表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
58/60

リナ

「はぁ、はぁ」


 息を切らしながら、わたしは草原を走っていた。もうここまで来れば大丈夫かな。

 ……いいや、まだダメ。馬はとっても早いから、すぐに追いつかれる。早歩きくらいまでペースを落としつつ、歩みは止めない。

 わたしにできることはもう終わった。あの場に、あの人の近くにわたしはいてはいけない。帰ったらすぐに森を人払いの結界で覆って、見つからないようにしなくちゃ。

 歩きながら、わたしはあの夜のことを思い出していた。セレーナさんの話を聞いた、あの夜のことを。



 嘘だ、嘘だろう? なんで忘れていたんだ、わたしは。こんな大切なことを!

 笑い声も右から左へ流れていく。あの人が、そんな。あの優しいセレーナさんが……。


「リナ?」


 ビクッと、わたしは体を震わせてしまった。


「大丈夫?」


 心配そうに、あの人はわたしの顔を覗き込む。なんて優しい人なんだろう。

 醜い醜い、死んだ方が役に立つわたしなんかが近くにいてはいけない。


「う、うん。でも、ちょっとトイレに……」

「早く行ってきな! あ、でもここ草原だ」

「少し離れたところまで行ってくるね」

「そう。──ついていこっか?」

「一人で大丈夫です!」


 なんとか一人になろうとした。それが精一杯の、わたしにできることだから。


 遠くまで走って、やっと話し声も聞こえない場所に来た。

 わたしは、緊張と後悔とでぐちゃまぜになった感情を、何度も何度も吐いた。自分のことが気持ち悪くて仕方がなかった。

 わたしは、あんな風に笑っていい存在ではない。ダメなんだ、わたしはここにいちゃ。また死ななくてはいけない。だって、わたしは……わたしは!



 前に一度、あの人を殺したことがある。



「まもなく、各駅停車川立行き、電車が参ります」


 眠いな。今日は何もしたくない。


 初めてきた駅のホームで、ママと手を繋ぎながら私は思った。

 今日は私の、七五三の写真を撮りにきていた。

 周りは人でいっぱいで、帰りも座れなさそうだ。もう嫌だ。なんで写真なんか撮らなくちゃいけないんだ。いっぱいお着替えして疲れただけだもん。

 あーあ。もうどうだっていいや。早く寝たい。


「私に任せなさい 」


 ん? 何か声が聞こえる。


「私に、任せなさい」


 さっきよりも声が大きくなった。寝れるなら任せてもいいかな。もうめんどくさいし。


「分かった」


 コツコツと靴音が聞こえてくる。チェックのスカートが視界に入った。


「危険ですので、黄色い線の内側までお下がりください」


 目の前を、スマホをいじる誰かが通り過ぎようとした、その瞬間。


 ふわっと意識が軽くなった。


 なんだろう? 真っ暗だ。でも、体が勝手に動いているような感じがする。何かを押したみたいだ。

 ……周りがうるさいな。叫んでいる人がいっぱいいる。おかしいの。駅では静かにしなさいって言われないのかな?

 あ、でも。少しずつ体の感覚が戻ってきてる。

 そーっと目を開けると、私はたくさんのおまわりさんに囲まれていた。

 あれ? パパとママはどこ? あ、いたいた。


「ママー、パパー!」


 駆け寄ろうとすると、おまわりさんたちに止められた。なんで?


「おまわりさん? なんで? ママ! なんでおまわりさんがこんなにいるの?」


 そう言っただけなのに。

 お化粧したお顔が涙で崩れたママは、お化けを見るような目をしたんだ。

 ママ、どうしたんだろう? あんなにお化粧頑張ってたのに。


「パパ! ママが泣いてるよ! ママどうしたの?」


 そう言っただけなのに。

 パパはお風呂に入りなさいって言うときよりもずっと、怖い顔で私を睨んだんだ。そのままママに叫んでる。「お前のせいだ」って叫んでる。

 すると、優しそうなおまわりさんが来て、私に言った。


「初めまして。今から、おまわりさんたちと一緒に警察署へ行きましょうか」

「……なんで? 警察署って悪いことした人が行く場所だよね? なんで私が行かなくちゃいけないの?」


 おまわりさんは、とても困ったような顔をした。


「もしかして、覚えていないの?」


 私はうなずいた。


「……あなたはね、女の人を線路に突き落としたんだよ」

「えっ──?」


 そのあとのことは、頭がぐるぐるしちゃってよく覚えていない。

 色んな人と会った。うさんくさそうなおばさんやおじさんと絵を描いたり、小さな砂場とおもちゃで遊んだりもした。

 ……でも、ママとパパには二度と会えなかった。



 あれから十年。私は、十七歳になった。

 あのときのことはよく覚えていない。ただ、大人が話し合った結果、私は児童養護施設ふれあいの郷に住んでいる。

 大きくなってインターネットを使えるようになると、どうしても私が起こした事件のことが気になった。

 駅名を入れると、サジェストに事件と出てくる。


 女子高生突き落とし。犯人は七歳。


 一番最初に出てきたサイトをタップした。


 十一月十五日(日)崎川駅で女子高生が線路に突き落とされる事件が発生した。被害者の芹澤奈帆さん(17)はその場で死亡が確認された。

 駆けつけた警察官によって七歳の少女が確保され、児童養護施設に一時保護された。

 捜査関係者の話によると、被害者の奈帆さんは友人と遊んだ帰りに崎川駅を利用し、事件に巻き込まれたという。

 これまでの調べで、奈帆さんと少女の間に接点はない。少女が「体がふわっとして、そのあとのことを何も覚えていない」と話していることから、警察は通り魔的事件の可能性も含めて捜査するとともに、少女の精神鑑定を進めていく方針だ。


 記事はここで終わっていたが、コメントが何件かついていた。


 奈帆さん可哀想。

 小学生がこんなこと起こすって世も末だな。

 なんでこんな極悪人を保護するんだ? 税金の無駄遣いすぎる


 ……全部、矛先が私に向いている。心はとても傷ついているのに、スクロールする手が止まらない。


 こんな奴、死刑にするのが妥当。

 突き落としたあと笑ってたらしいじゃん。サイコすぎるwww

 同じように線路に突き落とさないと、子供は罪の重さを自覚しない


 二度と笑えないようにしてやる


 ……そうだよね、そうだよね!

 私、死んだ方がいいよね。


「まもなく、各駅停車、川立行きが参ります」


 十回目の菜月さんの命日。私は崎川駅の、あのホームにいた。


「危険ですので、ホームドアから下がってお待ちください」


 事件がきっかけになったのだろうか。この十年で全国のホームドア化が進み、約八割の駅に設置された。この駅もそうだ。


 だけど私は今日、死ぬためにここにきた。


 ホームドアを乗り越え、受け身も取らずに線路へ飛び降りる。石で全身を打った。痛い。

 非常停止ボタンを押した人もいるみたいだけれど、もう遅い。電車はすぐ目の前に迫ってきている。

 最後に奈帆さんは、この景色を見ていたんだ。

 怖かっただろうな。辛かっただろうな。痛かっただろうな。

 ……ごめんなさい、奈帆さん。地獄で罪を償ってきます。

 私は、目を閉じた。



 目を開けると、わたしは狭い路地に座り込んでいた。

 ここ、どこ? 地獄のようには見えない。わたしは崎川駅のホームで──。

 あれ? 崎川駅ってなんだ? というか、わたしって、誰? 今まで何してたっけ。何を思い出そうとしていたんだっけ。

 やらなくちゃいけないことがあった気がするけど、忘れちゃった。

 いつからここにいたのだろうか。冷たい雨が体を濡らす。既に芯まで凍え切ったわたしを、黒いフードを被った女の人が見下ろしていた。


「あなた、捨てられたんだね。こんなところにいちゃ風邪を引くよ」


 女の人はしゃがんで、わたしと目線を合わせた。


「名前は?」

「……忘れちゃった」

「家は?」

「……忘れちゃった」

「仕方がないね……。よし。うちにおいで。弟子になってもらうよ。何か思い出すかもしれない」


 女の人は、手を差し伸べてくれた。


「わたしはリュシー。あなたはそうだね……リナだ。うん。今日からあなたはリナってことにしよう」


 寒さで震える手を、わたしは伸ばした。



 わたしは死ななくてはいけない。

 明るく話すセレーナさんの話を聞いて記憶を取り戻したときから、タイミングを伺っていた。

 でも、こんなわたしだから、せめてセレーナさんの役に立ってから去りたい。前々からぼんやりとこの人の助けになりたいと思っていたけれど、全て分かってからは立場が逆になった。

 セレーナさんが笑っていることが、わたしの助けになっていた。楽しそうに旅をするセレーナさんに、救われていた。

 けれど、奈帆さんにわたしがしたことは、一生かかっても償いきれない。本来わたしは笑う権利もないんだ。

 セレーナさんが結界なしで生きていけるようになった以上、わたしの存在はただのノイズでしかない。深い森にあるあの家で、一人ぼっちで生きて、一人ぼっちで死ぬんだ。

 早く行かなくちゃ。

 もう周りは真っ暗で、頼りになるのは夜空に浮かぶ星だけ。あの動かない星を目指して歩き続けていたのに、急に持っていた袋が動き出した。


「……何?」


 お師匠様の本を入れた袋だ。中身が勝手に暴れて、飛び出した。


「うわっ! ちょっと、どうして!」


 暴れていたのは、他でもないあの本だったようだ。カタカタ動いて地面に落ちると、緑色に光る。

 強烈な光だ。わたしが魔法のときに出せるものよりもよっぽど。見通しのいい草原だから、見つからないように灯りも出さなかったのに。眩しくて目がチカチカする。

 光はどこか、懐かしくて。まばゆい緑色は、お母様がよく使っていた魔法だ。


「……お母様。もういいんです。セレーナさんはわたしがいなくても大丈夫ですし、そもそもわたしは、あの場にいたのが間違いだったんです。だから、お母様。止めてください……!」


 しかし、光は止む気配を見せず、仕方がないから本を抱えて歩くことにした。

 光を頼りに走る、馬の足音にも気づかずに。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ