通路
その夜。僕たちは隠し通路の入り口にいた。
「覚悟はいいか?」
エルワンが聞いてくる。
「もちろん」
通路を抜け、城壁を越えた先に広がる草原。急いで歩いてもフラナンズまで二十日かかる予定だ。
「長旅になるからな。気張っていこうぜ」
「そうだな。……絶対、二人でフラナンズに」
小柄な僕が先に入り、通路の出口を目指した。
ひたすら曲がりくねった道を歩き続けて数分。最初の関門にたどり着いた。
「全く。作ったやつもいい性格してるぜ。こんな場所を王族に通らせているんだからな」
隠し通路はずっと壁の中を通っているわけじゃない。どうしても時々、屋外に出てしまう。
目の前には傾斜のついた城の屋根。その先にある塔の上の方にまた、子ども一人分の穴が空いている。周りには見張りもいるし、足を滑らせたらかなり下にある水路へと叩きつけられてしまう。
つまり、見張りの目を掻い潜りながら屋根の上を走り抜け、ジャンプして塔の穴に滑り込まなければいけない。通路内にはこうした動きを要求される地点が数多くある。
昨日、ミシェルに言われたことを思い出す。
「僕たちは当日、兵士の皆さんに差し入れして回ります。気を逸らしておくので、その隙に行ってください! 」
その言葉通り、見張りの兵士たちが声をかけられて持ち場を外れていく。
「今だ! 」
僕たちは走り出した。足を踏み外さないよう慎重に。でも早く。カタカタと瓦が鳴る。
体を塔の穴に滑り込ませたとき、外から「そろそろ見張りに戻るからな」と聞こえてきた。
「ふー。本当にここギリギリだよな。何食ったらこんな設計になるんだ」
エルワンも間に合ったようだ。よかった。
「次の地点まで急ごう。ミシェルの手助けに間に合わなかったら意味ないし」
また僕らは暗い通路を歩き出した。
その後も、ミシェルが時に兵士をカードゲームに誘い、時に見張り台に立ちたいと駄々をこね、その隙に通路間を走り抜けた。
「あいつ、少し楽しんでるよな。さっき俺に向かって手を振ってきたぞ」
そう愚痴りながらも歩みは止めず、ついに最後の難関に到着した。
屋根の上を通るのは変わらない。ただ、ここは三角形型の屋根をしていて、足の踏み場は細い。綱渡りのようにバランスを取りながら進まなくてはならない。
「ミシェルは『ここの見張り兵はボードゲームに誘っておくのでゆっくり渡ってください』って言ってたけど……」
「ゆっくり渡っても転げ落ちそうだもんな」
改めて下を見る。──見なきゃよかったと後悔する。
「早く行けよ。もう引き返せないんだから」
ポンと背中を押されて一歩出た。足がふらつく。地面を踏めない。怖い。
「や、やめてよこんな場所で! 」
「すまんすまん。しっかし歩くの遅いな。いつ兵士が来るか分からないのに。早く行けよ──」
「そうです。早く行ったほうがいいですよ」
真上から、聞き覚えのある声が降ってきた。
「か弱い羊は、いつ狩られるか怯えなければいけませんから」
声の主を探して通路に出た。塔の上に人影が見える。風で乱れた黒髪が月明かりに照らされ、禍々しい雰囲気を纏っていた。
間違いない。こいつは、母さんの葬式にもいた……!
「狐目の、黒髪……」
微動だにせず、こちらを見下ろしている。
「こんな遅くにお二人揃って。国王陛下の護衛はどうしたのですか」
冷酷な声。ドクンと心臓が脈打つ。
どうする? ここでこいつに捕まったら皇太子に引き渡される。亡命の罪に問われた場合、待っているのは──死刑。
「何を怖気付いているのですか。私のようなただの執事、あなたがたなら取り押さえることも簡単でしょう」
その通りだ。何も怖がることはないように見える。
「いや。お前、武器持ってるだろ。さっき金属が擦れる音がしたぜ」
エルワンが警戒するように一歩下がった。
「お前こそこんな時間にこそこそ何やってんだよ」
「……教えてあげても構いませんが、あなたたちをここで殺す必要が出てきます。お互い、それは不都合なのではありませんか?」
口角を上げた男は、僕たちをおもちゃのように扱っていた。
「きっとあなた方は亡命する気なのでしょう。若さとはすばらしい。自分の立場も捨て、戦争を止めるべく奔走できる熱い正義感。見事なものです。しかし──」
男は腕を広げた。両手にはめた金属製の爪が、月に照らされ鈍色の光を発している。
「ここで引き返さないというのならば、容赦はしませんよ」
「……くっそ。なぁアルベール。どうする」
「どうするって言われても──」
返事は決まっている。エルワンだって同じだろう。
「戦うしかないよな」
僕たちは剣を引き抜いた。
もう下は見ない。上にいる、あの男だけを見据える。
右足に力を入れ、僕は飛び出した。足場が細い。何度も滑り落ちかけた。
でも、ミシェルが稼いでいる時間を無駄にはできない。
思い切り飛び上がり、塔の上に立った。男はなぜか笑っている。
「同胞のよしみです。彼を差し出せば、あなたの命だけは助けて差し上げますよ」
狭い場所なので通路に残るエルワンを、金属の爪で指差した。
「何を言ってるんだ。僕から家を奪ったのはお前だろ! 同じ黒髪でも、僕はお前みたいにならない。通させてもらう」
「そうですか……残念です」
刹那、男が踏み込んだ。避ける間もなく腹まで爪が迫る。剣で受け止め、金属音が響いた。
「あなたは幸運だったのですね。この世はきれいごとでできていると思っている。友人ができたくらいで、自分は世界に受け入れられたと勘違いしている」
男が左手を振り上げた。ちらりと覗く瞳孔は、夜のように黒い。
「黒髪に生まれれば最後、泥水を啜って生きなければならない。目は濁り、手は震え、それでも生き続けなければいけない。あなたにその覚悟はありますか」
月に照らされ光る爪。剣は右の爪で捕えられ、身動きが取れない。
ここで終わりか。
「エルワン‼︎ 早く行け!」
背後にいるはずの親友に向かって叫んだ。
「戦争を止められるのは、君しかいないんだ‼︎」
僕はこっそり、ポケットから携帯用のナイフを取り出した。相打ちならできる。
爪が振り下ろされた瞬間、慣れない左手を突き出した。
「させるかぁぁぁあ!」
意を決したあとに思い切り突き飛ばされた。塔から落ち、受け身も取れず通路にぶつかる。
見上げても、塔が高くて上の様子が分からない。エルワンの叫ぶ声がする。
「なぁアルベール! お前が行けよ。お前なら俺より弁が立つし家柄もあるだろ⁉︎ こんなところで終わるな!」
「いやだ! 行くならエルワンだ! なんで、なんで庇ったんだ!」
「──お前だからに決まってんだろ!」
そのとき、「そこにいるのは誰だ!」と声がした。まずい、見張りに見つかったのか。
塔の上からは金属音が聞こえてくる。
「黒髪だろうがなんだろうが、お前がいたからここまで来たんだ。なぁ狐目。アルベールは島一番の騎士で、幸運な男だぜ!」
男がどんな返答をしたのかは分からない。ただ屋根を駆け、武器をぶつけ合う音が響いていた。
エルワンと戦いたい。だが、周囲の屋根に続々と兵士が集まってきている。二十人ほどか。そのくらい、一人でやってやろう。
「こんな夜中に何をやっている。ご同行願おうか」
「断る」
剣を抜く音、弓を引き絞る音。四方八方からする。
「そうか。おい、取り押さえ──」
「アルベールじゃねぇか!」
「……え?」
聞き慣れた声と共に兵士が一人、通路に降りてこちらに近づいてくる。暗いせいで誰だか確証が持てない。
「そんなに警戒するなよ。俺だよ俺! マルガリだって!」
兜を取った兵士の頭は、たしかにツルッとしていた。
「マルガリ⁉︎ こんなところで何やっているんだ」
「それは俺のセリフだよ! ミシェルもエルワンも、お前だって夕飯に来なかった癖に。言っただろ? お貴族様捜索隊に参加するって」
そういえば。今夜のことに気がとられて忘れていた。
「おい、知り合いか?」
屋根の上にいる上官が問いかけた。
「はい。俺の同期です。こいつは誘拐犯じゃないですよ。あの夜は別の仕事をしてましたから」
な! と言われ、もちろん認める。
「そうか。しかし、宿舎の就寝時間は過ぎているぞ」
上官は冷めた目でこちらを見ている。何を疑っているのかわからないが、まずい。
「ご同行願おうか」
それを合図に、再び殺気が僕を取り囲む。僕も剣を握り直した。マルガリが、かなり狼狽えた様子でこちらを見てくる。
「お、おい。なんなんだよこれ。ただの散歩だろ。なんで戦う流れになってんだよ」
「──ごめん。あまり話している時間はない」
マルガリにだけ聞こえるように声を落とした。
「エルワンと僕はフラナンズに亡命する。君まで巻き込みたくはない。今すぐ宿舎に戻るか僕と戦うか、選んでくれ」
返事も聞けぬまま矢が放たれた。リュックを盾がわりに防ぐ。
すぐに何人かの兵士が屋根に降りてきた。細い通路だから一対一になってしまう。様子を見たくて一歩下がると、先頭の兵士が踏み込み斬りかかってきた。
「危ない!」
下がっているマルガリが声をあげた。首を掠めていく刃。僕はよろけたけれど無事だった。ただ、代わりにリュックの肩紐が切られ、背負いづらくなってしまった。
この兵士、手練れだな。あの晩餐会の夜に非番だった近衛兵だろうか。
「……次はないぞ」
落ち着いて剣を持つ兵士の目は、冷気を纏っている。僕が体勢を整える前に間合いに踏み込んでくるのが見えた。
この人は、強い。僕が戦ったことないくらいに。
……負けた。
そう思ったとき。
「うるせぇぇえ!」
後ろからまた突き飛ばされた。今度は本当に水路へと落ちかける。なんとか踏みとどまった。リュックはずり落ち、水路へと飲み込まれていく。
下を見ると、兵士と揉み合いながら落ちていくマルガリがいた。
「マルガリー!」
なんでだ。どうしてこうなった! 助けられたのか。だけど代わりに、マルガリが!
兵士を振り解き、マルガリが上を向いた。目が合う。
「舐めんじゃねぇぞ! 俺にも、裏方なりの誇りってやつがあるんだ!」
遠ざかっていくマルガリは、ニカっと笑っていた。
「マルガリー‼︎」
手を伸ばしても届くはずがない。だけど、精一杯だった。助けたかった。
水柱が立つまで、そう時間はかからなかった。




