回復、葛藤
なんとなく、目を開けた。
「気がついたか!」
年上の男が僕の顔を覗く。手には布を持っていた。
ここはどこだ。……まさか捕まった? だめだ、逃げなければ。
「いや、ちょっと待て! 動くなよ。その状態で逃げたら死ぬぞ。私はお前の敵ではない。質問にはなんでも答えよう」
「──ここは?」
「ここはフラナンズ領にある、軍が偵察用に設置した小屋だ」
「フラナンズ領⁉︎」
僕は思わず起きあがろうとした。が、瞬く間に肩をつかまれ寝かされる。
「動くなと言っただろう! ああ、そうだ。ここはフラナンズ領の草原。見回りをしていたところ、イーヒスト軍の服を着たお前がいたからな。捕まえる前に倒れたからこうして保護した」
段々と痛覚が戻ってきた。身体中が痛い。お腹も空いた。拘束もされていないようだし、よっぽど酷い状態なんだろう。
「ありがとうございます。あなたは誰ですか?」
「私は、フラナンズ王国軍隊長を務めているランスロだ」
「軍隊長……?」
フラナンズ軍のトップ。よく見たら服も高そうなものだった。僕よりずっとずっと、階級が上!
「先ほどまでのご無礼、申し訳ございませんでした!」
ちゃんと謝りたくて起き上がりかけたがやめた。またお手を煩わすことになる。
「いや、構わないよ。警戒するのも無理はない。実は、身体検査のためにこの文書を読ませてもらってね」
軍隊長が見せてきたのは、ミシェルに書いてもらった紹介状だった。リュックではなく胸ポケットに入れておいたのが功を奏した。
「勝手に漁ってすまない。ただ、こちらも国の存亡がかかっているので聞かせてもらおう。……ここに書いてあることは本当か?」
ミシェルは、祖父のイーヒスト王がいきなり戦争を発案したこと、今は気を失っているが、復活したときは必ず戦争を始めるであろうことを書いたと言っていた。「王家の印も、盗んで押しておきましたから!」と笑うミシェルは、明らかに無理をしていたけれど。
「はい。全て私たちが見たことです」
「詳しく聞かせてもらおうか」
僕は、この一週間見たことをかいつまんで話した。
「そうか……。すまない。重大な事案なので、国王の耳に入れる前に裏を取っておきたい。君の名前を聞かせてくれないか」
「はい。僕は──」
そのとき、僕の脳裏にエルワンの笑顔が蘇った。「俺はエルワン・ブランだからな」と言う彼の姿が。
「どうした?」
「……い、いえ。大丈夫です。私は、アルベール・ブランと言います」
そう言うと軍隊長は、目を見開いて驚いていた。
「アルベール・ブラン、だって?」
「はい。あっ、もしかしてブラン家のことをご存知で?」
軍隊長の髪は黒色だった。差別が根強いイーヒストで近衛兵をしている黒髪のことは、風の噂で聞いているかもしれない。
「あ、ああ。もちろん。君も、近衛兵になるために?」
「……いいえ。父が、僕が三歳の頃に失踪してしまい。母も亡くなってしまったので、もうブラン家の伝統はその指輪くらいしか残っていません」
僕は没収されている指輪を見た。傷つかないよう、柔らかい布の上に置いてくれている。
軍隊長はなぜか、しばらく黙っていた。
「どうされましたか?」
「……お母上が亡くなられたんだな。それは、辛かったろうに。すまない」
「謝らないでください。もうずいぶん前のことですから」
「そうか──良ければ、イーヒストの暮らしを聞かせてくれないか。身元の照会にも役立てたいし、私は元旅人でね。今のイーヒストのことも知りたい」
「本当ですか! そうですね……何から話しましょうか」
僕は子どものとき城に住んでいたこと、追い出されてからは一人で暮らし、軍に入隊したことを簡単に話した。
途中で、母さんが働いていた様子や、僕の交友関係についてのことを熱心に聞いてきた。相手の方が立場が上なので、僕も素直に答える。
懐かしそうに話を聞く軍隊長は、穏やかに笑っていて。僕もこんなに思い出話をしたことがなかったから、ついつい長話になってしまった。
「おっと、すまない。病人は寝かせなければいけないのに。無理をさせてしまったな」
狭い窓の外は、もうすっかり日が暮れていた。
「いえいえ。楽しかったです。──あの、旅人だったのなら、僕の父さんのことについて何か聞いていませんか? ジェラール・ブランというのですが」
「いや、そのような方の話は聞いたことがないな。十年も前の話なんだろう?」
「はい。ですが……今日みたいに、父さんにも話を聞いてもらいたくて。それに、父さんがどうして僕たちを置いていったのか知りたいんです」
父さんは近衛兵だったんだ。簡単に殺されるような人ではない。入隊してその強さを思い知ったからこそ、希望が見えた。
「……私も、お父上探しを手伝おう。まずはしっかり体を休めてくれ」
「ありがとうございます」
軍隊長は、ふきんを持ってくると言って席を立った。
父さん、どんな人だったんだろう。
朦朧とする意識の中、父さんが来てくれたことを覚えている。きっと軍隊長と見間違えただけだ。それでも──。
「会えるといいな、父さん」
僕はまた目を閉じて、そのまま眠ってしまった。
それから数日、軍隊長が僕の面倒を見てくれた。
食事から何までお世話になり、他の兵士が見張りについていることはあれど、話す機会はなかった。きっと、情報が本当か確かめるまで接触させないつもりなんだろう。
一ヶ月もしたら体調は回復した。軍隊長のおかげだ。
しかし、それとは反対に、僕の心では自責の念が強くなっていた。
僕がぬくぬくと生きている間に、みんなはもう殺されてしまったんだろう。
これから何をすればいい。何の為に生きていけばいい。仕事も友人も、何も持っていない。僕が僕でいれた場所も消してしまった。
やっぱり僕は一人なんだ。
そうだ、また孤児だったときに戻っただけ。僕は最初から一人で、最後まで一人。
だけど、笑っていても、泣いていても、みんなのことが忘れられない。
あの夜に助けてもらった僕はまだ死んではいけない。かといって何をすればいいのかも分からない。
どうしたらいいんだ。
ぐるぐると同じことを考え続けたある日。軍隊長が、興奮した様子で一通の手紙を渡してきた。
「フラナンズ王女のセレーナ様は知っているか? お前の話をしたら、ぜひ我が軍に入ってほしいと言っていたぞ」
「え? 僕が?」
イーヒスト出身で、黒髪で、怪しい要素しかないのに。
「大丈夫だ。私も旅人だったしな。有用な人材は採用していくのが、フラナンズ軍の方針だ」
渡された手紙は、砂糖のような甘い香りがした。
「……僕のことを、必要不可欠ですって」
「ああ。その通り」
「年下なのに、こんなに未来のことを考えていらっしゃるなんて」
「姫様は優秀だからな。お前の良さも分かっておられる」
「──なおさら、僕には無理です」
僕はそっと手紙を置いた。
「なぜ、そう思うんだ?」
ベッドの脇に置かれた椅子に軍隊長は座った。
「僕は弱いです。イーヒストを脱出するとき、僕は助けられてばかりだった。そんな人間に、この方を守る資格なんてありません」
全て事実だ。あの近衛兵を倒してくれたのはマルガリだった。狐目と共に落ちる選択を最初にしたのはエルワンだった。僕は何もしていない。
「……そういう人間の方が、セレーナ様は好むと思うぞ」
「え?」
軍隊長は狭い窓の外に広がる青空を見ていた。
「あの方は十歳とは思えないほど聡明で、肝が据わっている。ご自分が弱いことも足りない部分も自覚して、それを補おうと努力する方だ。お前が抱える葛藤も、受け入れてくれる」
そして、手紙を僕に握らせてこう言った。
「何より、そんな方に仕える名誉、お前は我慢できる人間じゃないだろう?」
ほほえむ軍隊長は、僕の迷いを全て見透かしていた。
「……はい!」
覚悟を決めろ。僕は、平和を創る方のために生きるんだ。




