公務デビュー
セレーナが王女として転生したフラナンズ王国は、二つの大国の緩衝地帯として設置された国だった。
じいやのテスト対策を進めるなか、突然両親から街へ行こうと誘われたセレーナとペティー。これも勉強のうちと両親は言うが……。
結局ペティーも不思議がりながら承諾し、わたしたちは街に向かっていた。
城からはそう遠くない。それでも普段は王族らしく馬車で行くのに、今日は歩きだ。護衛も一人少ない。代わりに、いつも留守番をしているばあやも一緒だった。
「今日は、セレーナとペティーの公務デビューだからな」
出発前、身支度をしながら父上はそう呟いていた。
「いやぁしかし。こうしてみんなで、しかもアンドレも一緒に散歩なんて久しぶりだな! 」
すっかり国王としての威厳を忘れた父上。服装も、いつもよりラフになっている。
ちなみにアンドレとは、ばあやの本名だ。いつものように髪をお団子でまとめ、いつものようにシンプルなエプロンを着た、いつものばあやだった。
「……別に、一緒なのはうれしいのですが、なぜ一緒なのですか? 」
国王夫妻と実母がいるからか、ペティーはいつにも増してやりづらそうだ。
「おっと、その話だな。実は、こうして二人を連れ出したのは他でもない。君たちには今日から正式に、次世代のフラナンズを担う者として仕事についてきてもらいたいのだ」
「えっ! 仕事に? 」
つまり、公務ってことだよな。……それについてこいって言ったのか?
「それってつまり、公務ということになるのでしょうか」
ここで冗談だよと言って欲しかったのだが、父上はケロッとして「ああ、そうだが」と言った。言われてしまった。
おいおい嘘だろ、正気なのか? わたしたちまだ五歳だぞ? 中身はなんか大人びているけれど、五歳だぞ!
隣にいるペティーも絶句している。当然だ。まだ五歳なんだから。
「大丈夫だ、安心しなさい。そんなに特別なことはしないから」
「でも、わたしたちはまだ子どもですよ! 」
「そんなことは分かっている。だけどな、そうも言っていられない事情ができたんだよ」
「……何かあったのですか? 」
もしかして、最近ずっと忙しそうにしていることと何か関係あるのだろうか。
「まぁそれは後で話すさ。おっと、もうこんなところまで来たのか」
いつのまにか、わたしたちは城の正門を出て分かれ道に立っていた。
「セレーナとわたし、それにフェリックスはこっちよ」
しばらく黙っていた母上に手を取られ、わたしは右へと引き寄せられた。ペティーもついてこようとしたが、ばあやに腕をつかまれていた。
「ペティー、あたしたちはこっちだよ」
「母上? なぜですか! 」
必死に抵抗していたペティーだが、分が悪すぎた。どんどん左に引っ張られていく。
「今日は姫様たちと仕事が違うのさ。あんたにもいい経験になるよ。それじゃみなさま、また城で! 」
「ま、待ってください母上! ちょっと説明が足りなさすぎです! 」
「ごちゃごちゃ言わないの! 今日はあたしの仕事を見てるだけでいいから! 」
「だってそっちは……だから待ってくださいって! 」
路地裏に吸い込まれていく二人の言い争いに、心の中で頑張れと呟いた。
「……父上。どんな仕事なのかわからないのでなんとも言えないのですが、あちらにペティーを行かせてもいいのですか? 」
だって、城を出て左の道は……。
「ああ、そうだな。君が知っているように向こうは少々治安が悪い」
いや、少々どころではない。国の目が届きにくいことをいいことに、違法賭博、暴力沙汰、窃盗などなど、犯罪の温床になっている。もちろんわたしたちだって何も手を打っていないわけではない。ただ、表の世界に馴染めなかった人たちが集まる場所となっている以上、そう簡単に壊すのも違う。今は、救いを求める人の窓口を作るくらいしかできていない。
「心配するのもわかるが大丈夫だ。アンドレに勝てる者なんて我がフラナンズ軍の軍隊長くらいだろう」
「それはそうですけれど……」
実際、ばあやことアンドレさんは大人が何人かかっても軽くなぎ倒せるくらいの力はある。ペティーのことはとてもとても心配だが、一旦任せよう。
それよりも今は、わたしはこれから何をするのかだ。
「父上。今日は何をするのですか? 」
単刀直入に聞くと、父上は「そんなに身構えないでくれ」と苦笑いしてこう言った。
「今日はただ、僕たちについてくるだけでいいよ。最後に君が街へ行ったのは二歳になる前だったろう? 自分が将来治めていく国民を知ることも大事な勉強さ」
まあ、それはそうなんだろう。本を読んでいるだけでは分からないこともある。
だけど、少し不安だ。
最後に行ったときのことは覚えている。大勢の知らない人に囲まれて緊張してしまった。まだ二歳だったからただの人見知りで済んでいたけれど、さすがに王女らしく振る舞わないと。
「ずいぶん緊張しているわね」
母上がわたしの顔を覗く。
「だっ、だって。まだ心の準備が……」
言い淀んだわたしに、父上は言った。
「セレーナ。民と会うのに準備なんてできないぞ」
目つきは鋭く、声は低く、そして返答は端的に。……じいや流の帝王学を体現したような。
「おっと、すまない。話を遮ってしまったな」
一瞬見えた国王の威厳はすぐに引っ込められ、父上はいたずらしたあとの少年のように、罰の悪そうな顔を作った。
「だけど、さっき言ったことは本当だぞ。君は生まれてから勉強や訓練ばかりで街にほとんど行ったこともないからピンとこないだろうが……ま、そのうち分かるさ」
それだけ言うと、父上はまた何事もなかったかのように歩きだした。
……父上のあんな顔、初めて見たな。なんでだろう。少し涙が出てきた。
戸惑い立ち尽くすわたしの隣に、母上がしゃがんだ。
「セレーナ。さっきのお父様、怖かった? 」
母上のきれいな青色の目に、今にも涙が落ちそうなわたしが映っていた。
怖くなかったと言ったら嘘になる。だけどそれ以上に、心が熱く燃え上がるような胸の高鳴りを、わたしは感じていた。
「さっきの父上は……とっても、かっこよかったです! 」
笑った拍子に涙が落ちた。これは怖くて泣いているんじゃない。心が痺れたから泣いているんだ。
母上がそれを分かってくれたのか知ることはできないけれど、にっこりと微笑んでくれた。
「そう。あなたも、とてもかっこいいわよ」
母上はそう言うと、白く優雅な手をわたしに差し出してくれる。
角を曲がらずに待っている父上を追いかけ、少し早足で街へと向かった。




