投げ捨ててでも、守るもの
フラナンズ軍兵士としての生活は、最悪の始まりだった。
子ども扱いをした僕を、許してくれたセレーナ様の期待に応えるために。
……みんなのことを思い出して、眠れない日も多かったから。夜な夜な部屋を抜け出して訓練していたところを、セレーナ様に見つかった。
「──大丈夫」
そう言って、セレーナ様は僕の手を包んだ。小さくて、温かい手で。
「大丈夫。わたしは絶対、離れないから」
本当ですか? 僕は、あなたに仕えていてもいいんですか? こんなに弱いのに。あなたの前で涙を流すほど、弱いのに。
それでもセレーナ様は、僕が泣き終わるまでそばにいてくれた。
……僕は一人じゃないのかもしれない。
この方が、生きている限り。
そう思わせてくれる優しさだった。
一緒に街に行って、勉強もして。子どもっぽい面も、王女としての責任感に溢れた部分も──いや、何でもない。
あくまでお付きの騎士としてだ。一線を越えるつもりなんてない。必要とされた剣になる。ただそれだけ。
自分に言い聞かせ続けて数年。ついにあの日が、やってきてしまった。
「……姫様、いや、今はセレーナと言うべきですか。驚いたでしょう。国に忠実な軍隊長が、実は敵国の手の者だったなんて」
父のように慕ってきた軍隊長が、裏切り者だった。
「ええ、もちろん。『ランスロ』」
セレーナ様は戦いたそうにしている。だけど無理だ。軍隊長は強い。セレーナ様には黙っていてくれと言われた真の実力は、島一番と言っても過言ではない。
「本当なら、いつまでもあなたと話していたい。……でも今日は時間がないわ。緊急時だもん。わたしはその皇太子に用があるの。そこをどいて」
「……これで五百六十二戦目ですね。最近は負けっぱなしでしたが、それも今日までです!」
軍隊長は剣を抜いた。久しぶりに感じた、殺気。
セレーナ様にそんなものを向けるなんて、許せない。
僕は二人の間に駆け込み剣を受け止めた。
強い。だけど押し込まれてなるものか。後ろにはセレーナ様がいるんだぞ!
「……いくら恩人であろうと、姫様と国に仇なす者は全て敵です」
「ああ。分かっている」
「ならば、なぜ……!」
剣を振り払い打ちつけるも、軍隊長は難なく受け流していく。再び膠着状態になった。
「……少し、話をしようか」
「お前と話すべきことはもう、何もない!」
「ずっと前から、知りたがっていた話だよ。アルベール。私は──」
そのとき、セレーナ様が馬で駆けていく音がした。
すぐに追いかけようとした。裏切り者のことなんかどうだっていい。
「セレーナ様!」
「落ち着きなさい」
足を引っ掛けられて転び、地面に組み伏せられた。何とかしろ。じゃないと、セレーナ様が!
「お前の、家族の話だ」
……え?
振り返れないほど押さえつけられている。軍隊長の声だけが、頭の中で回っていた。
まさか、いや。そんなわけない。
「私は──お前の、父親だ」
軍隊長が、僕の?
父さん──?
「本当はもっと早く言うべきだったのに、遅くなってすまない」
夢の中にいるみたいだ。上手く話が入ってこない。
「アルベールと母さんが辛い思いをしていたのに、私は何もしてやれなかった。恨んで当然だと思う」
恨んでいるわけじゃない。生きていてくれて嬉しい。だけど、今じゃない。
「気持ちはわかるが、まず話を聞いてほしい。なぜ私はお前たちを置いて──」
「違う」
そう答えていた。
「話はあとだ。僕はセレーナ様を守りに行く」
かかとでスネを蹴った。一瞬できた隙間から抜け出す。
「待て、アルベール! あいつは──皇太子は陛下だ! 死ぬぞ!」
なおさらだ。僕は行かなければいけない。
「落ち着けと言っているだろう! お前の悪いところだぞ!」
大丈夫。僕は冷静だ。セレーナ様を守りに行くだけ。
「待て!」
僕は馬に乗り、拍車をかけていた。
軍隊長も追いかけてきている。だけど、馬の体力も気にせず全速力で進んでいるから距離も開いた。
父さんのこと、今は考えたくなかった。ただセレーナ様が、遠くに行ってしまいそうで怖かった。それ以外はただの雑音だ。今の僕には何も関係ない。
今度こそ、僕が守るんだ。命に代えてでも!
地平線に人影が見えた。空を飛んでいる。陛下か。不思議とすんなり受け入れられた。理由を考えている暇がなかったからかもしれない。
そして、陛下に立ち向かおうとしている人影も一つ。
近づくにつれて見えてきた、ボロボロになった服、構えられた剣。威風堂々とした立ち姿。
セレーナ様が何をしようとしているのか分かってしまった。
絶対に止める。
「セレーナ様!」
声を張り上げた。セレーナ様に届くように。こんな僕だけれど、この地に繋ぎ止めておける理由になれるように。
──セレーナ様は、それでも走り続けていた。
「セレーナ様!」
待って。あなたに置いていかれたら生きていけない! あなたのそばにいたい!
「セレーナさまぁぁぁあ!」
飛び上がったあなたは、鳥になっていた。
獲物を捕らえる鷹のように。
覚悟を決めたあなたには、僕の声も届かなかった。
セレーナ様は、空中で陛下の首あたりを切った。
そのまま地に落ちてくる。何があっても受け止めようと、僕は落下地点まで馬を走らせた。
下から見るセレーナ様は、なぜか体を重力に預けていた。
手を伸ばしたそのとき。
さっきから吹いていた風が急に強くなった。嵐のような突風は、セレーナ様の体を天高くまで連れ去っていく。
「セレーナ様!」
追いかけようとした。けれど、僕の視界を灰色の粉が覆った。何だこれは。邪魔だ。セレーナ様が行ってしまう!
一瞬、僕は馬を止めた。それが間違いだった。
「動くな」
首筋に切先を当てられた。この声は。
「軍隊長。だめです。セレーナ様が、風に連れ去られて!」
「それは私も見た! だから止まれと言っているんだ。得体の知れない国王と、それに巻き込まれた姫様に無策で突っ込んでいく方がどうかしている!」
何を言っているんだ。セレーナ様が危険なんだぞ。
「それでも行かなければいけないんです!」
「──いい加減にしろ!」
怒鳴り声が草原に響いた。剣に力が込められ、首に水滴が垂れる感触がする。
「軽々しくお前の命を投げ出すな。勇敢と自殺は違う。分かっているだろう!」
そう言うと軍隊長は剣をしまい、僕の腕を縄で縛り始めた。まるで捕虜だ。……城外の戦いに決着がついたんだろう。
「……分かっていますよ。その違いくらい、痛いほど。でも、投げ出してでも守るべきものがあるとき、あなたでも同じことをしたでしょう」
軍隊長は、黙々と作業を続けていた。




