あいつを倒すために
本の上にいるリナの師匠、いや、リュシーさんは語り終えると、そっと本を閉じた。
窓から風が吹き込み、リュシーさんの右頬を覆い隠していた黒髪が乱れる。痛々しい傷跡が刻み込まれていた。
「……お母様はね。わたしよりずっと魔法が得意で、少し先の未来なら占えるって言ってたんだ。だから、お母様の言葉を信じて、ずっと!」
リナはいつのまにか泣いている。リュシーさんは抱きしめたそうに立ち上がったけれど、また椅子に座り直した。
「ごめんなさい。大丈夫。大丈夫ですから。わたし、マチルドさんが来てくれてすっごく嬉しいんです。お母様の言う、『仲間』が来てくれて、本当に! 」
リュシーさんの代わりとは程遠いけれど、わたしは背中をゆっくりさすった。
リナが少し落ち着いたあと、わたしはもう冷えてしまった緑茶をすすり、頭を整理した。
話を聞く限り、コランタンの両親はイーヒスト王家の初代だとみて間違いなさそうだ。私のフラナンズ家も、その血筋を引いているから……私にとってコランタンは、遠い親戚に当たるということか。
初代イーヒスト王が立ち上げたリザーヌ教は、イーヒスト出身者なら程度に差はあれど皆信仰している。しかし、執行者などの役割は聞いたことがない。きっと、時代の流れとともに消滅したんだろう。
そして、私に宿っている悪魔のキネロ。私の前は、イーヒスト国王に宿っていたのか。そうなると、アルベールがフラナンズに逃げてきた原因も含め、全て説明できる。
イーヒスト国王の様子がおかしくなったのは七年前。悪魔は、年老いた体を休ませながら、目の敵にしていたリュシーさんを探し続けた。なんせおかしくなっても国王だから、いくらリュシーさんが森にいても数年あれば見つけられるだろう。
リナが一人暮らしになったのが約半年前だから、きっとその頃にキネロはリュシーさんを殺し、宝石を奪った。
不老不死になってしまえば、身体が高齢でも生き続けることができる。戦の準備を進め、人類殲滅計画を実行に移した。
しかし、自分で言うのもなんだけれど、ここで邪魔が入ったんだ。
私があのとき切った首飾り。あれには、大きな宝石が取り付けられていた。そのあとすぐに吹き飛ばされてしまったから見ていないけれど、きっと宝石と国王が引き裂かれ、体が塵になってしまったんだろう。
そして、次の宿主に……私が選ばれた。
朦朧とする意識の中、変なリンゴを口にしたことを覚えている。今思えば、なんであんな怪しいものを食べてしまったんだと思うのだけれど、お腹がペコペコだったから仕方がない。もう二度と、拾い食いはしないようにしよう。
さすがに一国の王は拾い食いをしない。調理されていて、違和感なく口にしてしまったはずだ。
話の中で、王の身体に宿ったコランタンは、「ついに前の体から人間になった」と言っていた。あのイーヒスト国王の前に、もう一人宿主がいたというのか。一体どんな人だったんだろう。無事に生きているのだろうか。
いや、今はそれどころではない。もはや一国の存亡どころのはなしではなくなってきた。キネロは本気だ。本気で人間を滅ぼそうとしている。
……そんなものが、私の中で眠っている。
私は迷っていた。何とかリナを巻き込まないように気をつけていたけれど、とっくにリナも、この因縁の当事者だったんだ。
「マチルドさん? 大丈夫ですか? 」
一言も発さない私を見かねて、リナが声をかけてくれた。
「あぁ、ごめんごめん。色々なことを一気に聞いたから、混乱しちゃって」
「しょうがないですよ。わたしも、最初に聞いたときは驚いちゃった。お母様がこんな敵と戦っていたなんて知らなかったから。……とにかく。これが、わたしが森の外に出ない理由なの」
リナは明るく笑った。この森のなかで一生を過ごすつもりなのだろう。
「話にも出てきたけれど、この森はお師匠様が練り上げた結界によって護られているの。森に入ったら、どんな邪気だって封じ込めてしまうんだって! ね、お母様?」
私は、どうしてキネロが暴れ出さないのかやっと腑に落ちた。キネロは大人しくしているんじゃない。結界によって大人しくせざるをえないんだ。
「そうよ、リナ。発動させるのもいくつか条件があって、簡単には行かないのだけれど……。だからお客様も、本当のことを話していいの」
ギクっと身体が震えた。リナが不思議そうに私たちを見比べている。
「大丈夫。そこにいるのはお見通しだから」
リュシーさんは私の内にいる宿敵を見据えて言った。そういえば、この本はリュシーさんの行動を再現しているんだった。たぶん心の中も読める。絶対に隠し事はできない。
意を決して、私は口を開いた。
「……ごめんね、リナ。私、嘘ついてたんだ」
リナはきょとんとしている。先ほどのやりとりも、よくわかっていなかったはずだ。きちんと説明しなくちゃ。
「私ね、マチルドなんて名前じゃないんだ。本当の名前は、セレーナ・ド・フラナンズ。フラナンズ王国の王女なの」
ポカンと口を開けるリナに、私は簡単にこれまでのことを説明した。
「──だからさ、リナのことを巻き込みたくなかったの。今まで嘘をついていて、本当にごめんなさい! 」
誠心誠意、私は謝った。リナは、「あれぇ……」と呟いたあと、状況を飲み込むのにだいぶ時間をかけていた。その間に私はリュシーさんと少し話したくて、本の方を向く。
「リュシーさん。キネロを止める方法、知っているんですか? 」
「……数百年探し続けたけれど、一つしか見つからなかった。それに、条件が揃わないとできない」
「何をすればいいですか? 」
リュシーさんは、とても言いたくなさそうだった。
「一つは、魔力を吸い込む魔法道具と、それを使える人がいること。もう一つは……キネロの人格が、あなたの代わりに出てきていること」
そんな。その状態になっているときなんて、一つしかない。
「キネロが、人を殺そうとしているときってことですか? 」
リュシーさんは、ためらいながらうなずいた。
「魔法道具でキネロを吸い出して封印するしか方法はないの。わたしが殺されたときは、その魔法道具を使っていたからできなかった」
「もしかして、魔力を吸い込む魔法道具って──」
「そう。不老不死になる宝石よ。元々、あれにキネロが封印されていたんだもの。誰がしたのかはわからないけれど、前例があるならわたしたちにだってできるはず。そうねぇ、キネロが出てきた状態で気絶でもすれば楽かもしれないわ」
「それはそうかもしれませんが……」
なんだかとても現実離れした話に思えてくる。本当にできるのか、そんなこと。
心配する私の心を読み取ったのか、リュシーさんは安心させように言ってくれた。
「大丈夫。魔法はいつだって、準備した者に奇跡を起こすの。わたしにはできなかったけれど、リナならきっと、やり遂げてくれるわ」
……リュシーさんがそう言うのならば、信じるしかない。キネロはリナがなんとかしてくれると太鼓判を押してくれたんだ。なら私は、私の仕事をしなければ。
「リュシーさん。もう一つ相談してもいいですか? 」
「イーヒスト皇太子のことね 」
話が早くて助かる。魔法って便利だな。
「恐らく、イーヒスト国王と私が行方不明になって、陥落したフラナンズを統治しているのはイーヒスト皇太子です。私は直接会ってはいませんが、そもそも皇太子の利権が絡んで始まったこの戦、当の本人がいないはずありません。なので──余計に、心配なんです」
「同感ね。あなたの思いびとさんの話を見る限り、とてもいい君主には思えないもの」
「待ってください。今、思いびとって言いましたか? 」
私の、思いびと?
「あら、そうじゃないの? 」
「いやいやいやいや、そういう関係じゃないんですって! 」
それにきっと、アルベールはもう……。
「ごめんなさいね。ちょっとからかいたかっただけだから」
少女のような笑みのリュシーさん、こっわ。やっぱ魔法って不便だ。
「とにかく、あなたは皇太子が国をめちゃくちゃにしていないか心配だから、帰らないといけないってことね」
「はい。ですが……」
今、私が森を出たら、ほぼ確実に悪魔が暴れ出す。
人を果物みたいに潰していく力を持つキネロに対抗なんてできるのか? リナが封印できなければ、殺してしまう。
「遠慮なんてしないで」
顔を上げると、本の端まで来ていたリュシーさんと目が合った。
「あなたってばコランタンにそっくり。自分のことよりも目の前の人を大切にして、結局色々抱え込んで手に負えなくなって……でも、そういう人だから、助けたくなるのよね」
「──そうだよ! わたしもお助けしたい! 」
机を強く叩いて、リナがいきなり立ち上がった。どうやら頭の整理も終わったみたいだ。
「このまま見て見ぬ振りはしたくないの! お師匠様! マチル……セレーナさん! 一つ提案があります!」
一息ついて、リナは言った。
「この森の結界を解除して、セレーナさんにかけ直すのはどうですか」
「……えっ? 」
思わず声を出してしまった。私は魔法のことを何も知らないけれど、深刻なリナの表情から、思い切った決断だとわかる。見つめ合うリュシーとリナを交互に見て、オロオロしていることしかできなかった。
「お師匠様。この結界内ならキネロも出てこれないんですよね? それに前、教えてくれたことも覚えています。キネロを封印する結界は、森を覆うくらいの広さを出すのが限界だって。一度に二つ出すこともできないって。だったら、わたしがついていって、一日中セレーナさんに結界を張り続けます!」
「……本当にできると思っているの? 四六時中気が抜けないし、あなたが失敗したら、すぐにこの世界は終わってしまうのよ」
「はい。分かっています。……それに、きっとこの旅は危険なものになる。だけど、わたしはセレーナさんのお役に立ちたいんです。立たなくちゃいけないって、何でかわからないけれど、心の底から、思っているんです! 」
リナの言葉には、強い切迫感がこもっていた。あの騎士のような忠義からではない、違う何かに突き動かされているような。
「セレーナさんもお願いします。迷惑はかけません! 自分の身を守る魔法くらい、ちゃんと覚えたので。お願いします!」
……やっぱり、リナには勢いがある。とても頼もしい。
「ついてきてくれるのはとっても嬉しいよ。だけど、この森の外で魔法はもう使えないんじゃなかったの?」
「……あ」
真っ赤になった顔は、また勢いよく机に突っ伏された。
あるよね、そういうこと。テンション上がったのはいいけれど、初歩的なミスで引っ掛かってすっ転ぶの。あるよねー。と、私は同情した目線を送った。
「もう、どうしたらいいのー! 他にアイデア思いつかないって! 無理! こんなことも見過ごすようじゃ無理だって!」
まだ床につかない足をばたつかせてリナは叫んだ。相当凹んでいる。
「全く、しょうがないわね。本当に心配になるけれど……この子の思いは、やっぱり大切にさせてちょうだい」
リュシーは、リナに優しく語りかけた。
「あなたも、数日前から感じているでしょう? 家の近くに魔力の塊があるってこと」
「はい。でも、お母様が見に行かないでって言うから、まだ正体は知りません」
「あれはね、持ち主がいなくなって、この森に帰ってきた宝石なの」
「え! そうなんですか!」
嘘だろ。あの戦いで行方不明になったと思ったのに、自分で帰ってくる機能付きなのか。
「それでね。宝石は普通ではありえない速さで魔力を吸収し、たっぷり蓄えて木にはまっている。……ここから先は分かるでしょ?」
リナは、リュシーからのヒントで何かに気づいたようだ。
「宝石から魔力を取り出して持ち運べば、森の外でも魔法が使える?」
それだ! と言った後、リナは部屋から飛び出していった。
「……本当に、あの子はそそっかしいんだから。でも、実力は折り紙つきよ。だってわたしが育てたもの」
不敵な笑みを浮かべるリュシーさんを見ると、本の上でしか存在できないことも信じられなくなる。
「ねぇ、セレーナさん」
リュシーさんは二人きりになると、私にささやいた。
「わたしの話にもあった通り、リナは出会う前までの記憶を無くしているの。まだ思い出せていないみたいだけれど、この旅の途中、何か見つけるかもしれない。少しでいいから、リナのことを気にかけてあげてちょうだい」
言われなくても、リナのことは絶対に守る。絶対にだ。
それにしても、記憶喪失か……。ん? 待てよ?
「リュシーさんは、リナの記憶を読んだんですよね? それを、私たちに教えてはくれないんですか? 」
フッと笑い、リュシーさんは目を逸らした。
「そうね。あの子の記憶は、リナが向き合い、リナの口から話すべきだと思うから」
どういうことなんだろう。あまりピンとこない。
だけど私は、心配そうに窓の外を見るリュシーさんの横顔に、ただ「はい」と答えることしかできなかった。




