栗毛の諜報員
裏通りを走る少女が、一人。
ボロボロのマント、痩せこけて見える頬。このままではただの孤児だ。
そのとき突風が吹き、頭を覆い隠していたマントがめくれる。
孤児のものとは思えない、豊かで明るい栗毛。
少女の名はペティー。薄暗い通りを駆け、今夜も情報を集める。
あるときは酒場の店員に変装し、またあるときは物乞いの隣で。初めてここを訪れてから五年が過ぎ、独特の湿気をまとった空気にも慣れてきた。
「今日も遅くなっちゃった。エドさんに叱られちゃう」
つぶやいた声も、ここまで人通りが少ないと聞かれない。
曲がりくねった道をただ走り、ようやく目的地に着いた。
「ただいま。エドさん」
机に突っ伏した老人がのっそりと起き上がる。
「おう」
伸ばしっぱなしの白髭と髪で隠され、容易に表情は読み取れない。ただ、ペティーは長年の付き合いで、老人が返事だけするときは機嫌がいいときだと知っていた。
床は足の踏み場もないし、一つしかないランプはあまりにも心もとない。お世辞にもきれいだとは言えないここは、王立救護所。といってもそれは名ばかりで、住民は近寄らない。裏通りで情報収集をする際、ペティーの拠点となっている。
「今日は何を持って帰ってきた」
来た。エドさんのテストだ。ペティーは身構えた。
「アモアの広まり方が思っていた以上に早いです。エドさんを取り押さえた『狐目の黒髪』の件もありますし、裏で手を引いている人間がいるんじゃないかと」
「他には」
「──これは、あくまでも私の推測ですが」
「聞かせなさい」
老人が口を挟む。
「いつも言っているだろう。私情でもなんでも加えて、己なりの仮説を立てろと」
「……はい」
それが難しいんだと、ペティーは心のうちで叫ぶ。
「このアモア汚染、対イーヒスト戦争とは関係のないことのように見えます」
なんでだと問題が飛んでくる前に言葉を継ぐ。
「目下の敵であるイーヒスト皇太子は、薬物で国を内側から崩壊させていくような時間のかかる手法を好まないと思うんです。もっと正面から、無策に突っ込んでくるような」
「つまりバカということだな」
そう言われると身も蓋もない。せっかく直接的な言葉を避けようとしたのに。
「とにかく。アモア汚染は深刻ですが、我が国の敗北に直結はしないかと。それよりも気になることがあります」
「ほほう。薬物よりも気になることかい」
「はい」
今後イーヒストと戦っていく上で、フラナンズ──セレーナ様の障壁となりうる存在。
「この国に、内通者がいるかもしれません」
「……そうか」
チラリと覗く老人の目は、誰だか分かるかと言っていた。
「誰かまではつかみきれませんでした。実は、最近また狐目の黒髪を見かけたんです」
「なんだと? なぜそれを言わない」
それを言ったらあなたが躍起になって杖を振り回すからですよ、と言いたいところをぐっとこらえる。
「お叱りは後ほど。その男を追跡したところ、とある人間と接触していました。私に気づいた二人は、逃走する際にこれを落としていったんです」
ペティーが差し出したのは、フラナンズ王家の紋章がついたバッジだった。
「これは、認証紋か」
「はい。王家に仕えていると証明するもの。フラナンズ城で勤めているなら誰でも持っていますよね」
「そうだな。──懐かしい。三十年前、わしも持っていたよ」
ここで止まると思い出話が長くなる。ペティーは話を戻した。
「相手はこの土地に慣れています。曲がりくねった道を迷いなく進んでいました。月明かりもなかったので人相もはっきりせず……」
「そうか」
金の持ち手がついた杖をいじり、老人はため息をついた。
「己の勘を信じなさい。情報を上の人間に受け入れさせる説得力なんて最後に付け足せばいい。それまでは、己で聞いて納得できるかが一番だ」
「はい」
そうだ。五年間、この国とセレーナ様を守るために磨いてきた技を使え。出し惜しむな。
戦争を止められるなんて思っていない。ただ、被害を最小限にする。
やってやる。
老人に礼をし、ペティーは着替えるため奥の部屋に進んだ。




