大人になったら
父上が長年通っているというパン屋にたどり着くと、中から「あんた、今まで何してたのよ! 」と怒鳴り声が飛んできた。
「ふふっ。ほら、早く行きましょう。面白いものが見れるわよ」
母上に手を引かれ店に入る。父上が正座させられ、パン屋のおかみさんにものすごい剣幕で叱られていた。
「子どもが生まれて忙しいってのは分かるけど、三年顔見せないなんてことあるかい! ネコみたいにフラフラ来て、言ってくれればあんたの好きなミルクパン取っておいたのに」
「え? もう売り切れたのか? 」
「当たり前じゃない。こっちだって商売なんだから、売れ残りを作るわけないじゃないか」
「そんなぁ……」
父上はこの世の終わりとばかりにへこんでいる。
「まぁまぁ母さん。そんなに怒ることないじゃないか。嫁さんと子どもの前なんだぜ? 」
人の良さそうなおじさんがなだめる。こちらに気づいたおかみさんは、人が変わったかのように満面の笑みとなった。
「あらまぁ! ミレーユさんも久しぶりねぇ。それにセレーナちゃんも、大きくなって! 」
駆け寄ってきて頭をゴシゴシとなでられる。ただよう親戚のおばさん感。
「最近どう? 忙しかったの? 」
「そうなのよ。もう本当に次から次へと仕事が止まらなくて! 」
ただようママ友との井戸端会議感。父上とわたしは会話から取り残され、おじさんはいつのまにかどこかに消えていた。
「あっ、そうだ。私ったらお茶も出さずに、ごめんなさいね。まだ時間ある? 」
「今日はいくらでも」
「よかったぁ。じゃ、そこ座って。あんたはいつまで床にいるの、こっちきて手伝いなさい! 」
雑に扱われる父上を、母上は明らかに面白がっていた。
イスに座り、二人が戻ってくるのを待つ。
「母上。あの人って誰なんですか? 」
「このパン屋のおかみさん。ここはね、フェリックスが子どものときから通っているの。だからあんな扱いされても、内心喜んでいるのよ」
ああ、納得。王族だと近寄りがたく思う人も多いだろうしな。……父上に関してはそんなことないか。
「ミレーユさん! 紅茶でよかったっけ? 」
厨房の方から顔を覗かせたおかみさんが言った。
「ありがとう! 」
「セレーナちゃんは? 紅茶と牛乳とコーヒーがあるけど」
「牛乳でお願いします」
「あいよー! 」
しばらくすると、人数分の飲み物を持ってきたおかみさんと、なぜかエプロン姿の父上が帰ってきた。また口をもぐもぐさせている。
「ちょっとフェリックス? なに食べてるの」
「おじさんのミルクパンだよ。材料が余ってたから一緒に焼いたんだ」
厨房からピースサインが飛び出している。優しい人みたいだ。
「セレーナもいるか? 」
差し出されたのは柔らかそうな白いパン。食べるとミルクの甘さが口に広がる。
「おいしい! 」
「そう? よかったよ。うちの看板メニューなんだ」
頬杖をついたおかみさんが、うれしそうに目を細める。
「元々、いつ来るか分からない野良猫様にすぐお出しできるように考えたんだけどね。あんまりおいしいっていうから商品化したんだよ」
白い目を向けられた野良猫様こと父上は、パンを味わっているふりをして目をそらす。
「全く、いくつになっても落ち着かないね。結婚騒動のときはあんなに凛々しかったのに」
「結婚騒動? って、なんですか? 」
「あれ? まだ聞いていないの。じゃあせっかくだから、おばさんが教えてあげようか──」
「ちょっとおかみさん! 」
母上が制止する。なんだか顔が赤い。
「その件はまた、また今度話すから! 」
父上も恥ずかしがっている。ますます気になるな。
「えー? そうかい。しょうがないね。じゃあ、事件の真相はお父さんたちに聞いて」
こうも隠されると気になるけれど、今日は教えてくれなさそうだ。
「はーい」
おとなしく引き下がり、あとはおかみさんと母上のおしゃべりをじっと聞いていた。
夕暮れになり、城へと帰った。ペティーたちが一足早く戻ってきている。
「二人とも、今日はいい勉強になったんじゃないか? 明日はじいやの授業もなしだ。ゆっくり過ごしてくれ」
笑顔でそれぞれの仕事に戻っていった大人たち。しかし、別行動をしていたペティーはとても疲れ果てていた。半日ほどしか離れていなかったのに、さらに痩せこけた気がする。
「ペティー? 今日の公務見学はどうだった? 」
「……ほんっとうに、とんでもない目に合いましたよ」
余程大変だったのか、いつもより敬語が崩れている。
「と、とりあえずごはん食べて寝る支度しよっか! 話ならいくらでも聞くよ! 」
ペティーはお風呂に入っている時間も長かったし、夕食をいつもの倍食べていた。使用人が周りからいなくなるまで一言も話さず、だいぶやさぐれている。何があったんだ。
やっとベッドに潜りこみ、部屋で二人きりになったとき、隣から大きな大きなため息が聞こえた。
「セレーナ様。今日の話は長くなりますが、よろしいですか」
断ったら許してくれない声色だ。断るつもりもない。
「今日はいくらでも聞くよ。本当に、何があったの?」
「……セレーナ様たちと別れたあと、私たちは裏通りに行きました。その地域の治安は知っての通りだと思います」
「うん。行ったことはないから噂程度でしか知らないけど」
またまた聞こえる大きなため息。
「ほんっとうにひどい場所でしたよ! ゴミが散乱してるしタバコの煙は臭いし、私が小娘だと気づくや否や連れ去ろうとする変態までいましたからね!」
あー、そりゃペティーも荒れるわけだ。綺麗好きで繊細なペティーには、裏通りは地獄のような光景だっただろう。変態はばあやがはっ倒してくれたと思うけど、それでも心にダメージが入ったはずだ。
「大変だったねぇ」
「もう、二度と行きたくない。──って、最初は思っていたんですけど」
ん?
「母が働いている姿を見て、そうも言っていられないなと思ったんです。むしろ、かっこいいなと」
なんか意外。ペティー、ばあやとあんまり似ていないから。
「どんな仕事してたの? 」
「裏通りに入ってから、私たちは貧困層向けの救護所に行きました。裏口から入り、そこに置いてあったボロボロの服や茶色い染料を使って、変装し始めたんです。いかにも貧民のような格好に」
「変装? ……もしかして、それをペティーもしたの? 」
「はい。嫌だったんですけどね。だけど、かなり高価な染料でした。こすっても中々落ちなくて」
そうか、だから帰ってきたときのペティーが痩せて見えたんだ。
「それから、貧民街で母は聞き込みを始めました。最近の景気はどうだとか、貿易は上手くいっているかとか。情報料がてら、色々な商品も買って。全部救護所に置いてきましたけど。メモは一切取らず、私にも話を暗記するように言ってきました」
「な、なんかすごいことしてるね」
映画に出てくるスパイみたいだ。
「どうしてこんなことしているのか、母に聞いたんです。そしたら『あたしたちは、こうやって支え合ってきたから』と」
「私たち? 」
「ミレーユ様と母です」
ばあやが言うには、イーヒスト貴族出身の母上とその乳姉妹のばあやは、幼い頃から一緒に過ごしてきた。体が病弱の母上に代わり、ばあやが交友関係も調整していたそうだ。
「母が情報を集め、ミレーユ様がそれを元に振る舞い方を決める。フラナンズ王家に嫁ぐと決まったときに色々と問題があって、本国からついてきた使用人も母だけだったそうですし」
「母上が表、ばあやが裏を仕切っているってことか。苦労していたんだろうね」
そういえば、パン屋のおかみさんも不思議なことを言っていた。
「ちょっと話がズレるんだけど、結婚するときの騒動について街の人が何か言いかけてたんだ。でも、父上と母上が制止しちゃって……」
「その件、私も母に聞きました。あの様子、絶対なにか隠していますよ」
「そうなんだけどねぇ……。教える気がないみたいだし」
「城で働いている方も、簡単に口を開かない方ばかりですしね」
わたしたちだけが知らないなにかがある。ただ、それを知る手立てがない。
「そうだ。今日、母と話しているときに気づいたことがあったんです」
「なになに? 」
ペティーは起き上がり、ランプに火をつけて紙を取り出した。わたしも側に行く。ペティーは、簡単なフラナンズ王家の家系図を書いていた。
「じいやテスト対策の続きですよ。まず、初代フラナンズ王はウェストニア出身、王妃はイーヒスト出身でしたよね? 」
「うん。で、そのあとはイーヒストとウェストニア、交互に結婚相手を選出した」
「そうです。なので、二代目女王の婿はイーヒスト出身でした。ここまではいいんですよ。ただ……三代目国王の妻、ミレーユ様もイーヒスト出身です」
「そっか、順番通りならウェストニア出身者になるはずなのに! 」
なんでこんな簡単なことに気づかなかったんだろう。いや、ちょっと待てよ?
終戦時の取り決めが影響して、わたしの結婚相手はほぼ決まっているはずだ。王族と結婚できるほど身分が高く同年代の少年なんて少ないだろうし、許嫁くらいいそうなのに。周りからそんな話は聞いたことがない。
「……なんか、すごい面倒臭いことになりそう」
「同感です」
たしか、この世界も十八歳で結婚できるようになるんだよな?
「あと十三年後、か」
わたしは誰と結婚するんだろう。優しい人がいいな。父上たちみたいに仲良しの家庭なら最高。
そのとき、部屋の壁時計がボーンと鳴った。もう十時になっている。
「ひとまず寝よっか」
「そうですね」
謎を残しつつ、わたしたちはまたベッドに潜った。
これから、どんな風に大人になっていけばいいんだろう。でも、何があっても変わらないことがある。
わたしは、フラナンズ国民と島の平和を守るんだ。
そんなことを考えていたら、自然と眠りに落ちていた。




