あの日
「おーい、エルワン!」
マルガリが呼びかけた。しかしエルワンは無視して馬を走らせている。
「逃げんなって。今日はアルベールの隊もこっちに来るらしいからな。仲直りする気はあんのか?」
セレーナの捜索が始まってから三日目。エルワン、マルガリ、セドリックはフラナンズ城の北にいた。
「エルワン。いつまでもへそ曲げてダチ困らすところ、変わってねぇな」
少し後ろを行くセドリックの言葉に、うるさいと呟いて立ち止まった。その隙にマルガリが進路を塞ぐ。
「お前の気持ちも分かるぜ。アルベールは言い過ぎだ。ただな、姫さんが悪い奴だって決めつけるのも良くなかったんじゃねぇか」
「それを承知で言ったんだ、俺は!」
また頭を掻きむしってエルワンはため息をついた。
「──腹が立ったんだ。あいつの目、見たか? 主君が絶対だとこれっぽっちも疑っていなかった。昔からその気は感じてたさ。亡命するときだって、自分の命より先に国の心配をしていた。それが……この七年でひどくなっちまってる。あいつはもっと、自由になるべきだ」
追いついてきたセドリックが、間の抜けた声で言った。
「俺は、お前らの言うあいつの事情、詳しく聞いてねぇけどよ。あれは相当覚悟決まってたな」
「アルベールのことだ。俺らが死んで空いた穴を、姫さんに埋め合わせしてもらったんだろうさ。また大事な姫君と故郷を亡くしてみろ。今度こそあいつは立ち直れねぇ」
「そりゃ、そうだろうけどよ……」
マルガリが言い淀んだ。
「じゃあよ、なんで俺らは姫さんを探してるんだ? 見つけて逃すわけでもないだろ」
「もちろん」
エルワンが広い広い草原を見渡しながら言った。
「他の奴らが姫様を汚す前に、俺が殺す」
「……は?」
エルワンは地平線の先を見ていた。
「おいおい、正気かよ! さっき、姫さんを亡くしたら立ち直れねぇって──」
「そっちこそ大丈夫か? ここは戦場だぜ。坊主」
セドリックがマルガリへ、諦めるように笑いかけた。
「野蛮な兵士と亡国の姫。最悪の事態。ガキでも想像がつくだろ。その前に俺たちで、リザーヌ様のとこにご案内しようって話だ」
「だけどよぉ……」
「殺したくないってか? さてはお前、その覚悟したことねぇだろ。エルワンに代わってもらってたんだな」
な? と言われたエルワンは、ある一点を凝視していた。
「え、どういうことだよ。俺ら二人で裏稼業やってたんじゃ──」
「いた」
詰め寄ろうとしたマルガリを遮り、エルワンが言った。
「セレーナだ」
草原に一人、倒れ込んでいる姫がいた。
「俺は行くぞ」
馬に拍車をかけてエルワンが飛び出していく。
「気づかれないようになー。ったく、聞いちゃいない」
セドリックも追いかけようとしたが、放心状態となっているマルガリが目に止まった。パシッと頭をはたく。
「安心しろ。俺だって殺される覚悟もしたことないさ。あいつが特殊なだけだ」
置いてくぞと言い、セドリックも行ってしまった。
一人残されたマルガリは、自分の腿を思いっきり叩いた。
「──ちくしょう」
馬を急き立て、エルワンたちを追いかけた。
馬に乗り、何もない草原を走る。
日が沈めば野宿し、日が昇ればまた走る。
どこかにいるあの方を探して。
ただ、ウェストニアへの亡命を予想した西寄りの捜索圏内でセレーナ様は見つからなかった。
捜索開始から四日目。僕の隊は北にきていた。
何もない地平線。そのはずだったのに。
目を疑った。そして、確信した頃には風を切るように走り出していた。
後ろから見張りが引き止める声がする。でも遅い。このままなら間に合う。
だけど、セレーナ様に近づく人影が三つ。
誰だ。何をしようとしている。セレーナ様に触れてみろ。許さない。
近づくにつれて、兵士の人相が見えてきた。
馬から降りた兵士の頭は、きれいに剃られている。
話しかけられた兵士は、もじゃもじゃした頭をしていた。
「エルワン! 抜け駆けすんじゃねぇぞ」
草原に響く声は、剣を抜く兵士を呼び止めていた。
「まさか──待て!」
僕は叫んだ。エルワンの耳には届いていない。馬にもっと拍車をかけた。
セレーナ様が立ち上がったのは、そのときだった。
ああ、よかった。生きている。けれど、エルワンは剣を止めない。
「だめだ!」
また叫んだとき。
突然、強い風が辺りを吹き散らした。
なんだ、これ。国王のものに似ているような……いや、嘘だ。そんなことあるわけない。
疑問も隅に追いやり、僕はただ馬を走らせた。あと少しだ。間に割って入る!
エルワンがセレーナ様のふところに入ったとき。
セレーナ様が、剣を振るった。空気でもなでるように、柔らかく。
次の瞬間には、エルワンの首が草原に転がっていた。
「え?」
驚いて馬を止めてしまった。エルワンを、セレーナ様が……?
なぜだ。セレーナ様はそんなことをする方ではない。相手が無礼でも対話を大切にしていた。いつだってそうだった。
いや、何をしている。状況の確認。セレーナ様を守る。人違いかもしれない。もしかしたら──あれはエルワンではないのかもしれない。
また馬に拍車をかけた。しかし、動かない。長旅に続く無茶で限界が来たようだ。
馬から飛び降りて僕は走った。何かの間違いだ。こんなの、嘘だ。
二人が、首をはねられたエルワンの元に駆け寄る。
「貴様、なんてことをするんだ! 」
「エルワン? おい、どうしたんだよ。俺、お前に言われるまで何にも知らなかったのに……。最近、やっと、笑ってくれるようになってたじゃんか」
二人は剣を抜いた。
「エルワンの仇は俺が討つ! さぁ、かかってこ──」
また音もなくセレーナ様は剣を振るい、セドリックさんの首を切り落とした。
悲鳴を上げる暇もなく、滑らかで、素早い。
これは、セレーナ様ではない。
「うわぁぁあ⁉︎」
マルガリが尻もちをついている。
セレーナ様が、一歩前に歩み出た。
マルガリだけでも。間に合え、間に合え!
そのとき、僕は見た。
凍てつくような目を。口元だけを歪ませた笑顔を。
「ゆっくり、苦しんで死ぬがいい」
突き刺すような声は、七年前の恐怖を呼び起こした。
また風が強くなった。僕は目を閉じた。
「ぐはぁあ!」
マルガリの声だ。助けなければ。
だけど、体ごと持っていかれそうな風に阻まれて進めない。二人を中心にして渦巻くように、壁ができていた。
「待っ、待ってくれよ! 話だけでも聞いてくれないか! あんた、姫なんだろ!」
マルガリが叫ぶ。しかし、聞く耳も持たずセレーナ様はマルガリの脇腹を突き刺した。
「私はもう、セレーナなんかじゃない」
その笑みには、セレーナ様の優しさが残っているような気がした。
「待ってください! ずっと、ずっとお支えしますから。行かないで!」
風はどんどん強くなっていく。僕の声をかき消すように。
ついに僕は瞬きをしてしまった。
目を開いたとき、もうセレーナ様の姿は消えていた。
残されたのは、二人の遺体。それと──。
「マルガリ!」
草原に倒れこんだマルガリは息も絶え絶えで。腹から血がとめどなくあふれていた。
「しっかりしろ! 止血するから──」
「もう、手遅れだ」
包帯を取り出そうとした僕を、真っ赤に染まった手で止めた。
「無駄遣い、すんな」
無理して笑った口から、ごぽっと赤黒い液体が飛び出た。
「はははっ。お前の姫さん、国王に似てたな。ああいうのに惹かれちまうのか?」
「喋るな! また置いていくのか。僕はずっと弱いままだ! お前の方が、強いのに!」
「そんなことねぇ」
マルガリは落ちかけるまぶたを引き上げた。丸い目で青空を仰ぎ見る。
「お前は、なんだってできるだろ」
フッと最後の息が出ていった。
「マルガリ!」
どうしてだ。なんで。
「嘘だと言ってくれよ!」
死んだ。
みんな死んだ。
誰だ、誰が殺したんだ。
「セレーナ、様……」
違う。セレーナ様ではない。
あの化け物だ。国王も急に人が変わっていたようになっていたじゃないか。
なぜセレーナ様が。
そうか。
国王を倒したのはセレーナ様だ。
そうか。
なら、僕が。
僕がセレーナ様を。




