今なら
「おいアルベール! 昨日は驚いたな」
食堂の席につくなり、マルガリが話しかけてきた。眉が下がり、目元にはうっすらくまができている。
「国王陛下が倒れられるなんてさぁ。俺、心配で心配でならねぇよ」
「……ああ、そうだな」
適当に話を合わせた。
マルガリは知らない。陛下がおかしくなってしまったことを。
昨日の晩、陛下が気を失って部屋へ運び込まれたあと、陛下からの信頼が厚かった家臣が言った。
「──フラナンズ攻めは、ここだけに留めておこう」
「ああ。その方がいい」
軍隊長が同意する。
「さっきは準備に三ヶ月かかるって言ったが、実際には三日ほどで済ませられる。国王もそれを知っているはずなんだが……やっぱり、今日のあいつは変だ」
軍隊長は、陛下の乳兄弟だ。もう一人の家臣も、陛下の幼少期から仕えているらしい。だからこそ、今日の陛下の様子は気味が悪いだろう。
「記憶を失い、俺たちのことをお前と呼ぶ。こんなのあいつじゃない。中身がそっくり入れ替わっちまったみたいだぜ」
「心配なのは分かるが、今は陛下が目覚められるかが問題であろう。また貴族たちを何人も殺されてはごまかしが効かない。今日殺された方々の中には、皇太子様のお友達もいらっしゃったようですしな?」
視線を向けられた皇太子は、いつのまにか現れていた狐目の黒髪に何やら耳打ちいしていた。いつものことかのように、重臣たちを無視していく。
「今牽制している場合でもないだろ」
「──すまない」
素直に家臣は謝った。
「そうだな……おい、アルベールとエルワンだったか」
「はい、軍隊長」
敬礼をし、命令に備える。
「悪いが、交代で国王の見張りをしてくれ。お前たちが一番、兵士の中で事情を知ってしまっているからな」
本当だ。僕らは知りすぎている。見張りと名がついているが、僕たちがどこにいるのかも把握ができるようにという意味もあるだろう。
「詮索も他言も禁ずる。国王が目覚めたら、刺激せずにすぐ俺たちへ知らせること」
「はっ!」
こうして、僕たちは六時間交代で見張りをすることになった。
「……そういえばよ、今日はエルワンもミシェルもいねぇな」
エルワンは見張り中だからだが、ミシェルはいつもその辺をうろついているのに、今日は見ていない。
「たしかにな」
「たしかになって、お前は同室だろ? あっ、そうそう。昨日の晩、近衛兵の仕事はどうだったよ」
「そんな大層なことはしてないって」
あらかじめ、どう答えるかエルワンと相談しておいた。
「呼び出されて行ったら、執務室の掃除に上官のおつかい。誰でもできる仕事だなって、エルワンがぼやいてた」
「なーんだ。そう上手くは行かねーか」
机に突っ伏して、いつもと変わらないパンをかじっている。行儀が悪い。
「そうだ。近衛兵で思い出したんだけどな」
キラリと、マルガリの目の色が変わる。
「昨日開かれた晩餐会。そのに出席した、貴族と護衛の近衛兵が何人も失踪したらしいんだが……お前、何か聞いていないか?」
「──いや、何も聞いていないよ」
噂が出回るのは本当に早い。貴族の従者辺りから漏れたんだろう。
「そうかぁ、やっぱ知らねーか」
起き上がり、首を動かした。
「いやな、執務室って大広間のすぐ近くだろ? お前らが近衛兵やっていなくても、その件に巻き込まれてるんじゃないかなーって。ま、読みはずれだな」
「そんなこと、あるわけないだろ」
「そうだよなぁ……。悪い。俺、これからその家族の命令とかで、失踪したお貴族様たちを探さなきゃならねーんだ。またな」
マルガリは食器を返しにいった。
僕もそろそろ、エルワンと交代しなくちゃな。
「……本当、変なところで勘のいいやつ」
少し時間を空けて、僕は立ち上がった。
コンコンコンと、豪奢なドアをノックする。
「僕だ。そろそろ交代だぞ」
キィっと軋み、ドアが開く。
「ありがとな。さすがに眠くなってきたところだ」
コイン投げで最初の担当に決まったエルワンは、夜明け前から寝ずの晩になってしまった。本当に申し訳ない。
「陛下も部屋も異変なし。暇な六時間だった」
「よかった。いっぱい食べて寝てくれ。今なら食堂も風呂も全部空いているからさ」
「ああ、そうだな。お前も頑張れよ」
すれ違いざまに肩をポンと叩き、エルワンは休憩しに行った。
国王の部屋は、カーテンが閉め切られ薄暗くなっていた。豪華な彫刻も、この暗さだと不気味に見えてしまう。
大きなベッドの上で、陛下は静かに横たわっていた。
生気はない。まるでそう、死んでいるかのように。
って、ダメだダメだ。陛下に死なれてはこま──る?
それをきっかけに、僕は見張りの時間中、昨日あったことについて考え始めた。
誰に対しても優しい陛下がフラナンズ攻めを決めたこと。
そこに住んでいる人たちのこと。
罪のない人たちを殺さなくてはいけない兵士のこと。
……殺人を、楽しんでいた陛下のこと。
身体が、一歩、また一歩と陛下の方へ向かっていく。
戦争なんて誰も得しない。僕やエルワンみたいな孤児が山ほど増えるだけだ。
右手は剣のつかを握り、今にも引き抜こうとしている。
陛下が起きたら、もう誰も止められない。悲劇の連鎖が始まるんだ。
寝ている陛下は、とても安らかな顔をしていた。
今なら、殺せる。
キィっと剣を引き抜いた。
「おい、なにやってんだよ!」
後頭部を殴られ、瞬く間に馬乗りにされる。呼吸する間もなく平手打ちが飛んできた。
「早く剣離せってば!」
何が起きたんだ。手の力が抜けない。カタカタと小刻みに剣が震える。
「ったく──ちょっと痛むぞ」
手首を思いっきり踏まれ、僕はようやく剣から手を離した。
「痛い!」
この痛みが、僕を現実へ無理やり引き戻してきた。交代に来たエルワンが僕を止めてくれたのか。
「お前、分かってんだろうな」
僕にまたがったエルワンは、冷ややかな目線を下ろしている。
「……ごめん」
「ごめんじゃ済まねぇだろ!」
肩を激しく揺さぶられた。
「もう交代なのにノックしても全然返事しねぇから、もしかしたらお前がやられたのかとか変なこと考えちまって、俺! ──くそっ。こんなの、お前らしくないじゃねぇか!」
「……ごめん」
エルワンが手を振り上げたが、すぐに下ろす。
「俺だって、気持ちが分からない訳じゃない」
拘束を解き、エルワンは床へ座り込んだ。僕も隣に座る。
「殺せるって、思ったんだろ?」
「……ああ」
お互いに、しばらく口を開かなかった。話さなくても何を考えているのか分かる気がして。
髪をかきあげ、大きなため息をエルワンがつく。
陛下はまだ、目を覚まさなかった。




