裏切り者
アルベールと出会ってから、七年が経った。
わたしは領内を見回るため、馬に乗り草原を駆けていた。休憩がてら小高い丘の上で止まって、フラナンズの城や街を一望する。
「ちょっと、姫様速すぎますって! 」
「あっ、アルベール!」
突っ走るわたしのことを制止したおかげで置いていかれたアルベールは、大層ご立腹だった。
「姫様。いくら乗馬が楽しくても、気分に任せてでたらめに走ってはいけませんよ」
「大丈夫だって。それに、全力を出して息抜きするのも大事だよ?」
「大丈夫じゃなさそうだから言っているので。まだ城までは距離がありますから、馬を使い潰すわけにはいきません」
「……それもそうね」
わたしは馬を歩かせた。すぐ横をアルベールがついてくる。
「もう、せっかく気持ちよーく走ってたのに。アルベールだって、本気を出せば風より速く走れるでしょ?」
「いえ。安全には代えられません」
本当に、なんて堅物に育ったのだろう。真面目という言葉が誰よりも似合う。
七年前から、城外に行くときは大抵アルベールが一緒になった。放っておくと休憩しないのが悪い。
わたしは十七歳、アルベールは二十歳。城の兵士が束になっても勝てないほど強くなったアルベールは、数年前、正式にわたし直属の騎士に任命された。
任命式のとき、父上と母上は涙目になって「セレーナも大きくなったなぁー」と話していたけど、そんな、結婚式じゃないんだから。そりゃあ、アルベールは背丈もずいぶんと伸びて、あれ、こんなにかっこよかったっけ?と、思うこともある。けど、いや、別にそういうんじゃ本当にないんだって! 第一、実年齢はひと回りも違うし、アルベールもその気じゃないって……。
横目でちらっとアルベールを見ると、警戒しているときのするどい目で草原を見ていた。そうだよね、浮かれてる場合じゃないものね。
戦争はいつだって、フラナンズの隣にあるから。
「ねぇアルベール。もう七年経ったのに、全然攻めてこないね」
「はい。いいことなのかもしれませんが……」
「不安になるよねぇ」
いつ、どのくらいの軍隊が、誰に率いられてくるのか。情報収集のため暗躍するペティーは、一週間裏通りから帰ってこないときもある。
報告では、アモアが流通し、摘発はしているけれど追いついていないこと。その発生源、つまり売人の親玉にはいつも捕まえる寸前で逃げられていること。そして……城の関係者らしき人物が、親玉と話し込んでいる場面を見たことを聞かされた。
内通者の存在を知ったときは不安になった。もしかしたら身近な人かもしれない。それこそ、今隣にいる──。
だめだ。それこそ敵の思う壺じゃないか。ほどよく疑い、ほどよく信頼する。そのバランスを取るんだ。
でも、やっぱりアルベールのことは信頼したい。
「アルベール」
「はい? 」
「もしさ、このままイーヒストが攻めてこなかったら、来年わたしは十八歳になって、王位を継ぐんだよね」
「はい」
「そしたらさ……イーヒストの実情を知るための調査員を派遣したいんだ。その調査員に──」
「セレーナ様ー! アルベール様ー! 」
城の方角から、馬が駆けてくる音が聞こえてきた。
「この声は、城の衛兵?」
耳を澄ましていたアルベールがつぶやく。
「何かあったのかな? 」
わたしたちは、衛兵の方へ馬を走らせた。
肩で息をしている衛兵は、よほど慌てているのか馬からも降りずに話し出した。
「ご報告いたします!現在、イーヒスト軍がフラナンズ国境を越えて侵攻中!その数、およそ五万人とのことです!」
「なんですって、五万人?」
「そんな、報告ではせいぜい二万人だったのに……」
「とにかく、早く行きましょう!」
わたしたちは城に向かって全速力で馬を走らせた。
城に入ると、何やら揉めている声がした。
「やめて! 離して! 」
「ペティー? 」
急いで現場に向かう。謁見室近くの広間で、ペティーとばあやが兵士に取り押さえられていた。ばあやは猿ぐつわをかまされ、逃げないように鎖で捕まえられている。
「なんで? ちょっと、一旦離してよ! 」
「それが、軍隊長に命令されまして……」
「えっ? 」
兵士も気まずそうにしている。なぜそんな命令が出たのか分からないみたいだ。
兵士を振り解こうともがくペティーが叫ぶ。
「セレーナ様、今すぐお伝えしたいことが! 裏切り者の件なのですが──」
「それ以上話すな」
コツコツと靴音を響かせ、軍隊長が割って入った。
「軍隊長、どういうこと? 」
「……お伝えするのは心苦しいのですが。ペティーに、内通者の疑いがかけられています」
「えっ? 」
嘘、そんなことあるはずない。
「ち、違うよ。だってペティーは、何年も裏通りで情報収集してくれて」
「怪しい人物と接触することも、証拠をでっち上げることも簡単にできた。違うか? 」
詰められたペティーは首を振る。
「なんのことですか? 動機だってないじゃないですか! 」
「そのくらい予想はできる。ここにいるアンドレはイーヒスト出身だ。母国と接触することもあるだろう」
「そんな、ひどい! 今すぐ撤回してください。あなたの発言は、イーヒスト出身であられるミレーユ様をも侮辱するものですよ! 」
「では、犯人が失くしたと言われている認証紋。証拠として提出されたが当然、君は持っているんだよな? 」
ペティーの目は、動揺して泳いでいるように見えた。
「──ペティー? 持っているよね」
観念したのかため息をつく。
「数年前に失くしました」
「嘘……ペティー、そんなの嘘だよね! 」
駆け寄ろうとしたところをアルベールに止められた。
「ほら。他にも証拠はあるが、今は緊急時だ。我が国が勝利したのちに経緯を聞かせてもらう。おい、地下牢に入れておけ」
「はっ! 」
何か話そうとしても止められ、ペティーが連れていかれる。
「待って! ペティー……ペティー! 」
わたしはその場に崩れた。
なんで、どうしてペティーが? いつも一緒だったのに。この世界に生まれてからずっと、支えてくれていたのに。なんで……。
「セレーナ様。お辛いのは重々承知ですが、今は敵が近くまで来ています」
軍隊長が優しく声をかけてくる。ペティーを連れていったのに。
「……もうやだ」
初めて、元の世界に戻りたいと思った。
「姫様」
誰かが手を握ってくれる。アルベールだ。
「大丈夫です。私がいます」
そっとなでてくれた手は、とても暖かかった。
「私が、あなたの剣になります」
「本当? 」
自然と涙がこぼれていた。
アルベールは、泣いていなかった。
「はい」
「……ありがとう」
アルベールがハンカチを差し出してくれる。涙を拭い、わたしは立ち上がった。




