隊士が弩を操作する。


 弩から矢がハギリの横を狙って、放たれる。


 瞬時にして、矢がハギリの方に迫った。

 通常の動体視力ではまず追えない矢の速さ。

 しかし、『究極の戦士』として強化されたハギリの眼は、矢の動きをとらえることができた。


 ハギリは瞬間的に矢の弾道を計算して、剣でなぎ払う。


 周りで見ていた者達が眼で捕らえられたのは、ハギリが剣をふるったこと。

 そして、地面に落とされた矢だ。


 そのことを認識した隊士達は、「すげぇ!」「信じられん……」「本当かよ!?」と、賞賛、感嘆、驚惑などの想いがこもった歓声をあげた。


「……ジャネッタ、これなら勝てるよ、勝てるって!」

 カリーヌは騒いではしゃぎまくっていた。


「……ああ、お前は初めからそのつもりだったんだろう」

「まぁね! 殿下なら何とかしてくれると思ったよ。でも、本当にすごいよ!」

 カリーヌのはしゃぎぶりに比べて、ジャネッタは落ち着いていた。

 ジャネッタがハギリを見る瞳に当初の敵意の色はなかった。


 二人の横にいる弩を扱った隊士も驚嘆していた。

 この光景を見た誰も彼もが騒いでいた。派手に大仰に。


 帝国に侵略されて、多かれ少なかれ、全員が不安を抱いていた。

 溺れる者は藁をもつかむ、という。

 ハギリの存在はそんな彼らがつかんだ“藁”だったのかもしれない。


 ラドヴァンとベネシュもハギリが成功した様子を見ていた。


「……大したものだ、としか言えませんな」

 ベネシュの語調に賞賛の念がまじっていた。


「これで大軍相手でも、敵前逃亡で軍勢四散は免れそうだな」

 ラドヴァンの表情は極めて明るい。


「元から、そこまでの醜態をさらすことはありません、と言いたい所ですが。そういう危険性がかなりなくなったのは間違いないと思います」

「後は帝国軍の動き次第だな。それと王都か……」

 一転、ラドヴァンの眼差しに憂いの影が覆った。


 ハギリは自分が為した事に対して、歓声をあげてくれる人々を見回していた。

 ジャネッタもカリーヌもラドヴァンもその中にいた。

 だが、ほとんどは名前も知らない人達だ。

 だからこそ、身びいきなどではないからこそ、彼女の心に響くものがあった。


「私の剣は、ここでは必要とされてるんだ……」


 ハギリの小さなつぶやきは、距離がある他の人々には聞こえなかった。

 剣をつかんでいた彼女の手に力が入る。

 彼女は鈍く光る剣身に目を凝らす。

 剣に対する想いを込めて。


 ジャネッタとカリーヌが自分の方に向かってくるのが、ハギリには見えた。

 ハギリは今の自分の気持ちを、素直に表情へ出して、二人の方へ歩き出す。

 ジャネッタとカリーヌはハギリの顔を見て、軽く顔を見合わせる。

 二人が見たハギリの表情はとても眩しいものだった。




 やがて、帝国本軍の動向情報がドイェターンにもたらされた。

 王都目指して進撃しているという情報だ。

 それが一番可能性が高いと考えられていたが、可能性が高いのと事実なのとでは雲泥の差である。

 ドイェターン城内の人々全員がその情報で安堵した。


「順当な動きだが助かったな、ベネシュ」

 ラドヴァンもまた、安堵していた一人だ。

 分遣隊程度なら、ハギリの力を頼りにして戦い抜けるかもしれない。

 しかし、帝国本軍はさすがに強すぎた。


「はい、まさに。しかし、こちらの方面に帝国軍が全く来ないというのは考えにくい話です。ベドラーク街道から、分遣隊が派遣されてくる可能性が高くなったと思われます。こちらの哨戒を強めてはいかがでしょうか」

「その通りだな。哨戒範囲を広げてくれ。各部族の動きの監視も引き続き頼む」

「かしこまりました」


 それから数日は、近隣諸侯、部族、帝国軍分遣隊の情報を得るのに費やした。

 ハギリはその間、戦いに必要な騎乗を練習していた。

 普通であれば、そう簡単に習熟できないはずだが、わずかの期間でかなり乗りこなせるようになる。

 ハギリ自身も


「なぜかわかるんだもの。自分でも驚きね」

 と言ったし、カリーヌに至っては、


「インチキだよ、これって! ハギリ、その力をわけてっ!」

 と、言い放つ始末だった。

 ジャネッタは慣れたのか、あまり驚かないようになってきた。


「ハギリなら、できておかしくない」

 と、ジャネッタは言っただけだ。




 そして、ある重大な情報がドイェターンにもたらされる。

 バジャンク族、ツァラダン族、ガイヘク族の兵団が合流して、出撃したという情報だ。

 目的地はドイェターンである可能性が高かった。


 この三部族はいずれも遊牧民族だ。

 馬や羊を遊牧することによって、生計をたてている。

 ドイェターンの北東にある大草原が勢力範囲である。

 三部族はいずれも、ルミール建国帝によって討伐され、セドリアン王国に組み込まれた。


 この中では、ツァラダン族がかつて最大規模であった。

 しかし、約百年前にあったセドリアン王国の内乱に乗じて挙兵し、当時の新王に討伐されて、勢力を減少させた。

 現在では、この中だとバジャンク族の規模がもっとも大きい。


 ドイェターンでは万一に備えて、戦いの準備に入る。

 もう一日経過して続報が入り、ドイェターン方面に来襲してくるのは確実となった。

 兵力は三千から四千。ドイェターンが保持している兵力より、やや上である。


 ラドヴァンとベネシュは執政官室で対応を話し合う。


「奴らは攻城戦が苦手です。篭城すれば、間違いなくしのげるでしょう」

 ベネシュが献策した。


「それはそうだが……」

 ラドヴァンは頷かず、考え込む。


「もしや、野戦を挑まれるおつもりですか?」

「普通なら篭城して、援軍を待つ。だが、俺達には援軍がない」

「それは確かに……」

 ベネシュは渋い表情になる。ラドヴァンが言うように、援軍のあては現状、全くなかった。


「それに、俺達に対する評判を少しでも高めたい。ドイェターンに攻め寄せられて何も出来ずに篭城しているのと、野戦で撃破するのとではまるで違ってくる」

「おっしゃる通りです。しかし、野戦となると、相手の戦力は我々よりやや上ですぞ」

 遊牧民族の兵団はほぼ騎兵となる。

 歩兵まじりのドイェターンの部隊より、攻撃力、機動力は高いだろう。

 その代わり、装備の質はドイェターン駐留部隊の方が高い。


「それもわかっているつもりだ。俺は一度も指揮をしたことがない。だから、俺の優れた指揮で敵を倒せるってわけにもいかない。賭けになるが、ハギリに期待する」

「…………」

「なぁ、ベネシュ。この程度の敵に勝てないようでは、一万か二万はいる帝国の分遣隊なんて相手にできないぞ。こいつらに勝てることができれば、俺達の武名は上がる。そうすれば、周辺部隊や諸侯を糾合できる可能性が高まる。それでようやく、俺達の兵力が強化されてまともに戦えることができる」

「……ラドヴァン様がそこまでお考えでしたら、何も言うことはありませぬ。出撃準備を整えて、奴らを撃破いたしましょう」

「準備の詳細は任せる。俺が指揮をとるのは初めてだ。拙いだろうが、指揮の補佐を頼む。お前が頼りだ」

「ラドヴァン様。このベネシュ、最善を尽くします」


 かくして、明朝、ドイェターンから出撃して、部族の軍勢を迎撃することとなった。




 夕食後、ジャネッタはカリーヌの部屋を訪れた。


「カリーヌ、話がある」

「どうしたの、思いつめた顔をしちゃって」

「茶化すな。いよいよ戦いになるな」

「そうね、ついにって感じよ」

 まじめな表情のジャネッタに楽天的な表情のカリーヌ。

 いつもの二人だった。


「カリーヌ、私はこれが初めての実戦になる」

「そうなの、私もよ」

 ジャネッタは十八歳、カリーヌは十七歳。

 二人とも、鍛錬は人並み以上に積んでいるが、実戦経験はなかった。


「……カリーヌ、私達はうまくやれるだろうか」

「何をいってるのよ、大丈夫だって。自慢じゃないけど、私もジャネッタもそこらの兵士より強いよ」

「その自負はある。殿下にお仕えする身だから。普通の兵士に見劣りするような武技では話にならない」

「わかってるじゃない。いつも通りにやるだけよ。ジャネッタなら大丈夫だと思うよ」

「……そうね。ありがとう、カリーヌ」

 思いつめていたジャネッタの表情が少し柔らかくなる。


「いいっていいって」

「いつもは、もっとしゃきっとしろ、とか思っていたが、戦いが近づいてわかったよ。カリーヌは殿下に仕えるのにふさわしい武官だってことが」

「おおっ、明日は雨じゃないの」

「私はまじめな話をしているのに……」

「フフッ、ありがとう、ジャネッタ」

 カリーヌは軽く笑って、ジャネッタも笑みがこぼれた。


 もう少し話をした後、ジャネッタはカリーヌの部屋を出た。

 カリーヌは扉がとじた後、いつもの快活な表情から、少し沈鬱な表情となる。


「ジャネッタは本当にまじめね……」


 カリーヌのフルネームはカリーヌ=アビーク=バルディン。

 バルディン子爵家次女であった。

 そうでもなければ、十七歳で王子付き中隊長級武官になどなれない。


 彼女は父親であるバルディン子爵と亡きオタカル二世の思惑によって、ラドヴァン付き武官となった。

 バルディン子爵はオタカル二世のラドヴァンへの溺愛を知っていた。

 なので万一に備えて、ラドヴァンにも投資することにした。

 それが、カリーヌを差し出すということだ。

 オタカル二世は子爵の思惑を承知の上で、ある程度信用できる人材をラドヴァンにつけたかった。

 子爵の領地は北東部にあり、王妃の出身家であるベドナジーク家との関係が希薄だった。

 また、カリーヌは若輩の女性ながら、能力は高く評価されていた。


 カリーヌは何もかも承知の上でラドヴァンの配下になった。

 父親や国王が駒として自分を利用するのであれば、自分もまた利用してやろう。

 彼女はそう考えていた。

 だから、ラドヴァンや同僚に対しても、最初の頃は極めて冷めていた。

 態度には出さないようにしていたが。

 将軍になりたいというのは冗談のように見せかけて、本心だ。

 出世できたとしても、実家に対して便宜を図るつもりは全くない。

 父親を見返してやるために、自分だけの力を手に入れたいのだ。


 しかし、ラドヴァンやジャネッタと接していると、そういう頑なな心が融けて柔らかくなるのを自覚していた。

 ラドヴァンは優しく、気配りができて、有能だった。

 こんな王子様が本当にいるのか、と疑ったものだ。

 ジャネッタは本当にまじめだった。まじめすぎるほどに。

 見ていると、こちらが恥ずかしくなるので、つい茶化してしまう。


 この二人との暮らしは実家での暮らしより、よほど暖かいものだった。

 今の生活を守るために戦うというのも悪くないと考えている。


 カリーヌは先ほどのジャネッタを思い出し、少し笑みを浮かべた。


「私まで弱気になったらどうしたかな、ジャネッタ」


 カリーヌにも初陣の不安はあった。

 しかし、ジャネッタには見せないまま、戦いにのぞむことになる。

 それが、ジャネッタのことを考えた彼女の選択だった。




 ラドヴァンはハギリの部屋に訪れていた。


「どうかされましたか、殿下」

 ハギリは召喚当初の頃より険がとれたように、ラドヴァンは思えた。


「いや、話があってな」

「まさか、夜這いですか?」

 ハギリは真顔でそう言った。


「ち、違うっ」

 ラドヴァンは驚いて否定する。

 召喚後、帰還する時にハギリと馬に同乗したことを思い出してしまう。

 この部屋もうっすらと甘い香りがするような気がして、ラドヴァンは頬が赤くなった。


「冗談ですよ。なんでしょう、殿下」

 ハギリは軽く笑った。

 ラドヴァンは少し渋い表情になるが、真摯な表情になった。


「次の戦いはハギリを頼りにしている。指揮官としては不甲斐ない話だ。すまない」

「いえ、私は問題ありません。私の剣がどこまで通じるか楽しみにしています」

「頼もしいな。一つ聞きたいことがあるんだが、ハギリはどれだけ実戦を経験しているんだ?」

「立ち合いしか経験してません。戦争、殺し合いは次の戦いが初めてになります」

「……人を斬ったこともないということか?」

「そうです」

 ハギリは淡々と述べるが、ラドヴァンは驚きを隠せなかった。

 ハギリの見かけからして、実戦経験がなくてもおかしくない少女だ。

 しかし、ラドヴァンは彼女の剣技を見ており、実戦経験があると勘違いしていた。

 彼はハギリがいた世界について何も知らない。

 ハギリはまだ自分のことについてほとんど語っていなかった。


「……俺はまだ人を殺したこともないハギリに、戦ってもらわなくてはいけないのか」

 ラドヴァンの表情は暗澹としたものになる。

 彼が持つモラルを逸脱していたからだ。


「殿下は人を殺したことがおありですか?」

「いや、俺もない。次が初めての実戦になる」

 ラドヴァンは王子という立場上、血なまぐさいことには関わってこなかった。

 こういう事態にならなければ、初陣は形式上のものになっていただろう。


「なら、立場は同じですよ。気にしないで下さい」

「しかし……」

「前にも言いましたが、私は感謝しています。戦いの場を与えてくださった殿下に」

「…………」

 ラドヴァンの表情は重いままだった。


「本当ですよ。嘘をついてるように見えますか」

 ハギリはラドヴァンを見つめる。

 ラドヴァンも見返すが、今は二人きりで一室にいる。

 それに、ハギリの「夜這い」発言も思い出して、意識してしまい、視線をはずした。


「まだ、戦いたい理由を俺に教える気にはなれないんだな」

「そうですね。またいずれ」

「なら、せめてもう少しハギリのことを教えてくれ。年はいくつなんだ」

「十七です」

「俺と同い年か。ハギリがいた世界では皆、ハギリのように剣技に優れているのか?」

 ラドヴァンがその質問をすると、ハギリの表情は冴えないものになった。

 彼はそれにすぐ気づいた。


「詮索がすぎたようだな、悪かった」

「いえ、いいんですよ。答えさせていただきます。私のように剣に全てをかけてきた女の子なんて、恐らく私の世界では一人もいないでしょう」

「……そうか。わからないでもない。ハギリの剣技は指輪が与えた力がなくても優れたものだと俺は思う。誰でもああいう風になれるわけがない」

 ラドヴァンは、自分の思いを直截に伝えながら、ハギリの剣技をほめたたえた。

 彼なりの心配りだった。

 ハギリは寂しげだが少し笑い、


「殿下のような綺麗な男性にそういわれると、照れてしまいますね」


 と、かえした。


「……俺は口説くつもりできたんじゃないから」

 ラドヴァンは苦笑する。

 ハギリは恐らく冗談を言うことで雰囲気を変えたかったのだろう、と彼は思った。


「殿下、私も明日のことを考えると神経が高ぶります。もうよろしいでしょうか」

「ああ、すまなかった。ハギリだけを陣頭で戦わせるつもりはない。俺も陣頭に出る。明日は一緒に戦おう」

「殿下のお立場で、それはよろしいんですか?」

「召喚した女の子だけを戦わせるわけにはいかない。それに、俺にとって必要なことだ」

 ラドヴァンの瞳にこめられた鋭気がハギリにも伝わった。

 ハギリの寂しげだった笑みが、やや明るいものとなる。


「わかりました。楽しみにしています」

「ああ」


 ラドヴァンは年月が経過しても、この時の会話を忘れることはなかった。


 間もなく、ラドヴァン達が経験する初めての戦いが始まろうとしていた。

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