再出発
夜が明けた頃、私たちは出発した。
ほとんど着の身着のままで、持ち物といえば剣とリナから渡されたいくつかの袋くらいだ。「これは袋の内側に、触れたものの存在を消す魔法をかけているの。魔法を解除すると、詰め込んだものが一気に現れて袋が爆発しちゃうから、基本使い捨てなんだ」と、教えてくれた。
リナ一人なら便利な転移魔法を使えるらしいが、何かしら荷物を持っていたり、二人以上になると必ず失敗するらしい。地道に湿地帯を歩いていくしかない。
先を行くリナが、「足元に注意してねー!」と声をかけてくれる。広いし薄暗いし、方向感覚がなくなってしまう。どうやらリュシーはリナにしかわからない目印をつけているらしく、迷いなくリナは進んだ。本当に、一人で抜けようとしたら迷子になっていただろうなと、私は思った。
「大丈夫? この辺りは沼も多くて歩きづらいんだけど、緊急用の最短ルートでもあるの。このペースなら、フラナンズ王国の近くに三日でたどり着けるはず! ──蛇とか出るけど」
「蛇? 」
私はすっとんきょうな声をあげてしまった。無理だ。蛇もまだ克服できてない。完全に管轄外。
「まぁ、わたしも蛇は苦手だから、ちゃんと蛇よけの薬も作ってきたよ! この袋の中! 」
リナが取り出した緑の丸いマークがついた袋は、支度をしているとき、リナが大事な魔法道具や、リュシーさんの書いた本を入れていたものだった。
「──どうやって取り出そうか?」
「……あ」
沼の多いこの辺りでは、かなり地面も水浸しになっている。今ここで袋にかけた魔法を解除すれば、中のものはどうなるだろうか。
「あー!」
リナの後悔の叫びが、森にこだました。
おっかなびっくり進むことになってしまった旅路だが、無事に蛇と出会わず、特筆すべきこともなく森を抜けた。
「出口だー!」
リナにとっては久しぶりの光景なのだろう。はしゃいだ様子で草原に飛び出していった。
暖かに降り注ぐ光を反射して草花が輝く。戦争に負けてから少なくとも一週間。私の胸には懐かしさが込み上げてきた。
同時に、恐怖も。
この森から一歩出れば、私の中の悪魔がまた暴れ出すかもしれない。周囲に人はいないし、真っ先に襲いかかるのはきっとリナだろう。
リナが近づいてきた。思わず一歩下がってしまう。
「……セレーナさん? もしかして、怖い? 」
力なく、私はうなずいた。
「──また悪魔が身体を乗っ取ったらどうしようって考えたら、不安で。ごめんね」
もう覚悟なんてできたと思っていたのに、直前になって立ち止まってしまう。弱いな、私って。
「当たり前じゃん」
「えっ?」
リナは一歩近づいて、私の手を取った。そのまま、結界ギリギリのところまで引っ張り出す。何か言う隙も与えず、リナは口を開いた。
「わたしも不安。怖いよ。この魔法、まだ一回も使ったことがないし、とんでもなく難しいみたいだし。こんな人に任せるの、嫌だよね」
リナは少し笑った。
「でも、わたしが怖がってちゃだめなんだよ。わたしは、セレーナさんを助けたい。国の人たちのために頑張るセレーナさんには、魔法をかけることくらいしかできないから。だから頑張る」
強く握られた手は、柔らかくて温かくて小さいけれど、不安なんて吹き飛ばしてくれる。
「だからセレーナさん。わたしを、信じて」
……ここまで言ってくれる人を、信じられないわけないよな。
「ありがとう。私、リナを信じるよ。リナならやってくれるから」
少し期待をかけ過ぎてしまったかなと思ったけれど、リナはやる気たっぷりとばかりに息を吸い込んだ。
「よーし! やったるぞ! セレーナさんを助けるんだもん! 今ならなんだってできそうだよ!」
眩しい。私は、リナの笑顔を邪魔する存在になっていやしないかと思っていたけれど、そんな不安も弾き返してくれる。本当に、この子は子どもなのだろうか。そんな気さえしてくる。
私は、少し浮かんだ涙をこっそり拭った。
「じゃあやるよ? ちゃーんとここに魔力入れもあるし」
リナはピンクのハートマークがついた袋を取り出した。小声で呪文を唱えると、袋が弾けて中身が現れる。あの宝石からチューブで、三角フラスコのようなものがつながっていた。
「宝石につながっているのは魔力濃縮装置。宝石をつけると不老不死になる仕組みはね、宝石が大量に魔力を蓄えて、まだ解明できていない仕組みを使ってそれを組み替えて、不思議な結界みたいなものを作って持ち主が生まれ変わる速度を上げるからなんだ。まあその代償として、持ち主の魔力の入れ物と一体になっちゃうんだけれど……」
みたいなもの、とか多かったな。リュシーさんでもここまでしか解明できなかったのか、私に噛み砕いて説明しようとして逆に難しくしてしまっているのか。全く理解できなかったけどここは話を進めようと、私は先を促した。
「とにかく。確実に分かっているのは、宝石から魔力を取り出して常に宝石の中身をからっぽにしておけば、宝石本来の力が発動されないってこと。今この状態の宝石をつけても、手放したときに体が崩れたりはしないよ!」
「じゃ、じゃあ、今はただの魔力吸収機能付きの宝石ってことだね」
「そうそうそうそう! 人間は魔力を吸収するのに道具が必要だから! しかもね、この宝石は他の似たような力がある魔法道具と違って吸収率が段違いなの。そこらへんのお花とかからも最大限吸い取るから、濃縮装置に繋いでおけば超優秀な魔力補充器になるんだ! すごいよね本当に!」
段々モバイル充電器のセールスみたいになってきた。リナの魔法に対する熱意が強くて、グイグイ森の中に押し込められる。
「……あ、ごめんね。わたしばっかり話しちゃって」
「ううん全然、全然気にしなくていいから! 本当に大丈夫!」
むしろ話が聞けて楽しかった。面倒ごとを全て片付けたら、ゆっくり魔法について聞きたい。
「それじゃ、やるよ? とっても眩しくなるから気をつけてね」
私は「ちょっとこれ持ってて」と、濃縮装置と宝石を渡された。もう既に、濃縮装置には紫色の液体が溜まっている。きっとこれが、宝石が吸収した魔力なんだろう。
リナがいつもの魔法を唱える態勢になった。私も目を閉じる。
「魔の力を封じ込める結界よ。セレーナを守り、力を留まらせ、平穏な生活を送れるように力を貸したまえ。全てはリザーヌ様のために。魔の力を封じ込める結界よ。セレーナを守り……」
呪文を繰り返している。青色の光も強い。直視したらしばらく動けないだろう。よほど強力なのだろうか。とにかく今は応援していることしかできない。固く目を瞑りながら、私は成功するよう願った。
何度も何度も呪文が繰り返され、リナのことが心配になってきたとき、やっと光が止んだ。
「……できたよ、できたよセレーナさん!」
目を開けると、汗だくになったリナが立っていた。頬は真っ赤だが、とても笑顔だ。
「ちゃんとセレーナさんに結界張れた! 森の外に来ても大丈夫だよ。ほら!」
まだ危ないんじゃないかと止まろうとした私の手を、リナは強く引っ張った。
雲ひとつない青空が、祝福するかのように広がっていた。
小鳥が飛び回り、歌声を響かせる。
さわやかな風が、髪をすり抜ける。
おだやかな日常だったものが、私の周りで踊った。
いや、何を弱気になっているんだ。
これをもう一度日常にするために戻ってきたんだろ?
私は王女。
進むしかない。
私は一歩を踏み出した。




