イヌチーレ、もしくはイディオ
僕がリュシーと出会ったのは、今から三年くらい前。僕らが七歳だったときだ。
西の街から来たという行商人の荷物に、ボロボロの服を着た女の子が紛れ込んでいた。
「……こんにちはー? 」
両親の手伝いで商品の荷解きをしていたとき、中に女の子が入っていたときはとても驚いた。
「えっ! 女の子? なんで、どうしてこんなところに? 」
「えへへー。食べるものを探してかごに入ったら、こんなところにーみたいな? 」
「みたいなーじゃないって! 見つかったら怒られちゃうよ! それに、この荷物には危険な魔法道具が山ほど入っているんだ。そんなに魔力を浴びたら、腕ききの魔法使いでも耐えきれないのに……! 」
魔法道具は使いこなせれば強大な力になる代わりに、リスクも大きい。
僕みたいな魔法を扱う店の子どもが最初に習うことは、「人には人の、魔法道具には魔法道具の、魔力の入れ物がある」ということだ。
人よりも木や石の方が魔力を貯めておけるキャパシティが大きく、それで作られた魔法道具も当然大きい。まぁ、僕は普通の人と違って魔法の入れ物がとても小さいみたいだ。生まれてから何度も試したけど、一度も魔法を使えたことがない。
魔法道具が貯め込んだ魔力は呪文を唱えることで放出できるが、強すぎると使用者の「魔力の入れ物」を破壊してしまう。
そして……破壊された入れ物は二度と元には戻らず、それでも身体は魔力の吸収を続け、やがて死に至る。
無事でよかったよ、本当に。危ないところだったんだからねと叱る僕に、その子はニコッと笑って言った。
「大丈夫。わたし、魔法は得意なんだ」
ピョンとかごから出た女の子は、「あなた、名前は? 」と言った。
「僕はコランタンだけど……」
「コランタン! ちょっと見てて。今荷解きしてたんでしょ。手伝ってあげる」
どういうことだろう、と僕が思っていると、女の子は目を閉じて両手を組んだ。
「ちょっとさ、目を閉じてここにあるものが綺麗に整頓された姿を想像してみて」
「え? もしかして、整列の魔法を使おうとしているの? 無理だよ。ここにはものが多すぎて操りきれないし、君は道具を持っていないでしょ? 」
「いいからいいから、集中して! ……ここにある全ての物よ。コランタンの思うがままに、並びたまえ」
「いやいや、そんなまさか」
魔法だって万能じゃない。治癒魔法で死んだ人は生き返らないし、杖などの道具がないと普通は魔法を使うことなんてできない。
「奇跡でも起きなきゃできないって」
女の子は不敵な笑みを浮かべた。
「確かにそうかもね。でも、奇跡を起こすのが魔法でしょ? 」
そう言った瞬間。
強烈な緑色の光が、僕の視界を覆った。
「なにこれ! 眩しい! 」
普通はもっと落ちついた光なのに、いくら何でも桁違いすぎる!
「ほら、コランタン。目を開けて」
恐る恐る目を開けると、散らかっていた商品が一つ残らず陳列棚へ並べられていた。それだけじゃない。床に落ちていたほこりや、壁に染み付いていた汚れまで取れて、店内は新築同然となっている。
なんてことだ。まさに、奇跡。僕は今、目の前で奇跡を見たんだ。
「すごいよ、君! 今のどうやったの? 誰に魔法を教わったの? 」
「落ちついてってば! 魔法は、ママがやっていたのを真似していただけ。少し前に、ママもパパもお家を出ていっちゃって……。仕方がないから一人で練習してたら、色んなことができるようになったの」
「パパとママが出ていった……? それじゃ、君は一人暮らししていたの? 」
「うん。昔から、わたしはご飯を食べさせてもらっているんだから、ちゃんと働きなさいって言われてたし」
よく見ると、女の子の腕や足に、いくつもの青あざがあった。それに、年は背は僕と同じくらいなのに、体はやけに細い。これって、もしかして……!
「そんなのひどいよ。虐待だって! 」
「虐待……? なにそれ、おいしいの? 」
「──おいしくはないと思うよ。大人から殴られたり、ご飯をもらえなかったり、たくさん働かせられちゃうこと」
僕からの説明を聞いた女の子は、目を丸くしてこう尋ねた。
「へー。でも、それって普通じゃないの? 」
信じられない。僕と同い年くらいなのに、虐待が普通だと思うほど、今までこき使われてきたのか。
……許せない。そんなことをさせる大人を。この子の当たり前が、変わらないことを。
「……働かされるのは、当たり前じゃないんだよ」
「えっ? 」
怒りで声が震えてしまう。
「僕たちはまだ子どもだから、いっぱいご飯を食べて、いっぱい遊んで、いっぱい寝てていいんだよ。君が嫌なら、嫌だと言っていいんだよ。いっぱい楽しいことしても、いいんだよ」
「そう……なの? 」
「うん」
「……お家の外から聞こえる笑い声、ずっと、わたしには関係のないことだって言われてた。わたしも、お外に行ってもよかったの? 」
「もちろん」
「パパやママみたいに、お腹いっぱいになるまでごはん食べてもよかったの? 」
「当たり前だよ! 何だよ、そのパパとママ。ひどいじゃないか! 」
「……そうだったんだ。知らなかったなぁ。パパとママは、ひどかったんだ」
女の子の目に涙がたまる。でも、女の子は必死でこぼれないように拭き取った。
「……もしかして、泣いちゃダメって思ってる? 」
「そっ、そうじゃないの? 」
声の揺らぎを押し殺したその言葉に、僕はいたたまれなくなった。
「泣きたいときは、泣いてもいいんだよ」
この一言が、きっかけだった。
「そうなんだ……そうなんだぁ。……うわあぁぁん! 」
感情をせき止めていたものが決壊し、涙があふれ出した。
「パパぁ……ママぁ……ひどかったんだね。ひどかったんだね! 」
泣き叫ぶこの子に、僕は背中をさすってあげることしかできなかった。
お母さんが僕にしてくれるみたいに、優しく。
「そうだ。君の名前を聞いてなかったよ。なんていうの? 」
泣き止んだころ、僕は聞いた。
「……え〜っとね、よくわからないんだ」
気まずそうに女の子は言った。
「パパからはいつもイヌチーレって呼ばれてたし、ママはイディオって言ってたんだよね。わたし、名前が二つあるのかな? なんかかっこいいね! 」
無邪気に笑う女の子とは対照的に、僕はますますその大人たちに幻滅していた。イヌチーレは役立たず、イディオはバカという、祖先が使っていた言葉だ。
どうしよう、絶対にこんな言葉で呼びたくない。かと言って、これ以上泣いているところなんて見たくない。僕は、ちょっぴり嘘をつくことにした。
「うーん。僕はその名前もいいと思うんだけど、この街ではそんなに人気というか、呼びやすい名前じゃないんだよね。できれば変えたほうがいい気もするんだ、け、ど……いやでもそれは個人の自由だしなぁ」
大袈裟に考え込む僕を見て、女の子は言った。
「そっかぁ……。じゃあ、コランタンが考えてよ! 新しい名前! 」
「えっ! 僕が? 」
ちょっと予想外だ。
「だってだって! コランタンって頭良さそうだもん。いい名前、たくさん知っているんでしょう? 」
キラキラした目でこちらを見る子を前に、僕は断ることなどできなかった。
でも、名前をつけるなんて人生初だ。どうしよう、やっぱり最近街で流行っている名前とか? いやいや、どうせならもっと個性的なほうがいいかな?
僕はそのとき、お母さんから聞いたことを思い出した。名前は、その子がどんな人生を歩んでほしいか考えてつけるもの。
よし、決めた。この子はもっと、明るい人生になってほしい。今まで大変だった分、まばゆい光で祝福されるような。だからこの子は……。
「リュシー。なんてどうかな」
「……リュシー。いいね! リュシー! なんかいい! さっすがコランタンだね。とっても素敵だよ」
僕の名付けを気に入ってくれたようで、しばらく女の子はリュシー、リュシーと口ずさんでいた。
よかった、と僕はリュシーに向かって思った。
お父さんたちの仕事がひと段落したのを見計らって、僕はこのことを話した。
リュシーは帰る場所がないこと、魔法の腕前が桁違いであることを説明すると、お父さんは僕に「リュシーに住み込みで働いてもらうのはどうだい? 」と提案してきた。
お父さんまでリュシーをこき使うのかと警戒したけれど、お母さんは「本当はリュシーにも家族になってほしいけど、この街の子じゃない人を養子にするのは手続きが大変なの。リュシーにも余計な負担をかけちゃうから」と言ってくれた。
それならしょうがない。それに、一緒に住めるなら万々歳だ。僕がリュシーに提案すると、「コランタンと一緒に暮らせるの? やったー! 」と喜んでくれた。
こうして、僕とリュシーが一緒に暮らし始め、今に至る。
リュシーは、本当によく働いた。店の雑用から魔法道具の実演までこなし、すぐにこの街にも馴染んだ。
だけど、平和だった日々は徐々に壊れていった。




