魂と約束
「ダメだよ、コランタン! 行かないで!」
リュシーが僕の方へ駆け寄ってきた。しかし、兵士たちが道を塞ぎ、逆にリュシーが取り囲まれる。
「やめて、離して!」
「おやおや、悪名高き魔女じゃないか。この下劣な魔女め、コランタン様をたぶらかしやがって。おい、早く始末しろ」
コランタン様はこちらへ、と男が誘導する。リュシーは何か呟いて魔法を発動させようとしたが、言い終わる前に口を塞がれた。
この状況、まるで──五年前のようだ。
抵抗できないリュシーに対して、男が剣を振り下ろした瞬間。リュシーは魔法を唱えていないのに、まばゆい光が辺りを満たした。
「うわぁぁあ!」
奇跡だ。魔法は呪文を唱えて発動させるのが常識なのに、それすらもリュシーにはいらないのか。僕はこんな時にも、そんなことを考えていた。それくらい、リュシーの魔法は希望を持てる突破口だった。
光を直視してしまった男は目を押さえ、「この魔女め!」と叫びながらやたらめったに剣を振り回している。味方の何人かにも当たったし、そして──リュシーの右頬を、剣の先が引き裂いた。
悲鳴をあげてリュシーがしゃがみ込む。リュシーの顔から真っ赤な血が流れ出し、光も止まった。
男が、何かに取り憑かれたような笑みを浮かべている。
「どうだ、魔女め。これが祝福された力だ」
そんなものは存在しない。ただまぐれで当たっただけなのに、周囲の男たちも「さすがドミニク様のお力だ!」と笑っている。
血を流すリュシーを下劣に罵っている。
こんな奴らが生きていていいのか? そう思った。
握りしめた拳は震え、奥歯はギリギリと鳴る。
なんだよこれ。五年前と変わらないじゃないか。
僕に力がないから。リュシーを守ってあげられるほどの奇跡を、起こす力がないから!
また、リュシーを傷つけてしまった……!
この世界は、人間は醜い。たった一人の女の子を受け入れられないほど歪んでいる。僕は、リュシーが笑っていられる世界がほしい。その世界に。
人間は邪魔だ。いらない。
──ゆっくりと、暗くなっていく視界の端で、宝石が光っていた気がした。風でカタカタと家が揺れている。
なんだろう。心は怒りでぐちゃぐちゃなのに、頭はひどく冷静で、不思議と高揚感も湧いてきた。今ならなんだってできる気がする。
リュシーを傷つける人間はいらない。消えろ。
そう思い薙ぎ払うだけで、兵士が何人も吹っ飛んでいった。
頭を掴むと、グシャっと柔らかいイチゴみたいに潰れた。
ちょっと楽しいな。段々理想の世界に近づいている気がする。
……待て。このままだとあいつらと同類だ。止まらなくちゃ。リュシーまで巻き込んでしまう。止まらなくちゃ。
って、あれ? 止まらない。
体が勝手に、人を叩き潰すために動いてる。
どうすればいいんだ、これ。止まってくれない。
リュシーは逃げられたのかな? もう敵はいなくなったのかな?
生温かい血を浴びる。視界が赤くなり、悲鳴も聞こえなくなっていく。
これって、まずいんじゃないのか?
そう思っていると、暗い世界が、緑色の炎で切り裂かれた。
ああ、温かい。この炎は、きっとリュシーだ。
やっと体も動きを止め、僕は床に倒れ込んだ。
「コランタン!」
リュシーが駆け寄ってくる。
床にはまだ、生暖かい血溜まりができていたようだ。べっとりと頬にまとわりつく。少し目線を上げると、青い空がのぞいていた。きっと、僕が暴れて家も壊れてしまったんだろう。
「リュシー……ごめん」
もう口も、満足に言うことを聞いてくれない。
リュシーが、震えながら僕の手を握ってくれた。怯えている。僕に。僕のしたことに。
「コランタン。──別人みたいだった。魔法は使えないはずだったのに、身体強化の魔法をあんなに。それで、あの……」
うつむいたリュシーの、涙の粒が顔に当たった。
「うん。わかってるよ」
今までできなかった僕が、魔法を使えた理由。たぶん、あの宝石のおかげだ。
「今日の実験で分かったんだ。あの宝石を持っていると不死になる原因が。宝石は、ものすごい量の魔力を吸収して貯められる。長い間持っていると、持ち主と宝石の魔力を一体化させちゃって……。引き離すと、壊れてしまう」
しゃくりあげながら話すリュシーを見ていると、僕はどうしても、リュシーってすごいなとか、こんな状況なのに考えてしまう。
「わたしは魔力が大きすぎて。コランタンはそもそも魔力を身体に留めて置けなかったから、今まで宝石を持っていても大丈夫だったんだけど……さっき、コランタンが魔法を使うために、宝石と一体化したんだ。でも、コランタンの体は、あんな魔力に耐えられない。だから、コランタンは、コランタンは……!」
ああ、リュシー。泣かないで。
「僕はいいんだよ。リュシーを守れたから。これで本望さ。だけど……」
一つ、気掛かりなことがある。
「なに?」
「……さっきから、声が聞こえるんだ」
憎い、憎いと唱え続ける声が。
心臓が脈打つ音と共に、どんどん大きくなってきている。
「コラン……タン? 何か、後ろに大きな……魔力の塊が」
青ざめたリュシーが見ている方を向こうと思っても、声が頭に鳴り響いて眩暈がしてきた。
憎い。
「リュシー……僕はもう、だめだ」
憎い。
「コランタン! そんなこと言っちゃだめ! わたしが、わたしがコランタンを助けるから! この、コランタンと結びついた魔力を追い出せば、助かるかも──」
「そんなことしても魔力は消滅しない。むしろ、僕の体から解放されて暴れ出すだけだって」
憎い。
「……とにかく、僕が死んだら早く森へと逃げてくれ。リュシー、できるね?」
「いやだ。わたし一人でなんて、無理だよ! コランタン! 」
憎い。
「もう、そんなに泣かないでよ。リュシー。最後に、言わせて……」
憎い。
僕は、震える手でリュシーの髪を撫でた。
「やっぱり、ニコニコ笑顔と黒髪が、世界で一番似合う。僕の光だよ、リュシー」
ぷつりと意識が、そこで途切れた。
目を開けても、閉じても、暗い。
なんで、僕は今考えることができているんだ?
僕、死んだんじゃないのか?
ここは、どこだ?
「やあ」
突然、すぐ右で囁かれた。
「誰だ! 」
「私だよ」
今度は左から! 耳がゾワゾワする。気持ち悪い。隣を見ようとしても、体が動かない。
「私はただの石ころでもあり、今は君でもある。魔力を使って、人間を殺そうとしただろう」
「なんの話だ! 」
「とぼけるな。私は、君の悪意に呼ばれた。君が、人を殺したいと願っていたんだ。聞いただろう。憎いと呪詛を呟くだけの、君の悪意を」
なにも見えなかった空間に、ぼんやりと赤い炎が灯った。
それは、だんだんと人の形になっていき……。
「……僕だ」
ついに顔まで形作られ、僕そっくりの何かが呟く。
「憎い」
「僕の、声だ」
こいつはいったい、何者なんだ?
「ほら、この声がずっと聞こえてきていたんだろう? 君の悪意だ。私は昔、少し失敗をしてしまってね。石に閉じ込められていた時、私にもこの声が聞こえた。今や一体となり、悪意が私であり、私が悪意だ」
宝石の魔力と、僕の悪意が結びついた……?
たしかに、あのとき。僕は一瞬、人間なんて消えてしまえと思った。実現するための力を望んだ。だけど、こんなことになるなんて!
「ふざけるな! 僕はリュシーを守りたいだけ──」
「それで、邪魔だった他の奴らを殺そうとした。そうだろ? 」
……そう言われてしまうと。
僕の形をした悪意が肩をすくめた。
「図星のようだな。なら簡単な話だ。私も君も、人類抹殺のためならなんでもする」
「違う。僕は、こんなことをしたいわけじゃない! 」
「何を今さら。もっと正直になりなさい。現に、こうして私がいるのだから。君の悪意はまだ消滅していない。心のどこかで思っているんだろう? 全人類、殺してしまいたいと」
違う、違う。僕はそんなこと……そんなこと。思ってなんかいない。ただリュシーの幸せを守りたいだけだ。でも……醜い人間がこの世にいる限り、リュシーは一生泣いているままなんじゃないのか?
「私に、悪意に、その体を預けてしまいなさい。君の理想を作ってあげよう」
うるさい。
「憎い。そうだろ? 」
黙れ。黙れったら!
「人間が消えた、美しい世界を」
絶対に、こんなのいけないはずなのに。
「憎い」
もう考え続けるのも疲れてきた。
「憎い」
全て、委ねてしまおうか。
「さあ、おいで」
僕の悪意が、手を差し伸べてきた。
「この世界の全てが、憎い」
揺れ動く炎に魅了されて、その手を、僕はつかんだ。
ゆっくりと、ゆっくりと、落ちていく。経験したことのない浮遊感が心地いい。
「……宝石に閉じ込められていたのか、お前は」
「やめてくれ。昔の話だ。それにお前ではない。私は、キネロだ」
「キネロ……なんで、キネロは人を殺すんだ」
「──とある同僚の邪魔をするためさ」
「は? 」
「とにかく。こんな細かいこと、今は話すときではない。早く堕ちてしまおう。私と共に、どこまでも」
「どこまでも……」
考えることも放棄し、僕はキネロに手を引かれ、浮遊感に身を任せた。
コランタンの優しい優しい手が、床へと崩れ落ちた。
「そんな。コランタン? ……コランタン!」
叫んでもゆすっても、コランタンの目は開かない。
「置いていかないでよ──コランタン」
手はか細く震えている。さっきまでのコランタン、まるで別人みたいに──笑ってた。兵士の人たちの首を引きちぎりながら。血まみれになって、それでも笑っていた。
わからないことが多すぎる。なんで宝石とコランタンは一体になったのか。なんで制御できないほど暴れ出したのか。
でも、もういいか。
わたしも、早くコランタンと一緒に行きたい。
床に転がっていた、血まみれの剣をわたしは握った。
「コランタン。すぐ行くから」
首筋に剣を当てたとき。
「おやおや。自分から死のうとしてくれているなんて、幸運だな」
コランタンそっくりの声がした。でも、絶対コランタンじゃない。
「誰? 」
少し間を置いて、また声がした。
「リュシー。僕だよ。コランタンだよ」
「……違う」
わたしは剣を杖代わりに、ゆっくりと立ち上がった。右頬に付けられた傷がまだ痛い。早く治さないと、治癒魔法を使っても傷が残る。
「リュシー? なに言っているの? 僕はコランタンだよ」
「絶対に、違う! 」
今、立ち止まっている暇はない。
「コランタンは絶対、あんなひどいこと言わない! 早く姿を現しなさい! 」
「……くそ」
観念したのか、露骨に悪態をついてきた。
「ああ、その通りだよ。私はお前が知るコランタンではない」
もう動かないと思っていたコランタンの遺体が、細かく震え出した。
「だが、コランタンでもある」
操り人形のように起き上がり、そのまま宙に吊り上げられる。
「誰、なの……? 人間じゃないでしょ」
ゆっくり後ずさりしながら、わたしは聞いた。
「私は、遥か昔に魔力となり、あの宝石に封印された者だ。こいつの悪意に呼ばれ、魂と結びついた。もう敵はいない。お前から、私の復讐を始めるとしよう」
そう言って、コランタン、いや、魔力が手をかざしてきた。見てわかる。死に際のコランタンの背中に憑いていた魔力だ。宝石と同じ、強い強い魔力。
「安心しろ。私にも感謝する心は残っている。痛む間もなく塵にしてやる」
どうしよう、どうしよう。いっそのこと、このまま殺されてしまいたい。わたしは武器を捨てようとして、はたと我に帰った。
わたしが死んだら、この魔力はどうなるの?
きっと、いや絶対、暴れ回る。コランタンの体を操って、さっきみたいなひどいことを……。
止めなくちゃ。
わたしは目を閉じ、手をかざした。
「おや、戦おうというのかね。無駄なことを」
分かっている。この魔力は強い。今のわたしではとても、勝てない。
だからといって、諦めるにはまだ早い。
「地を満たす魔力よ。コランタンの亡骸に巣食う魔力を取り込みたまえ」
「──おい、それは」
なんだ。この魔法は効くのか。
本来は、強力すぎる魔法道具に触れてしまった人を治療する魔法。魔力を対象者から追い出して拡散させる。
……今のわたしがこの魔力に対抗できなくても。何十年、何百年後には、解決策が見つかるかもしれない。それまでこの魔力には、空気中を彷徨ってもらうとしよう。
「……先延ばしに過ぎないけれど、いつか必ず、なんとかするから。そのときまで待っててね。コランタン」
魔力と結びついてしまった魂に、わたしは約束した。
「全ては、唯一神セレーナ様のために」
金色の光が辺りを駆け巡り、コランタンの体に入り込む。
「この人間が! 邪魔だ、邪魔だ、目障りだ! あいつの名を出すなんて! 」
「あいつ……って、リザーヌ様のことかしら」
体をかきむしり苦しむ魔力に聞いたが、うめき声と呪詛しか返ってこない。
「おのれ、人間め! よろしい、待ってやるとしよう。貴様がまたのこのこ現れ、私を封印するまでこの魂も道連れだ! お前が先延ばしにしたせいで何人も苦しむ! お前のせいだ、お前の……!」
金切り声をあげて必死に抵抗していたけど、だんだん体から吸い出されていく。空っぽになったコランタンが、地面に落ちた。
「……コランタン」
もう、呼んでも返事をしてくれない。
一緒にご飯を食べることも、お話しすることも。
コランタンの側に行き、髪を撫でた。
「コランタン。わたしね、コランタンに名前つけてもらったときから、コランタンのことが……」
涙があふれて、それ以上言えなかった。
ずっと、泣いていた。




