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いつからだろう。


気がつくと、一人の人間しか見えなくなっていた。





「えと…」


俺の名前がわからなくて少し困った顔をする姉。


俺より7つ年上なのに、思っていることがすぐ顔に出る姉。


それを本人は知らない。


「春希だよ…里歩ちゃん」


出来るだけ、あどけなく彼女に触れる。


「あ…」


掠れた声をあげ、彼女は慌てて俺を抱きとめた。


柔らかな、躯。

外国暮らしの長い自分には物足りないはずの、貧相な日本人の感触は、意外にも俺を蕩けさせた。


なんて薄い、頼りない、温かな柔らかな…躯。

笑いながらさらに抱き着き、そっと様子を伺うと彼女はさらに困惑を深めていた。硝子越しに明るい光がふりそそぐ、ホテルのロビーのラウンジ。


遅れて来た彼女よりも先に、俺は彼女の母親にすでに会っていた。


通訳としてそこそこ活躍する彼女の母親と、有名料理店を営む料理人の俺の父親が再婚する。


二人の様子から、昔付き合いがあったらしいことは察しがついた。


今日は、新しく家族になる顔合わせの日。


最近、父親と祖母と一緒に暮らし始めた俺にとっては家族が増える日。


そんな日に、遅刻してくる彼女は勇気がある。


「里歩ちゃん」


名前を呼ぶ。


知り合いと話をしている美術評論家の祖母と、それを待つように並んで控えている父と母の姿が遠くにみえる。

不安げな彼女に躯を擦り寄せ、満足感が高まるのを認める。


俺の、姉。


このホテルに来るまでは、どうでもよかった存在が、何よりも愛しい。


会ってそれを実感する。


さらにきつくしがみつく。

子供の力では彼女の眉をしかめさせる程度でしかない。俺の小さな躯は彼女に覆われてしまう。


でも、5年もたてば彼女を軽く追い越す。


「里歩ちゃん」


俺の女。


決めた。


これは、決意ではなく、確信。


俺のものだ。


誰にも渡さない。


光を全身に浴びる。喧騒から断絶された空間で俺は誓う。


満ち足りた至福の想いでただただ姉と抱き合っていた―――




※※※



外国暮らしが長かった俺にとって、日本での生活は最初こそ珍しかったが、飽きてくるのも早かった。義務さえこなせば基本的に自由な毎日。


単調な、学生生活。


俺のいた国とは違い、未成年が遊べる場所は多い。

ゲーセンとかカラオケとか…以前いた町にはなかった。中学の一時期は結構入り浸ったがもともとうるさい場所が嫌いな俺はすぐに飽きてしまった。


遊ぶのはほどほどにして、いい大学に行きたいなら勉強すればいいのだろうか。

別になりたい職業もやりたい仕事もないから、高校卒業後2年くらいは海外で好きに過ごして、その体験の中から何かやりたいことが見つかればいいと思っている。むしろ、高校ですでに将来を決め、進学を目指す同年代の連中に驚く。このへんが、もう俺はズレているのだろう。ここは日本だから、仕方ない。

日本では高校在学中にほぼ全員が何らかのカタチで進路選択をするのが普通だからだ。


里歩ちゃんに聞かれたことがあった。

あれは、俺が高校生になってすぐの頃だったか。



「春希はさ、将来どうするの」


ソファに寝転んでスナック菓子を食べながら求人情報を見ていた姉は、ふと気付いたように俺を見上げてきた。


姉のために食後の珈琲をちょうど運んできた俺は、ローテーブルにとりあえずカップを並べる。


姉はそれを眺めていた。


「春希は、何やらしても上手だね」


感心したように言われ、俺は肩を竦める。


「お父さんのとこでバイトしてるからね…ピンチヒッターが脚引っ張るわけにはいかないから、練習したんだよ」


「そっか…えらいね」


力無く笑っている、姉。


「あたしは無理だなぁ…見られてると緊張するもん」

「そうかな?ようは慣れれば出来る仕事だと思うよ」

「そこにいくまでが、大変なんだよねぇ…」


はあ、とため息を漏らしている。


「あたしなんて、仕事に慣れるまえに辞めちゃったし」


申し訳なさそうに言う。

大学で社会福祉の勉強をして資格も取った姉は、1年勤めて退職し、今は求職中の身だ。


それほど気にすることでもないと思うのだが、姉はグジグジ悩む癖がある。


いや。


たいして悩んでいないくせに一応言ってみるのだろう。いつものことだ。


「里歩ちゃん」

「ん?」

「愚痴ならいくらでも聞くから、冷めないうちにどうぞ」


極上の微笑をサービスすると姉はうっすらと赤くなった。

そんな自分に慌てたのか、プイと横を向き、珈琲を飲む。


俺は苦笑を押さえて、ゆったりと珈琲の薫りを嗅ぐ。

ふと目を上げると、姉と目が合った。


いつの間に見ていたのか。目が合ったとたんにまた赤くなる。


素直に考えれば俺に気があるとしか思えない反応だが、素直でない俺は警戒した。


「里歩ちゃん、誰か好きな人でもいるの?」


まさか、と早口で否定する姉はまたさらに赤くなって俯く。


俺は、ニコニコ笑いながら彼女の横にぴったり座りそっと手をとる。


「里歩ちゃん」

「春希…だから違うって」

「俺には話してね?」


今までずっと身体接触を欠かさなかったせいか、俺の中の半分の血を意識してか、里歩ちゃんは俺に触れられることに慣らされてしまっていた。


どんなによこしまな気持ちで抱き着こうが頬にキスしようが、俺が態度に表さない限りは俺の気持ちになんて気づきもしないだろう。


その姉がここまで恥じらったことはあまりなかった。

俺が背中に腕を廻してじゃれつくと強張っていた彼女の躯の力が抜けた。俺としては複雑な気分だが、好きな女に触れて素直に嬉しくもある。


「ずっと一緒にいたい」

「え?」


「さっき言ってただろ、進路のこと。俺は、ずっと里歩ちゃんといられたらいいな」


彼女の耳朶に唇を触れそうなほど近付けて、囁く。


「真面目に…考えなさいよ」


俺を見ずに息を吐くように反駁する。


「はいはい」

「あんたのことだから考えてないようで考えてるんだろうけど、時間が経つのは早いんだからね」


「うん」


まるで母親が言いそうなことを言う。


「でもさ…里歩ちゃんとずっといたいのは本当だよ」


彼女の耳朶がほんのりと色づく。

そっと包み込む。

抱きしめられ、ますます赤くなる姉。


「…あたしもだよ…」


催促すると、消え入りそうなほどのつぶやきが聞こえてきた。


――ずっと一緒だった。


忙しい父母や祖母はほとんど家におらず、比べて俺たちはより家族らしかった。

毎日顔を合わせ、一緒に夕飯を食べ、休みの日には一緒に出掛けた。


つまらない学生生活だからこそ有り余る時間を、彼女と飽きることなく共有できた。


「春希?」

「…何でもないよ」


温かい感情が沸き上がる。この生活を単調な日々だと…そんなこと思っていた自分。


違うだろ。

単調なのは悪くない。


「なにニヤニヤしてるの」

「別に」


両手で抱えたクッションをぶつけてくる姉に好きにさせながら。


俺はこのままずっとこの単調な日々が送れればいいと考えていた。



※※※



姉が眠っている。


客用の寝室から姉の寝室へとやってきては寝顔を見る。眠りの深い姉。

素朴な少女のような顔立ち。やや童顔だが端正な姉の顔は好きだ。


派手な化粧をほとんどしないせいか、肌はきめ細かく艶やかだ。

その滑らかな首筋に人差し指の背で触れる。


「ん…」


わずかに眉をしかめ、喘ぎにも似た吐息を漏らす姉。髪が、さらりとシーツを撫でる。


俺はいつまで我慢できるだろうか。


無理強いして手に入れたとしても、それはきっと長く続かない。欲情する自分に言い聞かせる。

その一方で、朝も昼もなく姉に自分を感じさせたい欲求が日に日に高まっているのも自覚していた。


よく眠っている姉。

吸い寄せられる。


ただ側にいたい。


再び手を伸ばしかけ、やめる。


「里歩ちゃん」


いつになったら、俺のこの気持ちに気付くんだろう。

俺の指先の向こう側で。

姉は穏やかに寝息を続けていた。


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