ペティー
そして、お披露目式から五年が経った。
「あー疲れた! 一旦休憩!」
わたしは、紙と本で埋め尽くされた机に突っ伏した。その山をかき分けるように、同じ年頃の小柄な女の子が入ってくる。
「お疲れ様です。……昨日掃除したばかりなのに、もうこんなに散らかして。とりあえずこちら、おやつのマジパンでございます」
差し出された糖分の塊を見て、わたしは目を輝かせた。ひとかけら口に入れると、甘さで脳みそがビリビリと震える。あー、美味しい。この世界甘いもの少ないから貴重。
「……これで、緑茶があったら完璧なんだけどな」
ため息混じりにつぶやくと、子どもは首を傾げた。
「リョクチャ……? 紅茶ならご用意できますが、お嫌いでしたよね」
「あー、なんでもない! 気にしないで!」
まだ不思議そうな顔をしているけれど、この件はもう終わりとばかりに、わたしはマジパンを差し出した。
「ほら、ペティーも。長い時間作業していたのは同じなんだから」
「いえ、しかし……」
「いいからいいから! 食、べ、て!」
全く。ペティーは真面目で毎回断ってくるから、こちらも懲りずに毎回押し付ける。本当は超甘党だってバレているのにね。
「……そこまで言うのなら、いただきます」
口に入れた瞬間こわばった顔がとろけていくペティーを見て、わたしは満足し頷いた。やっぱり、子どもの笑顔が一番疲れに効く。
まぁ、わたしも今は子どもなんだけどね。
……ペティーとは、生後数日で出会った。というより対面した。
ある日、母上に抱かれているわたしを、大柄な女性が覗き込んだ。
「ミレーユ! よかったわ、元気そうで。お産、大変だったものね」
明るい茶色の髪をお団子にまとめ、よく通る声で話す。おかげで赤子の耳にも聞き取りやすい。
「大変だなんてそんな。この子はとっても元気なのに、わたしが弱いから。みんなに心配かけちゃったわ。あなたたちは元気?」
「もっちろん! まぁ、ペティーは熱を出して回復しての繰り返しなんだけれど……今は母子ともに健康。ペティーはともかく、あたしは体調崩すわけないじゃない」
安心したのか、母上は鈴の音のように軽やかな笑い声をあげた。
「それもそうね。産んで次の日に仕事復帰するくらいだもの」
とんでもエピソードが聞こえてきたが、一旦置いておくことにする。
「あたしは体力バカの仕事人間だから、休んでなんていられないわ。今日もその仕事で来たのよ。この子の名前は?」
「セレーナよ」
「セレーナ姫? ステキじゃない。あなたがつけたのね」
「どうしてわかるの?」
「あなたとは長い付き合いだから。さーて、プリンセス・セレーナ。今日からあたしがばあやですからね!」
あとから知ったが、自然な流れでわたしを抱き上げた、この人がペティーの母親だ。ばあやと呼ぶには若々しい。内側から元気が溢れている。ガサツに見える外見とは裏腹に優しく包み込んでくる腕は温かく、ついうっかり寝てしまった。
目を覚ますと、わたしはベビーベッドに寝かされていた。すごい。気づかなかった。父上が下ろしたら絶対に起きてしまうのに。
しかしこのベッド、やけに広いなと思って目を動かすと、わたしの隣に寝ている赤ちゃんがいた。
ふわふわと、まだ細い茶色の髪が生えていて、時々大きなあくびをする。そうそう、赤ちゃんってこんな感じだった。かわいい。かわいすぎる。いくら見ても飽きない。
しばらく眺めていると、ばあやがニコニコしながら現れて、わたしたちを覗き込んだ。
「隣が気になるのかい? この子はペティトワーズ。かわいい名前でしょう。愛称はペティー。あなたの乳姉妹よ。全くもう、二人ともなんてかわいいのかしら。あたしとミレーユもこんな感じだったのかしらね」
へぇ、わたしの乳姉妹か。王族になるとこんな家族もできるんだな。
……ちょっと待って。さっきから気になってたけれど、王妃を呼び捨てにできるばあやって何者?
あぁ、聞きたい! だけど口が思うように動かない! もどかしい!
諦めたくはないのでおぎゃおぎゃ言っていたら、隣から「ふぇ……ふえぇ……」と聞こえてくる。
首も動かせないので横目で見ると、顔を真っ赤にしたペティーが、「おぎゃぁぁぁあ!」と泣きだした。
あぁ、ごめん! わたしがうるさかったんだよね! 本当にごめんね!
そんな謝罪も言えず、言えたところで赤ちゃんが聞いてくれるはずもなく、ペティーは泣き止まない。
しかしばあやはプロだった。「はいはい。よしよーし」と慣れた手つきで持ち上げ、ペティーをあやしていく。徐々に泣き声は落ち着いていき、またペティーは眠りに入っていった。
「姫様といえども、赤ちゃんが寝ているところを邪魔しちゃダメよ」
顔はにっこり笑顔だが、目の奥は「次やったら分かるね?」と言っていた。
わたしは、返事代わりに小さく「おぎゃ」と音をだした。
その後、ペティーとわたし、特にペティーはよく体調を崩したが、大きな問題もなく無事に五歳を迎えた。
遊びたい盛りの年頃だと思うが、こうして今日も机に向かう。
理由は二つある。まず一つ目は、夢中でマジパンをかじっているペティーだ。
「ほら、もっと食べな。そんなに課題をこなしてたらお腹が空いて仕方がないでしょ」
「いいのですか……! ありがとうございます。このご恩はいつか必ず!」
ペティーは、いい意味で力技タイプの母親とは真逆で、超が何個ついても足りない秀才だった。二歳の誕生日を迎える頃には大人と遜色ないほどの語彙力を蓄え、最近、数千を超える城中の本を半分読み終えたと言えば、そのすごさが伝わるだろうか。少なくとも、凡人ではない。明らかに非凡寄りだ。
病弱ということもあり、中々外では遊べない。奇遇なことにわたしも勉強したいと思っていたので、今日も今日とて家庭教師のじいやから出された課題に取り組んでいた。
机に散らばる本のタイトルは、「フラナンズ八十年の歴史」、「子ども向け教本 唯一神リザーヌ様のお話」、「戦争から逃げられない我が国」。
そして、これが机に向かう理由二つ目。わたしが将来統治するこの国、フラナンズをもっと知りたい。歴史書多めのカリキュラムをじいやに組んでもらったおかげで、段々フラナンズの難儀な立場が見えてきた。
「ごちそうさまでした。さて、セレーナ様。そろそろ再開いたしますか」
「あ、待って! ペティーって、フラナンズの歴史は頭に入っているでしょ? 明日はじいやのテストだし、一緒に復習したいなぁ」
「分かりました。……その前に、掃除してもいいですか?」
「ペティーさん、ペティーさん。本当にごめんなさいと思っているので、ご機嫌直してください」
怒りで顔を引き攣らせたペティーは、机の書類をやや乱雑にまとめはじめた。
「だって! セレーナ様が片付けても片付けても散らかすから! ちゃんとものには置き場所が存在しているのに!」
キッと睨むその目は、「もちろん一緒にやりますよね?」と言っていた。
「もっ、もちろんわたしもやりますよ! ええ、ええ。もちろん」
慌てて立ち上がった拍子に、積まれていた本がバラバラと落ちていく。
「全く……。テスト対策ですよね? では、フラナンズ建国の流れを話してみてください。片付けながらでもいいなら聞きますよ」
「ありがとうございます!」
なんだかんだ言ってペティーは優しい。
「えーっと、まずこのジラマンド島には、元々二つの国があったんだよね。東のイーヒストと、西のウェストニア」
この時点で転生前の世界でなかった単語が四つも並んでいる。自分でも混乱してしまうほどだ。一つずつ整理しよう。
まず、やっぱりここは異世界だった。といっても、魔法など期待していたファンタジー要素は大昔に無くなってしまったらしい。これを知ったとき、なんとか復活させられないかと調べたが、どの文献にも原因不明で消滅とだけ書いてあった。よくある異世界特有の文化を作るものがないせいで、まるで転生ではなくタイムスリップしたみたいだ。
ただ、地形やその名称はまるっきり違う。「フラナンズ」とはこの国の名前だ。わたしの名字でもある。
そしてフラナンズの東側にある国が「イーヒスト」で、西側にある国が「ウェストニア」。二国とも、強大な軍事力を持っている。
現在あるこの三国は「ジラマンド島」という、ほぼ円形の島にある。
部屋の壁に貼られている地図を見てみると、北から南へまっすぐ引いたような国境線が二本あり、フラナンズの領地はかなり細長く、狭い。
まるで、大国二つの板挟みになっているかのように。
頭を整理しているわたしに、ペティーは早く言うよう促した。
「今のところ順調ですよ。そのあとは? 」
「えっとね。大昔、二国間では交流もあったんだけれど、ある日突然、戦争が始まった」
「何年前? 」
「五百八十七年前」
「戦争の原因は? 」
さすがペティーだ。いかにもじいやが聞いてきそうな、重箱の隅をつつく質問ばかりしてくる。
「……その件は、歴史家たちの間でも意見が分かれてる。イーヒスト側はウェストニアが最初に仕掛け、その報復だったと主張しているけれど、ウェストニアは、自分たちは何もしていない。ある日突然イーヒストが攻め込んできたって言っている」
ひどい食い違いだが、それも仕方のないことなんだろう。両国共に絶対王政を築きあげていて情報統制も厳しいと聞くし、誰も戦争の責任を母国に負わせたくはない。
「それで、我が国の見解は?」
「フラナンズは、文献不足だとしてまだ結論を出していない。というか、結論を出したら均衡が崩れかねないし」
そう、いつ崩れ落ちるか分からないこの均衡を守るために、フラナンズ王家は存在する。
「……突然の質問にもちゃんと答えられていますね。少し話が脱線しました。それでは、フラナンズが誕生するまでの流れを言ってもらいましょうか」
「うん。やっと終戦になったのは今から八十年前。それまでも兆しはあったのだけれど、両国ともきっかけを掴めずにいた。五百年も戦争をしていた相手と和解しようとしても、いつ攻めてくるか分からないもんね。そんなとき、とある提案がされた。『両国の間に、緩衝地帯となる新しい国を作ろう』って。……そうしてできた国が、このフラナンズ王国」
……やるせない話だ、本当に。わたしが王女として生まれたこの国は、大国間の防波堤として作られたなんて。
イーヒストが攻めてきても、すぐにウェストニアへ来ないように。ウェストニアが攻めてきても、すぐにイーヒストへ来ないように。フラナンズには、八十年経った今でも最新式の兵器が両国から運ばれて来る。両国間で文書をやりとりするときは、まずフラナンズの元首が目を通して、このまま送ってもいいか検討する。
それもこれも全て、時間稼ぎのためだ。
「セレーナ様。政治に私情は御法度ですよ」
「あ、バレてた?」
手際のいいペティーのおかげで、あれだけ荒れ放題だった部屋の床も見えてきた。
「冷静になりましょう。最後に、どうやってフラナンズ王家は選ばれてきたのか答えてください」
そうだぞ、王女セレーナ。冷静に、冷静に。
「初代国王と女王は、終戦した当時に優勢だったウェストニアの王子と、イーヒストの王女から出された。以降に婿入りや嫁入りする人物は、イーヒストとウェストニアから交互に選出されるようになったんだよね」
「ええ、正解です。そしてフラナンズ出身の三代国王フェリックス様と、イーヒストの貴族出身ミレーユ様のご息女、あなた様が、フラナンズの正当な後継者でございます」
そうだ。こんな聞いただけで胃が痛む仕事を、わたしがやるんだ。
四代目、フラナンズ王国女王として。
「もちろん。後継者らしく、ちゃんとしないとね!」
もうすっかり片付いた部屋を見回して、わたしは頬をパチンと叩いた。
「いつもありがとう、ペティー。このまま筆記試験の対策も付き合ってもらっていい?」
「仰せのままに。セレーナ様」
来るべき困難に向けて、今は実力をつける時間だ。
また机に向かい直し、ペンを持ったとき。
「セッレーーーーーナ! 一緒に外へ行かないか!」
勢いよくドアが開けられた。突然のことだったので、驚いたペティーが手を離し、棚に入れようとした最後の書類の束が床に散らばる。
「あー! すまない。一緒に拾わせてくれ」
中に入ってきたのは、多忙なはずの父上だった。
「父上! 何かあったのですか?」
「特に何もないぞ。むしろ、ないから来た」
そう言ってさわやかに笑う父上は、不満げに書類を回収するペティーのそばにしゃがみ込んだ。
「そんな、陛下。私がやっておきますので」
「いや、これは僕の責任だからな」
地べたで紙を集める最高権力者を、呆れ顔で見つめているのは後からやってきた母上だ。
「もう、またフェリックスが何かやらかしたのね。急に来てごめんね。お勉強中だった?」
「母上まで! 公務は大丈夫なのですか?」
「やっと一区切りついたところ。なーんか最近、変な動きが多くてね」
母上の、年齢より若く見られる美貌に憂いが混じった。本当に、女優みたいな人だ。かわいらしいというより美しい。わたしも将来こんな仕上がりになってくれたら、すごくすごく嬉しいのだけれど。
母上は余程疲れたのか大きく伸びをし、優しく微笑んだ。
「今日は久しぶりに空いているのよ。みんなで街にでも行かない?」
書類を拾い終わったのか、父上も立ち上がった。
「ああそうだとも。僕もここのところ行けてなかったからなぁ。そろそろおかみさんに怒られてしまう」
「えーっと、行きたいのはやまやまなのですが……」
わたしは明日のテストを思い浮かべた。うん、まだ対策が足りない。正直街まで行くのは久しぶりだし、本当に悔しいのだが、じいやに怒られることの方が怖い。
「もしかして、テストのことを考えているの?」
母上が下を向くわたしを覗き込みながら聞いてくれたので、コクリと頷く。
「安心して。じいやにはもう話をつけてあるから。もちろんペティーもよ! 一緒に行きましょう」
「いいのですか?」
部屋の端でじっと静かにしていたペティーが、心底驚いて目を見開いた。
「たしかにそうだよ! せっかくテストがなくなったもん。ペティーも行こ?」
「で、ですが私はただの侍女です。一緒だなんてそんな……」
母上は、案の定遠慮するペティーの手を取って微笑んだ。
「遠慮しないの。それに、これも勉強のうちなんだから」
父上も後ろで、うんうんと頷いていた。




