3.落葉
暑い……。
そこら中雪と氷まみれのこの世界で、暑い、なんてそうそう口にできる言葉じゃない。暑いと言えば、以前部隊に入隊したての新人がストーブにくべる薪の量を間違えて部屋が灼熱地獄になった事があったか。
にしても一体何なのだろう、この暑さは。いや……暑いというより熱いが正しいかもしれない。このじりじりと顔の肌を焼かれるようなこの感覚は……?
それになんだか息苦しいような……?
「熱ッッッッッッ――――!?!?!?」
――息が、息が出来ねぇ!!
本来、意識の覚醒というのは水底から水面にゆっくりと上昇していく時のように緩やかなものだが、今回に限っては急浮上を通り越して水中から空中へ投げ出されたような感覚だった。
目に、鼻に、口に流れ込んでくる何かを受けて、一気に意識を現実に引き戻された。
反射的に体を起こして臨戦態勢に移る。
「お、起きた。おそよう」
「……は?」
目が霞む。泣いているのか?俺が。……いや、これは温くなった水だろうか。顔全体が雑巾のように濡れてしまっている。
ジリジリと痛む皮膚を手で押さえつけ、その指の隙間から聞き馴染みの無い声のする方へと目をやった。
幾度か目を擦り、クリアになった視界の先では一人の少女が胡座を組み、パチパチと火の粉を舞わせる薪を挟んで座っていた。揺れる橙色の光に照らされる彼女は、絹糸かと思う程滑らかで細やかな純白の髪の毛を撫で、翠玉のような双眸でじっとこちらを見据えていた。
その可憐さに一瞬息を飲み、言葉を失いかけた。まるで御伽噺に出てくるような氷の精霊のような見た目だったからだ。しかし、その手に握られている鉄製の湯沸かし器を見るやいなや、俺の中でフツフツと怒りが沸騰を始める。
「お前か……!俺の顔によくも熱湯なんぞ……!」
一つだけ分かるのは、その可憐な少女が自分の顔面に向けて熱湯をぶっかけたということ。俺は本能のやまに立ち上がり、焚き火を挟んで少女の襟首を鷲掴みにして言い寄った。
普通、大の大人――しかも俺のこの見た目だ――に首を掴まれ、牙を晒して威嚇されれば、年齢関係無しに恐怖か怒りの感情が顔に出るだろう。しかし、この少女に限っては表情筋が死んでいるかと思わせる程にピクリとも顔色を変えず、それどころか興味深い物を見るかのように薄らと目を細めた。
「へえ、死にかけていた君を助けたのは私なのに。……君の命の恩人に対する礼の仕方は襟首を掴んで罵声を浴びせることなのかな」
「このガキ……っ……!!…………ん?」
彼女がわざとらしく小さく息を吐き出したのを見て、ワナワナと拳を固めた。腕の歯車がギリギリと悲鳴を上げ、今にもその顔を見るも無惨な状態にしてやろうかと本気で思っていた。
が、僅かに残っていた理性を用いて頭の中で彼女の言葉を再確認すると、奇妙なフレーズが出かかった杭のように引っかかった。
「……死にかけてた?この俺が?」
俺は訝しげな表情で少女の顔を覗き込んだ。しかし、彼女はそれ以上何も言わない。俺が頬を引き攣らせ、いよいよ我慢の限界である事を案に示すと彼女は俺の後ろを幾度か顎で示した。
「私が彼女に頼んだのだ。この寝坊助が起こすなら、熱湯でも浴びせてやれ、とな。……まさか本当にするとは思っても無かったが……。ともかく、命の恩人にいきなり掴みかかるなんて失礼じゃないか。まさか礼儀まで獣に成り果てたのか?」
すると、背後から聞き慣れた声が発せられ、少女の襟首に掴みかかったまま振り向いた。
そこにあるのは無限に広がっているのではと思う程の暗闇。焚き木の光に当てられ、薄緑色の跡が視界を占領しており、何も見えない。
「どういう意味だ。スタビー」
わりかし背が高く、白髪にまみれた痩せた中年の姿が、影の中からヌッと現れた。その片腕には木製の桶が抱えられている。
「どういう意味も何も無い。クレバスに落ちて死にかけていた私達を助けてくれたのは彼女だ」
「クレバス、に……?」
霧がかった頭で必死に思考を巡らせる。
そうか、確か濡れ衣を着せられた俺を捕まえんと追っていたスタビーらと共に巡礼に巻き込まれて……弾みでクレバスに転落したんだ。
俺が脳を回転している間も、手は少女の襟首を掴んだままだった。彼女は大きな抵抗はしないものの、目を細めて訝しげな目でこちらを睨み付けていたので、幾度か軽く咳払いをしてその手を緩めた。
「ああ……何となく思い出して来た。確か影獣共に追われて……って、ちょっと待ってくれよ。クレバスなんぞに落ちて普通生きてられっか!?人呼んで死の渓谷だぞ!?」
「それは君達が特別ラッキーだっただけだよ。……ほら、そこに流れている小川。あれが見えるかい?」
乱れた首元のスカーフを整えながら、少女は焚き火の脇に置いてあったランタンを手に俺の左側を指さした。
青白い光に照らされ、暗闇が晴れる。目を凝らして見ると、その先には真っ黒な岩肌の溝を流れる小さな川があった。
「……あれは、川か?」
「そ。この先には小さな地下水湖があってね。君達はクレバスからちょうどそこへ落下したんだ。いくら水だって相当な高さだったろうから無傷とはいかなかったようだけど……それは君の頑丈さが幸いしたみたいだね」
少女はカラカラと乾いた笑いを発する。否、表情は一切変わらない。
「……どうりで全身が痛え訳だ」
とは言え死ぬ程の痛みではない。打撲や打ち身程で済んでいるようだが、どちらかと言えば筋肉痛のよつな痛みに近い。軍に入りたての頃、ぶっ通しで基礎訓練をしていた頃の筋肉痛に似ている気がする。
「ほら、そこの湖から汲んできた水だ」
俺が全身の怪我を確認している間に、スタビーは手に持っていた桶を少女に手渡した。
「ありがと。ごめんね、怪我人に水汲みなんてさせて」
「いいや、これくらいなら問題無い。添え木も当ててあるし、君から貰った痛み止めの薬もよく効いている。……無理に動かさ無ければ大丈夫だろう」
「痛くなったら言ってよ。薬程度なら分けられるから」
少女はスタビーから桶を受け取ると、その中の水を焚き火の上に吊るしている湯沸かしの中へ注ぎ、蓋をした。熱せられた湯沸かしに触れた水が音を上げながら蒸気となって舞い上がっていく。
「お前ら、打ち解けるのが早すぎやしないか?」
まるで友人のように接している二人を見て、少々違和感を覚える。確かにスタビーは軍人の中でも接しやすい方ではあると思うが、この無愛想な少女が、ちょっとそこらじゃ人に心を開くとは思えない。
「早すぎるというか……お前が起きるのが遅すぎるんだ。もう一日半程は経ったんじゃないか?」
スタビーが哀れみのような目を向けて言った。
一日、半?咄嗟にベルトに括り付けていた懐中時計を取り出して基盤を眺めるも、表面に大きな亀裂の入ったそれは時を刻むのを止めてしまっている。どうやら落下の衝撃で壊れてしまったようだ。
俺は観測士では無いから詳しくまでは分からないが、太陽の沈み具合を見れば、今が午前なのか午後なのか、というのは何となく理解出来る。しかし、ここはクレバスから続いている洞窟の中。太陽どころか空を拝むことすら出来ない。
「君達の時間感覚的には一日と八時間程度だよ。君が目覚めるまでの間にはそれだけの時間があったんだ。色んな話も聞かせてもらったよ。……君達がここへ落ちてきたいきさつもね」
俺は、ハと首を持ち上げてスタビーの方を見た。少女の脇にいるスタビーは口元は緩んでいるが、冷たい視線でこちらを見下げていた。
「お前が上官を殺して逃亡を測った事も、な」
「っ!……だから、俺は……!」
時間が凍り付いてしまったかのように二人が静止する。俺も、スタビーも、何も言わず動かない。そんな雰囲気をものともぜずに、パチリと焚き火から火の粉が上がり、少女は湯沸かしの蓋を覗いてゆらゆらと体を揺らしている。
だが、ヒリつく空気の異質さに気が付いたのか、ようやく少女は首を持ち上げ、その小さな口を動かした。
「お茶、飲む?」
「頂こう」「貰おう」
奇しくも、二人の意見は一致してしまった。
――
ホクホクと立ち上がる湯気と共に、甘く柔らかい香りが鼻孔をくすぐった。簡素なスチールのカップから伝わってくる温度が、若干冷え固まっていた手が徐々に解れいていく。
「砂糖はないよ、高価だからね」
「ああ……不要だ。君の淹れる紅茶は絶品だからな」
静かにカップに口を付け、『お上品』に紅茶を嗜むスタビー。
そういえばコイツは良いトコロの出身だったか。
俺の場合は……この長い鼻が邪魔で飲もうとするとカップが見えない。恐る恐る口にカップを近づけ、音を立てながら口内に紅茶を注ぎ込む。
口に含んだ途端、ふわりと華やかな香りが口いっぱいに広がり、続いてほんのりとした渋みが現れる。しかしそれも長くは続かず、さらりとその全てが流れて消えていく。食道を降りて胃に辿り着いた途端、全身にその熱が伝わり、ほっと思わず息が漏れる。
「ふぅ……、旨い紅茶だな。俺は紅茶は匂いだけ甘い湯みたいなもんだと思ってたが……」
「君、獣人病だから味覚が薄いだろう?君の分は少し濃い目にしてるんだよ」
その単語を聞くだけで喉が締め付けられるような気がする。何食わぬ顔で茶を啜る少女とは反対に、俺の顔はきっと険しく歪んでいるのだろう。
獣人病。それは凍球期より始まった奇病。
単純に言えば、名の通り人間が獣人化する病気であり、症状は人それぞれであるが一般的には体の一部が何らかの動物にものに置き換わる・新たに生え変わるものだ。頭部に猫の耳が生えているだけの者もいれば、足だけが馬に変化し、まともに歩けなくなってしまう者もいる。共通していることは、症状が進行するにつれて体を占める動物のパーツの割合が増え、やがて全身が動物そのままに変化してしまうということだ。臓器や脳もいずれ動物のものに浸食され、末期には正気を失って獣に成り下がるか、死に至るかしか無い。
バツの悪いことに、その発症する原因も治療法も、一切確立されていない。死ぬか、狂うかの二択しか用意されていない病気の発症者は、非発症者から差別・迫害を受け、その見た目の通り獣のような扱いを受けて来た。
「……」
視界の半分ほどを占めている長い鼻と、カップを握りしめる赤黒い縮れた毛がびっしり生えそろった腕が嫌に目に映る。
そう、俺は獣人病を発病しており、その症状は既に全身にまで広がっている。俺の体を蝕んでいるのは熊の獣人病。人間のパーツはほとんど残っていないが、幸い意識だけははっきりしている。まるで、熊の体の中に人間の脳をはめ込んだかのように。
「ごめん、デリケートな所だったかな」
「いんや。……大丈夫だ」
若干気が滅入って声のトーンが落ちる。
これまで生きてきて、迫害を受けた事なんて数え切れない程ある。周りに人は寄り付かないし、話しかけただけで距離を取られるこもなんて日常茶飯事だ。酷い時は街を歩いているだけで石を投げつけられたことだってある。だから、こうして獣人病であることを指摘されても、それはもう慣れっこな訳で、それ程精神的苦痛を伴うものでは無いはずなのだが。
ひょっとすると、初対面であるにも関わらず何食わぬ顔で接してくれていたこの少女のお陰で、自信が獣人病であることをどこか忘れかけていたのかもしれない。
何となく落ち着かず、冷めかけた紅茶を無理くり胃に流し込んだ。
……今度は先程のように紅茶の味を感じられなかった。
そんな俺の様子を見てスタビーはため息をついて空の紅茶のカップを口にあてがい視線を逸らし、少女は小さく肩を竦めた。
「嫌な話題にしちゃったかな」
「いんや、気にすんな。この紅茶に毒が盛られてないだけマシさ」
「……。気を悪くさせちゃったお詫びに、これを見てよ」
そう言うと、少女はおもむろに立ち上がり、耳元にかかっている絹のような頭髪をそっと掻き分けて見せた。
髪の毛の隙間から垣間見える小ぶりな耳は、寒さ故かほんの少しだけ赤みがかっていて――それ以上に目を引くものが耳の背後、乳様突起の辺りにあった。
それはまるで牡鹿の角のような、枯れた木の枝のような、小さな角のような物が皮膚を突き破ってそこから顔を出していたのだ。
「っ……お前……」
驚愕の声が思わず口から漏れ、彼女のすぐ脇にいたスタビーも目を丸くしている。
「……それは、獣人病の……?」
スタビーがそれを覗き込もうとした所で、彼女は髪の毛を抑えていた手を離し、それを隠してしまった。
「そ、私も君と同じだよ。仲間だね」
彼女の翠玉のような瞳はじっとこちらを見据えている。彼女の表情は尚も変わらないが、どこか薄らと微笑んでいるように見えた。
彼女が、獣人病だったとは。俺が重度の獣人病であるにも関わらず、平気な顔をして接していた訳だ。
自然と強ばっていた体から力が抜け、肺から空気が漏れる。固く結び付けたほんの少し力の入れ方を変えただけでするりと解けるように、俺の心の、強ばっていた部分がほろりと融解していった。
だが、今度は逆にスタビーに緊張が走っている様子だ。
「……だが、ソイツは獣人病である以前に上官殺しだぞ。君、我々を助けてくれたことには非常に感謝しているが、彼に気を許すのはやめておいたほうが良い。いつ寝首をかかれるか分からんぞ」
「……」
スタビーの言い分には、何か反論しても無駄だろう。彼はクソ真面目な上に、揺るぎない自分の中での正義を持っている。俺が上官殺しをしていないという何か決定的な証拠を突き出さない限り、彼が俺を敵視するのは変わらないはずだ。
「上官殺しどころか、私の知り合いには親殺しだっている。この氷の世界に、秩序を求めた所で限界があるんだよ」
少女は燃え残った薪を火の中に押し込む。勢いの弱まっていた焚き火が、息を吹き返した。
「人間が共に生活する為には秩序が絶対だ。秩序の無い人間は獣と同義だろう」
変わらぬスタビーの言い分に、彼女は気だるげにため息を着いた。
「君、よく面倒くさいって言われるでしょ」
よくぞ言ってくれた。俺は内心物凄い勢いで首を縦に振って頷いた。流石のスタビーも、彼女の直球な物言いに動揺を隠せずにいる。少女は頬杖を着きながら俺を指さして続けた。
「とにかく、君が獣人病だろうと、人殺しだろうと、今は関係ないんだよ。君達二人ともまとめてクレバスから落っこちて来た遭難者。落ちる前のことで言いたいことがあるなら、二人だけでよろしくやっといてよ」
そうだ、俺達のいざこざに彼女を巻き込む道理は無い。彼女は俺達を助けてくれた、通りがかりの一般人に過ぎないのだ。
「俺は構わないぜ?……何せ無実であることには変わりないからな」
「……ぬぅ」
スタビーは若干腑に落ちなさそうな表情で少女に目を落とした。が、彼女は知らん顔して続ける。
「……。ともかく、君が人殺しだろうが無かろうが。獣人病だろうが無かろうが。私にとっては二人とも、クレバスに落っこちて運よく生き残った人間二人でしかないんだ。……何か弁明したいなら、それは二人で勝手にやってね」
その顔や見た目に合わぬ達観した物言いに、俺もスタビーも若干気負けしている。流石のスタビーも、助けてくれた命の恩人に対してそれ以上論争を続けるつもりは無いらしく、珍しく素直に折れてその場に座り込んだ。
「へ、決まりだな」
「ああ、分かったよ。我々の問題は我々の中で解決するとしよう。君は巻き込まない」
スタビーの言葉にようやく彼女は首を向け、幾度か頷いて見せた。
「決まりだね。……じゃあそろそろ移動の準備をしてよ。もう持ってる薪も無くなりそうなんだ」
彼女は立ち上がり、服に着いた小石や砂を払い落とすと腕を伸ばして伸びをした。そのついでに、若干燃え残りのある焚き火を革製の長ブーツで乱雑に踏みにじって残り火を消した。
「準備も何も、俺達丸腰で落ちてきたんだぜ?」
そもそも俺は武器を携帯していない丸腰の状態だった為、拳銃をホルスターに収めているスタビーと違って本格的に手ぶらの状態だ。普段荷物持ちを任される事が多い故か、何となく落ち着かない気がする。
「そ。じゃあ心の準備だけでもしておいてよ」
少女はランタンを腰のベルトに引っ掛けると、その体躯に似合わない巨大なバッグを背負おうとした。そのバッグは相当な重さのようで、背負おうとしている少女の方が逆に地面に引っ張られてしまっている。
「その荷物、問題が無ければ私が持とう。かなり重そうに見えるし、私も君が荷物を持っているのに手持ち無沙汰なのは少々落ち着かなくてね」
スタビーが腰を屈めてバッグの肩紐を手に取った。それを聞いて少女は感情の読めない表情を浮かべたかと思うと、おもむろに俺の方へ向けてその細く小さな人差し指を突き出してきた。
「なら、この熊ちゃんに頼むよ。それなりに重いと思うし、君、まだ骨が軋むだろう?」
「は、く、熊、ちゃん?」
荷物持ちに抜擢されたかと思えば、それ以上にインパクトのある呼び名が聞こえた。それも史上最悪の。
この少女には俺が、ベッドの枕元で子供の健やかな成長を見守る人形と同じように見えているとでも言うのだろうか。
「ぷっ……」
スタビーが吹き出した。
「……何?見たまんまを言っただけなんだけど……」
悪意など全く無いかのように少女は俺を上目遣いで見上げる。
「……てめェ、このクソガキ……。俺にはヴォルテクという立派な名前が、なあ……!」
「知ってるよ、スタビーから教わったもの。でもその名前、地上訛りがキツくてさ。ボルテク……ボゥルティク……バァルテク……、言いにくいんだよね。だから呼びやすい方がいいでしょ?」
思わずその場にへたり込んでしまいそうになった。俺がもう成人して何年経ったと思ってるんだ?その俺を熊ちゃんだと?冗談じゃない。
「ヴォルテク……妥協しろ。確かにお前の名前のイントネーションは難しい。……地上の北部の訛りだからな」
「……笑いを堪えてるのは知ってるからな」
スタビーが脇腹に手を添え、顔を逸らしてつらつらと言葉を連ねる。だがその肩は小刻みに震えているし、脇腹に響くのか時折表情が歪んでいる。
「はぁ……。仕方ねえな……。どうせそこまで長い付き合いにはならねえハズだし、いいよ。それで」
だが俺の尊厳にとっては間違い無く最悪の期間になるだろう。
「ありがと。潔のいい雄は嫌いじゃないよ」
「……俺はもう何も言わねえ……」
少女がランタンの灯りを頼りに洞窟を進んでいく。一瞬足を止めている内に、周囲は後ろから漆黒の闇に飲み込まれていく。
俺達は顔を合わせて頷き合い、その光に置いていかれぬように歩調を合わせて歩き始めた。
――それにしても、まさかこの歳になって熊ちゃんなんて名前で呼ばれるなんて……。いずれ慣れるんだろうが慣れたくは無いわな。……名前ねぇ。……名前。名前。……そういえば、このクソガキの名前は何だっけか。
「おいクソガキ。そういえば俺のあだ名を勝手に着けやがった割に、お前の名前を聞いてなかったな」
少女はピタリと足を止め、首だけをこちらに向けた。その小さく、色白で柔らかそうな唇がゆっくりと動かされる。
「モミザ、だよ」
「……。おう、そうか。よろしくな、クソガキ」
「っ……」
してやったりと嫌味な笑顔を浮かべてやると、彼女は一瞬目を見開いた。しかし、特に何も言わずに顔を前に向けると再びゆっくりと洞窟の奥へと足を動かし始めた。
「……君達は、存外相性が良さそうだな。ヴォルテク」
「はっ、言ってくれるぜクソ真面目」
「んが……」
前を歩くモミザが、小さく息を零した。それが何の意味を持つのか、俺にはまだ分からない。




