懐かしい
「父さん、父さん! 今日も稽古しよ!」
「おっ、アルベール。元気だな。元気なのはいいことだぞ。よーし、かかってこい! 」
「いくぞー! とりゃー!」
「おっと。この前の休みより太刀筋が良くなっているじゃないか。だがな……それ!」
「うわぁー! 足を持ってひっくり返すのはずるだよー! ちゃんと修行してよー!」
父さんの顔を見ても、黒いもやがかかっていてよくわからない。
「こらこら、アルベール。お父さんは久しぶりのお休みなのよ。ゆっくりさせてあげなさい」
穏やかな笑顔を浮かべた、母さんが近づいてきた。
「いいんだよ。せっかくの休日だからこそ、こうして未来の騎士と稽古してるんじゃないか」
「そうだよ母さん! まだ決着はついてないんだから!」
「はいはい。稽古もいいけれど、そろそろお昼ごはんよ」
「ホントに?」
朗報を聞いてジタバタする僕の足を、父さんがいきなり離した。背中から地面に落っこちて、思わず。
「痛い!」
次の瞬間には、僕は薄暗い部屋に一人でいた。
あれ、父さんは? どこ?
ああ、そっか。父さんは、家を出て行ってしまったんだ。
長期遠征に行ってくると話していた。だけどいつまで経っても帰ってこなくて、軍隊に聞いてもそんな話はなくて、代々城の近衛兵をしていた家系のおかげで僕らは城に住むことになった。
だけど、暮らしはとても、楽とは言えないものだった。
重いドアがギシギシ鳴って開き、母さんが入ってきた。
腰が曲がり、顔に深いシワも刻まれている。痩せ細った腕で、今日も重い洗濯物を運んできたんだろう。
「おかえり」
「アルベール、大丈夫? さっき、何か声がしたけれど。どこか痛むところでもあるの?」
そう言って母さんは苦しそうに咳き込んだ。
「母さん! 僕は大丈夫だから。母さんこそ休んだ方がいいって」
「無理よ。お父さんの代わりに働かなくちゃ。せっかく皇太子様がお城に住まわせてくれて、仕事もやらせてくれているんだから。お父さんが、帰ってくるまで──」
どうしよう、咳が止まらない。うずくまった母さんの背中をさすっても、何も変わらない。口元を抑える母さんの手には、赤黒い血がついていた。
「母さん! 母さん!」
僕はずっと、母さんの背中をさすっていたけれど、段々、さすっていたものが棺桶に変わっていく。
「母さん!」
僕は泣いていた。草原に作ったお墓の前で、ささやかな葬式の最中だった。参列者は僕の他に、狐目の黒髪だけ。
「この度はご愁傷様です。お父上が軍務に行くと言って行方不明になり路頭に迷われたあなた方を、皇太子様の寛大なお心により城で引き取っていましたが、もうそろそろ潮時でしょう」
何か話しているけれど、耳に入ってこない。
「あなたはまだ六歳だ。孤児院にでも行けば衣食住は確保できるでしょう。早く荷物をまとめてきてください。わかりましたね」
「はい。わかりました」
反射でそう答えた。
「……だ、か、ら、前の持ち主だとか関係ねーんだよ。この家は俺らが皇太子様にいただいたんだぞ。もうお前の家じゃねーの。そんな汚いなりしてうろつくな。どっか行っちまえ!」
足が動かない。もう何もしたくなかった。どこにも行けない。居場所はない。何もわからない。
「おい、何つったってんだよ! 早く行けよ。分かったか!」
「はい。わかりました」
こう答えるように言われていたから。
僕は一人になった。
ずっとずっと、暗闇の中に取り残されて。
僕は一人だ。
「おーい。いつまで寝てんだ。今日も鍛錬するんだろ」
優しく頬を叩かれて目を覚ました。
「……って、おい。またあの夢か?」
僕はうなずいた。
「マジかー。ここんところ毎日だよな。大丈夫か?」
そう言われハンカチを差し出される。寝ている間に泣いていたらしい。
「ああ。大丈夫」
僕はベッドから起き上がった。
ここはイーヒスト王国軍宿舎。小さな部屋に二段ベッドと机が押し込まれたこの場所が、今の住処だ。
身寄りのなくなった僕は、残飯を漁りその日暮らしの生活をしていた。孤児院には行きたくなかったから。子どもでパンクした孤児院で生き残るより、一人の方が楽だった。
いっそのこと死んでしまおうかと思ったり、死にかけることも何度かあったけれど、諦められないことがあって、ここまで生きてきた。
あの日、出ていってしまった父さんを探す。
思い出の中の父さんは、いつも優しくて、かっこよくて。絶対、母さんと僕を見捨てるような人じゃなかった。何か理由があるはずだ。
首にかけた紐には、父さんが出ていくときにくれた指輪を通している。僕の家系であるブラン家と、王家の紋章付きだ。王室付き近衛兵になる際、時の王から賜ったらしい。
どれだけ生活が苦しくても指輪は売らず、十三になった僕は軍隊に入り、出世してもっと内部情報を探すためにまた城へと戻った。
「ま、あんまり根詰めすぎんじゃねーよ。俺らはもう、一人じゃないんだから」
「……ありがとう」
この同室、エルワンとは十歳で軍の訓練学校に入学したときからの付き合いだ。お互い孤児で、相部屋だったから話す時間も長く、馬があった。
この国で黒髪は嫌われている。汚れているかららしい。父さん譲りだという髪のせいでトラブルを招いたこともあったけれど、軍では黒髪の率も高く、差別を受けることも減った。
特にエルワンは、僕が父親のことを話しても分け隔てなく接してくれている。
「しっかし、不思議だよなー。親父の夢を見ても、肝心な顔が思い出せないなんて」
「それはお前も一緒だろ」
くしゃっと笑い、「そうだな」とエルワンは答える。
「俺だって、夢の中では親父とお袋が幸せそうな顔を見れるんだ。……俺を施設に置いていったこと、後悔してるかな」
エルワンの目は、普段の勝気とは打って変わって、とても儚げだった。
「この国で一番の騎士になって、俺の名を轟かせてやる。あいつら、俺の給料袋を見て悔しがるぜ。育てておけばよかったって」
僕は知っている。口ではこんなことを言っているけれど、本当はどんな形であれ両親に会いたいことを。僕も同じだ。だからエルワンといると、こうして色々と話してしまう。
「国一番の騎士の席は、僕の分も空いているだろうな」
「ああ。もちろんだ」
ニヤッと口角を上げて、エルワンは言った。
「最高の騎士には、最高の相棒が必要だからな。さ、メシ行こうぜ。相棒」
立ち上がると、肩をトンと叩かれた。
食堂は、これから見回りに出る兵士たちでとても混雑していた。
「あっ、お二人ともこちらです! マルガリさんがお待ちですよ 」
まだ幼い子どもが僕らを手招きした。この少年はミシェル。なぜか僕らが軍の訓練学校で学んでいた頃から兵舎に出入りしていて、たまに雑用をしてくれる。自称兵士見習いだが、とてもそんな年齢には見えない。上官が来るときはいつもいなくなっているから報告もできないので、ほっといている。
案内に従い、そこまで人がいない、出入り口から一番離れた席に向かう。訓練学校で同期だった兵士が、席を確保してくれていた。
「お前ら今日も遅いな。非番だからって、たるんでるんじゃねぇのか?」
隣に座ると、脇腹を突かれた。エルワン、これを知ってて向かいの席に座ったな。
しかし、こうしてゆっくり話すのは久しぶりだ。パンを口に入れながら、エルワンとマルガリの間で会話が弾んでいく。
「マルガリこそ。落第ギリギリで卒業したのに、よく生き残ってんな」
「へへへ。すげーだろ! フサフサヘアーが似合うようになるまで死ねねぇからさ」
マルガリの頭は、定期試験最下位だった罰則で坊主にされた。卒業して数ヶ月経つが、今でも自主的に刈り、自戒にしている。そのせいであだ名がマルガリとなってしまった。本名は……なんだっけ。
「それに、最近は平和だからな。仕事も持ち場でずーっと突っ立ってて、時々泥棒を捕まえて……」
「十分仕事してるじゃねぇか」
「それはそうだけどよ! なんて言ったらいいんだろ」
コップの水を飲み干し、マルガリは愚痴った。
「騎士様って、こういう地味な仕事なんだなって」
騒がしい食堂が、少し静かになった気がした。
「──かっこいいですよ。マルガリさん含め、ここにいる騎士様全員」
ちゃっかり朝食をもらっているミシェルが呟いた。
「僕も将来、地味で活躍しない裏方をやりたいなぁって!」
「誰が地味で活躍してねぇんだよ」
マルガリにツッコまれ、てへっと笑うミシェル。
「ったくよ。ああ、そうさそうさ! 俺の仕事はどうせ、死ぬほど地味で名前すら残らないだろうけどな。裏方を極めてやるよ。俺と違って、お前らは文字読めるんだもんな……」
持っていたスプーンで僕らを指し、スープを飲んでいくマルガリ。
「本当に、よく卒業できたよな。今からでも覚えろよ」
パンを咀嚼しながら、僕は頷いた。
「お前らはなんでか知らんけど入学前から使えてただろ! 育ちのいいお坊っちゃまたちには、すぐに割のいい仕事が舞い込んでくるさ」
「卑屈になりすぎだぞ、マルガリ」
やっとパンを飲み込めた僕は言った。
「いーや、俺の勘は意外と当たるんだぜ。例えばそうだな──王室付き近衛兵とか」
「そんなまさか……」
エルワンは身元不明だし、僕の父親は失踪済みだ。それに黒髪だし。武勲でも立てない限り、高貴な方々には近づけないだろう。
「戦で活躍でもしなきゃ無理だって。俺らは」
「なんでだよ」
「それは──」
エルワンが言い淀んだとき。
「アルベール、エルワン」
「教官!」
訓練学校時代の恩師だだ。一斉に起立し、敬礼の姿勢をとる。
「休め。二人とも、食事が終わったら支度をして私の執務室に来い」
「おい! それって、まさか──」
小声でマルガリが囁いてくる。
「マルガリ。お前、次は首ごと刈るからな」
「失礼しましたっ!」
謝る速度だけは速い。
「非番なのに悪いな。なるべくすぐ来るように」
それだけ言うと、教官は去っていった。
「……マルガリさんが首を刈られかけたら、僕がなんとかしますよ」
いつのまにか机の下に隠れていたミシェルがひょっこり首を出して笑う。
「余計なお世話だよ、バーカ」
頭を小突かれて、嬉しそうにしていた。




