熱意のある騎士
「セレーナ様、セレーナ様? どこにいらっしゃるのですか! 」
柱の裏に隠れているわたしに気づかず、じいやは慌てて廊下を走っていった。その隙に、じいやとは反対方向に向かう。
目的地は、城の訓練場だ。
「おっ! 姫様じゃないですか」
まさかじいやに気づかれたかと思い振り向くと、そこにはフラナンズ王国の軍隊長がいた。黒い髪をかきあげ、豪快に笑っている。わたしが転生する少し前、旅人だった軍隊長はこの国に住み着いたそうだ。その剣技と忠誠心で軍トップにまで上り詰め、父からの信頼も篤い。
「またこんなむさ苦しいところまで来たのですね。今日はどうやってあのじいを巻いたのですか? 」
「フフッ。今日はね、お手洗いに行こうとしたらじいやもついてきたから、柱の陰に隠れたの」
「おおー! そうですか。いやはや、やはり姫様は戦の才がありますな! 」
「ありがとう。やっぱり勉強ばっかだと飽きちゃうから」
──初めての公務から五年。わたしは十歳になった。
あの日から勉強時間は減り、街に行くことが多くなった。わたしもすっかりパン屋の常連である。
ペティーもあれ以来、ばあやに連れられて裏通りで情報収集をしているようだ。わたしに心配をかけまいとしているのか、いつもこっそり出ていく。しかし、その日の夕食を大量に食べるので行ってきたことはバレバレだ。そこでしか知り得ない情報をわたしももらっている。
街の人たちと交流していく中で、わたしはこの国を守りたいという思いを強くしていた。いつ戦争が始まるか分からない。それなのに、みんな明るく前を向いて生活している。
こんなに難儀な運命を背負わされたこの国と国民に、わたしは何ができるか。
考えた結果、この国を二つの国に必要とされるようにすることが、わたしの使命だと思った。
交渉上手な王、防備と長期戦に特化した軍隊、そして商人が多く集まるほどの経済力。この三つを揃えることで、そうやすやすと攻めこまれる国にはなるまい。
しかし、わたしはまだ子どもだ。そこでまずは交渉上手な王の条件をクリアするため、とにかく学をつけることにした。難しい協議にはそれだけ知識が必要だし、頭が良くなれば、簡単に言いくるめられることもないだろう。
こうしてわたしは、この国の王となるべく自身を鍛え続けている。
題して、フラナンズ王国存続計画。
家庭教師兼執事のじいやをまいてまで訓練場にきているのも、剣術を磨き、兵たちと仲良くなるためだ。戦争が始まった暁には、わたしが指揮を取ることになる。弱い王では兵士も不安だからね。
「して、姫様。今日も訓練していきますか? 」
「ええ。もちろん! 」
わたしはドレスを脱ぎ捨てた。下に着ている訓練兵用の簡素な服は、毎日メイドに頼んでこっそり着せてもらっている。正直なところ、この城でわたしの訓練場通いに目くじらを立てるのはじいやだけだ。
しかし、それも今日までだった。
いつものように、わたしは軍隊長との一騎打ちに挑戦した。昔は軽く片手であしらわれてしまっていたが、子どもの軽い体を活かし、最近は互角に戦えるようになってきている。
訓練用の木剣が重なるたびに、カンと固い音が訓練場に響く。
「姫様っ! また一段と強く! なりましたなぁ! 」
隊長は木剣でわたしの脚をすくおうとしてくる。軽くジャンプして避け、後ろに回り込んだ。
「そういう隊長だって! 話しながらなんてずいぶんと余裕そうじゃない! 」
すかさずわたしは、喉元を狙って剣を突き刺す。
「姫様の気をそらせないか、こっちも必死なんですよっ! 」
左足で身体ごと薙ぎ払われかけた。とび箱の要領で跳び越え、お返しに右足のスネを叩く。
「いったい! 」
あまりの痛さに悶絶する隊長を押し倒し、剣を突きつけた。
「ふふっ。これでわたしが百八戦三十七勝七十一敗ね、隊長」
「やれやれ。すぐに勝ちのほうが上回りますよ」
隊長は起き上がり、腕をグルグルと回しながら「もう一戦、どうですか? 」と聞いてくる。
わたしが再び剣を構えると
「ちょっと待った! 」と、声が飛んできた。
「軍隊長殿。誰なんですか、その子ども。こんなところに入れちゃ危ないでしょう? 」
声のした方を向くと、わたしと同じ服の少年が立っていた。見ない顔で、年はわたしよりも少し上だろうか。黒髪に赤い目が映える、子役にでもいそうな凛々しい顔立ちをしていた。
「子どもだとは失礼な! ……姫様すみません。こいつはまだ軍に入ってから日が浅く」
「ええ、いいのよそんなこと」
別にこのくらい、いちいち気にしようとも思わない。わたしの身分を知らないのならば、剣を構えた十歳の女の子なんてずいぶんと滑稽に見えるだろう。
何も知らない少年は、成長期が来ていない足や、わたしのような子どもには大きすぎる革靴を引きずるように歩いてきた。あとで真綿を詰めるといいことを教えてあげよう。
「たしかに、この先はいくら兵士がいても足りないとは思いますが、いくらなんでもこんなに小さな女の子まで入隊させる必要はないでしょう」
軍隊長とわたしの間に立った少年は、わたしの頭に手を置いた。なんだこいつ。馴れ馴れしすぎやしないか。さすがに少し癪に触る。わたしだって聖人ってわけじゃないんだからな。
いやいやいや、姫が手を出しちゃダメ。ここは冷静に、冷静に。
「おい、身分をわきまえなさい。このお方はフラナンズ王国の姫様だぞ」
「え? この子が姫様? ……ああ、はいはい。わかりましたよ。本当、あとでちゃんと理由を聞かせてもらいますからね」
身を屈めてわたしに目線を合わせた少年は、またも続ける。
「ごめんね。君にはまだここは危ないし、もう日も暮れるから早く家に帰りなよ」
「お言葉ですが、わたしはフラナンズ王国の王女、セレーナ──」
「はいはい、分かってるよ」
少年は耳元まで顔を近づけ、「お姫様ごっこ、でしょ? 」と、ささやいた。
あー、やばい。ゾワゾワする。さすがに姫として周りから認めてもらえるようになった今、こんなに舐められるのは久しぶりだ。実年齢はわたしのほうが上なのに。
ちょっと実力を見せてやる。
「──名を名乗りなさい」
「えっ? 」
「こんな初歩的なことも習っていないのかしら? 一騎打ちの前に名乗るのは常識よ」
「……いやいや、なんで一騎打ちする流れになってるの。ここは子どもの来る場所じゃないんだって」
「ならわたしから言います」
軽くジャンプして少年の腕から脱出し、対戦相手に向き直った。
「わたしの名はセレーナ・ド・フラナンズ。この国の第一王女です。売られた喧嘩は買って差し上げます。さぁ、早く名乗りなさい! 」
挑発を受け、一瞬のうちに少年の目に闘志が宿った。
剣に手をかける、その一つ一つの所作に年不相応の慣れを感じる。どうしよう。挑発しといてなんだけど、めちゃくちゃ強そう。
「……君が仕掛けたんだろ、もう。帰してあげようと思ったのに。僕はアルベール・ブラン」
……ん? ちょっと待って、なにか聞き覚えがある気がする。
「今はフラナンズ王国騎士団見習いだ。最初に言っておくけどね、僕はすごく怒っているんだ。たとえ遊びであっても、我らが姫君の名を騙る不届き者は、この僕が成敗してくれる! 」
まぁいいか、とわたしは思考を隅に押しやった。
しかし、わたしが姫だと名乗るだけでここまで反応するとは。このくらい気合の入った人材が欲しかったところだ。
「姫様、おやめください! この者は東の地で大層名を挙げております。今の姫様ではまず勝てません。ここは私が諌めますから、早く城にお戻りください! 」
「やめてくださいよ隊長。僕は止めたんですよ? この子が申し込んだんだ。これから忠誠を誓う姫様に成りすまそうとしているなんて、子どもであっても許せない。戦意喪失させて、先ほどからの無礼取り消してもらいますよ」
「そうよ、軍隊長。この方の言う通り、わたしに対する無礼の詫びは、戦ってからでも遅くないじゃない。それに──」
わたしは、少年改めアルベールを真っ直ぐに見据え、剣を構えた。
「全力のあなたと戦えるのは、これが最後だもの」
「……ああ。君が剣を持てるのもね! 」
実戦さながら、真っ直ぐこちらに向かって走り込んできた。速い。
「だけどね……! 」
精神統一もそこそこに、わたしは右脚で踏み込んだ。
「あなた、この剣術は見たことないでしょう! 」
……この世界に来てから、わたしは自分だけの戦い方を模索し続けた。
力ではとても大人に勝てない。かと言って、なにか才能があるわけでもない。
考え続けていたら、気づいた。
訓練場の模擬戦はともかく、実戦では相手の特徴を知るよしはないんじゃないか。
だったら、その最初の一撃だけでいい。
わたしは剣を両手で持った。
こけおどしでも構わない。時間さえ稼げば、あとは味方が守ってくれるはず。
なんせわたしは姫だから、最低限自分のことを守れるように。
まっすぐ向かってくる相手の不意をつける剣術は、そう!
「胴ぉぉぉおお! 」
日本の、剣道!
「ぐはぁぁあ!」
もちろん、わたしは向こうの世界でやっていたわけではない。ずぶの素人、所詮猿真似だ。きっとこの戦いを剣道部の人に見せたら絶対怒られる。
でも、この世界ではわざわざ胴を狙いにいく剣術があまりない。そりゃそうだ。実戦だったら堅い鉄の鎧をつけているんだから。でも、今日みたいな一度限りの不意打ちなら、決まる!
「……くっ、まだだ。まだ僕は負けてないぞ」
少し地面にうずくまってすぐ、アルベールは立ち上がった。
なんて丈夫な人なんだろう。感心してしまう。見様見真似だからそこまで威力はないけれど、それでも薄っぺらい訓練服の上から直撃したら、ものすごく痛いはずだ。きっとたくさん訓練して来たのだろう。
「そうね。確かに防具をつけた戦いでは、こんなの致命傷じゃない」
「ああ、その通りだ! 」
すぐに体勢を立て直したアルベールはまたもやこちらに近づき、打ち合いに持ってきた。やっぱりとんでもなく強い。力と速さを兼ね備えた攻撃を防ぐだけでも精一杯で、わたしは徐々に後退りしていた。まずい。非常にまずい。
何がまずいって、この国の姫様であるわたしに、アルベールが勝ってしまうことが非常にまずいのだ。
既に騒ぎを聞きつけた兵士たちが、わたしたちの周りを囲んでいる。もちろんみんなはわたしの正体を知っているから、いつでも飛び出せるように準備はバッチリなはずだ。それでも乱入してこないのは、きっと一騎打ちは邪魔してはいけないという暗黙の了解があるからだろう。
裏を返せば、決着がつき次第すぐにアルベールを取り押さえるということでもある。
「僕はこの国で一番の騎士になって! 姫様をお守りし! フラナンズ王国をどこにも負けない国にするんだ! 」
何度か叩きあったあと、何も知らないアルベールは切っ先で靴を狙い、よろけたわたしの喉元に剣を突き刺そうとした。
「僕は、こんなちっぽけで! 役立たずで! それなのに必要としてくれた姫様を、お守りするんだぁぁあ! 」
この言葉で、隅に追いやられていた記憶が一気に蘇った。
アルベールって、あの騎士だったのか。
「姫様、すみません。少しよろしいですか? 」
たしか、一ヶ月ほど前だった気がする。ある日、いつもの訓練後に軍隊長から声を掛けられた。
「ええ、どうしたの? 」
「実は……東にあるイーヒスト国はご存知ですよね? 」
イーヒスト国。この国を囲む二つの軍事国家のうちの一つだ。
「もちろん。……その国でなにか? 」
「まぁ多少は。現在調査中ですのでなんとも。というのも、イーヒストにはわたしをも凌ぐ優秀な騎士がおりまして」
「あら、そうなの? ぜひとも引き抜きたいたいところね」
冗談交じりで言ったところ、軍隊長は期待に胸を膨らませたような顔をした。
「そうなんです、そうなんです! しかもその騎士は、国に対する熱意のあまり王と対立し、国外追放になったそうで。逃亡していたところを私が見つけ、保護したんです」
「ますますいいじゃない。早速フラナンズに来ないか掛け合ってみてくれない?」
「もちろんそうしているのですが……。その騎士は、『主君に背くような真似をした自分など、生きる価値すらない。ましてや、誰かに仕えるなんてできやしないんだ』と申していまして」
「見事に自信を無くしているわね」
「そうなんです、そうなんです! 全く、あいつも成長しましたがまだまだ子どもで……」
軍隊長の口調は、遠い昔を遡っているようだった。少し掘り下げたかったが、わたしはあえて聞かないことにした。過去を詮索するなんて愚帝のやることよね。
「……分かった。わたしが手紙を書いてみる。軍隊長はその騎士に渡してくれる?」
この一言で、軍隊長の顔が霧でも晴れたかのように明るくなった。
「本当ですか! もちろんです。必ず渡します! 」
「そう。じゃあ、その騎士の名前を教えてくれない? 」
「はい。その騎士の名は──」
──間一髪、わたしは剣で喉を防いだ。
とてつもない力で押された。反動で少し飛び、また距離をとる。
「僕の全力を避けるなんて。だけど、二度目はどうかな」
そう言って、アルベールはまた剣を構える。動きのどれをとっても流れる川のように美しく、警戒を解かない兵士たちの間からも感嘆の声が漏れ聞こえた。
たしかに、軍隊長の言う通り、今のわたしではここまで耐えれたのが奇跡とも思える実力差だ。ここは少し卑怯だが、あの手を使うしかない。
「ねぇ。もうやめにしない?あなたの実力はよく分かった。喜んでわたしの家臣にしたいわ」
二撃目を放とうとするアルベールは、烈火のごとく叫んだ。
「なにが家臣だ!僕はもう、セレーナ様に忠誠を誓って……! 」
深く息を吸い込んで、わたしは語りかけた。
「拝啓、アルベール殿」
静まった訓練場に音が伝わり、剣を構えるアルベールの身体が止まる。
「突然の手紙で申し訳ありません。貴殿のご活躍はこの辺境の地にもよく聞こえており、とても勇猛果敢な騎士であることがよく分かります。実は、あなたに我がフラナンズ王国の騎士となっていただきたく、ペンを持った次第です」
アルベールの落とした木剣が、カランと寂しい音を立てた。
言葉を慎重に思い出しながら、わたしはアルベールに歩み寄る。
「あなたは、わたしが描く平和なフラナンズ王国のために必要不可欠な人材です。知っての通り、我が国は地理的、戦略的に非常に重要であり、難しい立場の国です。考えた末、交渉上手な王、防備と長期戦に特化した軍、交易が盛んな街づくり。この三つを揃え、フラナンズを平和な国にすることが、わたしの使命ではないかと思っています」
ついに、手を伸ばせば届きそうなほど近づいた。アルベールは立ちすくみ、「まさか、まさかあなた様が……」と、消え入るような声でつぶやいている。とっくに戦意など消失していた。
でも、これじゃまだ足りない。
今後のアルベールの立場のためにも、武力的な勝ち負けをはっきりさせておいた方が他の兵に対して面目が保たれる。
少し申し訳なく思いつつ、それでいて立ち振る舞いは堂々と、わたしはアルベールの喉に剣先を向けた。
「どうか、フラナンズ王国の騎士として、その力を存分に奮っていただけませんか。よい返事をお待ちしております。フラナンズ王女、セレーナ・ド・フラナンズ」
「……ああ、僕はなんて馬鹿なんだろう。目の前の姫様に気づかず、あろうことか剣まで向けてしまって……! 」
わたしは、アルベールへ優しく微笑むように心がけながら話した。
「過ぎたことは気にしない主義なの。あなたの過去も、無理に詮索するつもりはない。ただ、ここで返事をもらいたいだけ。さぁ、どうする? 」
「……もちろん」
アルベールは跪いた。
「僕、アルベール・ブランは、セレーナ様とフラナンズ王国に永遠の忠誠を誓います。たとえ、なにがあっても」
あとで知ったことだが、この時間はちょうど日暮れ時で、訓練場の窓からも夕日が射し込んでいたらしい。
軍隊長は、飲みの席のたびにしみじみと話すのだという。
「あのときは、セレーナ様の後光が神々しくて。その場にいた誰もが、アルベールと同じことをセレーナ様に誓ったよ」と。




