リュシーという魔女
どのくらい経ったのだろう。いつの間にか日は落ち、辺りも暗くなっている。わたしは、ようやく立ち上がった。
コランタンと約束したことを、実現させる。
そのためならなんだってしよう。
数ヶ月歩いて森に行き、自分の持つ力を注ぎ込んで島中の魔力を森に閉じ込めた。
誰も森に入れないように。もし入ってきても、悪魔が暴れ出さないように。何重にも結界を張り、魔力ごと森を封印した。
これでもう、森の外で魔法は使えない。
本当はこのとき、魔力も一緒に封じ込めるつもりだった。しかしいつの間にか跡形もなく消えていて、どこへ行ったのか見当もつかない。
ただ、森の中にいないだけでこの島のどこかに潜んでいるのかもしれなかった。その可能性を排除できない限り、わたしは止まれない。
宝石があった場所の近くに、コランタンが考えた家をもう一度建てて、一日中魔法の研究に没頭した。
やはり、宝石の所有者が亡くなる原因は、長い間宝石を身につけていることにあった。身につけた宝石は、徐々に所有者と自分の魔力の入れ物を一体化させる。宝石と離れることでそれが引き裂かれると、所有者は死ぬ。
でも、それでも構わない。いちいち食事を用意する時間ももったいないし、人間の寿命では到底太刀打ちできない相手と、わたしは戦っている。
わたしは、宝石をネックレスにして身につけた。
コランタンが亡くなって数十日が経った頃、食事をする必要がなくなった。完全に、わたしと宝石の魔力の入れ物が融合したようだ。
そうして、わたしは何百年と生き続け、森の中で魔力を研究し続けた。
ある日、わたしは西にある街、今はウェストニアと呼ばれている場所に行った。
年に何回か、世相を見るためだ。
戦争が起きそうなら、その裏にあの魔力がいるかもしれない。
何度か休戦を挟み、数十年前に終わったあの戦争。コランタンの父が興したイーヒストも、形を変えながら世襲が続いている。皮肉なことだ。目的を全て達成させ、地獄でほくそ笑んでいるだろう。
休戦が明けるたび、魔力が背後にいないか調べたが、ただ人間が勝手に初めていただけだった。いつの時代も、人間の醜さは変わらない。
新聞でも街の人が話す噂にも、戦争の兆候は見られなかった。戦争が終わったときに建国された国が、いい仕事をしているらしい。
森に帰る日、冷たい雨が降っていた。この路地を曲がれば転移装置だ。
しかし、その路地には、小さな女の子が道を塞ぐように座り込んでいた。
見るからに凍えている。ここらじゃ孤児も珍しくない。放っておけばいい。ただ──いや、なんでもない。
「あなた、捨てられたんだね。こんなところにいちゃ風邪を引くよ」
わたしはしゃがみ込んで、子どもと目線を合わせた。
「名前は? 」
「……忘れちゃった」
「家は? 」
「……忘れちゃった」
魔法で思考を読めるようになっていたから、この路地に子どもが座り込んでいたことも、直前まで何を考えていたのかも知っている。わざわざこの道を選んだのも、その記憶に用があったからだ。ただ、自分が何かを覚えていたかも、子どもは忘れてしまったらしい。
「仕方がないね……。よし。うちにおいで。弟子になってもらうよ。何か思い出すかもしれない」
どのみち、出会ってしまった以上放っておけない。
あの悪魔が、またこの子を狙うかもしれないから。
「わたしはリュシー。あなたはそうだね……リナだ。うん。今日からあなたはリナってことにしよう」
リナは寒さでかじかんだ手で、わたしをつかんだ。
森にやってきたリナは、とてもよく働いた。
転移魔法は難しい。二人同時に運ぶにはまだ研究が足りない。そのため歩いて森に行くことになっても、泣き言一つ言わなかった。
この子の境遇は、どうやらわたしに似ているようだ。
明るくて、いつも笑顔で。少しおっちょこちょいだけれど、リナがいるだけで研究だらけの日常にも色が戻ってきた。
魔法の使い方もすぐに覚え、研究を始める前のわたしのように上達した。魔力の入れ物が大きいらしい。
数百年間まともに会話をしていなかったけれど、人と話すだけでわたしの性格も少し明るくなった気がする。
いつの間にか、お師匠様からお母様へ呼ばれかたも変わり、満更でもない気分だった。
そうして、気づいたら数年が経過していた。
リナと暮らすようになってから、わたしは街に行く頻度を増やした。
わたしと違って、日々成長する体には栄養がいる。七歳ほどになったリナは、最近わたしの真似をして料理をするようになったので、生鮮食品をもっと用意してあげたかった。
そこで、月に一度は買い出しに行くようにした。大荷物で転移魔法はまだ使えないけれど、不老不死の体なら歩いて行ける。休まず歩いて一週間かかるけれど。この日は、ちょうど買い出しの日だった。
もう歩きなれた道を通って森を抜け、草原を歩いていると、急に風が強くなってきた。
「……ついに来たのね」
結界で固めた森に引きこもっているわたしに痺れを切らしたんだろう。
さらに風が強くなり、わたしは目をつむった。
──目を開けると、頭に王冠をのせた老人が目の前に立っていた。
「リュシー。……久しぶり」
その声に聞き馴染みはなかったが、もうこの名前を知るのはリナ以外に一人しかいない。
「コランタン。会いにきてくれたのね」
優しく笑った顔は、心なしか数百年前のコランタンと似ていた。
「そうだよ。……早く、逃げて」
「え? 」
コランタンは続けた。
「あのときから僕は、抵抗もせず悪魔が暴れ散らかすのを眺めていたんだ。知ってるリュシー? この世界の他にもう一つ、人が暮らす、何もかも違う世界があるんだ。悪魔は最初、その世界の虫になった。同族を次々と殺し、死んだらもっと大きな生き物へ生まれ変わって、ついに前の身体から人間になったんだよ」
顔をシワシワの手で覆うコランタンは、とても怖がっていた。
「本当にバカだよね、僕。やっと抵抗し始めたんだけれど、もうダメだ。悪魔は、君が守る宝石を探し当ててしまった。不老不死になって、今度こそ本当に大虐殺を実行しようとしている。……もう時間だ。早く、早く森へ逃げてくれ! あの結界の中までは悪魔も入れない。だから……! 」
必死の訴えも気にせず、わたしはコランタンに駆け寄って、ヨボヨボになった身体を抱きしめた。
「いやだ」
「なんで……? 」
「コランタンがいないこの世界を長い間生きてみたけれど、やっぱり、つまらないの。心のどこかでコランタンを探してた。早く、おしまいにしたいの」
「だけど、このままじゃ島中の人間が殺される! 」
「大丈夫よ」
わたしは優しく優しく、コランタンの背中をなでた。
「どのみち、わたし一人じゃコランタンを助けられない。あの子、いや、あの子たちならきっと、やり遂げてくれる。だから安心して」
コランタンは何も言わない。肩に水滴がポトリと落ちる感触があった。
「さぁ、早く殺してちょうだい。わたしね、殺されるならあなたがいいって、ずっと思ってたの」
わたしはニッコリと笑って見せた。
「……そうか」
それだけ言うと、悪魔はネックレスを引きちぎった。
「これでお前もおしまいだな。あの世でゆっくり、恐怖に染まった同族たちを眺めているといいさ」
草原に倒れたわたしがまだ憎いのか、何度か蹴られた。
指先の感覚が徐々になくなっていく。悪魔が遠ざかっていく音が聞こえた。
仰向けになって手のひらを太陽へ向けると、塵になった指先が飛んで行った。この分だと、身体全体が消えるまで数分かかるだろう。思ったより時間かかるな。
悪魔は、わたしが死ぬ瞬間を見届けないことからも、もうこんなわたしにできることはないと思っているだろう。
ただ、それは大きな傲慢による間違いだ。
「……今頃、リナは驚いているだろうな」
わたしが絶対に見るなと言いつけた本が、緑色に光り輝いているはずだ。
さっきコランタンと触れたときに読み取った、コランタンの記憶。
わたしが一人になってから明らかにした魔法の数々。
そして、あの悪魔をもう一度封印する方法。
わたしの体に貯めた魔力全てを使い、本に全てを記している。
この世界でたった一人だけ魔法を使えるリナにしか解読できない、わたしお手製の魔導書だ。
……さて、書き終わった。
いきなり一人になるのは、いくら覚悟していても、とても辛いことだから。リナの話し相手になれるように、本には事前に、わたしの記憶を元に話したり、少しなら本だけで行動できるような魔法をかけておいた。……リナが寂しい夜は、勝手に開いて慰めたり、ね。
本の最後は、こうやって締めくくろう。
これを読んでいるリナへ。
一人にさせてしまってごめんなさい。でもすぐに、あなたにはたくさんの仲間ができて、毎日がとても賑やかになる。
あなたが失くしたままの記憶も、仲間と一緒なら取り戻せるから。
少しの間、我慢していてね。
あなたならきっと、大丈夫。
だってあなたは。
リナは、わたしの自慢の娘だもの。




