学生時代くらい好きにさせてくれ? いいえ、私は幸せな結婚がしたいのです
「学生時代くらい好きにさせてくれ」
学園に入学した直後に、婚約者にそう言われました。
「どういうことですの? そんなにこの縁談が気に入らないなら、断ればいいじゃありませんか」
「そんなことは言っていないよ。ありがたく婿入りさせてもらうさ」
「でも、あなたは、わたくしが気に入らないのですよね?」
「結婚したら一生一緒にいるのだから、それまでは自由にしたいというだけだ。わかるだろう?」
「いいえ。わかりませんわ! 一生の中で学生時代という自由な時間は、かけがえのないものだと聞きますもの。卒業したら、忙しくて……」
「うるさい、うるさい、うるさい。そんな風に束縛されるのが嫌なんだ。結婚したら我慢するしかないんだから、ほんの三年間くらい目をつぶれよ」
もう、話し合いになりません。
気が強いわたくしは、学園の廊下で怒鳴り合ってしまいました。
入学早々に先生に指導され、恥ずかしい学園生活のスタートです。
そんなことより、わたくしの人生の一大事です。
家に帰って、母に相談しました。当然、父の耳にも入ります。
爵位はあちらの方が高くても、我が家の援助がなければ困るのはあちら。
親同士で話し合い、一度は注意をして様子を見るということになりました。
怒り狂った彼がわたくしにひどいことをしないように、あちらの親族からお目付け役を選んでもらいました。
「おい、やめろよ」と言って、彼を制止してくれる役割の人です。
ちょうど同い年に、彼の従兄弟がいるというのでお願いしました。
翌日、早速彼に文句を言われました。
「お前、親に言うなんて卑怯だぞ」
反省していませんね、これ。
「卑怯も何も、結婚は家同士の契約なんです。信義にもとる言動を見かけたら、当主に報告するに決まっているじゃないですか」
「そういう生意気な態度が許せないんだ!」
信じられないことに、わたくしを突き飛ばしました!
後ろに控えていた彼の従兄弟が、わたくしに駆け寄ってくださいます。
「乱暴な奴ですまない」
と手を差し出して、立たせてくださいました。
更に、床についてしまった手をハンカチで拭ってくださいます。
「あなたみたいな方と婚約したかったわ」
つい、本音がこぼれてしまいました。
「はん、じゃあ、そうすればいい。お前もそいつと学生生活を楽しめよ」
そう言い捨てて、謝りもせずに行ってしまいました。
「もう、彼は駄目ですね」
「ああ、すまない。こちらも伯父に報告しておくよ」
二人で彼の背中を見ながら、ため息を吐きました。
速やかに婚約の結び直しが行われました。
元婚約者の両親は、彼の妹を資産家の平民に嫁がせる覚悟を決めたようです。
「もう、あいつにどう言えば伝わるのか、わからんよ」と肩を落としていらっしゃいました。
「わたくしの育て方が間違っていたのかしら」と涙ぐむ夫人にかける言葉は見つかりません。
共同で立ち上げる予定だった事業は、分家と呼ばれる新しい婚約者の家に引き継がれました。
大きなトラブルになる前に対処できたので、我が家の損害はありません。
元婚約者の家は、我が家との縁が最後の頼みの綱だったので、数年後に爵位返上することになっても不思議ではないようです。
元婚約者の兄――長男は、彼の婚約者の家から、援助をするなら領地にも事業にも指導者を派遣すると言われたそうです。ありがたく受け入れればいいのに、それを断ったとか。
わたくしのお父様は、お母様に「男の友情も、ここまでです。これ以上手を貸すなら、この家を潰すつもりでなさいませ」とお説教されていました。
わたくしは新たな婚約者と、順調に楽しい時間を重ねていきました。
学園内での社交の練習も、当然、今の婚約者と参加します。
初めはお互いに手探り状態だったダンスも、息が合ってきて、さらには相手がどう動きたいのかわかるようになっていきます。
変則的な動きでわたくしをくるっと回そうとしているのに気付いて、自ら回転したら、驚いた顔をしました。
「ふふん、お見通しよ」
得意げに言ってやりましたら、婚約者は一瞬驚いた後に破顔しました。
「まいった。僕たち、以心伝心だね」
「相思相愛ではないの?」
「もちろん、そうだとも!」
わたくしの腰を掴んで、空中に浮かせました。
「きゃあ! やりすぎよ」
「そこ、イチャつかない」
先生に注意されてしまいました。
ちなみに、一年生の時は成績順にクラスが編成されるため、元婚約者はその場にいませんでした。
学園で開催される模擬社交パーティーで、元婚約者を見かけることがありました。
度々パートナーが変わっていました。
本人はモテているつもりのようです。ですが、徐々にお相手の爵位が下がり、更に評判の良くない女生徒に変わっていきます。
同性の友達も離れていき、素行の悪い仲間に入ってしまったようでした。
これ見よがしに女性をエスコートして目の前に来るのがうっとうしいですが、もう関係のない人です。今日はその人なのねと、完全に他人事として眺めるだけです。
わたくしだって、素敵なパートナーがいるのですから。
「いい加減なことをしていたら、新しい婿入り先が見つからないでしょうに」
ランチを食べていたら、友達が憤慨してくれました。先日の、元婚約者の態度はひどいと。
「伯父が文官コースか騎士コースを選べと言っても聞かずに、領地経営コースを選んだそうだ。僕は潔く商業コースに行けばいいと思うけどね」
「お優しい方々ですから、きっぱり切り捨てられないのでしょう。もしかしたら、誰かのお眼鏡に適うかもと夢を見て……。
そんなふうだから、家が傾いてしまったのでしょうに」
あら、思わず、辛辣な言葉が出てしまいました。
お父様が学生時代のお友達だからと、婚約と新しい事業を整えた労力を無にされたので、つい……。
「僕自身、君とのご縁がなかったら、文官コースか商業コースを選ぶはずだった。平民になるのだって、それなりの準備が必要なんだぜ」
彼の言葉に、継ぐ家のない生徒たちがうなずきます。
「卒業してから慌てても、間に合わないからね」
一年生の時は同じクラスで、二年生で侍女コースを選択した友達が胸を張ります。
彼女は「ドレスと装飾品の組み合わせは、奥様より詳しいと言われる侍女になりたい」と、目標を持って勉強しています。
休日に、洋品店に一緒に行くのが楽しみなお友達です。
最終学年になり、結婚式の準備や、結婚後の生活の打ち合わせを進めていきます。
ときどき意見がぶつかってしまいます。
けれど、話もできなかった元婚約者に比べたら、話し合えるだけでありがたいと思えました。
「婚約者」という肩書きがあれば、上手くいく? ――そんなわけありません。
歩み寄って、信頼関係を構築する。一緒に学園に通い、成長する過程を共有できたことは、とても素晴らしい思い出となりました。
将来、頭にくることがあっても、いい思い出が怒りをなだめてくれるかもしれません。「いいところもある人だから」と、許せるきっかけが多いほどいいはずです。
そんな日々を過ごし、ついに卒業式を迎えました。
婚約者同士で衣裳を揃え、お世話になった先生や友達に挨拶をしていきます。
明日には領地に戻ってしまう友達もいるので、とても貴重なひととき。
そんな中、わたくしの名前を大声で呼ぶ、無粋な人がいました。
元婚約者です。
「お前とは婚約破棄だ!」
言うに事欠いて、なんということでしょう。まだ知らなかったのですか?
……ありえない。
「もう三年前に白紙になっておりますが。
ですから、わたくしのファーストネームを呼び捨てにするのはおやめになって」
こういうときは、怒ったらいいですか? 呆れてものも言えないのですが。
「なにを生意気な。泣いて縋るなら、結婚してやってもいいんだぞ。もちろん、俺の愛するペニーを連れていくがな」
「けっこうです。お断りします」
誰ですか、ペニーさんって。
「在学中に一度もエスコートしない婚約者など、ありえないだろう。目を覚まして、これ以上恥をかくな」
本当に頼りになる婚約者です。
「なんだお前は。格下の分家のくせに」
「今は子爵令息だが、婿入りして伯爵家の人間になる。卒業したら平民になる君より上だと認識してほしい」
「へ、平民だと?」
そこへ、一学年下の彼の妹が走ってきました。彼女は運営を手伝っているので、ドレスではなく制服姿です。
「お兄様が、彼女に馬鹿なことを言うから婚約を白紙にされたのよ。
彼女の家からの援助がなくなって、わたくしは卒業したら平民に嫁ぐの。お兄様が馬鹿なせいで、わたくしは道連れにされるんだわ。馬鹿、馬鹿、馬鹿」
兄弟喧嘩が始まったので、わたくしたちはそっと離れることにしました。
それを合図に、皆は卒業パーティーを再開します。
警備の人たちが三名ほど彼らの周囲に立って、わたくしたちには「見苦しいもの」が見えないようにしてくれました。
「あれだけ逞しければ、すぐに平民に溶け込めますね」
「すでに貴族の矜持はないようだしな」
二人で微笑みあって、三年間を共に過ごした人々との楽しい時間に戻るのでした。




